和久羅山の天狗様 第3話:天狗との一夜
作者のかつをです。
第十九章の第3話をお届けします。
恐ろしいと思っていた天狗の、意外な素顔。
少年と天狗の、焚き火も囲まない、静かで温かい一夜を描きました。
異界の住人との心の交流は、民話の醍醐味ですね。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
太郎吉の前に現れたのは、真っ赤な顔に長い鼻、そして一本歯の下駄を履いた、大男だった。
手には、天狗の団扇を持っている。
まぎれもなく、伝説の天狗だった。
「……ひっ!」
太郎吉は悲鳴を上げようとしたが、喉が引きつって声が出ない。
天狗は、太郎吉を見下ろすと、ギロリと目を光らせた。
その迫力に、太郎吉は腰を抜かして震えるばかりだ。
「……山を荒らす童か」
天狗の声は、低く、地響きのように腹に響いた。
「ち、違います! オラ、ただ栗を拾ってただけで……」
「嘘をつくな。ここはわしの庭じゃ。勝手に入り込み、騒ぎ立ておって」
天狗は団扇を振り上げた。
太郎吉は、もうダメだと目を閉じた。
しかし、痛みはやってこなかった。
代わりに、頭の上にぽんと何かが乗せられた感触があった。
恐る恐る目を開けると、頭の上には大きな柿の実が一つ乗っていた。
「……腹が減っておるのだろう。食え」
天狗は、団扇を下ろして、近くの岩にどっかりと腰を下ろした。
その表情は、先ほどまでの恐ろしさは消え、どこか呆れたような、それでいて温かみのあるものに変わっていた。
「え……? いいの?」
「毒など入っておらん。食わねば、山を下りる力も出まい」
太郎吉は、震える手で柿を手に取り、一口かじった。
甘い。
とろけるような甘さが、恐怖で縮こまった体に染み渡っていく。
「うまいか」
「う、うん。うまい」
太郎吉が夢中で柿を食べるのを見て、天狗はフンと鼻を鳴らした。
夜が来た。
山は冷え込み、太郎吉は寒さで身を縮めた。
すると、天狗は自分が着ていた蓑のような羽衣を脱ぎ、太郎吉にかけてやった。
「これでも被っておけ。山の夜は冷える」
その羽衣は、鳥の羽で作られていて、驚くほど温かかった。
「天狗様……。オラを食べないの?」
太郎吉が勇気を出して尋ねると、天狗は高らかに笑った。
「カッカッカ! 童など食って何がうまい。わしが懲らしめるのは、欲にまみれ、山を傷つける大人たちだけじゃ。お前のような、ただ迷い込んだだけのアホな小僧になど、興味はないわ」
天狗は、懐から木の実を取り出し、自分も食べ始めた。
「ここはな、人間が来てはいけない場所じゃ。お前たちが来ることで、木々が傷つき、獣たちが怯える。だからわしが守っておるのだ」
天狗の言葉には、山への深い愛情が感じられた。
彼は、恐ろしい化物などではなく、この和久羅山の厳しくも優しい守り神なのだ。
太郎吉は、そう直感した。
羽衣の温もりの中で、太郎吉の瞼が重くなってきた。
隣には、巨大な天狗が座り、夜空の月を見上げている。
不思議と、もう怖くはなかった。
太郎吉は、天狗の膝元で、安心して深い眠りに落ちていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
天狗は、悪さをする妖怪として描かれることもあれば、山の守護神として描かれることもあります。
和久羅山の天狗は、きっと山を愛する、口の悪いおじいちゃんのような存在だったのかもしれません。
さて、夜が明けました。
天狗は太郎吉に、ある約束をさせます。
次回、「不思議な約束」。
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