和久羅山の天狗様 第1話:神隠しの山
作者のかつをです。
新しい構成案に基づき、本日より第十九章「和久羅山の天狗様」の連載を開始します。
三原のシンボル的な山の一つ、和久羅山。
そこに伝わる天狗伝説をモチーフに、少年と異界の住人との交流を描く、少し不思議で懐かしい物語です。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島県三原市。
市街地の北側に、お椀を伏せたような特徴的な形をした山がある。和久羅山だ。
標高はそれほど高くはないが、急峻な山肌と深い森に覆われたこの山には、古くからある伝説が語り継がれている。
「和久羅山には、天狗が住んでいる」
その天狗は、山を荒らす者には恐ろしい祟りをなすが、心清き者には時に不思議な力を貸してくれるという。
これは、まだ電灯もなく、夜の闇が今よりもずっと深く、そして近かった時代の物語。
山と共に生き、山を畏れた人々と、そこに棲まう人ならざる者との、不思議な交流の記憶である。
◇
時代は不詳。おそらくは江戸の末期か、明治の初め頃。
和久羅山の麓にある小さな村に、太郎吉という少年が住んでいた。
太郎吉は、炭焼きの父・権蔵と二人暮らし。
貧しいながらも、山に入ってキノコを採ったり、川で魚を釣ったりして、自然の中でたくましく育っていた。
ある秋の夕暮れ。
権蔵は、囲炉裏の火をいじりながら、太郎吉に言い聞かせた。
「いいか、太郎。山へ入るのはいいが、決して奥の『天狗岩』には近づくんじゃねえぞ」
「なんでだ? 父ちゃん」
「あそこはな、天狗様の遊び場だ。あそこへ足を踏み入れた者は、神隠しに遭って二度と帰ってこれなくなる。……昔、わしの仲間も、あそこで行方が分からなくなった」
権蔵の目は真剣だった。
村人たちは皆、和久羅山を「神の山」として敬い、そして恐れていた。
木を切る時も、獲物を捕る時も、必ず山の神に許しを請い、決して必要以上に山を荒らすようなことはしなかった。
だが、子供というのは、ダメだと言われれば言われるほど、気になってしまうものだ。
太郎吉の頭の中には、恐ろしい天狗の姿よりも、まだ見ぬ「天狗岩」への好奇心が膨らんでいた。
そこには、見たこともないような大きなキノコが生えているのではないか。
あるいは、天狗の落とした宝物が落ちているのではないか。
「……分かったよ、父ちゃん」
太郎吉は口ではそう答えたが、その目は、薄暗い森の奥、和久羅山の頂の方角をじっと見つめていた。
山からは、ヒュー、ヒューと、風の音が聞こえてくる。
それは、太郎吉を誘う口笛のようにも聞こえた。
神隠しの山。
その禁断の扉を、少年は好奇心という鍵で、開けようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第十九章、第一話いかがでしたでしょうか。
和久羅山は、現在ではハイキングコースとして親しまれていますが、その急峻な山容は、昔の人々にとって畏怖の対象でもあったようです。
天狗伝説は、山への畏敬の念が生み出したものなのかもしれません。
さて、禁忌を破ろうとする太郎吉。
彼が山で見たものとは。
次回、「山で迷った子供」。
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