桜山の桜、海の向こうの祈り 第3話:海の向こうへの祈りv
作者のかつをです。
第十七章の第3話をお届けします。
今回は、三原から厳島への海上の旅を描きました。
穏やかな瀬戸内海も、ひとたび荒れれば牙を剥きます。
自然の猛威の中で、大切なものを守り抜こうとする親子の姿を描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
切り出された桜の枝は、すぐに港へと運ばれた。
そこには、厳島へと向かうための専用の小早船が待っていた。
千吉も、父と共に船に乗り込むことを許された。
生まれて初めての船旅。
そして、憧れの厳島への旅だ。
船は、三原の湾を滑るように出て行った。
波は穏やかで、春の陽光が水面をキラキラと照らしている。
船の上で、吾作は桜の枝が入った箱のそばを片時も離れなかった。
時折、箱の蓋を少しだけ開け、中の様子を確認しては霧吹きで水をかける。
「潮風に当ててはいけん。花が痛む」
父の目は真剣だった。
厳島までは、順調に行けば半日ほどの道のりだ。
だが、海は何が起こるか分からない。
船が安芸灘の広い海域に出た頃、空模様が怪しくなってきた。
西の方から、黒い雲が湧き上がってくる。
風が冷たくなり、波が高くなってきた。
「……時化が来るぞ!」
船頭が叫ぶ。
船は木の葉のように揺れ始めた。
千吉は恐怖で船縁にしがみついた。
海水が容赦なく降り注ぐ。
「桜を守れ!」
吾作が叫び、自分の身体で箱を覆いかぶさるようにして守った。
千吉も、慌てて父の背中にしがみつき、持っていた筵を広げて雨風を防ごうとした。
「神様……! どうか、お鎮まりください!」
定家が、船首で祝詞を唱え始める。
船は激しく揺れ、いつ転覆してもおかしくない状況だった。
だが、吾作は微動だにしなかった。
その背中は、「何があっても、この花だけは守り抜く」という強い意志の塊のようだった。
千吉は、父の背中越しに、箱の中で静かに眠る桜の枝を感じていた。
この花は、ただの植物ではない。
村の人々の、そして自分たち家族の、一年間の汗と祈りが詰まっているのだ。
これを海に沈めるわけにはいかない。
どれくらいの時間が経っただろうか。
定家の必死の祈りが通じたのか、それとも父の執念が勝ったのか。
風は次第に止み、波も穏やかになっていった。
雲の切れ間から、夕日が差し込んでくる。
その光の先に、朱色の大鳥居が、海の上に浮かび上がって見えた。
「……着いたぞ」
父が、安堵のため息と共に呟いた。
厳島だった。
神の島が、夕焼けの中で神々しく輝いていた。
千吉は、震える足で立ち上がった。
目の前に広がる光景の美しさに、言葉を失った。
これが、自分たちが守ってきた桜が、行き着く場所なのか。
苦難の航海を乗り越え、桜はついに神の元へとたどり着いたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
当時の船旅は、現代とは比べ物にならないほど命がけのものでした。
それでも人々は海を渡り、交易し、信仰を広めていきました。
瀬戸内海は、まさに「海の道」だったのです。
さて、無事に厳島にたどり着いた千吉たち。
しかし、物語はここで終わりではありません。
数年後、桜山に危機が訪れます。
次回、「絶えかけた桜」。
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