桜山の桜、海の向こうの祈り 第2話:桜守の一族
作者のかつをです。
第十七章の第2話をお届けします。
今回は厳島からの使者・定家と、山守の親子との交流を描きました。
桜を選ぶという静かな儀式の中に、自然への畏敬と、仕事への誇りを込めています。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
桜が満開を迎える頃、厳島から使いの者がやってきた。
神官の装束に身を包んだその男は、名を定家といった。
都の貴族のような雅な言葉遣いと、潮風に晒されていない白い肌。
泥と汗にまみれた山守の男たちとは、まるで違う世界の住人のようだった。
「……今年の桜は、見事ですね」
定家は山を見上げ、扇で口元を隠しながら感嘆の声を上げた。
「はっ。手前どもが丹精込めてお守りいたしました」
父・吾作が、地面に額をこすりつけるようにして平伏する。
千吉も慌てて父の真似をした。
定家は、神事に使うための枝を選ぶ「花選び」の儀式を始めた。
彼は山の中をゆっくりと歩き、一本一本の木を吟味していく。
その目は真剣そのもので、時折木に手を当てて何かを呟いている。
まるで、桜の木と対話をしているかのようだった。
千吉はその様子を、荷物持ちとして後ろからついて歩きながら、息を殺して見守っていた。
「……これにしましょう」
定家が選んだのは、山の中腹にある、ひときわ枝振りの良い古木だった。
薄紅色の花が、滝のように枝垂れている。
「この木には、強い『気』が宿っている。神前に供えるに相応しい」
吾作は恭しく頷くと、懐から清められた鋸を取り出した。
そして、定家が指し示した枝に刃を当てる前に、一度深く一礼し、何かを祈念してから、慎重に刃を引いた。
ギコ、ギコ、という音が、静かな山に響く。
切り落とされた枝は、すぐに水を含ませた布で包まれ、大切に箱に納められた。
花びら一枚たりとも散らさぬように。
それはまるで、生まれたばかりの赤子を扱うような手つきだった。
作業を終え、休憩している時。
定家がふと、千吉の方を見て微笑んだ。
「……そなたも、桜が好きなのか?」
突然話しかけられ、千吉はどぎまぎした。
「は、はい! 父ちゃんと一緒に、毎日世話をしてますから」
「そうか。……桜はな、人の心を映す鏡のようなものだ。世話をする者の心が澄んでいなければ、これほど美しい色は出ない。そなたの父上は、良い心を持っておられる」
定家の言葉に、千吉は誇らしい気持ちになった。
いつも厳しく、無骨な父。
だが、その父の仕事が、こうして神に仕える人から認められている。
「千吉。この桜が、厳島の大鳥居をくぐり、海に浮かぶ社殿に飾られるところを想像してみよ。……それはそれは、美しい光景だぞ」
定家は遠く西の空を見つめながら、夢見るように語った。
千吉の脳裏に、まだ見ぬ神の島の風景が浮かんだ。
青い海、朱色の鳥居、そしてそこに飾られる、自分たちが育てた桜。
それは、山の中で土にまみれて暮らす自分たちの営みが、海の向こうの神聖な世界と繋がっていることを実感させてくれる、魔法のような言葉だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
厳島神社は、平安時代末期に平清盛によって現在の海上社殿が整えられました。
その美しさは「竜宮城」にも例えられ、多くの人々を魅了してきました。
三原の桜もまた、その荘厳な風景の一部となっていたのかもしれません。
さて、選ばれた桜。
これを海を越えて厳島まで運ぶには、困難な道のりが待っています。
次回、「海の向こうへの祈り」。
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