桜山の桜、海の向こうの祈り 第1話:神の島の桜
作者のかつをです。
新しい構成案に基づき、本日より第十七章「厳島からの使い ~桜山の桜、海の向こうの祈り~」の連載を開始します。
三原の桜の名所、桜山。
その地名の由来とされる厳島神社との深い関わりをテーマに、神に捧げる花を守り続けた名もなき一族の物語を描きます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島県三原市。
市街地の北西に、「桜山」と呼ばれる標高百数十メートルの小高い山がある。
その名の通り、春になれば山全体が薄紅色に染まり、多くの市民が花見に訪れる憩いの場所だ。
しかし、この山がなぜ「桜山」と呼ばれるようになったのか。
その由来を知る人は、今では少なくなった。
遠い昔、この地は安芸国の一宮、厳島神社の荘園だったという。
そしてこの山に咲く桜は、ただ愛でるための花ではなく、海の向こうに鎮座する神へ捧げるための、特別な供物だった。
これは神と人とが今よりもずっと近く、花一輪にも祈りを込めていた時代の、静かで美しい物語である。
◇
時は平安の末期。
源平の争乱が近づきつつある、嵐の前の静けさのような時代。
桜山の麓に、一軒の小さな家があった。
そこに住むのは、代々この山の木々を守り育ててきた「山守」の一族である。
十三歳になる千吉は、父の後ろについて山に入った。
春の陽気が満ちる山は、むせ返るような草いきれと、甘い花の香りに包まれていた。
「千吉、よく見ろ。今年の花付きはどうだ」
父の吾作が、太い幹に手を当てて見上げる。
頭上には、満開の桜が雲のように広がっていた。
風が吹くたびに花びらが舞い散り、千吉の頬を優しく撫でる。
「すごいや、父ちゃん。今までで一番きれいかもしれん」
千吉が目を輝かせて答えると、父は満足げに頷いた。
「うむ。これなら、厳島の神様もお喜びになるだろう」
厳島。
それはここから船で西へ行ったところにある、海に浮かぶ神の島だ。
千吉はまだ行ったことがない。
だが父の話では、そこには海の中に建つ朱色の美しい社があり、平家の殿様たちも篤く信仰しているという。
「いいか千吉。ここの桜はな、ただきれいに咲けばいいというもんじゃない。あの厳島神社の神紋は『桜』だ。つまり、この花は神様の御印そのものなのだ」
父の言葉には、誇りと畏敬の念がこもっていた。
この桜山は、厳島神社の祭事の際に飾るための「花」を育てる、神聖な場所だったのだ。
毎年春になると、ここから選び抜かれた最も美しい桜の枝が切り出され、船に乗せられて海を渡り、神前へと運ばれていく。
千吉は、目の前の桜を見つめ直した。
ただきれいなだけではない。
この花びらの一枚一枚に、神様への祈りと、それを守り続けてきた父たち山守の魂が宿っているように思えた。
「お前もいつか、この山を守る男になるんだ。神様の花を、絶やさぬようにな」
父の大きく節くれだった手が、千吉の肩に置かれた。
その重みと温かさが、千吉の心に、山守としての小さな自覚の芽を植え付けた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第十七章、第一話いかがでしたでしょうか。
厳島神社の神紋は「三つ盛り二重桜」などが知られていますが、古くから桜との関わりが深い神社です。
かつて三原の桜山がその荘園であり、桜を献上していたという伝承は、瀬戸内海を通じた文化的な繋がりを感じさせます。
さて、美しく咲いた桜。
それを厳島へ届けるために、都のような場所から一人の使いがやってきます。
次回、「桜守の一族」。
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