満願寺の龍、天に昇る 第2話:若き領主の祈り
作者のかつをです。
第十六章の第2話をお届けします。
今回は主人公・毅景の純粋な祈りが、ついに人ならざる存在との接触を果たす神秘的な場面を描きました。
夢か現か。
その狭間で彼は一つの啓示を受け取ります。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
龍神の祠を見つけてから、毅景の行動は変わった。
彼は領主としての政務の合間を縫って、毎日この裏山へと通い始めた。
家臣たちはいぶかしんだ。
「殿は何をなさっておられるのだ」
「あのような古びた祠に祈りを捧げて雨が降るものか。……いっそ軍勢を率いて隣の荘園から水を奪った方が早いものを」
血気盛んな若い武士たちはそう囁き合った。
だが毅景は聞く耳を持たなかった。
彼は誰にも邪魔されぬよう、夜人目を忍んで祠へと通い続けた。
彼は何も願わなかった。
ただひたすらに己の無力さを龍神に語りかけた。
「龍神様。わしはこの土地の領主でありながら、飢えに苦しむ民を一人も救うことができませぬ。わしの力はあまりにも小さい。……わしはどうすればよいのでございましょうか。……どうかお導きを」
彼は貴族としての体面も武士としての誇りも捨て、ただ一人の無力な人間として祈り続けた。
雨は降らない。
だが不思議と彼の心は、少しずつ穏やかになっていくのを感じていた。
この静かな森の中で目に見えない大いなる存在と対話していると、日頃の喧騒や焦りが洗い流されていくようだった。
そんな日々が七日続いた夜のこと。
いつものように祠の前で祈りを捧げていると、彼の背後でがさと音がした。
振り返るとそこに立っていたのは、一人の美しい娘だった。
月明かりの下その白い肌は青白く輝き、その瞳は深い深い湖のように澄んでいた。
こんな夜更けに山の中に一人でいるなど、尋常ではない。
「……そなたは何者だ」
毅景が刀に手をかけながら問う。
娘は答えなかった。
ただ悲しげな目で毅景を見つめている。
そしてその唇がかすかに動いた。
「……水がない」
か細い声だった。
「わらわは渇いている。……このままではわらわは干からびて死んでしまう」
その言葉に毅景ははっとした。
この娘の苦しみは今、自分の領民たちが味わっている苦しみそのものではないか。
「……分かった。……わしがそなたを救おう。……わしがこの身に代えても、そなたに水を与えよう」
毅景はなぜかためらいもなく、そう答えていた。
それを聞くと娘は初めて、ふわりと微笑んだ。
その笑顔はこの世のものとは思えぬほど美しかった。
「……ならばそなたの誠意を見せよ。……この祠の下に古き泉が眠っている。……その泉をそなたの手で蘇らせてみよ。……さすればわらわも、再び力を取り戻せよう」
娘はそう言うと、すっと霧のように姿を消してしまった。
後に残されたのは圧倒的な静寂と、そして呆然と立ち尽くす毅景だけだった。
あれは夢だったのか。幻だったのか。
だが彼の耳には、あの美しい声が確かに残っていた。
祠の下に眠る泉。
毅景は夜が明けるのももどかしく、館へと駆け戻った。
そして家臣たちに、一つの途方もない命令を下した。
「これより満願寺の裏山を掘る! 古き泉が見つかるまで、掘り続けるのだ!」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
自然への祈り、特に雨乞いは農業を基盤とする社会にとって最も重要で切実な儀式でした。
領主自らがその先頭に立つという姿は、領民たちの心を一つにする大きな力となったことでしょう。
さて、不思議な娘の言葉を信じ途方もない事業を始めた毅景。
彼の行動は果たして実を結ぶのでしょうか。
次回、「龍神の祠」。
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