蛸が引いた石 第1話:海に浮かぶ縄張り
はじめまして、作者のかつをです。
この度は、数ある作品の中から『三原郷土史譚~潮風と祈りの物語~』の最初のページを開いてくださり、誠にありがとうございます。
この物語は、私たちが暮らす郷土が、まだ名前もなかった時代に、その礎を築いた「知られざる土地の人々」の物語です。
記念すべき最初の章は、三原のシンボル「三原城」の築城伝説に光を当てます。
歴史の知識は一切不要です。
ただ、故郷の風景の裏側に眠る、人間ドラマとして楽しんでいただけたら幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
それでは、壮大な郷土史の旅へ、ようこそ。
広島県三原市。
山陽新幹線のホームに降り立つと、目の前に広がる巨大な石垣に誰もが驚かされる。
三原城の跡だ。
かつては天主台がそびえ、その石垣は満潮時には海水に浸かり、城全体が海に浮かんでいるように見えたという。
しかし、なぜ、こんな場所に。
なぜ、陸ではなく、海の中に城を築こうとしたのか。
その始まりは、一人の若き武将が見た壮大な夢と、無数の名もなき職人たちが、不可能に挑んだ、途方もない戦いの物語だった。
これは、私たちの故郷の礎が、潮の香りと石工たちの汗によって築かれた、始まりの物語である。
◇
永禄十年(1567年)、安芸国三原。
若き石工の源蔵は、親方から与えられた小舟の上で、目の前に広がる光景を、ただ呆然と見つめていた。
見渡す限りの、海。
穏やかな三原の湾に、幾筋もの荒縄が張られ、杭が打ち込まれている。
それが、これから築くべき城の「縄張り」だと聞かされても、まるで実感が湧かなかった。
「おい、源蔵! ぼさっとするな! 次の石を運ぶぞ!」
船頭の怒声が飛ぶ。
源蔵は、慌てて艪を握り直した。
足元には、備後の山々から切り出された巨大な花崗岩が、いくつも積まれている。
これを、あの縄張りの内側に、ただひたすら、沈めていく。
それが、今の彼らの仕事だった。
「親方……。本当に、こんな場所に城が建つんでしょうか。石をいくら沈めても、海の底に消えていくだけじゃ、ありませんか」
源蔵の問いに、額に深い皺を刻んだ親方は、吐き捨てるように言った。
「お奉行様の命令だ。おれたちにできるのは、槌を振るい、石を運ぶことだけよ。若き殿様、小早川様が、そうお決めになったことだ」
小早川隆景。
毛利元就の三男にして、瀬戸内海にその名を轟かせる知将。
その若き殿様が、この海の上に、前代未聞の城を築こうとしている。
しかし、源蔵たち末端の石工にとって、それはあまりにも無謀で、途方もない計画にしか思えなかった。
潮の香りが、源蔵の不安を煽るように、鼻先をかすめていった。
それは、源蔵と、そしてこの土地の運命が、穏やかな海の下で、大きく動き出す予兆だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第一章、第一話いかがでしたでしょうか。
物語の主人公は、巨大プロジェクトの末端で働く、若き石工・源蔵です。
彼の目を通して、海の中に城を造るという、前代未聞の難事業の始まりを描きました。
次回、「若き殿様の夢」。
この無謀な計画を推し進める張本人、小早川隆景が登場します。
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それでは、また次の更新でお会いしましょう。