貧困辺境都市、改造計画
資格とは、地位や立場を指したり、条件を指したりする。ある行為を行うための裏打ちだ。国家資格から民間資格まで、裾野は広い。
仕事に直結するものや、趣味の範疇にとどまるもの、ごまんと存在する。
特に民間取得では、ハードルの低さからか目的と手段が逆転しがちなものもある。かつての自分のように、「資格を取って生かしたい」ではなく「取得すること自体で完結」といった形だ。
女神様と対峙した特殊な空間では、それらの生かし方のレクチャーがあった。
『例えば、≪気象予報士『大雨警報』≫とでも唱えれば、世間は土砂降り。≪アロマテラピスト『精油』≫とでも唱えれば、落ち着く香りを生み出したり。自由度が高い分、生かし方は無限大です。ただし、もともと取得済みの資格に限られますけどね』
女神様は『資格を生かしてみませんか?』の具体例としてこう語っていた。女神様が≪気象予報士≫だとか≪アロマテラピスト≫だとか口にするのが、なんだか奇妙で面白かった。
言われたとおりに「資格を生かして」スマートボアを一掃したあの日以降、自分の可能性を模索し続けていた。
「これはいわゆる『サツマイモ』だな」
山道を進み、そこで見つけた植物、文字通り地中からの掘り出し物——ボウリング玉のような大きさの青い塊——は、俺にはそう映った。
≪野菜ソムリエ『目利き』≫。これを使えば未知の植物もどのように料理へ昇華させるか頭に浮かんでくる。
ずっしりと重い土まみれの球体は、焼いたら甘く蜜が滴る、はずだ。
「これもしまっておこう。≪収納マイスター『収納』≫!」
「サツマイモもどき」がちょうど入るくらいの何の変哲もない袋を取りだす。
その袋にしまうと、手品のようにその質量と大きさは行方不明になり、袋はぺちゃんこ、折り畳み可能のままだ。任意の入れ物に容量以上のものをしまうことのできる『能力』であり、これを見つけた時は可能性に心躍った。
キャラバンが後ろ指を指すほどに収穫アイテムを持ち運びできる。言うまでもなく冒険の効率は格段に上がる。
また、頻回にこの能力を使っていたおかげでわかったこともある。
——能力が成長するのだ。
具体的には、『収納』の容量には限界があるが、、その限界が徐々に伸びている。直前までしまえなかったものが、しまえるようになる。今では限界を感じないほどまで成長しているようだ。
『目利き』も成長し、「サツマイモもどき」をおいしく育てる方法、そして、キールの土壌にピッタリであることが、昔から知っていたかのように知識に上乗せされている。
キールは農業が発達しているが、洗練はされていない。土壌が豊かなことの弊害ではあるが、なんとなく育て、なんとなく生活の糧にしている。
キールの経済状況を確認したときに浮上した問題点であり、これを是正するための山道行脚だ。
貿易の武器になるような作物を探して幾星霜。もともとキールからさほど離れていない山間部で探しているだけあって、候補の作物たちはいずれもキールの土壌にピッタリのようだ。
同行者は、いままでの経験値を元にこちらに食らいついてくる。
「これは毒キノコだよね。こっちのキノコは食べられるけど……毒にも薬にもならない」
「正解。干すと美味しいらしいけど」
相変わらずの大剣を装備している美少女・リオンは、俺の活動に賛同し、ボディーガードかつ冒険ガイドに名乗り出てくれている。
この世界の初心者にとっては一人で冒険するのはまだ不安だし、天真爛漫な姿は寂しさを紛らわせてくれる。
「≪鉱物鑑定士『鑑定』≫!」
植物だけでなく、石ころも宝に変わり得る。ゴロゴロしているわけではないが、まれに価値の高い原石が見つかる。
加工まではできずに原石相応の価値になってしまうが、一攫千金を少し夢見ても良いほどだ。
これも『収納』を使えばしまい放題だ。
「ねえ、ユーイチ」
「ん? なにか気になるものでもあったのか?」
リオンの野生の勘が結構当たり、先ほどから時給は優秀だ。
「ユーイチの詠唱って、なんか変だよね」
……気になる対象が思っていたものと違った。ついつい転生者であることを打ち明けないままでいたら、≪資格名≫にピンと来ていないようだ。
「……方言みたいなもんかな」
「そうなの? ま、とにかくいっぱい魔法使えるし、みんな便利だし、ほんとスゴいよ」
(素直さに対しても)ありがとう、と一瞥し、業務に戻る。
「この雑草の種も……この木の実も……素晴らしいな」
実用性を含めた完成形を想像すると魅力的な植物たちのオンパレードに、手と足を休ませる暇がない。
——おそらく、財政は火の車だ。
勉強のためにと理由をつけて財務資料を見させてもらったが、一見成り立っているように見えるものの……表向きだ。
≪簿記『会計処理』≫を使ってみると、ポッと出の巨額の収入が浮かび上がってくる。それで何とか賄っているようだが……果たして。
これが合法で安定性のあるものならいいが、よどんだイメージがつきまとう。どうやって現状を維持しているのだろうか、当然の疑問だ。
尽力しているのがフィーリアさんだから、犯罪ということはないのだろうけど……。
いずれにせよ、短期的にも中長期的にも、経済を安定させるための施策は必至。
これが、迷い人を囲ってくれたマーガウェル家、ひいてはキール領への恩返しなのだ。
おせっかいにもそれを使命と心に留め、今に至る。
手と頭を同時に動かしながらの作業も、板についてきた。雑談の余裕もある。
「フィーリアさんって、苦労が多い……のかな」
「姉さん? そりゃ、大変だよ。この前も言ったとおりにね。姉さんの力になるために私ももっと強くならなきゃ」
取り越し苦労なのだろうか。
大剣を軽々と素振りするリオンを見ていると、邪推も振り払ってくれそうな気がする……。
「変なこと聞いてごめん」
「? ユーイチって、たまによくわからないこと言うよね。気にしなくていいよ……あ!」
結果的には幸いであったが、話の腰を折るようなリオンの声が響く。
「目を輝かせて、どうした?」
「グレンの実だ!」
彼女の指さす方を見ると、手拳大の、ブドウが集合して隙間が無くなったようなひとかたまりの果物が樹の上の方に垂れ下がっている。
厳密にはその樹に実っているのではなく、樹にまとわりつく蔓が本体のようだ。
「あんな高いところにある木の実、よく見つけられたな」
『目利き』をすると、グレンの実とやらは、様々な毒に対して治療効果のある万能薬の材料になるようだ。いわずもがな、レアかつ有用ゆえ高級らしい。
「それっ!」
リオンは木々を飛び蹴りしながら駆け上り、得意の一閃を披露した。
重力に負けたお宝をキャッチすると、今度は飛び蹴りでうまく勢いを殺しながら着地した。
「めったに見つからないんだよ、これ」
自慢げに提示されたグレンの実。
「これは……使える」
「そうそう、薬になるからね、冒険者の間では高値で取引されて……」
「増やそう!」
活路が見いだされた。
『目利き』により、適切な育て方も頭の中に湧き出てくる。
①種を一度も日光に当てない。
②冷えた雨水に十日間漬け込む。
③芽吹いたら雨に当てない。
④近くに必要なのは、宿るための巨木の存在。
これらの条件を満たさないといけないらしい。
コロンブスの卵というべきか、言われなければ自力ではたどりつけないであろう養殖法だ。
その気難しさ故、天然物が稀少なことに矛盾しない。
いわば、レアアイテムのコピー方法が判明したということになる。
金のなる種・実・原石などを複数手に入れ、これを元手に量産計画開始だ。
「これを植えればいいのかい?」「どうやって育てるんだ?」「土地は余ってるから、いっちょやってみっか」
キールの中心地に戻った俺は、広場に人を集めた。
領民の皆さんに向け、新しい作物についてレクチャーをしている。
サツマイモもどき、ブロッコリーもどき、キュウリもどき、などなど。
さすがにグレンの実は種が少ないこともあり、こちらで軌道に乗せてから皆さんの手に渡すこととした。
「特に難しいことはありません。もともと育てやすい種類なので、獣害など無ければ量産も遠い話ではないでしょう」
収穫までのサイクルも短く、倍々ゲーム以上のペースで増やしていけば、立派な商業作物になる。
これを複数種類準備することで、万一育ちが悪いものであっても他で補うことができる。リスク分散だ。
加えて、≪気象予報士≫の資格もある。
『能力』も成長し、気候のコントロールとその範囲の拡大が可能になった。それにまだ伸びしろもありそうだ。
天気を操作し、促成栽培に準じた「早送り農業」も難しくはなさそうだ。
コストはほとんどない。山から採ってきたものを、良心的な領民の方々に増やしてもらう。人件費は出来高に比例するようにしたため、働き手はとりっぱぐれもない。雇用も生まれ万々歳だ。
ただ、いくら魅力的な作物であっても、市場に流通するまでには認知されることも含めて時間がかかる。
経済にプラスをもたらすまでの期間は中長期的な部類になるため、これだけに頼るわけにはいかない。
そこで、一次産業以外の妙案あり。
俺は、大工さんたちを集めて作戦会議をした。
みんな、マーガウェル家の名前を出せば二つ返事で協力してくれる。権力ではなく信頼や尊敬でそうなっているのが、治安の良さを物語る。
リオンは輪に入れずに、
「ねえ、何するの?」
「今は内緒」
「えー、いじわる」
テンプレートに乗っかって頬を膨らます美少女がいる。
大工さんたちへの指示がひと段落したところで、待ちくたびれて地面に落書きを繰り広げるリオンに気を向ける。
気づけば、すでに夕方だ。
「リオンには宿題がある。素振りしてみて」
『能力』を生かすことについて、彼女の将来性に対しても考えていたことがあった。
「素振り? こう?」
大剣を軽々と振り下ろす姿は爽快だ。
だが、
「ちょっとごめん」
「ひゃうっ!?」
俺はリオンの腰に手を回し、軸を調整しようとする。
「やっぱり……微妙にずれてる」
「ユーイチ! 変なところ触らないでよ! いくらユーイチでも真っ二つにしちゃうところだったよ!」
物騒な発言が聞こえたが、こちらも誠意を伝えたい。
恥ずかしながら剣道の段位持ちでもあり、リオンがダイヤモンドの原石に見えて仕方ないのだ。
「実は、俺も剣をかじってたんだ。リオンほどの才能は無いけど、基礎の練習はそこそこしててね。リオンは基礎がしっかりすれば、とんでもない剣士になると思うんだ」
段位だって、ある種の資格。
≪剣道三段『指導』≫。これを唱えた上での上から発言だ。
「基礎?」
「もう一回、振ってみて」
「……触るならそっと、ね」
赤ら顔のせいか、さっきと打って変わって素振りの動きがぎこちない。
『能力』によりリオンの素振りを修正するかのような理想の動線が光って見える。
彼女の後ろに回って理想形に近づける。
「何回か素振りをして、少しずつ修正していこう」
右足に力が入りすぎている。今度は左足に気が行き過ぎ。体の軸が微妙に波打ってる。
姑のように細かい指摘もリオンは素直に聞き入れてくれた。
「確かに……いつもより剣に力が伝わってる気がする」
大粒の汗をかきながらリオンは徐々に無口になっていった。
それに伴い、流線は輝きを増す。
こちらの能力の影響か、あるいはリオンの類まれな才能のおかげなのか、この短時間にもかかわらず成長は明らかだ。
「今日はここまでにしよう」
「え? まだ始まったばかり……!」
リオンが一瞬力を抜くと、糸が切れたように膝から崩れる。
「この訓練は負担が大きいみたいだし、冒険帰りの疲れもあるからな。今日の動きを忘れないように、明日以降で自主練するといい。これがさっき言ってた宿題さ」
「ぅ……動けないのは悔しいけど、わかった、やってみる!」
ここにも種をまいておけば、近いうちに花が咲くはずだ。
帰りの道中はいつもよりリオンの言葉数が少なく、おそらく疲れからくるものなのだろう。家に戻ってから特訓すればよかったと反省した。
疲労困憊のリオンとともにゆっくりマーガウェル宅に戻ると、屋敷の前にやけに立派な馬車が停まっていた。
ちょうどそこに、素人目にもわかるほど高貴な出で立ちの青年が乗り込もうとしていた。服には権威を主張するように勲章をいくつかあしらっているようにみえる。ちらっと見えた表情はにやけヅラだ。
なんとなくだが、学校の同じクラスなら、そのいけ好かない雰囲気のせいで友達になれない自信がある。
向こうはこちらに気付かないまま、我々が避けた道を颯爽と駆け抜けていった。。
リオンは面識があるようで、
「あの人、貴族の偉い人だよ。ジルグリア家の次男で、リドールさん……だったかな」
「そんな偉い人がどうして?」
「資金援助してくれてるから、そのために、かな」
以前にリオンから聞いた話では、フィーリアさんが何かと資金を工面しているとなっていたが、具体的にそんな太いパイプがあったのか。
ただ、お世辞にもメリットが少なそうなキール領に、見返りも無く援助をするだろうか。
「……信用していい人?」
「うーん……」
即答できない辺りが怪しい。
「何か思うところがあるのか?」
「……姉さんとお近づきになりたいのかも」
「アウトだな」
聞くところによると、フィーリアさんは他国に知れ渡るほどの美人さんであり(それは否定のしようがない)、いままでも他の貴族との間にもいくらか縁談が持ち上がっていたとのことだ。
良識ある父親のゾフィーさん、彼が現役のときは娘に迷惑をかけまいといずれに対しても断りをいれていたのだそうだ。
しかし、フィーリアさんが領主代行となり責任を一手に引き受けるようになると、背に腹は変えられず。
それに、ジルグリア家は王都ディルゴーンの直轄地を治める名門貴族であり、次男といえどその権力は計り知れず、断ろうにも断れないほどの大きな相手、というおまけつき。
どこの世界にも政略結婚があるのかもしれないが、現代日本で育った人間としては理解し難い。
そんなことを巡らせながら応接室を通りかかろうとすると、ちょうどフィーリアさんが出てくるところだった。
「ただいま、姉さん!」
リオンの呼びかけにハッとするような表情を見せるフィーリアさん。
「二人とも帰ってきていたのね、お疲れさま」
一見するといつもの優しい笑顔だが、取り繕うようにしているのは明らかで、顔色の悪さは隠せていない。
「……姉さん?」
妹が心配そうに駆け寄ろうとするが、姉は「残務があるから」と背中を向けて自身の部屋の方に行ってしまった。
「フィーリアさん……無理してる……よな」
「うん。姉さん……昔から一人で抱え込むタイプだから……」
応接室ではあまり良い話し合いの場が持てなかったのだろう。
……失礼ながら、現場が気になる。念のため、ノックをしてから応接室に入る。
リオンは「ちょっと、ユーイチ」と言いつつ、止めはせずに俺に追従する。
そこには誰もおらず、中央の机には、客人向けのティーカップと書類が置かれていた。片づける間もなく、フィーリアさんは部屋を後にしたのだろう。
「紅茶……ほとんど残ってる方がフィーリアさんので、そうじゃない方が金満貴族の方か」
「姉さん、口をつける余裕も無かったのかな」
貴族同士の上下関係は推して知るべし。どちらかというと資料の方が気になる。
資金援助などに関する契約内容だろうか。数字の羅列とお堅い文言。
大方の内容は≪簿記≫を用いなくてもわかる。≪司法書士≫や≪ファイナンシャルプランナ―≫の資格は持っていないが、意図していることはわかる。
「これって……」
俺より少し遅れて、リオンが声を荒げる。
「借金返せなければ、姉さんが嫁がなければならないってこと!?」
その通りだ。ただ、細かい部分まで読み込めば、
「それだけじゃない……そうか、だから、フィーリアさんはあんなに憔悴して……」
「どうゆうこと? ねえ、ユーイチ、私にもわかるように説明してよ」
「——私が説明するわ」
「姉さん!?」
声に振り返ると、そこにはフィーリアさんが立っていた。
「片づけを忘れてたことに気付いて戻ってきたら……見られちゃったのね。……お察しの通りよ」
引き続き悲しげで、うつむいている。
「……俺が説明しましょうか?」
「いえ、私からお話しするのが筋ですから」
フィーリアさんは窓辺に移動し、戸締りができていることを確認すると、窓を背にして語りだした。
「それは借用書とそれに関連した契約書よ。以前にリドール様が私に提案してきたもので……一部注意書きが付け足されてしまっているけどね」
「やはりそうでしたか」
段落の間隔が他と釣り合わない箇所がある。
そこに後出しの契約文が書かれているのだ。
通常はそんなこと許されない。内容が内容なだけに……。
「私も不覚でした。なかば押しつけのような最初の契約が行われた際に、こちらに契約の控えを渡されていなかったので。そこをしっかりと追求すればよかったのですが……」
力関係に差がありすぎると、ぼったくりバーよろしく、強い側の言うがままになってしまう。
フィーリアさんは、視線をそらしたまま続ける。
「もともとの契約では、借金が返せなければ私がリドール様と結婚することになっていたの」
リオンは叩き割らんばかりに机に両手をつく。
「やっぱり! 姉さん目当てだったのね! ん? 『もともと』?」
「私だけが犠牲になればよかったんだけど、付け足された部分には、『期限は一年後、不履行ならばキール領を無償で明け渡す』と書き足されていたの」
「そんな、ウソ!? ……ホントだ、こんなに小さく、ズルい!」
リオンは破れんばかりに契約書を握りこみ、わなわなと震えていた。
「もちろん、最初にその記載があれば、契約を行わなかったわ。仮に私が嫁いだとしても、直接的にはキールが隷属領にはならないはずだから。キールの支配が危ぶまれたとしても、キールと縁を切ってでも私が出ていくとか方法はあったはず……なのに……」
告白ののちに力を使い果たしたように黙り込んでしまうフィーリアさんに対し、リオンは声をかけようかかけまいか、躊躇を表すかのように手が宙に浮いている。
俺は率直に感想を述べる。
「ズルい奴ですね、そのリドールとかいうやつは」
怒りの感情をコントロールできないが、この発言をきっかけに俺以上にいきり立っているのはリオンだ。涙目にもなっている。さっきまでの宙ぶらりんな手の平は強く握りこまれている。
「そうだよ、そんな奴、願い下げだよ! 姉さんもなんで言ってくれなかったの!? キールが取られちゃうことももちろんイヤだけど、姉さんが望まない相手と結婚するのもイヤだよ!」
フィーリアさんは顔を上げられずにいる。
「ごめんなさい……リオン」
「謝っても遅いよ!」
二人とも、気持ちは理解できる。
周りに迷惑かけまいとする姉、それを想う妹。
そんな二人が言い争うのはもったいない。中立的な立場で述べさせてもらう。
「お互いのことを想う同士で言い合っても始まらない。リオンは理解してあげてくれ。すべて自分で引き受けようとする覚悟、それは無謀なことかもしれないが勇気がいる。そんな中で一人で戦っていたんだから」
フィーリアさんと目が合った。
リオンはうつむいたままつぶやく。
「ちゃんと言ってくれていれば、私にも何かできたかもしれないのに……」
「それもそうかもしれない。だけどリオンだって、スマートボアの大群を一人で引き受けようとしてくれたろ? 姉妹ともども無茶するけど、俺は尊敬するよ」
「そんな言い方……ズルいよ」
ここで揉めてても仕方がない。
「フィーリアさん、お疲れ様でした。そして、打ち明けてくれてありがとうございます。あとはこちらでなんとかします」
姉妹は同じような焦燥の表情で、
『なんとかって、どうやって……』
「策はあります」
不確実だがやるしかない。
立ち止まっていても事態は変わらない。
「フィーリアさん、俺に周辺地域との関係性や、懇意の商人など、貿易に関わることを中心に教えてください。リオンは、いろいろと手伝ってくれ。自分たちでなんとかするしかない……二人とも、俺を信じてほしい」
「ユーイチくん……私にできることなら……」
「ユーイチ! ありがとう! 私、なんでもするよ!」
志は皆同じだ。フィーリアさんとキールの解放を実現する。
リオンはフィーリアさんと仲直りをするかのように抱きついた。
妹の想いに、姉の涙腺が緩む。
俺は……別方向でも闘志を燃やしていた。
「金満貴族の小ズルいやり方も気に入らないけど、この契約書、フィーリアさんがおまけみたいになってるのが特に気にくわない。人を愛するときは本気で愛さないと」
『え?』
姉妹で顔を赤くしている。
怒りに任せて普段なら口にしないようなことをのたまってしまった。
「い、一般論を述べたまでで……」
直前までの姉妹の涙が笑み混じりに変わっている。
場が和んだ……として、よしとしよう。
***
金策に奔走する毎日だ。
もともとキールが豊かになるようにと、農作物、鉱物など探っていたところではあったが、いかんせん時間が足りない。
現金を得るにはそれ相応の「商品」が必要であるが、農作物など中長期的には魅力的なものも、現時点では十分な量を確保できない。
鉱物も貴金属のようなものは土地柄乏しく、起死回生ほどは期待できない。
……それならば「魅力」を青田買いしてもらうこと、これが経済活動の主軸だ。
フィーリアさんにお願いした商人の情報などをもとに、信頼できる人員をピックアップし、足労ながら出向いていただく。
連絡の往来の都合で、早くても第一陣は一ヵ月後くらいにキール到着の予定となった。
フィーリアさんには情報収集・領民への協力の呼びかけ、リオンには鍛錬を指示し、それぞれが来る日に備える。
姉妹の父親・ゾフィーさんはここに来て容体が優れないようだ。だから余計に事態を伝えず、申し訳ないがコトが済んでから報告することとした。
——『返済の期限は一年間』。
契約書にはそう書かれていたが、幸いにもフィーリアさんの領主代行就任直後の契約ではなかったようで、現時点でおよそ三か月間の猶予が残されている。
先述の通り、中長期的な『商品』では間に合わない。少なくとも商人到着の一ヵ月では、能力を使っても作物の倍々ゲームが1サイクルかせいぜい2サイクルまでしか回せない。
数より質でプレゼンしなければならないのだ。
三か月後に用意しなければならない具体的な金額は、およそ百万ルコール。物価などと照らし合わせると、日本円に換算するとしたらざっと一億円ほどの価値になる。
金満貴族はこのくらいなら貸付額としては現実的で、かつ、すぐには返せないと踏んだ上での値段設定なのだろう。
近隣の都市はジルグリア家に逆らえない構図のようで、一時的に金を融通してもらうわけにもいかなそうだ。
自分たちでなんとかするしかない。あの日に宣言した通りだ。
……そんなこんなで、あっという間に一ヵ月が経過した。
マーガウェル家に、古参商人のランドさん、新進気鋭商人のルコスタさん、変わり者商人のベンザリさんが訪ねてきた。
フィーリアさんの案内のもと応接室に通され、ソファーに腰かけてもらう。
ゾフィーさんに無断で拝借したフォーマルな出で立ちで、まずは自己紹介。
「マーガウェル家の財務担当、ユーイチです。よろしくお願いします。皆さんにご紹介したい商品があり、お招きした次第です」
「キールの作物は一級品ですからね」「うまい話があるって聞いたぜ?」「ありきたりだと……つまらない」
それぞれにそれぞれの思惑がある。
こちらもそうだ。
「まずはこちら、『サツマイモ』です」
ざわざわ。
歴戦の商人でも見慣れない植物。名前が付いていないのをいいことに、サツマイモもどきから「もどき」を外して、こちらの聞きなじみのある名前にさせてもらった。
ちなみに、給仕はぜいたくにもフィーリアさんにお願いしている。心配するまでも無く、快く引き受けてくれた。
机に差し出されたのは、皮は焦げ混じりの青という違いはあれど、半分に割れば湯気が沸き立つ黄金色が顔を出す、まぎれもなく「焼きいも」だ。
「焼くだけで最高の味わいになります。どうぞ、お召し上がりください」
「良い匂いですね」「あつっ!」「皮は食べられないのかい?」
ぱく……。
反応は想像通り、大絶賛だった。
前もってリオンや領民のみなさんに試食してもらっている。反応についてもプレテスト済だ。味覚は異世界人の俺と同じで、特に女性陣からの評判が良かった。
「これは売れますよ」「いくらだ!?」「作り物じゃないのかい?」
つかみは上々だ。
「焦らないでください。続いてはこちら、『トマト』です。そのままお召し上がりください」
反応は想像通り、好き嫌いが激しかった。
「活力を湧き起こすようなフレッシュさですね」「俺は匂いと味が苦手だ」「毒がありそうな見た目がそそるね」
商人ひいては人によって好みがある。だからこそ、複数人相手のプレゼンにしたのだ。
「まだ紹介したいものはあります、こちらをご覧ください」
「これは……タネですか?」「タネじゃなにもわかんねぇだろ」「もしかして植物じゃなくてクスリとか?」
これに加工を加えれば、最強になる。
「このタネの周りを削ぎ、水を加えて炊き、さらにそれを握り、シュルシュ(この世界で塩に値するもの)を振って……」
商人たちの前に差し出したのは、「おにぎり」そのものだ。
「どうぞ、お召し上がりください」
彼らは言葉もなく、手に取り、期待をほおばるように一口。そのあとは畳みかけるように二口、三口と続き……ぺろりとおにぎりを平らげた。恍惚の表情を見れば、無言でも感想は伝わってくる。
仮に主食としての地位を確立すれば、多大な利益をもたらすはずだ。
「飲み物もどうぞ」
トマトジュースをさしだし、これも好き嫌いは分かれたが、過半数の芯を食った。
加工することで付加価値が加わる。輸送や保存により適した形になる可能性もある。健康効果も謳えば、裾野はとことん広がる。利益率と需要が跳ね上がる仕組みだ。
そして、≪スイーツコンシェルジュ『レシピ』≫。
お菓子作りも『能力』で補完され、
「『スイートポテト』、それと『芋ようかん』です」
これらは事前の調査で女性陣に大好評だった。
応接室のお皿は料理の破片も残さぬ綺麗さ。消費者を見通す目の前の面々にも、非常に良い印象を与えたようだ。
「さて、いかがでしょうか?」
「私と専属契約を!」「全部引き受けるぜ!」「世界がひっくり返るね」
好感触、この上ない。
ただし、条件提示も含めて飲んでくれるかどうか、だ。
「申し訳ないのですが、どれも流通させるには数が少なく、商いとして軌道に乗せるには早くても一年ほどの期間を要するでしょう」
商人たちの表情が一斉に曇り始める。しかし、
「そこで相談です。皆様には優先的に商品を取り扱う、『権利』を買っていただきたいのです。いわば、『投資』です」
『『『投資?』』』
「はい。皆様もご理解いただけたかと思いますが、これだけ優良なものを安定して供給させるとなると、費用もかさみます。利益を生み出す前に息切れしてしまっては元も子もありません」
適度な嘘も織り交ぜながら、自信を崩さない。これが交渉のテクニックだ。
「そこで、『投資』です。皆さんには投資額を提示いただき、最高額の評価をしていただいた方に、その値段に比例した分の商品をお渡しします。」
「そのルールでは、最初の取り決めが大事になりますね」
ベテランらしくランドさんが指摘し、他の二人も同調する。
これも織り込み済みだ。
「はい、その通りです。ただ、皆さんの損がないように最低保証提供量を定めさせていただき、これに満たない場合は全額返金することをお約束します。そのかわり、我々も損が無いように最低投資額も定めさせていただきます。また、最初から契約をご破算にするための無理な注文を防ぐためにも最高投資額も設定します。つまりは、たとえばこんな感じです」
既存の農作物や加工品などの相場を参考に試算した、無理のない提供量・投資額を提示する。
これにより、投資金額が極端に少なくなることを避けられるし、得られる金額を読みやすい。仮に商品を提供できなかったとしても、今(金満貴族の押しつけ借金)を乗り越えられればそれでよい。まあ、不履行にするつもりは毛頭ないが。
「その契約なら文句はねぇ。が、俺らにとって条件が良いのが逆に気になるぜ」
性格なのか、ルコスタさんは何かと文句をつけるタチのようだ。
マイペースなベンザリさんも、
「そもそも、素晴らしい商品が急にポンポンでてくるなんて、どうしちゃったんだい? いわくつきの商品じゃ、困っちゃうよ?」
条件が良いのもそれはそれで、と疑り深いのは、良い商人の証拠だ。
「条件を皆さん寄りにしているのは、皆さんと今後も永続的に良い関係を築いていきたいからですし、素晴らしい商品が多いのは、キールが今まで未開拓だったからです。キールは豊かな土壌に裏打ちされた、宝の山なのです。それらを一部開拓したに過ぎません。そんな商品を生かすも殺すも皆様次第ですが、それでも『条件が良い』と言って頂けるのはありがたい限りです。……あ、そういえば、一押しの商品をまだお伝えしていませんでした」
「さらにすごいものがあるというのですか!?」「もったいぶってんじゃねぇぞ!
」「ここまで振り切れてると、信用しちゃうな」
武器が多いからこそできる盛り上げ方。もはやこちらの手のひらの上だ。
別の机に準備していた商品。それにかかっていた布を取り払う。
「こちら、グレンの実です」
『『『!!!』』』
驚くのも無理はない。単体でも珍しいのに三個並べてある。
「群生地を見つけたわけではありません。それでは安定した供給ができませんからね。我々は、グレンの実の栽培に成功したんです」
『『『!?』』』
これも驚きと疑いの渦を巻き起こす。
ドンッ!
フィーリアさんが大皿を運び入れる。その上にはグレンの実がどっさり。軽く二十はある。常識を知る商人だからこそ信じられない、迫力の複数形だ。
彼らは言葉をなくす。計画通りだ。
「これですべてではありません。か弱い女性が持てる分だけ持ってきてもらっただけですから。……値崩れしないように、うまく流通させてくださいね」
俺は三人から握手を求められた。
その力強さは、お互いの信用を感じ取るには十分だった。
「今後、他の商人さんたちとも交渉する予定になっていますが、皆さんへの情報提供は少し色を付けています。いままでキールを懇意にしていただいていた歴史がありますので」
「これからもよろしく頼みますよ」「よろしくな」「見捨てないでね」
握手がより強まった。
もう一つ、保険で用意していたものがあったが……せっかくだからこれも今後のために教えておくか。
「皆さん、長旅からすぐに交渉の場となり、疲れたことでしょう。これから、あるところにご案内します」
『『『あるところ?』』』
庭に用意した馬車にフィーリアさんが誘導し、三名様は揺られていく。
車内では細かな貿易談議に花が咲き、こちらも談合させない程度に駆け引きを繰り広げる。
盛り上がったせいか、思ったほど時間を感じなかったが、到着だ。
馬車から降りた面々はフィーリアさんに連れられ、建物の入り口にたどりつく。
『『『ここは……』』』
女将のようにフィーリアさんが答える。
「ようこそ、温泉旅館へ」
一ヵ月でこしらえたにしては上等な造りだ。
——≪危険物取扱者(甲種)≫。難関国家資格のひとつだ。
その名の通り、可燃物などの危険な代物を取り扱うための資格であり、甲種はその最上位に当たる。
≪鉱物鑑定士『鑑定』≫で小銭稼ぎを企んでいた時に、図らずも超可燃性の強力な鉱物を発見したことから話は始まる。
「ガソリン石」と名付けたその石は、一見ただの石ころのようだが、強いエネルギーを与えることで大爆発を起こす「危険物」だということが判明した。
対モンスター用の武器にしようかと思ったが、モンスターもせめて資源として扱わなければ、非人道的だ。向こうに敵意があれば仕方ないが、ハンティングに用いようものなら消し炭すら残らない威力。それはただの殺戮となり気が引ける。
そこで登場するのが、≪危険物取扱者(甲種)≫だ。
方法は以下の通り。
「ガソリン石」に雷(『雷警報』)を当てる。
≪危険物取扱者(甲種)『危険物取扱』≫で爆発範囲を限定し、方向性を持たせる。
結果、レーザービームのような爆発が解き放たれる。
……これを地面に向けて行う。≪温泉ソムリエ『泉質確認』≫でめぼしい場所を見つけてから、そこに向かって。
こうして良質な温泉を掘り当て、さらに『寒冷警報』で湧き上がる温泉水を一時的に凍らせる。
その隙に登場するのが、リオンと大工さんたちだ。
リオンは、温泉とキール中心地をつなぐ林道を、木々を切り倒しながら進んでいく。道の確保と、資材の確保目的だ。リオン個人にとっては居合のトレーニングにもなる。
岩や伐採した木材は人海戦術で温泉周りに運び、いわゆる温泉旅館を建造するための材料となる。
温泉は自然と湧き上がるものとして認知されていても、それをしっかりと保養施設に落とし込む概念は無かったようで、この計画を伝えた時はみんな半信半疑だった。
旅館のデザインは和風に落とし込んだが、慣れない造りにもかかわらず職人魂を発揮していただいた。
そうして出来上がった、急こしらえと感じさせないほど立派な温泉旅館。
完成形を目の当たりにし、リオンを始め、携わった人たちの感動はひとしおだった。
それに、実際に温泉を浸かれば疲れに対しての癒し効果も合わさり、なおさら夢見心地を味わってもらえたようだ。
給金はなかなか弾めなかったが、みんな、マーガウェル家への信頼と温泉永久利用権のみで文句どころか満足の声を聞かせてくれた。
余談だが、温泉旅館から伸びる切り株だらけの道は、「ガソリン石」によるレーザービームで手抜き整地とした。馬車が横並びになっても一直線に広々往来できる。
——そんな温泉旅館誕生秘話。
商人の御三方はそんなことをつゆ知らず、ただただ羽を伸ばしている。
俺も今日はキャラを作って語りすぎた。疲れをとるため一緒になって温泉に肩まで浸かる。
効能は疼痛緩和、疲労回復など。泉質は硫酸塩泉に近い。
ゆくゆくはこの温泉旅館で地産地消の絶品料理を提供し、これらを目当てに王都や近隣都市から観光客が来てくれれば経済はさらに潤う。
まずは各所を飛び回る商人方に虜になってもらい、先々で伝聞してもらえれば何より。
いざとなれば、この旅館も商品に入れようとも思ったが……その必要はなさそうだ。
***
期日が来た。
丁寧にも、リドールとやらはマーガウェル邸に直接赴いてきた。
自らのものになる領地だからこそわざわざ出向いて、といったところか。
……そうはさせない。
三か月前の奴との話し合いの場とは違い、フィーリアさん一人にはせず、俺とリオンも同席する。
応接室。
リドールは側近一人を付き従えるだけで、にやけている。間近でその顔を見たのは初めてだが、不器用に吊り上がる口角はやはり友達になれそうにない。
フィーリアさんは緊張を隠せないでいる。無理もない。
俺とリオンは、どちらかというと怒りの感情を押さえようと必死だ。他人をとことん見下すような高慢貴族の態度が気に食わない。
そんな相手にも関わらず、フィーリアさんは大人だ。
「わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
おざなりではない、柔らかい笑顔で客人をもてなしている。俺が同じ立場だったら、嫌悪感で嘔吐していたかもしれない。
気をよくした金満貴族は、いやらしい笑みを浮かべる。
「未来の第五夫人のためだからね、苦ではないよ」
フィーリアさんを本命どころか「五番目の女」扱いとは、やはり許しがたい。そもそも、こんな奴にすでに四人の妻がいることが理解できない。
リオンは、泥棒を前にした番犬のような表情で唇を噛みしめている。それを見ていなかったら、代わりに俺が殴りかかっていたかもしれない。
さすがのフィーリアさんも、交渉相手の軽薄さに苦笑いを禁じ得ない。不快感を振り払うかのように、彼女は本題に切り込む。
「それでは、資金援助に関する契約の件ですが……」
ドンッ!
かき消すように、側近が書類を机にたたきつけてくる。そのまま勢いに乗った金満貴族は、その書類をちょんちょんと指さし、
「そしたら、この不履行届にサインを、ね」
舐めきった表情を崩さない。最初からこちらが借金を返済できないと決めつけた上での行動だ。
我々は、想定通りの流れに対してお互いに目配せする。
間が開くことを嫌った借金取りは、
「さあ、早く! 抵抗されても興奮するだけだよ」
貴族とは思えないほどの悪態でヨダレでも垂らしそうな勢いだが、フィーリアさんは毅然としている。
「いえ、それには及びません。……リオン」
「はい、姉さん!」
威勢の良い返事とともに、リオンは傍らの机にかぶせてあった布を取り払う。札束の山があらわとなる。
「「!!! そんな、馬鹿な!」」
借金取り側は、優秀な返済者に肩透かしを食らった形だ。
俺は美味しい役回りをもらっている。
「財務担当の私から報告させていただきます。こちらには貴殿に返済するための百万ルコールをそろえてあります。ご確認ください」
「ふざけるな! そんなわけが……」
金満貴族は金の勘定に慣れているのだろう。札束の山を目の当たりにすれば、その信ぴょう性に言葉をなくす。
無様な背中には皮肉がお似合いだ。
「おかげさまで、貴殿らの融資により傷跡を塞ぐことができ、新たな事業で得た収益を返済に回すことができました。誠にありがとうございました」
歯ぎしりが聞こえてきそうな睨み顔がこちらに向けられる。
「お前らにこんな大金を集められるはずがない! 貸した金を使い込んだのもわかってる! 他から新たな借金もできないはずなのに、どんなイカサマを……」
わなわなと震える肩はさっきまでの余裕はどこへやら、言葉が荒くなっている。
俺はフィーリアさんにバトンタッチする。彼女は変わらず上品だ。
「たしかに資金集めは大変でしたが、キールには優秀な財務担当がおりますし、領民も協力してくれた結果がこちらになります。キールの総力で得た集大成です。どうぞ、お納めください」
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! ……そうだ、利子だ、利子をよこせ! 百万ルコールで手一杯だろ! 利子を入れて百五十万ルコール、いや、二百万ルコールだ!」
フィーリアさんは寂しさの募る表情だ。こんな相手でもこれまでの材料で分が悪いことを理解してくれると思っていたのだろう。
小さなため息一つ、それから彼女はリオンと目を合わせる。
「……リオン」
「はい、姉さん!」
さっきよりもさらに威勢良く、リオンはさらに別の机にかぶせてあった布を取り払う。
「なっ……!」
騒いでいた貴族を黙らせるには十分だった。
そこには、札束の山が用意されていて、元金である百万ルコールの数倍の体積を誇る。
こんなこともあろうかと保険として用意していたのだが、財務担当は厳しく追及させてもらう。
「契約書には利子の記載は無く、これ以上の条件の付け足しはさすがに違法です。たしかにここには二百万ルコール以上はありますが、我々がお支払するのは百万ルコールきっかりです」
札束の山は、商人たちの投資で得たものだけではない。
「——ここで会ったが百年目!」
リオンの目前には、あの日、剣も通じずに結果としてスマートボアの大群の前に突き出させられた因縁の相手がいた。自身はピンチになると逃亡して生き延びた、卑怯なスマートボアだ。
出会いは偶然。あのときのスマートボアと確信したのは、同行した俺も含めた我々を見て一目散に逃げようとしたからだ。
「今度は……切る!」
リオンの一太刀は、スマートボアの硬い毛並みに跳ね返されることもなく、切れ味鋭く引き裂いた。
剣技を磨く一方で、実践編としてもモンスター狩りに出かけ、そんな中での一幕。
パワーアップしたリオンにかかれば、向かうところ敵なし。
『収納』で素材(絶命したモンスターごと)をパンパンに集め、かつての難敵・スマートボアもその他多数に埋もれた。
これら保存状態の良い素材は商人たちに評判がよく、また、こちらが王都に赴くことで輸送費分も考慮してくれ、相場よりも色を付けて引き取ってもらえた。
姉想い、ふるさと想いのリオンが、稼いでくれたのだ。
旅館やモンスター狩りは保険代わりの二の矢・三の矢だったが、杞憂に終わった。
ぐうの音も出ない借金取りに、一流ハンターはにこりと笑ってピースサインで挑発している。
「ぐ……生意気な……」
フィーリアさんはおどける妹を「もう……」と一言たしなめ、奥歯をぎりぎりさせる金満貴族に向き直った。
「リドール様、キールは発展の最中です。今後は皆さま方を含めた関係都市にご迷惑をおかけしないよう、努力を続けてまいります。引き続き、温かいご支援のほど、よろしくお願いいたします」
フィーリアさんの丁寧なお辞儀を追いかけ、俺とリオンも決別のお辞儀をする。
リドールはうつむきながらぶつくさ言っている。
「……契約はもういい! ……お前が俺と結婚すれば、ジルグリア家の一員になれるんだぞ! この辺境都市だって、王都が面倒みてやることになるんだ! 冷静に考えろ!」
論理も成り立たない主人、たじろぐばかりの側近。
キールの会計担当は、彼らを睨みつけないように我慢しながら「お引き取りを」と丁重に一言。
立つ鳥跡を濁しながら、マーガウェル家に横付けされていた馬車は——百万ルコールを乗せて——小さくなっていった。
それを窓から眺める。
大金がドナドナされていっても、その数倍の資金が手元に残っている。
商人たちとの契約を守らないと余剰金の大半や貿易の信用が失われてしまうが、作り上げたキールの産業はきっと期待を裏切らないはずだ。
「やったー!」
最初に堰を切ったのはリオンだった。
涙ぐむフィーリアさんに無理やりハイタッチをし、無理やりハグをしながら騒いでいる。
顔をぎゅうぎゅうにされるフィーリアさんが「リオン、最初にしなきゃいけないのは、わかるわね」と、姉妹揃ってこちらの目を見てくる。
「本当に、ありがとうございました」「ユーイチ、ありがとう!」
お礼の言葉は要らない。二人の笑顔が何物にも代えられない。
「いやいや、みんなが力を合わせた結果ですよ。フィーリアさんはプレッシャーと戦いながら情報収集して、リオンは体を張って、この困難を乗り越えたんですから。領民の皆さんも無償で協力してくれたのが大きかったですし、一朝一夕では成り立たない信頼関係はマーガウェル家の財産です。俺は方向付けをしたに過ぎません」
照れくさくて視線を外してしまったけど、自分の≪資格≫を生かすことができて、単純に嬉しかった。皆が自分を信じて付いてきてくれたのも嬉しかった。
フィーリアさんの嬉し涙は、とても輝いていた。
「お礼をしてもしきれないけど、私にできることがあれば何でも言ってくださいね」
「畏れ多いですよ、拾ってもらった恩返しをしただけです」
堂々巡りに、リオンが割って入る。
「ユーイチ、ウチに来てくれて、姉さんとキールを救ってくれてありがとう! これからもよろしくね」
「もちろん」
リオンはガッツポーズを高らかに掲げる。
そのまま拳を前方に下ろし、
「よし、そしたら、温泉に行こう!」
「……唐突だな」
「打ち上げだよ、打ち上げ」
リオンもすっかり温泉のとりこだ。
確かに、東奔西走して肉体的にも精神的にもダメージがたまっている。報われたが、報われた分だけ疲れがどっと押し寄せてくる。
「リオンの言う通りだな、そうしよう」
気軽に行ける距離に温泉旅館を作っておいてよかった。
リオンがフィーリアさんの手を引く。
「姉さんも、一緒に入ろうね」
「……うん」
フィーリアさんは温泉旅館に訪れることはあっても温泉に浸かったことは一度も無かった。願掛けなのか、戒めなのか。いままでは妹の誘いも断っていた。
それも踏まえた上での提案とすれば、リオンは思ったよりも策士だ。
それならば、馬車を手配しなくては……ん?
フィーリアさんがもじもじとしている。もしかして、単純に温泉に入るのが恥ずかしいだけのかもしれない。
もちろん、混浴ではないから心配しなくても大丈夫——。
「ユーイチくん……温泉で、お背中流しましょうか?」
鼻血を出すのが正解なのだろうか。俺は固まってしまった。
「姉さん!!! 自分を大事にしてよ、もう……でも、ユーイチなら、ま、いっか」
俺は壊れた機械のように繰り返し首を振る。
「お、温泉は、男女別です! フィーリアさんも冗談言うんですね、ははは」
「『人を愛するときは本気で愛さないと』って、ユーイチくんが教えてくれたから……」
「え……!?」
「突然ごめんなさい。気が向いたらご用命くださいね」
ベタで申し訳ないが、俺は温泉に入る前にのぼせてしまった。
平和で何より、と強がってみる。
***
「父さんからユーイチくんに話があるそうです」
フィーリアさんにそう声を掛けられ、単身、ゾフィーさんの部屋をノックした。
あいかわらず薄暗い部屋に、最低限の家具。
……日に日にやせ衰えていく姿が痛々しい。白髪が強まった気がする。
「突然すまないね、呼び出しておいて悪いけど横になったままでも良いかな?」
「もちろんです」と、ベッド横に用意されていたイスに俺は促された。
「フィーリアから聞いたよ、君が我が家とキールのために尽力してくれたことを」
聞くところによると、先ほどまでこのイスに腰かけていたのはフィーリアさんで、一連の借金騒動についての報告があったそうだ。
領主代行として至らなかったこと、さらには事後報告になってしまったことを謝罪されたとのこと。
もちろん、そこで咎めるようなゾフィーさんではなく、
『私のせいで何重にも辛い思いをさせてしまったね』
『父さん……すみませんでした。こんな私でもよければ、今後も領主代行を続けさせてください。ユーイチくんがキールを育てるための種をまいてくれました。それを無駄にせずに盛り上げていく責務があります』
『良い決意だ。謝る必要はないよ。それに代行ではなく、これからは領主として頑張ってくれないか?』
といったやり取りがあったそうだ。
それを聞いて、こちら主導で内密にしていたことを謝罪したが、ゾフィーさんは気にも留めなかった。
「……ところでユーイチ君。今日呼び出したのは、伝えておきたいことがあったからなんだ」
「……なんでしょうか?」
「察しの通り、私に残された時間は限られている」
「……縁起でもないです」
「いや、これに関して打ち明けなければならないことがあるんだ」
「どういうことですか?」
優しい瞳に一瞬力が入ったように見えた。
「……ユーイチ君は、黒魔法を知っているかい?」
思ってもいない角度だった。魔法自体に慣れていない人間にとっては、なぜこの話題となるのか想像もつかない。
「黒魔法……ですか? 詳しくは知りませんが、邪悪な意図で行われる魔法だと聞いたことがあります」
イヤな……予感がした。
「その認識で合っているよ。自らの欲望を満たすため、他人を蹴落とすため、何かを犠牲にして行われる魔法が、黒魔法だ」
背筋を伸ばし、唾を飲み込んだ。
「もしかして……」
「そうだ、私は黒魔法を使ったんだ」
うなずきもせず、ゾフィーさんの目を見続けることしかできなかった。
「自分の寿命を犠牲にして、厳密には、もともと体が弱っていたところに追い打ちをかけるように黒魔法を使ったんだ。……それで得たものは、他でもない、君だった」
「!」
驚きと混乱で、なんと返したらよいか即座には出てこない。
「これも厳密には、最初から君が現れるとわかっていたわけではない。我が家の危機を救う『救世主』を願ったら、君が来てくれたんだ」
『資格を生かしてみませんか?』と女神様が斡旋してくれたこの異世界。
「そんなはずは……自分は召喚されたわけではないですし……」
実際にはどうなのだろう。元の世界で死んでしまい、転生先をあてがわれたのは事実。
こちらの行き先と受け入れ先のニーズが一致したということなのだろうか。
「結果的には、君は救世主だった。勝ち目のないモンスターに囲まれたリオンを救い、領主代行で苦労するフィーリアを救い、キールも救ってくれた。いつ消えてもおかしくない人間の寿命と引き換えとなったにしては、十分すぎたんだ」
過分なお言葉をいただき大変光栄だが、ゾフィーさんの寿命と引き換えという点では、喜びよりは心配が圧勝する。
「買いかぶりすぎですよ……」
「最初にリオンと一緒に来てくれた時は、内心震えていたんだ。本当に『救世主』が現れてくれたんだ、と。実は今回のフィーリアの苦労もわかっていた。自分自身が財政難に苦労していたんだから、当たり前だ。フィーリアが人柱になってしまったことに気付いたのは、少し後になってからだったけどね。ただ、無責任ながら、君が現れてくれたことで事態はきっと好転してくれるんだろうと信じていた。いや、信じるしかなかった。……娘たちを救ってくれて、本当にありがとう」
自分を犠牲にすることは正義かもしれないが、正しいとは限らない。
母や自分自身を顧みながら、ゾフィーさんの言葉を飲み込んだ。
「黒魔法が関係してるかはわかりません。ただただ、自分のできることをしたまでです。……ですが、ゾフィーさんの気持ち、理解できます」
目の前には、ゾフィーさんと出会ってから一番の、穏やかな笑顔があった。
「そう言ってもらえると報われた感じがするよ、ありがとう。娘たちは何も知らない。ただの体の弱い父親ということになっている。君にこのことを打ち明けたのは、単純に、謝罪と感謝を伝えたかったんだ。責任を負わせてしまったことと、それを見事果たしてくれたことに対して、ね。それと、押しつけがましいが、娘たちを直接救えない無責任な父親の懺悔も聞いてほしかったんだ」
ゾフィーさんのためにも、飲み込もう。
「自分の内に留めるので良ければ、引き受けますよ」
「……何度も言ってしまうが、ありがとう。……さて、ユーイチ君の武勇伝を聞かせてくれないか? どうやって資金繰りをしたのか、見聞きしたものよりは直接聞いてみたくてね」
話のトーンが急に変わり、経理担当談議に花が咲いた。
ゾフィーさんの部屋を後にし、キッチンに向かった。
リオンが見様見真似でスイートポテトを作ってみると宣言していたから、それの視察だ。
そこには、焦げ臭い香りが漂っていた。
無邪気に首をひねるリオンと、くすくすと笑いながらお茶の準備をするフィーリアさんの姿があった。
ゾフィーさん、多少焦げてても食べてくれるかな。
たぶん、いや、きっと。