資格を生かしてみませんか?(異世界で)
俺の知っている世界ではなかった。
目を覚ましたというよりは、意識を手に入れたと言った方が正しい表現だと思う。
一見すると、小学生の夏休みに昆虫採集に出かけるような、よくある林だ。
遠景ではそうだが、葉や幹の個性が見知ったものとは少し違っている。海外旅行で出かけた先の雰囲気になかなか慣れない、そんな感覚と似ている。
そもそも、ここにいること自体が違和感でしかない。
大学入学を控えたまだ少し肌寒い季節に、県道沿いを歩いていた……はずだ。
(俺はいま……どこにいるんだ?)
そのヒントになるような存在が、小道を横切った。
むにゅ、むにゅ、むにゅ。厳密にはナメクジのように這っている。
——スライムだ。
ゲームでは見たことがある。半透明で、比較的無害で。大きさが大型犬ほどだったのは意外だった。
俺は木陰に隠れて、彼の行方を見守った。幸いにもこちらの存在には気づかなかったようで、マイペースな歩みのベクトルは変わらなかった。
得体の知れない存在は危機感を催させてくる。ゲーム内では幾万と葬ってはいるが、目の前にすると恐怖すら湧き出る。
(つまり……RPGのような世界に入り込んでしまったってことか?)
VRではないはずだ。心の中では混乱が駆け回っている。
スライムとの距離を詰めずに思案を巡らせる中、大きな影がスライムに向かってとびかかった。
かすかに聞こえた羽音の割には、巨大な姿だった。羽を広げれば大型トラックに匹敵するかもしれない、巨鳥だ。
大型犬サイズのスライムを軽々ひと飲みしてしまう、大きなくちばし。顔付きは恐竜に近く、少なくとも、俺の見知ってきた世界では出会ったことが無い。
捕食の瞬間を目の当たりにし、俺は尻もちを禁じ得なかった。
がぁ!
巨鳥はゲップがてらに鳴き声を轟かせた。
(もし見つかったら……)
導き出されるのは単純な答えだ。
がぁ!!!
……目が合ってしまった。
腹持ちの良い食材であればよかったのだが、スライムでは腹の足しにもならなかったようだ。想定外のエサを視覚に捉えた巨鳥は、こちらをにらみつけながらじりじりと迫ってきた。
スライムよりも弱い存在と認識されたのか、にらみが解かれる。かといって、捕食対象から外してくれたわけではなさそうだ。
ヨダレを垂らした間抜けな顔が、こちらを余計に焦らせてくる。
「逃げられる心配も無いってことかよ……くそっ!」
巨鳥の余裕に抗うため、木々の隙間をぬうように駈け出した。
巨鳥は慌てず飛び上がり、チャンスを狙っている。白鳥のように細い首を持ち、油断すればすぐに突っつかれてしまいそうだ。
(わけのわからない世界に来たと思ったら、すぐにゲームオーバーなんて)
少なからず震えてしまう。
何か方法は——。
『うりゃぁ!!!』
威勢の良い声とともに、一閃。
巨鳥に敵うはずもない小さな流線が、キリンほどの長い首を通り過ぎた。
がぁ……
次の瞬間、巨鳥の首が胴体から離れ、主をなくした巨体は木々に遠慮なく墜落した。
「……何が起きたんだ?」
尻もちを直しながら恐る恐る近づくと、そこには身の丈ほどもある大剣を携えた、剣士がいた。
機動性を重視したと思われる薄めの鎧を纏い、汗ひとつかかない爽やかなその姿。
輝かしさに惑わされそうになるが、自分よりも身長は低いようだ。
「……女の子?」
深紅の艶やかな髪は肩より長く、透き通るような白い肌は少女のような可憐さを感じさせる。その小柄な体の線は間違いなく女性。
きりっとした表情でこちらを向き直ると、まだ幼さの残る笑顔に切り替わった。
「君、大丈夫?」
「……(こくり)」
まだ状況を把握できないまま、情けなくうなずく。
「こんなところにいたら危ないよ。たまたま通りかかったからよかったものの……ケガはない?」
いわゆるヒーローの登場シーンだった。
助けてもらったら、こちらもテンプレ通りに。
「……おかげさまで、ありがとう」
「どういたしまして。恰好を見ると……この辺の人ではなさそうね。商人さん?」
言われてみれば、防御力ゼロの村人Aコーデだ。
「! 鏡ってあるかな!?」
「あわててどうしたの? 刀身を鏡代わりにすればいいかも」
剣の大きさが幸いし、自らの姿を確認するには十分だった。
見た目はかつての自分とほぼ同じであり、違いがあるとすれば少し若返ったように見えることくらいだ。
『——今度の世界では、資格を生かしてみませんか?』
夢の内容をふと思い出すかのように、その言葉がフラッシュバックした。
これを投げかけてきたのは女神のような優しい存在、ぼんやりしているけど確かにそこにいて、そこはふわふわとした無機質な空間で——。
「頭でも打ったの?」
整った顔がのぞき込んでくる。美少女剣士は自身の優れた容姿に関して自覚がないようだ。
「いや、だいじょうぶ」
強がりながら、状況を整理する。
元の世界からこの世界に移るハザマ、仮称・女神からのアドバイスを受け、結局は自分では何もできないまま美少女に命を助けてもらって今に至る。
ズボンの砂ぼこりをはたいていると、彼女の人となりも判明した。
「人に聞く前に自己紹介しないとね。私は、リオン・マーガウェル。剣士としての腕を磨くため、日々鍛錬をしているの」
えっへんと言わんばかりに、キラキラとした笑顔がまぶしい。
「俺は……ユーイチ(苗字は……言わずとも良いか)。(この世界については)自分の名前くらいしかわからない」
「記憶喪失!? やっぱり頭を打ったの?」
素直に心配して大きな目をさらに大きくする姿は思ったよりも幼く、命の恩人にしては年下感が強い。
「いや、複雑な事情に巻き込まれたのは確かなようだが、この世界での自分の立ち位置がわからない、ということなんだ」
「……難しいことを言うのね。ま、いいわ。とにかく、無事でよかった」
正直に言ったまでだが、無為な詮索をしてこない辺りも、答えに困る者としてはありがたい限りだ。
代わりに、こちらが答えを聞く側に回る。
「ここはどこなんだい?」
「本当になにもわからないのね。ここは商用道路から少し離れたけものみち。キールという都市が近くにあるの」
「キール?」
聞き慣れない都市名だ。
「どこまで説明すればいいかわからないけど、王都ディルゴーンに従属する辺境……の都市よ」
『辺境』の部分で何か引っかかるところがあったようだが、やはり聞き慣れない。
見慣れない巨鳥の亡骸を眺めつつ、
「こんなモンスターもいるのか……」
「ゴルニスバードね。普通はあまり遭遇しないけど、君……ユーイチは運が悪いのかもしれないわね」
彼女——リオン——は、アメリカンコメディのリアクションのように両手をパーにして苦笑いしている。
「とにかく、ありがとう。重ね重ね申し訳ないけど、記憶喪失の人間はどこに向かったらよいかな?」
「それなら、ウチに来なよ」
間髪入れない返答は、とても爽やかだった。
頼らざるを得ない立場故、
「いや、申し訳ない……けど、ありがたい」
「遠慮しなくて大丈夫だよ。客人が泊まれるくらいの広さはあるから。体の弱い父さんと、優しい姉さんの三人暮らしなんだ」
恩人の境遇を勝手に想像して失礼かもしれないが、実は苦労人なのかもしれない。
剣士として研鑽を積んでいるのも、身を立てるための方法論なのだろうか。
リオンは大剣を軽々と持ち上げ、方向を指し示す。
「しばらく歩けばキールの中心地に戻れるから、一緒に行こう。ゴルニスバードはあとで回収すればよいから」
「そういうもんなんだ……」
まるで縄文時代。この世界の常識に驚きつつ、郷に入ればなんとやら。かつての捕食者は、食料・素材に成り下がっている。
「さあ、暗くなる前に行きま——!」
その気配に、弛緩が一気に緊張に切り替わる。
リオンが大剣を構える相手は、
グォォ!!!
いつの間にか我々の後方に現れたそれは、巨大なイノシシ……のようなモンスターで、猪突よろしく、こちらに猛スピードで迫ってくる。
スケール感にいちいち驚く暇もないまま、巨影がさらに大きくなっていく。
目的が我々なのか、それとも単なる通り道なのか、いずれにしても選択肢は「逃げる」しかなさそうだ。
「スマートボア……厄介な相手ね。ユーイチ、できるだけ木が密集したところに逃げて!」
スマートボアと呼ばれる巨体は、単体の木であれば平気で押し倒し、進路を変えてはくれない。
「わ、わかった」
「私は……うりゃぁ!」
リオンも一緒に逃げるかと思ったら、彼女は勇敢にも立ち向かっていった。
しかし、
「なっ……硬い!?」
振りかぶった大剣はスマートボアの胴体、正確には体毛に当たると軌道を逸らされた。
「くっ、噂通りみたいね。ユーイチ、さっき言った通りに逃げるわよ!」
がむしゃらに走った。リオンがリードしてくれ、何とか付いていく。
スマートボアの鳴き声を頼りに、最も距離をとれるように道を選びながら木々の間を駆け抜ける。
リオンは見るからに重たそうな大剣を背中の鞘におさめ、ものともしないように走っている……わけではないようだ。
彼女の背中を追いかけながら、さすがに彼女も息を切らしているのがわかる。
「はぁ……はぁ……私も遭遇するのは初めてだけど、スマートボアはね、戦うにも剣は通じないほど硬いし速いし、それに……とにかく出会ったら逃げるしかないと言われているの」
巨鳥を一撃で仕留める剣士が立ち向かえないほどの存在。素人が本能で感じた「逃げる」という選択肢は間違いではなかったようだ。
少しでも足手まといにならないように、必死に食らいつく。
と——。
突然視界が開けた。
必死に駆け回った結果、高台の草原にたどり着いた。
後ろを意識しつつも足を止め、リオンが辺りを見渡す。
「逃げ道や隠れ場所は……!」
足どころか体全体が硬直する。その理由は、明白だった。
まだ離れてはいるが、進行方向——草原の向こう側——に、いくつもの巨影がゆらぐ。
リオンの声が震える。
「なんで、スマートボアがあんなにたくさん……」
引き続き後方にも既知の追跡者がいることには意識を向けつつ、ただ、前方、いや、四方に敵わぬ相手がじりじりと迫ってくる。
スマート=賢い、という名前に引っかかってはいたが……剣を構え忘れている背中に内緒話のように疑問を投げかける。
「もしかして、ここに誘導されてしまったってことなのか?」
「そう……みたいね。スマートボアは集団で狩りをする習性があって、囲まれる前に逃げるっていうのが先人の知恵なんだけど……ごめんなさい」
「いや、俺一人だったらとっくの昔に踏みつぶされていたと思う。謝る必要はない……が、状況が悪いのは否定できない」
後ろからも鳴き声がゆっくり近づいてくる。再び林に飛び込むのも得策ではない。それがわかっているのか、誘導役は声だけで牽制しているようだ。
どうして、こんなにも執拗に追いかけてくるんだ。
「俺たちじゃ、エサにしては物足りないだろうに」
「食事のためだけじゃないみたい。獲物を突き飛ばして遊んだりすることもあるらしいし、もしかしたらそういうことなのかも……」
元の世界では、シャチがそういう行動をとると聞いたことがある。賢い故に、食事のための狩猟ではなく遊びのための狩猟も。……人間も同じところがあるから、責め立てられない。
奴らにとって、俺たちはただのサッカーボールなのかもしれない。
何の策も無く佇むだけの俺を尻目に、リオンが一歩前に出る。
いつの間にか剣を抜き、複数の敵に向かって構えている。
「……私が囮になるから、ユーイチは逃げて」
その声は先ほどまでの震えたものではなく、決意を込めた力強さがあった。
「何言ってんだよ! そんなことできるわけないだろ! 囮になるなら、俺が!」
「……父さんと姉さんによろしく」
「リオン!」
彼女は草原の真っただ中、つまりはスマートボアたちにとって絶好の狩り場に飛び出した。
それを契機に、スマートボアたちも取り囲むように駆け寄ろうとする。
中心での衝突による同士討ちを避けるためなのか、それぞれが突進してこないのが小賢しい。
一人の勇敢な少女にすべてを任せて、自分はただ逃げるしかないのか。そんなことできるはずがないのに……だとしたら俺に何ができるんだ?
——どこから惰性になってしまったのだろうか。
『天才少年、十歳で気象予報士試験に合格!』
ネット記事に乗ったことがある。それも、複数回。
当時は、単純に楽しかった。知識や技術を得て、それが客観的にも認められ、社会に生かすことができる——すなわち、資格を取得すること自体が喜びだった。
取得できる資格は、見境なく飛びついた。
オンラインで書類を提出するだけで与えられる広き門から、実技やニッチな専門知識も要求される狭き門まで。家には山積みの資格証書が積み上げられている……ホコリにまみれて。
手に入れた資格が社会の役に立ってくれればまだいいが、少なくとも自分の役には立たないものばかりだった。それでも、充実感があったのは間違いない。
偏った思想の父への反発があったのかもしれない。自身を誇示するための学歴や成績だけを何よりの生きがいとする、そんな人間だ。どちらかというと、息子の成功を素直に喜んでくれる、純真な母親への感謝が第一だったのかもしれない。
別にマザコンというわけではない。あくまでも相対的な話だ。
とある日、偏屈な父の機嫌が珍しく快晴だった。
「大学合格おめでとう。ただし、国家試験に合格しなければ意味がない。引き続き精進するように」
褒めたかと思えば、すぐにいつもの塩対応。医学部の合格が通知された日だった。
資格という面から見れば、最難関の国家資格である医師免許は、医学部を卒業しなければ受験資格が得られない。
本来なら希望に満ちた門出が待ち構えているはずなのに、俺自身は冷め切っていた。いま考えれば、惰性はそれよりだいぶ前からのものだった。
中学・高校と進むにつれて、何のために資格を取っているのだろう、と、疑問の方が勢力を増していった。
根無し草に拍車がかかったのは、母が交通事故で亡くなったときからだ。中学の入学を控えた息子に暴走車が突っ込んできて、身を挺して——。
母の葬儀で膝を抱えながら、ずっと頭で繰り返していた。いくら資格があっても、大事な人を助けられない。
惰性が強まったのは、そんな無力さを感じ始めたときからだった。
——もうすぐ桜が咲こうとしている中、俺は当てもなく近所を歩いていた。
傍から見れば恵まれている。それも十分にわかっている。医学部に合格して以降、知り合いはもれなく祝福の言葉をかけてくれた。
だけど、工場の煙突から吐き出される色味がかった煙に、自分自身を重ねていた。
と、よどんだ目に、かつての自分と母を思い起こさせるような親子が映った。
悔しいほど輝いて見えた。
そんな我々は、交差点の赤信号で足並みをそろえさせられた。
その親子はただ道を歩き、ただ雑談をしている。見せつけるわけではなく、単純に日常を過ごし、それをこちらが勝手に重ねているだけだ。
……あの日も、こんな感じだったなぁ。
!!!
——ここまで運命を重ねなくてもいいのに。
赤信号にも関わらず、スピードを緩めず突っこんでくる暴走車。
その進行方向は、交差点の角にいる我々だ。
ガードレールや鉄柱もない。
親子は、突然のことに硬直している。仕方のないことだ。
俺は、あの日からずっと自分に言い聞かせていた。
もし誰かを守らなければならない状況に直面したら、ためらわないことにしよう——。
『——今度の世界では、資格を生かしてみませんか?』
気づいた時には、白も黒もわからない、得も言われぬ空間に浮かんでいた。
そこで女神のような存在に、そう話しかけられた。
「ちょっと待って、何がなんだか」
「自らの命を賭して他人の命を守ったあなた。その魂に幸あらんことを」
「! 俺は死んだのか……あの親子は!?」
「無事ですよ、あなたのおかげで。そこでも他人を思いやるなんてさすがですね」
冷静になると、相手が人知を超えた存在であることの実感が湧き上がってくる。生命感を感じないが、その概念を超えた温かさを感じる。
「ここは天国ってこと……ですか?」
女神様は、マイペースに続ける。
「魂によってここの捉え方は様々です。さて、資格を生かすための方法を教えましょう」
「聞いてばかりですみませんが、資格ってなんですか?」
彼女はきょとんとした顔の後、微笑みかけてくる。
「あなたのよく知る、資格です」
「取得に終始した、あらゆる資格のことですか?」
「そうです。まずは、それを生かすことができる世界にあなたを転生させます。そちらで、世界を整えてください」
「抽象的でよくわからないのですが……」
「資格の生かし方も自由、そんな意味では確かに目的も方法も抽象的です。そうですね、魔法のようなものだと理解してください。資格名とそれに類するような事象を叫べば発動されます。例えば——」
リオンの背中を見つめながら、女神様とのやり取りを思い出した。
ぶっつけ本番だが、やるしかない。
「≪気象予報士『雷警報』≫!」
そう叫び、聞き慣れない言葉にリオンが「え?」と振り返る間もなく、快晴の空は見る見るうちに黒雲に纏われていく。
蓄電されてゴロゴロと蠢く空模様は、今にも雷がこぼれそうになっている。
スマートボアも自然事象には逆らえないのか、歩みを止めて連携を失い、うろたえている。
理想的な展開だった。あとは、
「リオン! しゃがんで!」
「え? なにこれ、ユーイチの魔法!?」
「とにかくしゃがんで!」
事態を飲み込めなくてもよい。とにかく、雷撃を避けられる姿勢をとるのが一番だ。
全体攻撃するには、と思いついたのがこの方法だった。
ピシャーン——
瞬きも間に合わないほど突然吐き出された雷光は、無防備なスマートボアたちを直撃し、彼らの断末魔を奏でた。
……焼け焦げた巨体は力を失い、バタリバタリと倒れていく。
自らが引き起こした事態にも関わらず、理解が追い付かないでいる。呆然と余韻に浸っている内に、役割を終えた雲はちりじりになり、昼間の明るさが戻ってくる。
眩しさで我に返ると、彼女のことが脳裏によぎる。
「リオン!?」
意識を向けると、彼女はその場に倒れ気絶してしまっている。
この可能性も考慮していたが、それでも起こってほしくなかった誤算だった。
慌てて駆け寄ると、少なくとも見える範囲では直撃を示唆する火傷はなさそう……だが、意識はない。
「もしかして、心停止!?」
雷は、直撃しなくても地面を這ったりして衝撃が伝わってしまうことがある。その結果、心停止や不整脈で意識消失も有り得る。
やれることとすれば……心臓マッサージ!
「リオン、大丈夫か、リオン!」
肩を叩いて呼びかけても意識は戻らない。
加えて、防御目的の鎧が災いし、直ちに蘇生に移行できない。
脱がすにも、相手は女の子……だが、そうは言ってはいられない。
仰向けで横たわる彼女を横向きにし、背中側に鎧を止めるベルトのような構造があることがわかった。
簡単に外れないように複雑なつくりになっているのか、なかなか留め金が外れない。慌てれば慌てるほど、解決に至らない。
切るにも、身近な刃物は巨大な大剣のみで小回りが利かない。
「うまくいくかわからないけど……≪着物マイスター『脱衣』≫!」
先ほどの成功をとっかかりとし、ここでも与えられた『能力』を試してみる。
邪魔になっていた鎧が一瞬光ったかと思うと、先ほどまでうんともすんともいかなかった留め金の固定がやわらかくほどけた。
コントロールがうまくいき、幸いにも鎧だけを剥ぎ取ることができた。
Tシャツのようなラフな格好になったリオンを再び仰向けにし、心臓マッサージに移行する。
そうとなれば、≪ハートセイバー≫という資格もある。心肺蘇生の一般向けの資格だ。これに『能力』が合わされば、おそらく通常よりも色を付けて蘇生ができるはずだ。
そうだ、基本的なところで呼吸の確認をしていなかった。
彼女の口元に耳をそばだて……。
「ん……んん……? え! きゃぁ!!!」
呼吸があるのを確かめたのとほぼ同時、最もお互いの顔が近接した状態でリオンが目を覚ました。
俺はそれに気づいて彼女の顔を直視してしまい、一方、リオンはさっき出会ったばかりの男の顔が超至近距離に迫っていて、かつ胸元が軽くなっていることに気付いたのだろう。
導き出された結論は、
「ヘンタイ!!!」
俺の顔面に強烈なストレートが直撃した。
うつ伏せ気味だったはずなのに、拳の衝撃で180度……うってかわってこちらが仰向けに倒れる。空が青い。
かろうじて意識は保たれていて、すかさず言い訳に転じる。
「誤解が生じる状況だけど、これは不可抗力で……」
リオンは胸元を押さえながら涙目になっていたが、俺の必死の弁明に一瞬冷静になり、周りを見渡す。
少し離れたところに、落雷事故により絶命したスマートボアの集団。
おそらく、気絶前の状況も思い出し、いったん補完のための間を置いてから、
「ごめんなさい! 私、襲われてると思っちゃって」
「……わかってくれればそれでいいよ」
つーんとする鼻を押さえながら俺は強がった。
がさっ。
後ろを振り返ると、先ほどまで我々を追いかけていたスマートボアが現れた。
俺とリオンは戦闘態勢に移るが、心配も及ばず、スマートボアは怯えるように林の奥に消えていった。
賢い分、引き時も理解が早かった。
木々が押し倒されていく音が遠ざかるのを聞きながら、
「ユーイチ、助けてくれたのに殴っちゃった……ごめん」
「いや、もともとは助けてくれたのはリオンの方だし、雷に巻き込んじゃったのは確かだし」
お互い、バツが悪く視線を合わせられない。
間があいたあとにリオンの方を見ると、彼女は指をもじもじさせながら、上目遣いだった。
「あんなに強力な魔法……ユーイチって、もしかしてすごい人?」
「いや、まだ自分の力もよくわからない、ただの迷い人だよ」
草原に見合った風が吹き抜け、ほんのり香ばしい匂いが鼻孔に届く。
スマートボア、焼けてしまえばただの焼き豚のようだ。
リオンも同じ感想を抱いたのか、
「伝聞によれば、スマートボアは倒すのも大変だし、味もそれ相応のごちそうみたい。王都に献上すればかなりの褒美をもらえるほど、って聞いたことがあるわ」
「大きいから、持ち帰るのも大変だね。それなら……」
現実主義に立ち戻れば、保存と輸送問題だ。
試しに、
「≪気象予報士『低温注意報』≫!」
イメージすればある程度の範囲は絞れると踏んで、照準をスマートボアの亡骸に合わせる。同時に、
「≪着物マイスター『着衣』≫!」
リオンと俺のそれぞれに厚手のコートをあてがい、少し離れて自然の冷凍庫を観察する。
スマートボアは鮮度そのまま冷凍される。
「……すごいね」「……すごいな」
自分でやっておいて、リオンと一緒になって驚いている。
敵なしとなった俺たちは、大手を振ってキールへ向かった。
後日、『能力』を使って冷凍スマートボアを楽々輸送したのは、言うまでもない。
***
一言で表せば、田舎、だ。
キールに到着して抱いた率直な感想。
正確には、都市の内外の境がはっきりせず、畑が増えてきたと思ったらいつの間にかキールに足を踏み入れていた、といった感じだ。
さらに奥まで足を踏み入れると、民家がぽつぽつと見え始め、リオンの案内に従いさらにしばらく歩くと、比較的大きな——そうはいっても日本の郊外の一軒家レベルの——建て物に案内された。
「我が家へようこそ」
「へぇ、周りと比べると立派な家だ」
言葉を選んだが、皮肉にとらえてしまったようで、
「……こう見えても、領主のお屋敷なんだよ」
「あ……質素倹約ってこと……かな」
恥ずかしそうに肩を落とすリオンに対し、精一杯フォローの言葉をかける。
周りを見渡せば、背の高い建て物がない分、そして、住宅密度が低い分、見通しが良い。
例えるなら、北海道の風景だ。
リオン実家兼領主宅が、おそらくこの辺で一番大きな建て物なのだろう。
「ただいまー」「おじゃまします」
良い意味では、一般家庭のように敷居が低い。
屋敷内はきれいに管理されており、外から見たよりは広めに見える。
「おかえりなさい、リオン」
奥から出迎えてくれたのは、メイドさんではなく、上品な出で立ちの女性だった。
優しい雰囲気を身にまとい、リオンと同様の艶やかな赤髪は腰まで伸びていた。指や手の置き方が育ちの良さを如実に表し、表情は穏やかで、優しげな目とそれを縁取る長い睫毛、そしてふっくらとした唇に、照れくささを感じるほどだった。
問題発言かもしれないが、心臓マッサージをするには邪魔になりそうな豊かな胸の持ち主であることも添えておく。
どうやらこの女性がリオンのお姉さんらしい。
リオンの表情がさらに明るくなる。
「姉さん、今日はお客さんを連れてきてるの。泊めてあげてくれる?」
紹介元は快いが、紹介先がどう思うかはわからない。とにかく挨拶が礼儀。
「ユーイチと申します。事情を説明するのが難しいのですが……」
「姉さん! ユーイチってすごくてね、すごい魔法が使えるんだ!」
リオンは跳ねるように解説をしてくれる。
こちらからも、転生してきたことは触れないままリオンとの先の出来事をかいつまんで説明した。
お姉さんはしずかに優しく、聞き上手だった。
「それは大変でしたね。困っているのであれば、ぜひ我が家で過ごしてください。遠慮は要りません」
「ありがとうございます」
お辞儀から頭を上げると、そこにはやはり天使、いや、女神様のような存在がいた。
「自己紹介が遅れましたが、私はフィーリア・マーガウェル。リオンの姉であり、キール領の領主代行を仰せつかっています。ただ、位が高いとか、裕福とか、そんなものとは程遠く、見ての通りです。気兼ねなく接してくださいね」
フィーリアさんは笑顔を崩すことは無かった。
居候という立場を与えられた身であり、その笑顔は女神様のように輝いて映る。
「ありがとうございます!」
再度深くお辞儀をし、姉妹のやり取りが聞こえてきた。
「案内するほどではないかもしれませんが、リオン」
「それじゃユーイチ、ついてきて」
リオンのガイドが始まった。
屋敷内の案内がてらに彼女からマーガウェル家の内情、ひいてはキール領について教えてもらった。
母親を早くに亡くし、物心ついた時から父親とフィーリアさん、リオンの三人暮らし。
かつての領主であるリオン父は、資金繰りに苦労しながらも領民に必要以上の苦労をかけまいと、自らを犠牲にして多忙を極め、なんとか王都の直轄領を維持していた。
それがたたって体を壊し、フィーリアさんが1年ほど前から首長業務に従事している。
彼女は対外的な交渉材料が少ない中で貿易をうまくこなし現状を維持している。
それもあってマーガウェル家に対する領民たちからの信望は厚く、経済的には決して恵まれていない中でも、治安は良好、、とのことだ。
語り部であるリオンからは、家族やキールに対する愛情がにじみ出ていた。
「私はさ、そういう政治とか難しい話は分からないから、とにかく強くなって、王都で認められて、ゆくゆくはキールに恩返しするのが夢なんだ」
頭が下がる。涙もろい人間なら廊下を水びだしにしていることだろう。
思っていたよりも聞きごたえのある話で、オリエンテーションに要する時間を超過して聞き入ってしまっていた。
そんな中、ある扉の前にさしかかる。
リオンはコンコンと扉をたたき、
「父さん、お客さんです」
押し戸の向こうには、質素な家具配置。
目についたのは、ベッドで端坐位になる線の細い男性だった。
優しい微笑みはフィーリアさんのそれとそっくりだった。
「こんにちは、ユーイチ君。フィーリアから聞いたよ。父のゾフィーです、よろしく。家の設備やわたしの服など、気軽に使ってくれて構わないからね」
フィーリアさんに先回りされるほど、こちらは遠回りしていたようだ。
ゾフィーさんはピンクがかった白髪であり、かつては娘二人と同じ眩しい赤髪だったことがうかがえる。頬は少しこけているようだ。
(苦労が物語る……)
失礼な思考が悟られないように、型どおり挨拶を済ませその場を後にした。
部屋を出るや否や、
「父さん……いつもより元気そう」
リオンが嬉しそうにつぶやいた。それが何だか悲しかった。
またリオンの後を追って幾ばくか。
「ここがユーイチの部屋だよ。少しホコリっぽいけど、掃除手伝うから過ごしやすいように自由に使ってね」
確かに使われていないなりの汚れの蓄積はあるが、すぐに快適にできるほどのポテンシャルがある。
それに、確かめてみたい『能力』がある。
「≪ハウスクリーニングアドバイザー『クリーニング』≫!」
これもおおむね予想通り、掃除に関する資格を生かしてホコリは窓から吐き出された。ベッドもリネン業者が入ったかのようにパリッとしている。
リオンはこちらを不思議そうに見つめてくる。
「魔法が使える人はなかなかいないのに、ユーイチはそれに加えて変わった魔法をいくつも持ってる……何者なの?」
マーガウェル家の身の上話の見返りに、こちらのことを正直に説明しても良いかとも思ったが、
「ただの迷い人だよ。自分が何をできるのかも探り探りさ」
「ふーん……ま、ユーイチはユーイチってことか」
折を見て打ち明けることにする。
ありのままを話して立場が悪くなることはなさそうだが、この世界の自分をもう少し知ってから共有することにしよう。
まずは、一宿どころか衣食住を与えてくれたマーガウェル家の皆さんに何か恩返しできるように、自分の役回りを探ろうと思う。