第九話『タイムフォワード』
テストは無事に終わり、ついに全教科テストの返却日。
「傑! 見て見て!」
「天音にしては、いい点数だな」
いつも赤点ギリギリの天音が、全教科で平均点を超えている。まさか、本当に願掛けが功を奏したのか。
「ほーら、やっぱり! 神様は見てくれてるんだよねー」
「何が神様だ。これからはちゃんと計画立てて勉強するんだな」
「はいはーい」
全て神様のおかげなんて、俺の苦労はどこにいったんだ。
「夏休みも勉強漬けとか、勘弁してくれよ」
「それはそれで楽しそうだね」
「本当にやめてくれ……」
とりあえず、これで特訓に集中できる。
放課後、俺が店に着くと、京子さんが煙管を吸いながら座っていた。
「和文は先に裏庭に出ているよ」
「そうか。その前に、京子さんに聞きたいことがあるんだ」
それは、天音に対する違和感について、何か思い当たることがないか聞くだけ聞いてみようと思っていた。
「なんだい?」
「実は、俺の幼馴染が時折不思議な事を起こすんだよ」
「不思議な事かい。まあ、あたいにとっちゃあ、日常茶飯事さ。詳しく聞こうじゃないか」
俺は昔からの、天音との思い出を京子さんに話した。
「何か知らないか?」
「力を持っている可能性は十分にあるね。一度、あたいのとこに連れてきな」
「連れてくるだけで分かるのか?」
そもそも、和文の時も、京子さんはどうやって『神の力』を見抜いたのだろうか。
「あたいなら見るだけで分かるよ。しかも、能力者同士は互いに引き合うから、知り合いが力を持っていても、何ら不思議ではないのさ」
「俺にも見分ける方法を教えてくれ」
「それは無理な話だねえ。感覚的なものだから、ある程度力を使いこなせないと身につかないんだよ」
少なくとも和文よりかは使えていると思うのだが、もっと力を高めていけば、能力者を自然に見分けることが出来るということか。
「じゃあ、頑張るしかないのか」
「残念だけどね。でも、こんな力は本来使えないほうがいい。これを出来るほどの力を持てば、危ない奴に狙われかねないからねえ」
前回の『クロネコ』のことを言っているみたいだ。そういえば、『クロネコ』について、他に知っていることはないだろうか。
「京子さん、まだ隠していることがあったりする?」
「勘が鋭いのは嫌いじゃないよ。そうだねえ、『クロネコ』について知りたいんだろう?」
能力者同士が引き合うのなら、『クロネコ』が近づいてきたのは絶対に偶然ではない。
「天音がもし力を持っていたら、危険にさらされるのは俺たちだけじゃなくなる。だから、少しでも情報が欲しいんだ」
「いいよ、何から話そうか」
「まず、俺たちを引き入れた目的と、『クロネコ』の関係について」
京子さんは少しため息をついて、ゆっくりと話し始めた。
二十年前、三船京子はある伝統を引き継いでいた、小さな村の出身だった。その伝統とは、『神の力』である。
「お母ちゃん、お父ちゃんは何してるの?」
当時六歳の京子は、両親が神棚に祈りを捧げるのを見て、首をかしげていた。
「これはね、神様からお力をもらうためにやっているのよ。私の『天気』も、お父ちゃんの『時間』も、村の人たちが持っているの力も、全部、それぞれの神様が与えてくださっているの」
もちろん、京子には理解できなかったが、この村は『神の力』を伝承する、歴史ある村だった。
「京子にももらえる?」
「ええ、何のお力なのか分かったら、一緒にお祈りしましょうね」
同じ力を持つ者はいない。能力者は自然とこの村に集まり、伝承を引き継いでいく。村は平和そのものだったが、終わりは突然やってきた。
ある日の夜中、眠っていた京子は、外から聞こえた悲鳴で目を覚ました。母も父も見当たらず、玄関に向かうと、そこには知らない者が立っていた。全身黒い服の、猫のお面をつけた者。
「君は、能力者ではないのかあ。でも、見られたら困るし、消えてもらおうか」
「だ、誰……?」
「心配しなくていいよ、痛いのは一瞬だから」
その者は目にも止まらぬ速さで京子に近づき、手を下そうとした、その時。
「京子! 逃げなさい!」
「お、お父ちゃん?」
「それは『時間』、興味深いねえ」
京子の目の前に父が入り込み、その者を『止めて』いた。京子は足が震えて動けない。
「村の者を次々と殺しているのはお前だな! 一体、何が目的なんだ!」
「僕は『クロネコ』、全ての力を統べる『神』だ」
「お前みたいな殺人鬼が、『神』を名乗っていいものか!」
京子は何が起こっているのか分からなかった。ただ、恐怖だけが確実にそこにあった。
「君は勝てない、この『全能』の神には」
「ふざけたことをぬかすな!」
父は広範囲に力を使うことが出来なかった。なぜなら、近くに京子がいたからだ。
「ほーら、僕の勝ち」
「ぐ……!」
その瞬間、父の腹部にはナイフが刺さっていた。京子は悲鳴を上げる。
「お父ちゃん!」
「京子ちゃーん、お父さんの『時間』、もらっちゃった」
父はその場に倒れ、『クロネコ』がそれを乗り越えて京子に近づいてくる。
「や、やめて! 近づいてこないで!」
「そんなこと言わないで、僕と遊ぼう?」
近づいてくる恐怖の後ろで、息絶えたはずの父の手がこちらに伸びているのを、京子は見逃さなかった。
「お、お父ちゃん……」
「時よ……『進め』……!」
父の最後の抵抗は、京子だけの時を『進めた』。次の瞬間、京子は村の出入口に来ていた。
「あ、あれ、ここは……」
「京子? 大丈夫?」
「お、お母ちゃん?」
目の前には母がいた。母は京子の様子を見て、何が起こったのか察した。
「京子、よく聞いて。あなたは、一人でこの村から逃げるのよ」
「お母ちゃんは?」
「私はまだやらなければならないことがあるから。いい?」
時が『進んだ』結果、京子は母に連れられて『クロネコ』から逃げているということになったようだ。母は『クロネコ』をそのままにして一緒に逃げてあげることは出来なかった。
「嫌だよお、お母ちゃんと一緒に……」
「わがまま言わないの。あなたは先に『進み』なさい。必ず、私も後から追いかけるから」
「約束だよ?」
もうかなりの村人が殺されていた。当時の京子に力はなかったが、そんなものはもはや関係ない。京子は母とゆびきりをして、村の外へと走っていった。
「あたいの『記憶』はここまでさ」
「それだと、京子さんの力はいつから?」
「その日から、あたいは物事を忘れることが出来なくなった。それが『記憶』の代償」
ということは、『クロネコ』の事件がきっかけで力を得たことになる。
「その後の村は……」
「ああ、村にはもう誰もいなかったよ。ある人物を除いてねえ」
村の麓には町があったらしく、そこにいる知り合いのところまで逃げたそうだ。そして、隙を見て村の様子を確認しに戻ったという。
「また、殺されかけたんですか」
「いいや、『クロネコ』はあたいを見つけた時、皮肉にも全てを話したのさ」
動機が読めない。今聞いたことで分かるのは、殺した者から力を奪っていたということ。しかし、戻ってきた京子さんを殺さず、自身の愚行を話すというのは、全く理解できなかった。
「何を聞いたんですか?」
「全てだよ、村の出来事全て」
京子さんに語られたのは、一番聞きたくない、悲劇の『記憶』。
「僕は『神』について全てを知っているよ」
はったりでもなんでもない。『クロネコ』は冗談抜きで『神』を名乗っている。
「どうして、村のみんなも、お父ちゃんも、お母ちゃんも……」
「そうかそうか、君は知りたいんだね? それは嬉しいことだ。僕が成した事を知ろうとしてくれるなんて、いくらでも話してあげよう」
京子がどれだけ拒んでも、『クロネコ』は話し続けた。どこから来たのか、どうやって来たのか、どうして殺したのか。
「やめて、もう聞きたくない!」
耳に入ってくる情報とは別に、京子の頭に『記憶』が流れ込んでくる。それは『クロネコ』の経験の『記憶』だった。
「もう見たくないよ……」
「ああ、そういうことだったんだね。君も手に入れたんだ。でも、今もらってしまうのはもったいない」
強大な『記憶』の力に気づいた『クロネコ』は考えた。京子は耳を塞いだままその場にうずくまっている。
「そうだ。『進めて』しまおう。そうすれば楽しみが近づくからね」
その時、京子と『クロネコ』の時だけが未来へと『進んだ』。
京子さんの記憶には、明らかに抜けているところがある。
「あたいは、気が付いたら二十歳になっていたんだ。その頃にはもうこの店に居て、知り合いがママさんをやっていたよ」
「じゃあ、この店は……」
「元々私の家じゃない、その知り合いから継いだのさ。いや、そんなことはもうどうでもいいことだね。本題に戻ろうか」
力について、京子さんは改めて話し始めた。
「過去の話なら、同じ能力者は存在しないはずなんだよな?」
「あくまであたいの憶測だけど、神は邪神を倒す術を、この世界に与えたんだろう」
本来得るはずではない者がその力を持ったから、神はそれを許さなかったということか。京子さんの母親の『天気』を俺が、父親の『時間』を和文が受け継いだ。つまりあの日、殺された能力者の力が、他の誰かに受け継がれている可能性は他にもある。
「俺たちは『クロネコ』を倒すことが出来る唯一の存在なのか」
「そういうことになるねえ。でも、『クロネコ』はその存在を許さない。だからまた同じことを繰り返そうとしている。そして、新しい力を求めているのさ」
力が強く発動した時にそれを感じ取るのなら、京子さんも『クロネコ』も、互いに気づいているのだ。しかし、気になることがある。
「もし『クロネコ』が時を『進めた』んだったら、何かしら影響があるんじゃないのか?」
「もちろん、その間の『記憶』はない。ただ、『クロネコ』にそれが起きているのか、定かではないね」
デメリットがないというのは考えにくい。京子さんの憶測が本当なら、俺たちが勝てないようなことはないはずだ。絶対に何か、抜け穴がある。
京子さんと話をしているうちに、時間は過ぎていった。