第七話『タイムリターン』
京子さんがいつも煙管を吸っている理由を教えてもらった俺たちだったが、まだ納得しきれていないので、少し授業をしてもらうことになった。
「はいはい! おいらから質問! 『匂い』が付くものなら何でもいいんすか?」
「それは俺も気になってる。さっき京子さんが言った理屈なら、香水とかでも良かったんじゃないか?」
そもそも、どんな『匂い』でも良いのだろうか。
「一つずつ教えてあげるから、慌てるんじゃないよ。まず、かずの質問だけど、『記憶』に残るなら何でも大丈夫さ。もちろん、香水でもねえ」
「じゃあ、なんで煙管なんすか?」
一番の疑問はそこだ。煙管を吸うより、香水をつけている方が楽だと思う。
「この店を開く前はね、普通に煙草を吸っていたのさ。香水をつけていた時期もあったねえ。でも、色々試した結果、『記憶』に残りやすく、力の効果が持続しにくいものが、煙管だったのさ」
「煙管が『記憶』に残りやすい? それは『匂い』がキツイということか?」
「いいや、『匂い』に関しては紙煙草の方が服に染み込みやすい。でも、煙管は『見た目』に関してかなり『記憶』に残りやすいんだよ」
確かに、紙煙草や電子タバコを吸っている人はよく見かけるが、煙管を常用している人は、なかなか見たことがない。
「力の効果時間は、なぜ短くする必要がある?」
「考えてみな、もし傑が『雨』を降らせた場合、ずっと降り続けているのは困るだろう? かずの『時間』も、そして、あたいの『記憶』もそれは同じ。常時発動は不都合を生むのさ」
使える力があったとしても、それを制御する力がなければ暴走してしまう。それは周りにとっても自分にとっても、危険になりうる。
「じゃあ、姐さんが本気出したら、『記憶』をどうにでもできるってことっすか?」
「本当に質問が多いねえ。その通りだよ。やったことないからわからないけどねえ、世の中の常識を『書き換える』ことぐらいは容易かもしれない」
仮にそうなったら世界は崩壊に向かうだろう。京子さんがもし悪い人だったら、世界征服なんて夢では終わらない。
「おいらの力も……」
「悪いことは考えるもんじゃないよ。欲は身を亡ぼすからね」
「そうだぞ。『神の力』なんて言われてるんだ、慎重に扱わないと」
京子さんの言う通りだ。幼い頃の力の兆候は、まだ威力が小さいから少しの違和感で済んでいたのかもしれないが、俺たち三人が今の状態で最大限に力を発揮してしまえば、『時間』の流れがめちゃくちゃになり、『天気』は災害となり、『記憶』は都合良く書き換えられてしまうだろう。つまり、世界を創り変えるという戯言が現実になる。
「傑はいい子だねえ。もう聞きたいことはないかい?」
「えーっと、結局、煙管を吸ってるのはなんでなんすか?」
今までの話が、和文の中では無に帰したらしい。
「はあ、かずにはやっぱり難しかったかねえ。それじゃあ、このメモを渡しておくよ」
京子さんが和文に渡したのは、『香水、紙煙草、煙管の比較結果』の記録だった。
「おお! 分かりやすいっす!」
「本当か?」
「それなら良かった。あたいはもう店に戻るよ。特訓頑張りな」
店に戻る京子さんを、俺たちは見送った。
俺は、さっき京子さんが和文に渡したメモを見て、文章を読み上げていった。
「香水、紙煙草、煙管の比較結果。『匂い』は紙煙草、煙管、香水の順に残りやすい。しかし、『記憶』に残りやすかったのは、煙管、紙煙草、香水の順だった」
一番『匂い』がキツいのは紙煙草。理由は、煙管と違って燃焼した際に出る化学物質が『匂い』と混ざり合い、服に染み込みやすいから、と書いてある。
「おいら、紙煙草は臭いイメージしかないなあ。まあ、家は茶屋だから、誰も吸う人がいなくて、慣れてないだけかもしれないけどな」
「俺の家にも吸う人はいない。ただ、たまに学校の先生が煙臭い時はある」
化学の担当教師が、化学室で煙草を吸っているというのを聞いたことがあった。両親が煙草を吸っている友人の話によると、吸っているのは明らからしい。
「でも、『記憶』に残るのは煙管なんだよな?」
煙管が『記憶』に残りやすい理由は、煙管を吸っている人が珍しく、一目見ただけでも印象が強い。『匂い』は紙煙草より煙臭さが少なく、好みが分かれやすい、と書いてある。
「これで分かったか?」
「おう、ばっちりだ。でも、効果時間がどうとか、言ってなかったっけ」
「それについては……ああ、これだな」
効果時間の持続は、香水、紙煙草、煙管の順に長い。香水は種類にもよるが、一番長くて五~七時間ぐらいで、『記憶』に残りにくい理由は、付けているのかどうかを『匂い』でしか判別できないから、と書いてある。
「確かに、鼻が詰まってたら『匂い』なんて分からないよなあ」
「そういう問題か?」
紙煙草は『匂い』が服に染み込みやすいが、煙臭さが目立つため、それ以外の印象が残りにくい。それに対して煙管は、紙煙草より一服の時間が短く、独特な『匂い』が吸っている時に残る、と書いてある。
「それって、吸っている時間が問題なのか?」
和文が頭を悩ませていると、京子さんが裏口から顔を覗かせた。
「一つ言い忘れていたよ。あたいの力には、『煙』を出さないと発動できないものがあるんだ。何かは言えないけどねえ。それだけだよ。邪魔したね」
そう言って、京子さんはまた戻っていった。
「だそうだぞ」
「へえ、難しい力だなあ」
まあ、良くも悪くも、強い印象が『記憶』となるわけだ。
俺は相変わらず、天音の家で勉強を教えていた。
「うわーん、終わらないよー!」
「いいからやるんだ」
「こんなの『時間』がいくらあっても足りないよ!」
そうだ、この状況、和文の力でどうにかならないだろうか。
「仕方ない、助っ人になるかは分からないけど、呼んでみるか」
「え、誰かいるの?」
というわけで、和文に電話をして、天音の家に来てもらった。
「これが、傑の幼馴染……」
「なんか文句あるのか」
「いやあ、こんな可愛い子が幼馴染だなんて、羨ましいなあと思って」
俺は長年一緒にいるからか、天音の可愛さはよく分からない。
「傑のお友達なんて初めて! 伊豆天音です、よろしくね」
「お、おいらは桐谷和文っす! よろしくっす」
お互いの自己紹介が済み、早速本題に入る。
「えーっと、和文くんが勉強教えてくれるの?」
「いやあ、おいらに勉強なんてできないっすよ。な、傑?」
そんな自信満々に言われても困るんだが。
「あー……じ、実は和文はまじないが出来るんだよ……!」
「え? あ、そ、そうかもしれないっすねー……なんて」
苦しい、言い訳が苦しすぎて、息も苦しくなりそうだ。
「そうなの? 私楽しみ!」
天音が単純な奴で良かった。俺たちは小声で話し合う。
「和文の『時間』の力を、どうにか使えないか?」
「急に何を言い出すかと思えば、それが出来るなら自分で使ってるよ……!」
確かにそうだ……なんで気づかなかったんだろう。
「んん! 天音、やる気が出るまじないを和文にかけてもらうと良い。きっと効くぞー」
「本当に? 和文くん、お願いしてもいいかな?」
和文が気まずそうな顔をしている。すまん、今だけ耐えてくれ。
「んー……んん! 天音ちゃんの頼みなら、おいら頑張るっす! さあ、おいらの手を握って、『やる気が出ますように』って信じるっすよー」
「はーい。やる気出ろおー」
俺たちは茶番を繰り広げ、和文には無事帰ってもらった。
「ま、まあ、役に立ったかは……」
「なんかやる気出てきたー!」
天音は謎にやる気を出して、全く進まなかったプリントを全て終わらせていた。
やる気を使い果たし、天音がぐっすりと眠っている間、俺はまた夜の神社に来ていた。神社の階段に、和文が座っている。
「傑、今日はやってくれたな?」
「本当にすんませんでした」
とりあえず今日のことは忘れてもらって、俺たちはゆっくりと話し始めた。
「おいらさ、京子さんに出会うまで、自分が特別な力を使えるなんて知らなかったから、感謝してるんだよ。もちろん、今は傑にも」
「なんだよ改まって」
「だって、俺の過去の違和感が、二人には通じるから。何か他人と違うって、一度そう感じたら生きづらいだろ?」
楽観的な和文だが、誰も気づかないところでずっと不安を抱えてきたんだろう。おかしいと思ったことを誰にも相談できないのは、本当に辛いことだ。
「いいんだよ。人を知らないとそうなっていくだけなんだ。俺たちはもう『井の中の蛙』じゃない、これからでも変わっていけるさ」
「そう、だな。んじゃ、今日も話聞いてくれよ」
結局それが目的だったのか。まあ、俺も勉強になるから嫌ではない。
「分かった分かった。話してみろよ」
和文の実家は茶屋で、入り口にはいつも花を置いていた。そして、その花の手入れをしていたのは和文だった。
「母ちゃん、水の入れ替え終わったー」
毎日同じ時間に花瓶の水を替える、ただそれだけの仕事。しかし、和文は花の様子に違和感を覚えていたという。
「なかなか枯れないなあ」
「きっと、和文が丁寧に水を入れ替えているから、花が長生きしたがっているんだよ」
和文の母はそう言うが、いつまで経っても花は生き生きしていたのである。
「これって、やっぱり『止まって』たのかな」
「いや、『戻って』いたんだ」
俺がそう考えた理由は、『止まって』いたのなら、常時発動していなければ少なからず変化が現れるはずで、ずっと生き生きしていたということは、毎日水を替えるとき、花に触れた瞬間に時が『戻って』いたと考える方が自然だと思ったからだ。
「そっちのパターンか」
「前回見せてくれた『タイムリターン』、それを知らず知らずのうちに発動していたんだろうな」
「そりゃ、枯れないわけだな。でも、どうしてつぼみまで戻らなかったんだ?」
当時の和文は力の存在に気づかずとも、それを使えていたわけだが、まだ力が小さかったおかげだろう。
「俺も幼い頃は、ちょっと『雨』を降らせるだけだった。それと同じだよ」
「なるほど、納得した」
和文の過去には、力を読み解くヒントがまだまだありそうだ。