第六話『クロネコ』
天音の家にて、泊まり込みで勉強漬けの毎日を過ごしていた俺は、またしても夜の神社に来ていた。
「誰も、いないな……」
辺りは静まり返っている。和文は来ていないみたいだ。
「こんなところに子供一人、何をしているんだい?」
「え、誰ですか?」
暗闇の中に、誰かの影が見える。『霧』は出ていないはずだが、その姿はぼんやりとしている。
「僕はねえ、『クロネコ』さあ」
どこかで聞いた覚えのある、黒猫……?
「あなたこそ、何をしているんですか」
「夜の『クロネコ』は、やっぱり怖いかい?」
不吉なイメージの黒猫。『クロネコ』と名乗るその人をよく見ると、全身黒い服にフードを被っている。そして顔には、猫のお面をつけているようだ。
「ふざけてるんですか」
「君の力、実は僕も使えるのさ。ほら、見てごらん」
俺の力、『天気』を操る力のことか? そんなこと、ありえるはずがない。
「それ以上何か言うなら……」
「濃霧」
その言葉で濃い『霧』が、一瞬にしてかかった。
「ど、どうして……」
俺の警戒心は上がり続けていた。最も違和感を覚えたのは、何の動作もなく、言葉を発しただけでこの『霧』を発生させたということだ。
「どうしてって、僕は本物の『神』だからさ。なんでも使える、なんでも出来る」
「あなた、いや、お前からは嫌な気配がする」
こいつが『神』を自称するなら、『神の力』を称されてきた俺たちの力を全て使える可能性が高い。しかもそれは同等にではなく、上位互換だ。
「君、三船京子を知っているねえ? あの子、少し厄介だからさあ、僕と会ったこと伝えといてよ。今日はもう帰らせてもらうから」
「ああ、知っている。だけど、俺はお前を帰すつもりはない」
勝てる保証はどこにもない。しかし、やらなければいけないと直感した。
俺は両手を組み、静かに祈る。
「界雷」
神社の境内に『雷雲』が発生。『クロネコ』は空を見上げている。
「おお、あくまでも対抗しようと言うんだね。いいよいいよ、見届けようじゃないか」
余裕そうなその態度、気に食わないな。
「落雷」
この言葉を発した瞬間、光が『クロネコ』めがけて直下する。位置は正確、普通の人であれば絶対に反応できない速度だ。
「君、恐ろしいことするじゃないか」
「効いていない……?」
いや、効いていないんじゃない、当たっていないんだ。『雷』は『クロネコ』の頭上ギリギリで止まっている。
「そうだ、すっかり忘れていたよ。君のお友達はこう言うかな? 『タイムストップ』ってね」
「お前……!」
確かに速度はいつも通りだった。俺は一つの仮説を立て、それを証明するためにその辺に落ちていた石を、『クロネコ』に向けて投げつけた。その石はやはり当たることはなく、直前で止まっていた。
「おっと、やけくそかい?」
「やっぱり、そういうことか」
こいつは瞬時に『時間』を『止めた』のではなく、自身の周りだけ、既に『止めて』いたのだ。
「僕の発揮している力を見抜くなんてね、君も少しだけ厄介そうだ」
「本当にお前は、『神』だと言うのか?」
「最初からそう言っているじゃないか。さて、遊びは終わり、そろそろお暇させてもらうよ」
逃がさない、逃がしたくない。しかし、その願いとは裏腹に『霧』は一層濃くなっていく。
「待て、まだ話は終わっていない!」
俺が叫んだ時、『霧』はきれいに晴れ、そこに『クロネコ』の姿はなかった。
翌日、俺は京子さんに起きた事全てを話した。
「わざわざ接触してくるなんてねえ、傑、怪我はなかったかい?」
「俺は大丈夫だ。特に被害も出ていない。でも、そろそろ本当のことを話してくれないか」
京子さんは黙って考え込んでいる。
「あれ、姐さんと……傑? そんな怖い顔して、何話してるんだよ」
買い出しから帰ってきた和文が不思議そうな顔で、こちらを見つめている。京子さんは、深いため息をついた。
「かずも座っておくれ。大事な話があるんだ」
「大事な、話っすか」
堅苦しい雰囲気に、和文は息をのんだ。
「今話せるのは、『クロネコ』は敵ということだけさ」
和文は何が何だか分からない様子だ。
「そ、それだけっすか? てか、誰っすか」
「自称『神』の、頭のおかしい奴だよ」
俺は昨日起きた事を和文にも話した。
「傑の『天気』も、おいらの『時間』も操れる奴かあ」
「和文も、出会ったら気を付けてくれ」
「特訓、頑張らないといけないってことだな!」
全然怖気づいていないところが、もはや和文の長所と言える。
「こんなことに巻き込んじまって、申し訳ないねえ」
「いいんだ。むしろ、あんなの放っておいたら大変だろう」
「そうっすよ。せっかくの力なんすから、盛大に使ってあげないとっすね!」
京子さんの『記憶』の力は別として、俺たちの『天気』と『時間』については、まだまだ分からないことだらけだ。制限だって多すぎるし、やれることが少なすぎる。
「そう言ってもらえて、あたいは嬉しいよ。かず、傑。あたいのために、いいや、あたいたちのために、もう少し頑張ってくれるかい?」
俺と和文は、お互い顔を見合わせ、同時に頷いた。
「そうとなれば……」
「特訓だな!」
大変な日々はこれからのようだ。
「そうだ、傑にはちょいと話があるから、かずは先行ってな」
「分かったっす!」
和文は足早に店を出ていった。俺だけに用事とは、なんだろうか。
「話って……」
「話というか、『記憶』を見せてほしいのさ」
京子さんの『記憶』の力について言及したことはないが、初めて出会った時に、俺に絡んできた不良に対して、俺に関しての記憶を『消した』ということだけは覚えている。
「見ることもできるのか」
「あたいの力を簡単に説明するとねえ、『消す』『見る』『変える』くらいのことは出来るよ」
それだけだと大したことのない力に聞こえるが、前回の通り、生きてきた上で経験してきた全ての事が『記憶』として結びついているのだから、可能性は未知数だ。
「別に見るのは構わないけど、『クロネコ』についてはさっき話したのが全部だぞ」
「そのことじゃあないんだ。傑だけには、伝えとこうかね」
京子さんはまた真剣な顔になった。
「和文には、言わないのか?」
「あの子に言ったってすぐに理解出来ないだろうさ。馬鹿にしているわけじゃないけどねえ、混乱させても可哀そうだから」
「そうか。なら、俺だけが聞くよ」
まあ、どんな話かは置いといて、何においても感覚的に過ごしている和文に、口で説明するのは結構大変な事だろう。
「あたいはね、『見た』記憶は『覚える』ことができるのさ」
「それは、当たり前のことじゃないのか?」
「確かにただの『記憶』を覚えるのはごく自然なことだ。でもねえ、『神の力』を『記憶』として見たらどうなると思う?」
それはまさか、俺の力を『覚える』ということなのか。
「ちょっと待て、そんなのあまりにも強すぎる。それが出来るのに、なんで『クロネコ』を倒しに行かないんだ。なんで俺たちの力を借りる必要がある?」
「あくまで『記憶』は『記憶』、本物にはなりえない。だから、本物を扱う『クロネコ』には、一人では勝てないんだよ」
そうだとしても、十分な気がする。でも、京子さん本人が勝てないと言うのだから、何も知らない俺が口出しできることではない。
「分かった。いいよ、それが京子さんの役に立つことなら」
「ありがとう、傑」
京子さんは俺の頭にそっと手を乗せた。その時間はたったの数秒。『記憶』とは、一体どんな風に見えているんだろうな。
「もういいのか?」
「ああ。傑は相当努力してきたんだねえ。しっかりと整理された『記憶』だったよ」
なんとなくだが、和文の『記憶』は散らかっていそうだ。
「見やすかったなら良かった」
「さあ、もうお行き。かずも待ちくたびれている頃だろうから」
俺は京子さんの優しい見送りの笑顔を見た後、店の裏庭で待つ和文の元へと向かった。
案の定、和文はサボっていた。
「おー、話は終わったのかー」
「終わったのかじゃない、何サボってるんだ」
「いやあ、やる気起きなくて。あと、ずっと気になることがあるんだよ」
和文の、やる気がある時とない時の差が激しいのはいつものことだが、気になることとはどういうことだ。
「俺にか?」
「いや、京子姐さんに」
京子さんにまつわる事、まあ、思い浮かばなくはない。
「もしかして、煙管?」
「きせる……ああ、そんな名前だっけ、あれ」
今まで知らずに気になってたのか。益々どういうことなんだ。
「で、何が気になってるんだよ」
「え? いやあ、姐さんってずっとあれ吸ってるじゃんか? そんなに美味しいのかなって」
「それ、本人に直接聞けば良くないか?」
確かに俺も少し気になってはいたけども、和文はともかく、俺は未成年だ。確かめる方法は本人に聞くしかない。
「あんたたち、まだ話してるのかい?」
京子さんが見かねて出てきたようだ。
「あ、丁度いいところに。姐さん、そのいつも吸ってるのは、美味しいからっすか?」
「なんだいいきなり。まあ、好きで吸ってるのはあるけどねえ、別にそれだけが理由じゃあないよ」
好きと言っても、さすがに一日中吸っているわけではない、と思う。少なくとも、食事の時は吸っていない。
「じゃあ、なんでなんすか」
「力を使うのにね、役に立ってくれるのさ」
意外、ではなかったが、どう役に立つのだろう。
「煙管を吸っている時じゃないと、力が発揮できないのか?」
「傑は極端だねえ。さすがにそんなことはないよ。でも、間違いでもないかねえ」
「どっちなんすか!」
分からないことがありすぎて、余計に分からなくなってきた。『記憶』に関することなのは確かなのだが。
「そう急かさなくても、教えてあげるさ。煙管や煙草は『匂い』がよく付く、そして、『匂い』は『記憶』に強く残るもんなんだよ。分かったかい?」
「んー、なるほどっす!」
和文のこの反応、絶対に理解しきれていない。しかしながら俺も、京子さんの言うことに全て納得できるわけではなかった。
「傑は、まだ何か言いたげだねえ。じゃあ、少しだけ授業をしようか」
この機会に、京子さんの力が少し理解できるかもしれない。