第四話『狐の嫁入り』
俺たちが起こした本当の奇跡、それを一から説明しようとなると、結構時間がかかる。
「いいからおいらに説明してみろって」
「和文に理解できるかどうかわからないけど、まあ、いいか」
「よし、望むところだ!」
前回のあらすじというと、天音が『霧』のかかった日に、家の窓から川に小舟が浮かんでいるのを見た。しかし、それを俺に報告した時には『霧』は晴れ、小舟は浮かんでいなかった。
「で、幼馴染が見たものを証明するために、俺はわざわざそいつの家に泊まって『天気』を操って同じ状況を作り上げたんだ」
「傑も苦労してんなー。おいらには耐えられねえよ」
「まあ、力の練習にもなるし、そこは特に気にしてない」
同じ状況、具体的に言うと、『霧』の発生条件として直前に『雨』が降らせ、自然発生してくれればよかったのだが、さすがにそこまでの奇跡は起きなかったため、俺が春の『霧』、『霞』を発生させた。
「とりあえず、上手くいったってことだな」
「ああ、小舟も実際見えたしな」
「じゃあ、川に浮かんでたのか?」
俺と天音は河川敷に確認に行ったが、俺の力の有効範囲に届いておらず、河川敷の少し前の時点で『霧』は晴れていた。そして、小舟の代わりに浮かんでいたものは、ボート部が使っていた水上フラッグだった。
「詳しくは説明しないが、俺たちは幻影、『蜃気楼』を見ていたんだ」
「しんきろう? うーん、よく分かんないけど、小舟じゃなかったんだな。それで、結局何が奇跡なんだ?」
「ああ、それはな……」
俺は『天気』を操り、奇跡を無理やり作り出した。しかし、天音が最初に見た蜃気楼もまた、俺の力が関係していたのである。
「傑、あの日何かしたのか?」
「ほら、特訓で見せた『狐の嫁入り』だ」
「そういえば、『雨』降らせてたっけ」
あの日、『晴れ』に『雨』を降らせた。『狐の嫁入り』が晴れた後、それは『曇り』となり、翌朝に『霧』が自然発生した。そしてその範囲は、意図せず証明の日と被っていたのだ。
「理解できたか?」
「お、おう! 分からん!」
「そうだろうと思ったよ」
つまり、俺が『狐の嫁入り』を発生させなければ『霧』は起きず、天音が小舟を見ることはなかった。仮に『霧』が起きていたとして、力の範囲が河川敷まで及んでいれば、『蜃気楼』が起きることはなかった。まず、ここまでで奇跡が起きている。
「おお! なんかすげえ!」
「まだあるぞ」
その奇跡が起きた上で、『蜃気楼』だと分かる前にこれと全く同じようにするのは、力を使ったとしても至難の業だったというわけで、今回の事は全て偶然が引き起こした本当の奇跡だったのだ。
「奇跡って難しいんだなあ」
「ふう、俺も説明し疲れたよ」
「今日は特訓終了ってことで!」
都合のいい奴め、そんな呑気な事を言っていると、ろくなことにならないぞ。
「おやあ? そんな簡単に終わらせていいと思っているのかい?」
俺たちの後ろで目を光らせていたのは、京子さんだった。
「ね、姐さん! これはかくかくしかじかで……」
「和文、諦めるんだ」
「あたいが良いと言うまで終わらせないよ!」
ほーら、言わんこっちゃない。
俺たちは夜までしっかり特訓する羽目になった。
翌日、疲労が限界を迎えようとしていた。
「傑、今日は一段と静かじゃん」
「俺は天音と違ってなあ、やることも考えることもいっぱいあるんだよ」
「またそういう言い方する」
天音は機嫌が悪そうだ。
「そっちこそ、楽しい話の一つでも出したらどうだ?」
「そんなこと言ってられないよお。だって、来週から……」
「自己診断テスト、だもんな」
学生の本分と言えば、もちろん勉強。俺はともかく、天音が苦手中の苦手とすることだ。
「いーやーだー! もう勉強したくないよー!」
「いい歳して駄々をこねるな。今まで学んできたことが、そのままテストで出るだけじゃないか」
「嘘だ! 絶対難しくしてるに決まってるもん……」
そもそも天音は勉強をしていないことが問題なのだが。
「はあ、もう三年目だぞ? 毎回遊び呆けているからそんなことになるんだ」
「じゃあ、一緒に勉強して」
「今更かよ。いつも俺から誘ってるのに、その都度「大丈夫」って言って断るのは、どこのどいつだ」
天音の両親はどう思っているのか。こんな勉強嫌いの娘をもって、さぞかし苦労していることだろう。
「お母さんもお父さんも、「勉強以外にも道はある」って言うから甘えちゃうんだ!」
それは、『勉強しなくていい』という意味では絶対にないと思う。
「分かった。今回はそうならないように、俺がずっとそばで勉強見てやる。それなら文句ないだろ?」
「ってことは、またお泊り?」
「いや、泊まるとまでは言ってない」
天音は頬を膨らませ、また不機嫌そうにする。この顔を見るたびに、仕方ないなあ、と思ってしまう俺も俺でおかしいのかもしれない。
「分かったから、そんな顔するなよ……。俺も鬼じゃないからな、テスト週間が終わるまで泊まりでいい」
「やったー! じゃあ、今日一緒に帰るってことで!」
「はあ、了解」
ただ、テスト週間に泊まりで勉強漬けになるだけだ。いかがわしいことは何一つないし、力を使うようなことは起きないだろう。多分。
あー、あれからどれだけ時間が経っただろうか。勉強って、詰め込むもんじゃないと改めて実感している、今日この頃。
「すーぐーるー。お腹空いたー」
「いいからその計算式を解け」
「やだー、お腹が空いて力が出なーい」
聞き覚えのあるフレーズを口ずさんでいる天音。いや、分かってはいたんだ。期待した俺が悪い。
「なあ、今日の朝に話したこと、覚えてるよな?」
「うん! テストが終わるまでお泊りパーティー!」
「違うだろ! 何を聞いてたんだお前は!」
驚くかもしれないが、実際あれから一日も経っていない。ありえないほどに時間が止まって感じるし、天音の勉強は一ミリも進んでいない。
「傑が怒ったあ、やだあ」
またあの顔だ。「私、不機嫌ですけど」っていう顔。
「分かった! 何が食べたいんだ? 急いで買ってくるから言え。その代わり、絶対にその計算式だけは解いてもらうからな」
「えー、うーん、仕方ないかあ」
仕方ないのはこっちだ……!
「ほら、早く」
「傑の手料理が食べたい」
「……は?」
何だろう、和文のタイムストップを受けた時のような感覚になった。
「だから、傑の手料理が食べたいんだってば」
「え? 本気で言ってる? 冗談じゃなくて?」
信じられない、どうしよう、頭に情報が入ってくれない。
「冗談でこんなこと言わないよー」
こいつは酒でも飲んだのか? それぐらい、天音はふざけた調子でけらけらと笑っている。
「面倒だから却下だ」
「じゃあ、勉強しない」
「それは話が違うだろ……」
これは埒が明かない。また頬を膨らましてやがる。まあ、でも、俺も腹減って来たな……。
「何作ってくれるの?」
「はあ、俺も腹が減ってるから作るんだからな! 炒飯が無難かな」
「炒飯! 楽しみ!」
なんか、家庭教師として来たのに、家政婦として働かされてます、みたいな、そんな理不尽を今受けている。
文句を言いつつ、俺は炒飯を作り終えた。
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
うん、即席にしてはよくできている。自分で言うのもなんだが、美味い。
「美味しい!」
「それなら良かったよ。さあ、食べ終わったら、分かってるだろうな?」
「うう、ちゃんとやるってばあ」
炒飯を食べ終わり、天音の勉強は何気に捗っていた。
「今日はこの辺にしとくか。明日も学校がある」
「やっと終わった……」
捗っていたと言っても、数学しか進んでいない。
「明日は現代文だ。それが嫌なら、英語か地理だな」
「全部嫌い。とりあえずもう寝る!」
逆に好きな教科なんてあるのか。
「俺はちょっと外の空気を吸ってくるよ。大人しく寝ろよ」
「分かってるー」
天音はベッドに倒れこんだ。その瞬間、すーすーと寝息を立て始めた。
「早すぎだろ……」
俺は寝てしまった天音に布団を掛け、散歩に出かけた。
夜に出かけるのは、昔からよくあることだった。
「あれ、傑じゃん」
「和文?」
月明かりが照らす、神社の境内でばったり、和文と出会った。
「何してんだ?」
「散歩」
「丁度いい、今日は特訓してなかったから、今からやろうぜ」
俺の苦労も知らず、おめでたい奴だ。
「じゃあ、和文から先にどうぞ」
「いいのか? 今回のは特にすげーからな! 手伝ってくれ」
「何をすればいいんだ?」
和文は俺に、その辺に落ちている石を投げるように指示をした。
「しっかりおいらを狙えよ?」
「ああ、当ててやるよ……!」
「来い!」
和文が両手でそれぞれOKサインを作り、Oの部分を前後で重ねる。俺は和文に向かって、小さい石を思いきり投げつけた。
「ピンポイント・タイムストップ!」
「お、おお?」
「どうだ、すげーだろ」
石が空中で見事に止まっている。自慢気の和文に、ちょっとだけ腹が立つのはなぜだろう。
「それ、いつまで続くんだよ」
「え、それは分かんねえけど、解除なら出来るぞ」
「ちょっと待て、そのまま解除したら……」
和文が指をパチンと鳴らす。投げた時と同じ速度で動き出した石は、思いきり和文の眉間にヒットした。相当痛かったようで、その場にうずくまる和文。
「痛ってー……」
「言わんこっちゃない」
「つ、次は傑の番だぞ……」
痛そうな和文を横目に、俺が見せるのは、ちょっとした言い換えみたいなものだ。
俺は両手を組み、静かに祈る。
「朧」
神社の境内に『霧』がかかり始めた。
「これ、あの時と同じ……『霞』か?」
「この前、夜に『霞』を試したら出なかったんだよ。それで色々やってみた結果がこれだ」
春の『霧』のことを『霞』、そのうち夜に出るものは『朧』という。
「へえ、頑張ってんのな」
「和文こそ、よくやってるじゃないか」
ちなみに、『朧』は『霞』と同様、直前に『雨』が降っていたことが条件だ。
「なんか、夜の方が綺麗だな」
「朧月夜なんて言葉もあるくらいだからな。それが一つの情景として成り立つのさ」
これで少しは疲れもとれただろう。