第三話『霞』
桜が咲き、台風は去り、大雨と強風の後は、深く深く霧がかかる。
「傑! おいらのタイムストップを直に受けるとどうなるか、気になるだろ?」
和文との特訓中、急に理科の実験のような話になった。
「いや、まあ、確かに気になりはするが」
「じゃあ、受けてみろ!」
「待て待て、いきなり実践に移すんじゃない」
俺の制止も聞かず、和文は両手で輪っかを作り、超至近距離でタイムストップを発動した。
「ま……」
一瞬頭が真っ白になる。気が付くと、目の前で和文はくすくすと笑っていた。
「お前、大きな口開けながら固まってたぜ」
「そんなに笑うことじゃないだろ」
「おいらのタイムストップはな……とにかくすごいんだ!」
何の説明にもなっていない。多分、何をしたらどうなるのか、本人はきちんと理解していない。
「じゃあ聞くけど、タイムストップは手をその形にしないと発動しないのか?」
「あー、そうだな。色々やってみたらこうなった」
持っている力を外に出すためにはイメージが大事になってくる。俺の場合、何をどうしたいか、例えば、『晴れ』を『雨』にしたい、という具体的なイメージが必要なのだ。
「なんで輪っかなんだ?」
「なんでって、時計って丸いだろ? んで、時計の時間を設定する時も、丸いネジ回すだろ? そんな感じだ!」
なるほど、和文の『時間』に対するイメージが『丸い』で統一されている結果、手で輪っかを作ることが条件になったわけか。
「じゃあ、前回の『戻す』のはどうしてるんだ?」
「そうだなあ、時間を戻したいものを触ったら、勝手に戻る」
感覚操作にもほどがある。そんなんじゃいつまで経ってもコントロールなんて皆無だ。
「触る以外で『戻す』ことはできないのか?」
「んー、やったことないから分かんね」
こいつ……! 特訓する気あるのか?
「はあ、京子さんが不憫でならない」
「よく分からねえけど、一緒に頑張ろうぜ!」
これは、のんびり優しく教えている場合ではないな。
俺はふと思った。
『神の力』が俺たちに与えられた理由とは、いったいなんだろうか。
「傑! また考え事?」
「ああ、天音には関係ないことだ」
「何その言い方、ほんと、デリカシーないんだから」
この前苦労して桜を咲かせたというのに、俺の日常は一切変わらない。
「何言ったって怒ってるのは誰だろうな」
「傑が適当に私と話すからでしょ!」
幼馴染ではあるが、俺は未だに天音のことが分からない。『神の力』じゃなくて、人の気持ちを知ることが出来たら楽なんだがなあ。
「ごめんごめん。お詫びにこの前言っていたパンケーキでも食いに行くか?」
「え! いいの?」
いや、案外チョロいかもしれない。
「その、なんだ、『晴れ』たらな」
「えー、ずるい。今日行こうよ」
今日の天気は『曇り』、というか『霧』が立ち込めている。
「視界が狭いと危ないだろ?」
「確かに、仕方ないなあ。また今度にしてあげる!」
本当に、何様なんだか。
翌日、朝は相変わらず『霧』が通学路を覆っていたが、俺が学校に着く頃には完全に晴れていた。
「傑! 大変だよ!」
天音が教室のドアを勢いよく開け、俺の名前を叫ぶ。
「なんだよ、みんな驚いてるじゃないか」
「それどころじゃないんだって」
俺は天音に連れられ、肌寒い外に出た。
「もうすぐチャイム鳴るぞ? 一体どうしたんだよ」
「あ、あれ? 何もない……」
「何がだ」
遠くに川が見える。この前行った桜道がある河川敷だ。
「いや、ここからじゃないんだけどさ、家からあそこを見た時に、川に小舟が浮かんでて……」
「ん? 川の近くを通ってきたけど、そんなものはなかったぞ?」
「でも見たもん!」
こうなると天音は聞かない。
「寝ぼけてたんじゃないのか?」
「確かに起きたばっかりだったけど……見たんだもん!」
「そう言われてもなあ」
俺は困ってしまった。そんな子供みたいに駄々をこねられても、ないものはないのだ。
「『霧』の中に見えたのに……」
「そういえば、朝は『霧』が出てたな」
「そうだ! 明日も同じなら、傑にも見せられるかも!」
明日もって、まさか、明日も『霧』ならってことだろうか。
「でも、明日は朝から快晴の予報じゃなかったか?」
「え? ど、どうしよう……」
天音がうるうるとした瞳で見つめてくる。おいおい、変な期待をするんじゃない。
「言っておくが、俺は知らんぞ」
「そんなこと言って、何か考えがあるんでしょ?」
「はあ、本当にお前ってやつは……」
予報では、明日は朝から快晴。春の『霧』である『霞』は、たとえ俺の力を使ったとしても、特定の条件下でしか起こすことが出来ない。その条件は、直前が『雨』であること。
「私、嘘つきにはなりたくないなあ」
「分かった、分かったから。一緒に奇跡を願ってやるから」
「よし! そうと決まれば今日は私の家に一緒にお泊りだね!」
いや、なぜそうなる。
「天音の家に? 別に河川敷に集合で良くないか?」
「だって、私の家の、私の部屋の窓から見えたんだから、そこからじゃないと証明できないでしょ?」
「どんだけ見せたいんだよ」
天音の見た小舟が、特定の場所からでしか見えないのなら、確かにその方法しかなくなる。
「いいじゃん。それとも、何か不都合でも?」
「俺は気にしないけど、天音が気にしているかと思って遠慮しているんだ」
「私はむしろ大歓迎!」
ということで、俺は天音の家に泊まることになった。
俺の力について、当たり前だが、室内に『天気』を発動することはできない。それと、室内と屋外では有効範囲、持続時間、発生のタイミングに若干の差がある。
俺は両手を組み、静かに祈っていた。
「傑、何してるの?」
「ほら、『雨』が降るように奇跡を願ってるんだ。天音もやるか?」
適当にごまかしても、天音相手なら問題はない。
「やるやる!」
俺たちは窓の外に向かって、『雨』が降るように祈った。
力の発生条件として、的確なイメージ、その季節に応じた『天気』でないと発生しない。だが、それは即座に『天気』を変えたい場合であり、『晴れ』『雨』『曇り』というように曖昧なものは、一時間後、自然に変わらなかった場合のみ、ゆっくりと変化する。
「よし、寝るか」
「えー、まだ日付変わってないじゃん。お泊りっていうのは、トランプとか枕投げとか、色んなことするから楽しいんだよ!」
「修学旅行かよ。そもそも二人だけで、しかも男女だぞ」
世の中の認識で、幼馴染は恋仲になる、と思いがちだが、それは一種の洗脳だと俺は思っている。つまり、幼馴染だからといって絶対に付き合ったり、結婚したりするとは限らない。その例が俺たちだ。
「傑はつまんないことばっかり言う」
「そう拗ねるんじゃない。トランプぐらい、学校で毎日やってやるさ。枕投げは……学校に枕持っていくか」
「そういうことじゃない!」
また天音を怒らせてしまったようだ。いい案だと思ったんだが。
「じゃあ、俺は寝るからな」
「はいはい、私も寝ますよーだ!」
天音はベッド、俺は床に布団を敷いて、それぞれ眠りにつくことにした。
数時間後、『雨』の音が外から聞こえていたから、安心して大丈夫だろう。
翌日、朝早く目を覚まし、窓の外を確認する。その結果、『霧』は自然発生していなかった。天音が起きないうちに、こっそりと力を使うことに。
俺は両手を組み、静かに祈る。
「霞」
室内で力を使うと、有効範囲がその建物分縮まり、持続時間が一時間ほど短くなり、発生のタイミングも一時間ほどズレる。居る建物によっては力が発生しない場合がある。
「あれ、傑、もう起きてたの?」
「ちょっと目が覚めてな。それより、天音が見た小舟はあれか?」
「ん、ちょっと待って……まだ眠い」
呑気に寝られては困る。さっき説明した通り、この『霧』は長くは持たない。
「いいから起きろ。せっかく奇跡が起きたってのに」
「んえ? ってことは『晴れ』が『曇り』で『霧』が……? は! 早く確認しないと!」
なんて忙しい奴なんだ。
「ほら、あそこだ」
「ん-と、そう! あれだよ!」
天音の言った通り、川に小舟が浮かんでいる。ただ、俺は納得できない。
「今日だけかもな?」
「そ、そんなこと言うんだったら『霧』が晴れないうちに河川敷に行こう!」
「仕方ない。付き合ってやるよ」
俺たちは制服に着替え、河川敷へと向かった。しかし、そこには予想とは外れた光景が広がっていた。
「なんで……?」
「あー、なるほどな」
河川敷に着く少し前の時点で『霧』は晴れていた。天音の家の中から俺の力を使うと、ここは有効範囲外だったんだ。それに、川に小舟は浮かんでいない。
「で、でも、傑も見たもんね、小舟!」
「ああ、見たな」
そう、小舟は見えていた。なら、昨日と同じ状況は作れているはず。ということは、昨日もここに『霧』は存在していなかったのだ。
「じゃあ、どうして何も……」
「何もないわけじゃない、あれを見てみろ」
「ん?」
小舟の代わりに川に浮かんでいたのは、うちの高校のボート部が使っている水上フラッグだった。
「あれと見間違えたんだよ」
「あんな小さいの、家から見えるはずないじゃん! からかってるの?」
「多分、俺たちが見たのは幻影だ」
あくまで推測に過ぎないが、これは『蜃気楼』というものだろう。これは特定の条件下でしか見れない視覚現象だ。俺は天音に説明した。
「そんな奇跡、二日連続起きるの?」
「天音が起こせって言ったんだろ……」
「でも、まさか本当に奇跡だと思ってなくて、私は本当に小舟が浮かんでると信じてたんだもん」
どこまでも天音は純粋だった。
「ちょっと待て、今何時だ」
「あ! 学校遅れちゃう!」
慌てて腕時計を見ると、あと十五分でチャイムが鳴る時間が迫っていた。
「走るぞ!」
「ちょっと待ってよー!」
俺たちは学校へと全力ダッシュする羽目になった。時間にも惑わされてたら、シャレにならない。
春の『霧』である『霞』。それを発生させるための『雨』。今回それらを発生させたのは紛れもなく俺だ。しかし、天音には説明していない、本当に奇跡と言える理由があったのだった。