第十八話『ルール』
俺は『クロネコ』が作り出した『幻想』に閉じ込められていた。
「僕の力にも制限があってね、自分より身分が上だと思っている人にはルールが適用されないのさ」
母親に力が効かなかったのは、玄徒が母親を上だと認識しているからなのか。やっぱり『クロネコ』にも出来ないことがあるのだ。
「俺に教えて何になる?」
「僕を知れば、僕を批判できなくなる。人には『同情』っていう無駄な感情があるんだから」
「お前は自分を可哀そうだとでも思っているのか。勘違いするなよ、理由がどうであれ、人を殺していいなんてこと、ありえないんだよ」
深くため息をついた『クロネコ』は、またどこかへ消えてしまった。
「あいつ、何がしたいんだよ」
俺は分からないまま、その『幻想』を見るしかなかった。俺の目の前には、部屋で一人泣き崩れる玄徒がいる。
「どうして、母上、僕を褒めてよ、それが、ルールなんだよ……」
声を掛けようとしたが、ここにいるのは現実の人じゃない。あくまで『幻想』なのだ。
「そうだ……他のみんなを『統治』してしまえば、そうすれば母上も……!」
玄徒の思想が傾き始めたのは、この頃からだったのか。残念ながら同情なんかできない。人を見下し始めたら、やがて、自分のいる位置が分からなくなるから。
周りの景色にノイズが走り、目の前にいる玄徒は少し成長していた。中学生くらいだろうか、母親と話をしているようだ。
「母上、学校に行ってきます」
「まだいたの? 早く行きなさい」
母親の、玄徒に対する態度は相変わらずだった。玄徒は表情一つ変えず出かけて行く。周りの景色は学校へと移り変わる。
「君は転校生だね? 色々と分からないだろうから教えてあげよう」
「急に何なんだ。生徒会長が呼んでるっていうから来たのに、一年かよ」
玄徒は中学で生徒会長にまでのぼりつめていた。ネクタイの色が違う、転校生と言っていたが、相手の態度からして、玄徒より先輩なのだろう。
「この学校はね、僕が『統治』しているんだ。分かるかい?」
「お前、先輩に向かって敬語もなしとか、態度でかすぎじゃね。てか、『統治』とか意味分かんねえし」
「分からなくてもいいよ。今から言う三つのルールを守ってくれればね」
幼い頃とは別人のように、玄徒は椅子に座り、腕と足を組んでいる。
「は? それって校則?」
「いいかな? 一つ、僕の言う事は必ず聞くこと。二つ、僕に歯向かわないこと。三つ、僕には敬語で話すこと。それがルールだよ」
「……分かりました」
何度見ても恐ろしい力だ。あっという間に手玉に取ってしまった。『クロネコ』はきっと、これだけでは満足できなくなっていったんだ。
また景色は移り変わる。生徒同士が喧嘩している。
「お前が先に手出してきたんだろ!」
「そっちが舐めた態度してるからだろうが!」
「君たち、どうしたんだい?」
その喧嘩に玄徒が割り込んだ。
「せ、生徒会長……」
「こいつが急に殴ってきて……」
「それはいけないねえ。でも僕は今来たばかりだから、状況がよく分からないなあ。そうだ、ここは和解ということでどうかな?」
玄徒は生徒たちに優しく問いかける。その笑顔はどこか気味が悪かった。
「生徒会長がそう言うなら……」
「そうします……」
「よし、じゃあ僕は失礼するよ」
簡単にその場を治めてしまった。こんなものが、本当に『統治』と言えるのか。生徒会室に戻ろうとする玄徒を先生が引き留める。
「さすが生徒会長じゃないか。君が生徒会長になってから生徒同士のいざこざがなくなってきている。これからもよろしく頼むよ」
一瞬顔が引きつった玄徒だったが、再び気味の悪い笑顔に戻り、穏やかに言葉を返した。
「それは喜ばしいことだ。それより先生、次から僕には敬語で頼むよ。それがルールだからね」
「わ、分かりました……」
こんなの絶対におかしい。先生さえも言いなりにしてしまうなんて、力がどんどん大きくなっているのかもしれない。
景色は再び、玄徒の家に戻る。
「母上、僕の言う事を聞いて、それがルールだよ」
「またおかしなことを言っているの? いいから勉強してきなさい」
母親にはどうしても効かないようだ。
「はあ、もういい」
「まだ何か用があるの? 早く部屋に……」
「母上のせいで、また一つルールが使えなくなったじゃないか」
玄徒は、母親の腹部にナイフを突き刺していた。
「な、なにこれ……これは、なんなの……?」
「僕を褒めない、母上が悪いんじゃないか」
澄ました顔で、刺さったナイフを思いきり引き抜く玄徒。だいぶ前から、心は壊れていたんだろう。
「面倒だし、このままでいいよね」
血まみれの母親の死体を放置し、玄徒は部屋へ行ってしまった。慌てることもなく、無表情で勉強をしている。数時間して、部屋の外から男性の叫び声が聞こえた。
「玄徒! いるのか! 弓子が……弓子が!」
「うるさいなあ、耳障りだ。あ、そうだ」
机に放りだしていた血まみれのナイフを手に取り、洗面台へと向かう玄徒。
「やっぱり時間が経ってるから取れない。仕方ない、予備を使おうっと」
「い、いないのか! 返事をしてくれ玄徒!」
叫び声は響き続けている。玄徒は別のナイフを持ち出すと、やっとその男性の前に姿を現わした。
「やあ、父上。おかえりなさい」
「く、玄徒? 無事だったのか! 弓子がリビングで……し、死んで……!」
「無事だった? それ、僕がやったんだよ」
隠す気のない玄徒。その瞳に、悪意などひと欠片もない。
「お、お前……自分が何したのか分かってるのか!」
「何って……母上が僕の言う事を聞いてくれなかったんだ。ひどいだろう?」
「それだけのことで殺したのか……?」
父親はいつも仕事でいないと言っていた。家庭を見てこなかった父親には、玄徒の気持ちも母親の冷たい態度も、分かりようのないことだった。
「はあ、父上も分かってくれないのか。僕に歯向かわないこと、これがルールなんだけど」
「ふざけたことを言うんじゃない!」
「あーあ、また一つ、ルールが使えなくなった」
母親の時と同様、玄徒は躊躇なくナイフを刺す。
「お、まえ……!」
「そんなに睨まないでよ。僕はその目が世界で一番嫌いだ」
玄徒の力が効かないのは、両親だったからなのか、玄徒が怯えていたからなのか、もう、確かめようはない。父親はその場に倒れこみ、息絶えた。
「さすがに、周りにバレたら余計面倒だ」
玄徒は黙々と死体を処理していく。細かく解体し、家の暖炉にくべ、その全てを燃やし尽くした。
「夏に暖炉は暑いなあ」
疲労感が見えるだけで、それ以上の感情が見えてこない。
「このままだと誰かが嗅ぎつけてくるかもしれない。そうだ、あの伝記に面白いことが書いてあったな」
部屋に戻った玄徒は、おもむろに棚から本を取り出して読み始める。
「そうそう、能力者が集まる村があるんだっけ」
これがきっかけで京子さんの村がターゲットになったわけか。本当に身勝手な理由だ。
「でもなあ、ただ行っても面白くない。何か、僕に得があるようにしないとね」
玄徒は悩んでいる。そして、閃いたのか紙に何か書きなぐる。
「これが、新しいルールだ!」
やけに達筆な字で大きく書かれたその文章を見たとき、俺はぞっとした。
「僕の手で殺した者の『神の力』を奪うことができる」
殺さなければいけないようなルールを作ったのは『クロネコ』自身だった。結局、快楽殺人者に変わりはなかったのだ。
「これは完璧だなあ。殺せば僕と同じ奴はいなくなる、僕が上に立てる、僕は『神』になれるんだ」
これで、あの惨劇へと繋がる、ということだ。何一つ同情するところなんてないじゃないか。
俺が放心状態で立ち尽くしていると、周りの景色はいつの間にか、元の森の中に戻っていた。
「終わったのか……?」
「やあやあ、僕の過去は楽しんでくれたかい?」
「お前はやっぱり、許してはおけないな」
やれやれと呆れたような態度を取る『クロネコ』に、俺は怒りが収まらない。
「おっと、ひと『雨』来そうだ。僕はこれで失礼するよ、じゃあね」
「ちょっと待て!」
俺の静止など聞かず、『クロネコ』はいなくなった。ぼーっとしている場合ではない、早くあの人を京子さんのところへ連れて行かなければ。俺は家のインターホンを押す。
「もう出てきて大丈夫ですよ」
「本当に? なんだか君、声が震えているけど」
「大丈夫です。それより森を抜けましょう」
俺は能力者の可能性がある男性を連れ、森を抜けた。
数時間後、俺たちは『KO-RO』に辿り着いた。そこには、京子さんが先に待っていてくれた。
「傑、おかえり。連れてきてくれたんだねえ、さすがだよ」
「あの、僕に用があるって……」
「詳しくは奥で話そう。そこの和室に入っておくれ。既に一人いるから、先に話でもして、待っていてほしい」
京子さんは男性を和室に案内し、お茶と和菓子を用意していった。
「二人は?」
「天音からは、これから連れて帰ると連絡があったよ。和文の方は……間に合わなかったそうだ」
「……そうか」
先に『クロネコ』は、和文の方に足を運んでいたみたいだ。俺も一歩遅ければ、同じようになっていたかもしれない。
「あたいは来てもらった人たちに事情を説明してくるから、傑はここでゆっくりしてな」
「分かった」
京子さんは和室に行ってしまった。『クロネコ』に見せられたものを、話すべきだろうか。俺はとりあえず、天音と和文を待つことにした。
さらに数時間後、天音が女性を一人連れて帰ってきた。
「傑! 先に帰ってたんだね。京子さんは?」
「奥の和室にいる。その女性を連れて行ってあげたらいい」
「了解! さあ、行きましょう」
女性は少し困惑していたが、天音と一緒に和室に入っていった。あとは和文だけだ。
数分後、和文が暗い顔で帰ってきた。
「ごめん、おいら、間に合わなかった……」
「和文のせいじゃない。何か、分かったことはあるか?」
「おいらが行ったときには、まだちょっと息があったんだ。その人は『光』を操れるって言ってた」
その後は警察と救急車を呼び、てんやわんやだったらしい。『クロネコ』が一つ、力を手に入れてしまった。