第十六話『覚悟の時』
京子さんはあれ以来、『書き換え』をしていないらしい。
「この力はね、より強く反映されるのさ。『記憶』を捻じ曲げれば、その分周りとのズレが生じる。それが起こりやすいのが『書き換え』だよ」
和文の『時間』と同じ、周りとのズレで悪影響を及ぼしてしまうことがある。あえて言うなら『メモリーパラドックス』といったところだろうか。
「その後、どうなったんだ」
「正兄はあたいと一緒に蝶姐を看取って、そのまま帰っていったよ。あたいは全ての手続きを終えて、葬式もやって、そして、一人になった」
本当に、京子さんの選択は正しかったのか。それは、もはや誰に聞いても分からない。京子さんは今度こそ、独りになったんだ。
「おいらと出会ったのは、偶然なのか?」
「いいや、成すべくしてなったのさ。能力者同士は互いに引き寄せられる、かずがこの町に来たのは偶然じゃないし、あたいは力を感知してあんたに近づいた」
「俺のことはいつから?」
京子さんが力の感知を出来ることは知っている。それは、前に話してくれたが、問題は、いつ気づいたかだ。
「傑は、かずと出会ってすぐぐらいに、この町にいることは知っていたよ。でも、名前も顔も分からない。ただ、力を持つ者がいるという情報だけね」
「そうか。探していたわけではないんだな」
「そうだねえ。『クロネコ』のことも、正直、復讐なんてことは考えていなかった」
それも気になっていたことの一つだが、そもそも、どうして『クロネコ』は京子さんを長年放置しているのだろう。
「京子さん、その、私まだよく分からなくて、『クロネコ』って……」
「そうだ、天音には話していなかったねえ。あたいの村に住んでいた人を皆殺しにして、みんなの力を奪ったのが『クロネコ』だよ」
「そんな人が、まだどこかで生きているなんて」
天音は少し震えていた。怖いと思うのも無理はない。それに、これから絶対に避けられない戦いが始まってしまうからな。
「そいつを倒せるのは俺たちしかいない。『クロネコ』は『天気』も『時間』も『精神』も操れる。他にも力を持っているだろうし、油断はできない」
「あたいは『クロネコ』について、村を襲った動機しか知らない。力の詳細は『記憶』では見えなかったんだ」
京子さんが俺の『記憶』を見たいと言ったとき、力の『記憶』を見れば、その力を『覚える』ことが出来ると言っていた。『クロネコ』の力の『記憶』を見れていたら、持っている力が全て使えるようになったかもしれない。
「それは、『忘れて』いるだけじゃないのか?」
「あたいが思うに、『覚え』られなかったんだろう。『クロネコ』が力の種類を持ちすぎているから、多分、『記憶』と違うところで力を管理しているのさ」
「一体何者なんだ」
俺は益々分からなくなっていた。力を使うにはイメージが必要になるはずで、『記憶』と違うところで管理するなんてこと、できるわけがない。
「傑、出来ないという固定概念は捨てな。きっと、奴はもうそういう次元にはいない」
「おいらたち、本当にそんな奴と戦うんすか……」
「あたいは謝ることしかできないよ。『クロネコ』を野放しにしてしまった。怖い思いをさせて、本当にすまないね」
申し訳なさそうに話す京子さん。しかし、こればっかりは誰のせいでもなく、全ては『クロネコ』が欲のために人殺しをしたという、事実があるだけだ。
「力を奪う力……?」
「それだと、なんで殺してるのか分からないよ」
俺の仮説は天音の意見によって消されてしまった。殺さなければいけない理由があったとでも言うのか。
「おいらたちみたいに、『クロネコ』にも代償がつくってことか?」
「同じ能力者だからねえ、かずの言う通り、『殺す』ことが代償と何か繋がっているかもしれないよ」
和文が意外にも的を得た発言をしている。京子さんも共感しているようだ。
「村の人たちを皆殺しにしたのは、力が欲しかったからで合ってる?」
「その通りだよ。この目でしっかり見たんだ、絶対に『忘れ』ない」
「どうして力が欲しかったのか、それも見たのか?」
目的があって人殺しをしているあたり、ただの愉快犯ではないということになる。もちろん、理由があったら人を殺していいなど、ふざけた考えには至らないが。
「それは、漠然としか見えなかった。あたいが見たのは、『神』になりたい、力が欲しい、そうすれば『神』になれる、そういう強い『記憶』だったよ」
「一つずつ、辿っていくしかなさそうだな」
俺は考える。『神』になりたい理由、人に絶望したのか、それとも自分自身か。京子さんが話してくれた『記憶』を思い出す。
「傑、どうした?」
「和文、もし『神』になりたいと思ったら、何をする?」
「急だな。うーん、おいらなら、とりあえず『神様』の真似をするかな」
その言葉を聞いて、俺ははっとする。
「それだ!」
「な、なんだよ」
「あいつの、『クロネコ』の『神様』像は、全てを持つ者、つまり『全能』だよ」
京子さんの『記憶』に出てきた『クロネコ』は言っていた。
「僕は『クロネコ』、全ての力を統べる『神』だ」
奴の真の目的は、この世界を『統治』することだったんだ。
「す、傑……? 私よく分かんないよ」
「こんなこと、分からなくて当然だ。俺だって、完全に理解できたわけじゃない。真実は、本人に聞かなきゃな」
「その言い方、傑、『クロネコ』がどこにいるのか見当がついているみたいじゃないか」
京子さんの言う通り、俺は奴が拠点としている場所が、どこなのか気づいた。
「あいつは、あの村にいる……」
「村から出ていないと言うのかい?」
「おそらく。だって、その村が『神』の始まりだから」
もし、『クロネコ』が村から出ていないとしたら、この町で姿を見ないのは当たり前だ。そして、蝶香さんの両親は、『クロネコ』に接触していると考える方が自然だろう。
「姐さん、村はどこにあるんすか?」
「村は……この町を抜けた山の奥、登山ルートから外れた雑草だらけの場所だよ。あれから村の前までは、一度だけ行ったことがあるからねえ」
「多分、『クロネコ』は俺たちを待ってる。どこまで把握してるのか知らないけど、自分が動くより、来てもらった方が早いと思ったんだ」
さあ、目星はついた。あとは準備をするだけだ。
「あたいが道案内をするよ。傑と天音の学校がない日にしようかね」
「よ、よろしくお願いします」
「よろしく頼むよ」
しばらく話をすると、俺と天音は店を後にした。
翌日、とりあえず俺と天音、和文の三人で力を見せ合うことになった。
「実はな、おいらはまた出来ることが増えたんだ!」
「やけに自信満々だな」
「私も見てみたい!」
この二人は案外、ノリが合うようだ。和文が片手に一輪のバラを持ち出す。
「まず、ここに花を用意するぞ」
「うんうん!」
「ほーら、よーく見てて……」
これは、なんだろう。拙い手品を見せられているような感覚になる。
「タイムスキップ」
和文が指を鳴らした瞬間、バラが一瞬でつぼみになった。
「すごーい!」
「そうだろう、そうだろう?」
「はいはい、すごいすごい」
天音が盛大に褒める中、俺は適当に拍手していた。それが和文の頭にきたようだった。
「なんだよう! こんなこともできるんだぞ!」
「え! まだ何かできるの?」
「天音……これ以上和文をおだてるのはやめてくれ……」
案の定調子に乗った和文は、『タイムスキップ』を繰り返し、時を前後に『飛ばし』て遊んでいたが、やがて『時間酔い』で力尽きた。
「うう、やり過ぎた……」
「だから、言っただろ」
「和文くん、大丈夫?」
これは若干天音のせいもあるだろ、と思ったものの、口にはとても出せなかった。
「じゃあ、次は俺だな」
「な、何を見せて……うう!」
和文は茂みの方に走っていった。念のため、天音の目は静かに手で塞いでおいた。
「んん! 気を取り直して、俺の番だ」
俺は両手を組み、静かに祈る。
「清夏」
少し『曇り』気味だった空が、爽やかに『晴れ』渡った。
「すごーい! 『晴れ』た!」
「はあ、はあ、本当だ、いつの間にか『晴れ』てる……」
やっと和文が戻ってきた。俺は気にせず祈り続ける。
「烈日」
日差しが強くなり、俺たちを激しく照りつける。
「あつーい……」
「と、溶ける……」
確かにこれは暑い。二人ともへたれ込んでしまったため、俺はまだ祈り続ける。
「涼雨」
ぽつぽつと『雨』が降り始めた。辺りは次第に涼しくなる。
「涼しい! 『雨』ってすごい!」
「でも、びちょびちょだあ……」
文句の多い奴を除き、天音は喜んでくれているようだ。しかし、このままでは風邪を引いてしまう。俺はもう一度、これまでよりも強く祈る。
「曇天」
黒い雲が広がり、『雨』は止む。その瞬間、俺は激しい頭痛に襲われ、その場に膝をつく。
「傑? 大丈夫?」
「あ、頭が……痛い……」
「おい! ダメだ、傑がここまでなるなんて初めてだ。おいら、姐さんを呼んでくる!」
痛みは治まらない。思えば、こんなに頻繁に『天気』を変えたことはなかった。しかも、前は一時間に一回程度しか変えられなかったはずなのに。
「傑、大丈夫かい? これは、しばらく休ませないといけないねえ」
京子さんの声がして、俺の意識は遠のいていった。
目を覚ますと、店のソファーで横になっていた。
「起きたのかい。かずと天音は裏庭だよ。あんた、力を使い過ぎたね?」
「ごめん、なさい……もしかして、これが俺の代償か……」
「まあ、代償が現れるまでやるのも、成長の証だけどねえ。今後はもっと上手くやりな」
京子さんは俺を強くは叱らなかったが、心配していることだけは分かった。俺も、もうこんなことにはなりたくない。
「和文と天音にも謝ってくる」
「無理はするんじゃないよ」
裏庭に出ると、二人が一斉に俺の方を向いた。
「傑! 大丈夫なのか?」
「もう頭は痛くない?」
「心配かけてすまない、次から気を付けるよ」
二人とも、なんだか距離が近い。よっぽど心配をかけたようだ。
「ほんと、ひやひやしたぜ」
「もう、私の力もいっぱい見てもらうんだからね!」
焦りは禁物ということが、身に染みて分かった。