第三十四話 旧友の助言と気づき
プロジェクトは、完全に暗礁に乗り上げていた。
どんなにデータを分析し、戦略を練り直しても、状況は好転しない。技術開発の壁も高く、解決策が見つからない。俺の焦りは募り、部署のメンバーにも、そして何よりも葵にも、八つ当たりをしてしまった。俺の心は、深い焦燥感と後悔で満たされていた。このままでは、全てを失ってしまうかもしれない。
ある日の深夜、俺は疲労困憊でオフィスを出た。東京の街は、煌々と輝いているが、その光は俺の心を照らすことはなかった。ただ、重く、沈んだ気持ちで、俺は人混みの中を歩いていた。
◆
その時だった。
繁華街の片隅にある、昔ながらの小さな居酒屋から、懐かしい声が聞こえた。
「あれ? 吉野じゃないか! こんなところで会うなんて、奇遇だな!」
振り返ると、そこに立っていたのは、大学時代の友人、田中だった。田中は、俺と同じ情報工学部に在籍していたが、卒業後はベンチャー企業を立ち上げ、自由奔放に生きている男だった。
「田中か…こんな時間に、どうしたんだ?」
俺の声は、疲労でかすれていた。田中は、俺の顔を見るなり、すぐに俺の異変に気づいたようだった。
「なんだ、その顔。死んでるじゃないか。何かあったのか?」
田中は、俺の腕を掴み、半ば強引に居酒屋へと連れ込んだ。俺は、断る気力もなかった。
カウンター席に座り、ビールを片手に、俺は田中と久々に語り合った。田中は、相変わらず飄々としていて、彼の明るさに、俺は少しだけ心が軽くなるのを感じた。
「お前、最近どうしてるんだ? 相変わらず、堅い会社で真面目にやってるのか?」
田中の問いかけに、俺は最近のプロジェクトの状況と、自分が抱えている焦り、そして葵とのすれ違いについて、正直に話した。話せば話すほど、俺の心に積もっていたものが、少しずつ吐き出されていくようだった。
◆
俺の話を黙って聞いていた田中は、ビールジョッキを傾け、静かに言った。
「なあ、吉野。お前、何のために、そのプロジェクトやってるんだ?」
田中の言葉に、俺はハッとした。
「何のためにって…会社のため、俺自身のキャリアのため、そして…葵との未来のためだ」
「そりゃ、そうだろうな。でもよ、お前、一番大切なもの、見失ってないか?」
田中の真っ直ぐな視線が、俺の心を射抜いた。
「お前は、いつもデータばかり見て、数字を追いかけてる。もちろん、それも大事だ。だが、そのデータに、お前自身の感情や、お前を支えてる人たちの気持ちは、ちゃんと反映されてるか?」
田中の言葉が、俺の頭の中で何度も繰り返される。
俺は、これまで、データと論理で全てを解決できると信じてきた。だが、プロジェクトが行き詰まり、焦りを感じる中で、俺は数字ばかりに囚われ、最も大切なものを見失っていたのかもしれない。
「お前が頑張るのはいい。でもな、一人で抱え込みすぎるな。お前には、信頼できる仲間がいるじゃないか。そして、何よりも、お前を心から支えてくれる、大切な人がいるじゃないか」
田中の言葉は、俺の心を深く揺さぶった。俺は、葵に「君には分からないだろう」と、ひどい言葉を言ってしまった。彼女は、俺を心配してくれていたのに。俺は、彼女の優しさを、全く理解していなかった。
「吉野、お前は昔から、真面目すぎるんだよ。もっと、周りを頼れ。そして、大切な人の言葉に、耳を傾けろ。きっと、そこに、お前が見つけられなかった答えがあるはずだ」
田中の言葉は、まるで目の前の霧が晴れていくように、俺の心を照らした。俺は、これまでずっと、一人で全てを背負い込もうとしていた。だが、俺には、信頼できる部下たちがいる。そして、誰よりも俺を信じ、支え続けてくれる葵がいる。
俺は、田中に深く頭を下げた。
「田中…ありがとう。お前のおかげで、目が覚めたよ」
居酒屋を出る頃には、俺の心は、来た時よりもずっと軽くなっていた。田中の言葉は、俺の凝り固まった思考を解き放ち、新たな視点を与えてくれた。
俺は、スマートフォンを取り出し、葵にメッセージを送った。
『葵ちゃん、今から会えないか? 大事な話があるんだ』
返信は、すぐに来た。
『はい! 吉野さん、大丈夫ですか? 今から行きます!』
俺は、もう一度、彼女に謝らなければならない。そして、もう一度、彼女の言葉に耳を傾けなければならない。俺は、新たな決意を胸に、葵が待つ場所へと急いだ。