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第二十九話:高瀬さんの変化

 葵との関係が公になってからも、俺の日常は順調に進んでいた。仕事もプライベートも充実し、特に『イノベーション推進室』の雰囲気は、以前にも増して活気に満ちている。社員たちの俺を見る目は、もはや疑惑の色はなく、信頼と尊敬、そして温かい応援へと変わっていた。


 そんな中、俺は最近、高瀬さんの変化に気づき始めていた。

 ◆


 以前から、高瀬さんは俺にとって、優秀な上司であり、頼れる相談相手だった。俺が窓際部署にいた頃から、常に俺を信じ、時に厳しく、時に優しく、俺を支え続けてくれた。佐藤の陰謀の際も、彼女の協力がなければ、俺はとっくに窮地に陥っていたはずだ。


 社長に俺と葵の関係を打ち明けた時も、彼女は俺たちの幸せを願ってくれているのが、その表情から見て取れた。だが、最近の高瀬さんは、以前とは少し違う、微かな変化を見せているように感じていた。


 例えば、俺が葵と話している時、高瀬さんの視線が、一瞬だけ俺たちに向けられているのを感じることがあった。それは、監視しているわけでも、詮索しているわけでもない。ただ、静かに、そして少しだけ寂しそうに、俺たちを見つめているように見えた。


 また、残業している俺の元へ、高瀬さんがコーヒーを持ってきてくれることが増えた。以前もそういうことはあったが、最近は、その回数が明らかに増えている。


「吉野くん、少し休憩したらどうかしら? 顔色があまり良くないわ」


 そう言って、俺のデスクにコーヒーを置く高瀬さんの手は、以前よりも少しだけ、震えているように見えた。その声も、どこか優しく、そして、どこか物憂げな響きを帯びている。


 俺が残業でオフィスにいる時、高瀬さんもわざわざ残って、俺の様子を伺っているような気配がする。まるで、俺が一人でいるのを見計らって、声をかけているかのようだ。


 ◆


 ある日、高瀬さんと二人きりで昼食を取ることになった。いつもの社食だが、今日は何となく、空気が重い。


「吉野くん、最近は順調そうで何よりね」


 高瀬さんは、笑顔でそう言ったが、その笑顔は、どこか無理をしているように見えた。


「はい、高瀬さんのおかげです。本当に感謝しています」


 俺が素直に礼を言うと、高瀬さんはフォークを持つ手を止め、じっと俺の顔を見つめた。


「…吉野くんは、本当に変わったわね。以前のあなたからは、想像もできないくらい」


 その言葉には、どこか寂しさが滲んでいるように感じた。


「それも、高瀬さんが俺を信じてくれたおかげです」


 俺がそう言うと、高瀬さんは、ふっと小さく笑った。その笑顔は、どこか諦めを含んでいるようにも見えた。


「そうね…私は、吉野くんの可能性を信じていたから。あなたなら、きっとできるって」


 彼女の視線が、俺の隣に座っている葵の席へと向けられる。葵は今日、午後から学校の用事で会社には来ていない。


「吉野くんの隣にいるのが、私だったら…なんて、少しだけ思ってしまうわ」


 高瀬さんは、そう呟いた。その言葉は、まるで独り言のようで、俺の耳に届くか届かないかの、ごく小さな声だった。だが、俺は確かに聞き取った。


 その瞬間、俺の頭の中に、これまで見過ごしてきた高瀬さんの言動の全てが、鮮明な記憶として蘇った。俺が窓際部署にいた頃からの彼女のサポート、佐藤の陰謀の際の献身的な協力、そして、俺と葵の関係を認めた時の、あの複雑な笑顔。


(高瀬さんは…もしかして、俺のことを…)


 俺は、高瀬さんの俺への感情が、単なる上司としての期待や、同僚としての友情ではなかったのかもしれない、と気づき始めた。彼女は、俺に対して、特別な感情を抱いていたのではないか。そして、俺と葵の関係が公になったことで、その感情を、彼女なりに整理しようとしているのではないか。


 胸の奥に、チクリとした申し訳なさが走った。彼女の優しさと、秘められた想いに、俺はこれまで全く気づいていなかった。彼女の犠牲の上に、俺の今の幸せがあるような気がして、心が痛んだ。


 だが、その申し訳なさを感じつつも、俺の心は揺るがなかった。俺の心の中には、葵への一途な想いが、確かな炎のように燃え盛っている。高瀬さんがどんな感情を抱いていようと、俺が葵を愛し、彼女と共に未来を歩むという決意は、微塵も揺るがない。


 高瀬さんは、すぐに顔を上げて、いつもの冷静な表情に戻った。


「何でもないわ。さあ、冷めないうちに食べましょう」


 そう言って、彼女は食事を再開した。だが、俺の心の中には、高瀬さんの新たな感情の兆候と、そして葵への変わらぬ、いや、より一層募る愛情が、はっきりと刻み込まれていた。

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