第二話:沈黙のバズと疑惑の視線
「吉野さん、これ、どういうことなんですか? 私にはさっぱり…」
葵が目を輝かせながら、俺の画面を覗き込む。昨日の午後、人事部員が去った後、俺と葵は二人で『ハーモニー・ウェイブ』を眺めていた。葵の純粋な疑問が、俺の中に眠る思考回路を刺激する。
「簡単に言うとだな、社内の些細な投稿って、一見無関係に見えて、実は他の部署の業務と繋がってるケースがあるんだ。たとえば、あのコピー機の件。経費申請の締め切りが近いって愚痴ってた社員がいたろ? それと、備品発注の遅延。そこに経理システム『アカウンティング・リンク』のメンテナンス。この三つが絡んでるんだよ」
俺は、葵に分かりやすい言葉を選んで説明した。
「コピー機の消耗品が届いてなくて、経費精算が遅れる。でも経理システムがメンテナンス中だから、申請が滞る。そして、その原因は備品発注部の発注書処理が遅れてるから…って流れだな」
「え、すごい! 吉野さん、なんでそんなこと分かるんですか?」
葵は感動したように目を丸くする。俺はそんな葵の反応に、少し照れくさかった。
「いや、俺の『データ・リンク部』での仕事は、本来ならこういったデータの中から、社内のリスクや効率化のヒントを見つけ出すことだからな。まあ、誰も期待してないけど」
最後は、自嘲めいた言葉になった。佐藤をはじめ、周囲の人間は俺の仕事に価値を見出していない。ただの暇潰しだと思われている。
「そんなことないです! 吉野さんの分析、まるでインフルエンサーみたいですよ! みんなの投稿から、トレンドとか、まだ誰も気づいてない問題を読み解くのって、そういうことじゃないですか!」
葵はスマホを俺に見せながら熱弁する。彼女の言葉は、俺の凝り固まった常識を揺さぶった。インフルエンサー? 俺が?
「まさか…」
「まさかじゃないです! 吉野さん、もっと自信持ってください! これ、絶対すごい才能ですよ!」
葵は、俺がこれまで誰からも評価されなかった才能を、純粋に「すごい」と言ってくれた。その言葉が、凍り付いていた俺の心に、小さな火を灯す。
◆
その日の午後。俺は葵に説明した仮説の確信を深め、すぐにシステム部に連絡を入れた。
「すいません、データ・リンク部の吉野です。あの、コピー機の件なんですが、どうも単なる故障じゃなくて、経費精算システムの不具合と、備品発注の遅延が絡んでいる可能性があるかと…」
俺は、自分の推測をできるだけ簡潔に伝えた。だが、電話口のシステム部の担当者は、露骨に面倒くさそうな声を出す。
「は? データ・リンク部? 何ですか、いきなり。そっちの部署はうちのシステムに何の関係があるんですか? コピー機の修理は業者に任せてありますし、経費システムは正常に稼働してますよ。何か問題があるなら、正式な手順で申請してください」
冷たくあしらわれ、電話を切られた。俺の部署の人間が、システム部の業務に口を出すなんて、理解できないのだろう。いや、理解しようともしない。俺の言葉に耳を傾ける価値など、無いと思われている。
「…無駄だったか」
俺は受話器を置き、小さく呟いた。葵が心配そうに俺を見ている。
「吉野さん…大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ。俺の声じゃ、誰も聞いてくれないってことだよ」
俺は努めて明るく振る舞ったが、心の中はまた冷え切っていくようだった。
◆◆◆
翌日の午前中。
「吉野さん、大変です!」
珍しく、データ・リンク部のフロアに、人事部員が慌てた様子で駆け込んできた。
「会社全体の基幹システムの、経費精算モジュールにエラーが発生しました! 全社員の経費精算が完全にストップしています!」
人事部員は血相を変えてそう告げた。社内は一気に不穏な空気に包まれる。経理部やシステム部は大混乱に陥っているようだ。
『全社員各位。現在、経費精算システムに障害が発生しております。復旧までしばらくお待ちください。ご迷惑をおかけしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。』
すぐにそんなメールが、全社員に一斉送信された。月末の経費締め処理が遅れれば、取引先への支払いや社員の立て替え経費の精算が滞り、会社に多大な影響が出るのは明白だ。
「おい、吉野! お前んとこの部署はこんな時何やってんだ!」
不意に、フロア中に響き渡る怒鳴り声。声の主は、営業部エースの佐藤健太だった。彼は顔を真っ赤にして、システム部のオフィスから出てきたところだった。
「俺は高額な接待費用の精算ができないせいで、個人のクレジットカードの限度額がヤバいんだぞ! お前みたいな給料泥棒が、こんな事態で突っ立ってていいと思ってんのか! ったく、お前んとこは本当に何の役にも立たねぇな!」
佐藤は俺を指差し、周囲に聞こえよがしに怒鳴り散らす。彼の怒りの矛先は、システム部に向けられているはずなのに、なぜか俺にまで飛んできた。周囲の社員たちも、好奇の目で俺を見ている。誰もが、俺の部署を「お荷物」だと思っているのだ。
だが、佐藤のヒステリックな様子を見て、俺は直感した。
(まさか、あの時の……)
俺の頭の中で、数週間前から『ハーモニー・ウェイブ』で囁かれていた情報が繋がり始めた。
『経費精算システムの小さな変更、なんか不具合出てない?』
『システム部と経理部の連携、大丈夫かな?』
誰もが気に留めていなかった些細な投稿の数々。だが、俺はそれらの断片的な情報から、このシステムトラブルが「いつか来る」と予感していた。社内のデータは、常に未来の兆候を告げている。しかし、これまで俺の言葉に耳を傾けてくれる人間はいなかった。
「吉野さん、大丈夫ですか…?」
隣で、葵が心配そうに俺を見上げた。彼女の純粋な眼差しだけが、俺の心を支えてくれる。
「大丈夫だ、葵ちゃん。俺は、このトラブルの原因が分かる気がする」
俺の言葉に、葵は驚いたように目を見開いた。
「え…? 本当ですか!?」
俺は、葵の澄んだ瞳を見つめ、静かに頷いた。この才能が、今、初めて会社のために役立つ時が来たのかもしれない。そして、俺を馬鹿にしてきた奴らを、見返すチャンスでもある。
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本日の17時前、19時前に最低4話投稿予定です。