第十三話:社外からの接触と吉野の葛藤
『イノベーション推進室』での新たな日々は、目まぐるしくも充実していた。社員からの相談は後を絶たず、俺のデスクには常に新しい企画のアイデアが積まれていた。身体は忙しさに悲鳴を上げつつも、心は満たされている。
そんなある日のことだった。
「吉野くん、これ、見た?」
高瀬さんが、一枚の業界紙を俺のデスクに置いた。そこには、俺の顔写真と、『フィーチャリングコネクトの救世主か? 社内SNSをビジネス変革の起爆剤に変えた男、吉野悠斗の挑戦』という見出しが躍っていた。
「『社内バズチャレンジ』の成功が、ここまで注目されるとは…」
記事には、俺が『ハーモニー・ウェイブ』のデータを分析し、社内改革を推進している経緯が詳しく書かれていた。社長のコメントも掲載されており、俺の功績が社外にも認められつつあることを示していた。
「あなたの仕事ぶりは、もう社内だけでは収まらないレベルになっているってことよ」
高瀬さんの言葉に、俺は少し照れくさかった。まさか、自分の顔が業界紙に載るなんて、夢にも思っていなかったからだ。
◆
記事が掲載されてから数日後。会社に、一本の電話がかかってきた。相手は、競合他社である大手IT企業『フューチャリング・リンク』のマーケティング部に所属しているという。
「フィーチャリングコネクトの吉野様でいらっしゃいますか? 私、フューチャリング・リンクの藤原あかりと申します。先日、業界紙で貴社の『社内バズチャレンジ』の記事を拝見しまして、ぜひ吉野様にご協力いただきたいプロジェクトがあり、ご連絡差し上げました」
電話口から聞こえてきたのは、ハキハキとした、しかしどこか洗練された女性の声だった。彼女は、自社の新しいマーケティング戦略に、俺のSNSデータ分析のノウハウを活かしたいと申し出た。
「共同プロジェクトという形で、一度お会いしてお話できませんでしょうか? 個人的にも、吉野様の分析力に大変興味がありまして」
藤原あかり。20代後半と聞いていたが、声の印象からすると、相当なやり手だろう。競合他社からの接触は初めての経験で、俺は戸惑いつつも、ビジネスチャンスを逃すまいと、後日会う約束を取り付けた。
◆
その日の夜、高瀬さんと打ち合わせをしていると、オフィスに葵が顔を出した。
「吉野さん、お疲れ様です! あ、高瀬さんも!」
葵はいつものように明るい笑顔で現れたが、彼女の視線が、俺のデスクに置かれた業界紙に止まった。
「わぁ、吉野さん、すごい! 記事になってる! 社外でも有名人じゃないですか!」
葵は紙面を食い入るように見つめ、自分のことのように喜んでいる。
「ありがとう。それでね、葵ちゃん。今日、記事を見たっていう競合他社の人が、会いたいって連絡してきたんだ」
俺がそう言うと、葵の表情が、一瞬だけ曇ったように見えた。気のせいだろうか。
「へぇ…そうなんですか」
彼女は笑顔を保っているものの、どこか元気がないように感じた。
「相手は、フューチャリング・リンクの藤原さんという方で、若手の女性マーケターらしい」
俺が付け加えると、葵は何も言わず、ただ俺の顔をじっと見つめていた。その瞳の奥には、わずかながら寂しさが宿っているように見えた。
俺は、自身の変化と成長を実感していた。かつての窓際社員だった俺は、もういない。しかし、この急激な変化の中で、最も大切なものは何か、俺はまだはっきりと自覚できずにいた。