若きアーベル・ルフィニの悩み
日常の一コマ?
よろしくお願いいたします。
図書室に備え付けられている六人がけの卓のどこに座るのか。最初はとても悩んだ。
ヒュパティアの隣は流石に近すぎる。かと言って、正面では彼女を盗み見るのは至難の業のような気がする。
結果、彼女の斜め横に座ることにした。机の角度がいい仕事をしている。無心に本を読んでいる彼女の横顔は見放題だし、こちらの視線に気がついて顔を上げた時とか、少し困った表情を見せてからしょうがない人と眉を下げて笑う顔が愛おしい。
共に机を囲むときは、必ず一回はやるやり取りなのでパイスも諦め気味なのかもしれない。
「わたくしばかり見ていないで、宿題が出たのでしょう?」
指摘され、自分の前に広げたノートに視線を戻す。朝のレクチャーは、自分のリーダーシップのスタイルを見直すという授業内容だった。
「少し考えがまとまらなくてな」
授業の終わりに出た宿題は、経験から学ぶ力について。今までの人生の中での試練を書いてこいというものだ。まだまだ浅い人生の中で、試練と言われても……なのだが。何か書かなければ終わらない。
パイスへの愛の試練は、俺にとってライフワークなのでここに語るようなものでもないしな。そうなると、そこそこいい人生を歩いてきたような気がする。
「あなたでもそのような事があるのね」
「ん?」
「何でも卒なくこなしてそうだったから」
パイスは、学年が上がるとリーダーシップIIの授業は取らなかった。スチューデント・カウンシルにも立候補せず、完全に生徒会から離れたといえよう。
彼女なら、この宿題をなんとまとめたのだろう。
そんな事をぼんやりと考えて一度上げた視線を再び白い紙面へと戻す。
すると、何かを勘違いしたパイスが机の上に置いていた手の甲を指で控えめにつついてきた。
「パイス?」
「見て」
言って彼女が立てた人差し指をクルリと振る。すると、光の粒が集まって机の上に親指くらいの背丈しかない小さなリスが現れた。
「魔法……使えたのか」
「これだけはね」
唯一、彼女が使うことができる光魔法なのだと教えてくれた。一人遊びが高じた特技らしい。光の屈折を利用した幻像だ。理論だけでゴリ押しした力技にしか思えないのが、パイスらしいというか。
二体生み出されたリスは、互いの顔を見合わせて何か会話をしているのだろうか。ヒクヒクと鼻を動かしヒゲを震わせる。
やがて、追いかけっこをするようにクルクルとその場で回りだしたかと思えば、絡み合ってゴロゴロと転がっては即座に離れるを繰り返す。
本当に生きているみたいだ。
手にしていたペンの背をじゃれ合っているリスに差し向けると動きを止めたリスたちが考えるように頭を左右に傾けた後、一匹がペン軸に乗ってきた。
実体を持たないはずなのに、なぜか微かに重みを感じた気がする。
「可愛いな」
「でしょう?」
もっとよく見てみたいと鼻先にペン軸を持ってこようとして逃げられた。
素早い。
飛んで跳ねて逃げたリスは、もう一匹と一緒にヒュパティアの前へと避難して何やら彼女へ訴えかけるような仕草を見せる。
やはり、コイツら生きているんじゃないか?
「幻……なんだよな?」
「そうよ」
頬杖をつき、クスクスと笑う彼女は何かを隠している気がする。
「生きてない?」
「うーん、どうかしら」
微笑いながら、指先でリスをつつく仕草をするヒュパティアの指から逃れたリスたちは、彼女の伸ばされた人差し指や手の甲の上をじゃれつくように駆け回ったあと、ほどけるように消えていった。
「わたくしの力では、これが限界」
「……」
「気は紛れた?」
「ああ」
「そう。良かった」
少し寂しそうに微笑むと、再び開いていた本に視線を落とした。
「パイス」
「なぁに?」
「俺に、今の魔術を教えてくれ」
「えっ」
下を向いていた彼女が、驚いた顔でこちらを向く。
ああ、どんな顔でも彼女は可愛い。顔だけじゃない。彼女という存在自体が可愛すぎる。
「明日、ソフィーに魔力の扱い方を聞いてくる。あとアマーリエに初級魔術の習得に役立つ本も選んでもらう」
「アーベル?」
「覚えるまでに、少し時間がかかるかも知れないが」
「待って、アーベル。一旦落ち着きましょう」
強気なところもまた可愛い。
「順を追って、今、貴方の頭の中で、何がどうなって宿題が消滅して魔法習得に至ったのか。わたくしに説明してくださるかしら?」
「リスたちが消えて君が寂しそうだったから、俺が代わりに出したいと思った」
「……………ッ。か、簡潔にありがとう」
真っ赤になった頬を両手で隠して本に突っ伏してしまった君が、耳だけ色を残しながら何食わぬ顔で戻ってくるまで、俺は何も言わず静かに待つよ。
火に油を注ぐ? 余分なことを言って、さらに怒らせるのはよくないからな。
ヒュパティア。
可愛い君が、幸せでいられるように俺は努力していきたいと思う。
正解が、わからない。
お時間頂きありがとうございました。