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漆黒の死神の二つ名を持つ男 なぜか実家へ婿入り予定

作者: 瀬嵐しるん
掲載日:2023/06/16


「財務大臣、本日分の報告書です。

そして、こちらはご要望のあった資料です」


「ご苦労様。今日はこれで上がるのかい?」


「はい、そのための資料ですから」


「おいおい、揶揄ったわけじゃない。

そんなに睨まないでくれ」


「睨んでなどおりません。

これが地顔なものでして、ご容赦を」


わかっているくせに毎回、私の顔にケチをつけるのは上司である財務大臣。

四十に届かない年齢は、国の大臣職の中では最も若い。

つまり、それだけ有能である。


しかも、彼の実家は公爵家。

次男であるため跡は継がなかったが、伯爵位を持っている。

公爵家を振りかざすと怯む相手も、伯爵ならば油断する。

そのへんもうまく利用する、腹黒い御仁だ。



私の名前はウォルト。

ドリスコル伯爵家の嫡男だ。

勤め先は財務省。


王立学園を卒業後、勤め始めて早六年。

真面目なくらいが取り柄だが、財務大臣の側近的立場に引き立てられ、ありがたくもこき使われる日々である。


だがしかし、忙しい日々の中、この半年は毎週水曜日に早上がりしている。

ここだけの話、秘密裏に作成しなければならない特別な資料と引き換えに手に入れた休暇だ。



すでに帰る準備は終えているので、大臣室から出て、そのまま馬車寄せに向かう。目的地は淑女学校だ。

淑女学校は王立学園と違い、勉学よりも社交や貴族夫人となるための嗜みを学ぶ場である。

そこへ、義妹のイーディスを迎えに行くのだ。




「お待たせしてごめんなさい、ウォルトお義兄様。

刺繍の課題を提出に行ったら、先生に少しお小言を頂いてしまって……」


淑女学校についてしばし待つと、義妹が急ぎ足でやってくる。

よほど急いだらしく、少し前髪が乱れていた。


「そんなに焦らなくても大丈夫だ。

卒業も近いのに、転んだら大変だぞ」


「まあ、もうそんなに子供ではありません!」


彼女は、言ったそばから足をもつれさせる。

エスコートのため馬車から出ていた私は、近づいて抱き留めた。

そのまま抱き上げて馬車に乗せてやると、頬を染めながら少しむくれている。


子ども扱いが恥ずかしいのだろう。

頬が薔薇色の理由が、私を異性として認識しているのならいいのに、と勝手なことを考える。




イーディスが我が家に引き取られたのは十一年前、私が十三歳の時だ。

彼女は遠い親戚にあたる男爵家の娘だった。

しかし、五歳の時に両親と死に別れたため、養女として我が家に来た。


「うちは男の子が二人だから、女の子を育てられるなんて嬉しいわ」


「ああ本当に。今日からは私たちが君の家族だよ」


実の子である二人の息子が物心ついて、しばらく落ち着いていたはずの両親は浮かれていた。

子供の立場からすると彼等は若干、鬱陶しいところがある人たちだ。

貴族には珍しく、良く言えば愛情深い。

おかげで、私と弟の精神的自立は早かった。


初対面のイーディスは、小さくて可愛らしい女の子だった。

たまに会う、他の親戚筋の女の子に比べるとずいぶん大人しい。


だが、私は気付くべきだった。

両親も帰る家も失った、幼い少女の心細さを。



それは、偶然だった。


イーディスに用意された部屋は、それまで空室だった。

それで、私は物置として便利に使っていたのだ。

いつものように本を取りに行き、ノブに手をかける直前に思い出した。

そこはもう彼女の部屋になり、私の物は別の部屋に移したことを。


幼くとも令嬢の部屋のドアだ。

開ける前に気付いてよかったと安堵した。

そして立ち去ろうとした時だ。


「おとうさま、おかあさま……」


イーディスの声が聞こえた。

声を殺して泣いている。

私は堪らない気持ちになり、ドアをノックした。


「イーディス、僕だよ、ウォルトだ。ドアを開けてもいいかな?」


「おにいさま? ……どうぞ」


ほのかな灯りの中で、枕を抱き締めたイーディスの頬が濡れていた。

私は思わず、小さな彼女を抱き寄せて言った。


「お父様とお母様には会わせてあげられないけれど、君を独りぼっちにはしないよ。

大丈夫、いつも僕が側に居るよ」


彼女は私にしがみついて、わんわん泣きだした。


夜番の使用人が気付いてくれたのだろう、すぐに母上が駆けつけてくる。

母上はハンカチでイーディスの涙をぬぐうと、メイドに命じてココアを用意させた。

それを三人でゆっくり飲んだ。

その後、母上は一晩中、添い寝したと聞く。



家族皆でイーディスを気遣ううち、彼女は少しずつ落ち着いていった。


六歳の誕生日は、伯爵家の家族と使用人が一緒になって賑やかに祝った。

明るくて素直な彼女は、誰からも好かれたのだ。


私は大きなクマのぬいぐるみを贈った。

あの夜、枕を抱いて泣いていた姿が忘れられず、抱きしめられるものを探し回った。

包みを解くと目を見開き、ギューッとクマを抱き締めたイーディスの可愛さといったら。


「おにいさま、ありがとうございます」


その笑顔の可愛さに、こっちのほうが礼を言いそうになった。

だがしばらく経つと、クマを抱き締める彼女を見るたび、何かモヤモヤした気持ちになったものだ。



この気持ちは何なのだろう?

当時、王立学園で学んでいた私は、思春期ながら色恋にはまるで無頓着。

私の思考は未知の領域へと迷い込んだ。


そして、義妹の七歳の誕生日。

とうとう自分の恋心を自覚した私は、両親に告げた。


「将来、イーディスをお嫁さんにください」


そう言って頭を下げる十五歳の息子に、両親は意外にも冷静だった。


「あの子は、まだ七歳だぞ」


父上はごく常識的なことを言う。

ただし、私の実の親であるにもかかわらず、どうにも義妹の親目線が強い。


「うふふ、ウォルトはいつもクマさんに嫉妬の視線を向けているものね」


母上はさすがに、よく見ている。

確かに嫉妬していた。しかし、十五歳の男子が血の繋がらない妹を抱き締めて眠るわけにはいかない。

そもそも、そんな夜があったとしたら私は一睡もできない。


「しかし、イーディスがウォルトと結婚すれば、ずーっと家にいてもらえるな」


「あら、本当ね」


「だが、イーディスの意思を確認するには早すぎる。

そうだな、あの子が十六歳になるまで、他からの申し込みを受けないという協力ならしてもいいぞ」


父上はチャンスをくれた。


「わかりました」


「ちゃんと振り向かせられるといいわね」


「必ずや!」


しかし、その道は果てしなく遠かった。




伯爵家にも慣れたイーディスは、どんどん可愛いさを増していった。

王立学園の友人は、弟妹など煩わしいと言うばかりだが、どこが煩わしいのだろう?

私にはさっぱりわからなかった。



たった一人の実の兄弟であるジェイミーは幼い時から学者肌で、付きまとわれるどころか剣の稽古すら一緒にしたことがない。

あいつはいつでも本を読んでいるか、研究のためと称して壁をほじくったり窓枠を削ったりして怒られているかだった。


私より四歳下の彼は王立学園を飛び級で卒業後、建築の研究所に入った。

研究室に籠って滅多に帰って来ないが、伝え聞くところでは、なかなかの成果を上げているらしい。


『兄さんが漆黒の死神だって知れ渡ってるおかげで、研究成果を横取りされることがないんだ。

こんな素晴らしい兄がいて、もう感謝しかないね』


この件で初めて弟に褒められたが、どことなく揶揄われている気もする。



人は私を『漆黒の死神』と呼ぶ。

名誉か不名誉か、呼ばれている本人も判別がつかない。


弟に比べて、ごく凡人である私は、飛び級などせず着実に学んだ。

学園時代は、文武共に学年五位内をキープ。

それなりに努力はしたつもりだが、天才の弟に比べれば霞んでしまうような存在だ。


卒業後は王城勤め。財務省の文官になった。

不正を許さない厳しい姿勢のせいで、この二つ名がついたらしい。


『漆黒』の由来については、提出書類を真っ黒に添削して突っ返すからだと聞いた。

もちろん、事実とは異なる。

さすがに、真っ黒にしたら読みづらくなるだろう。

どうしても書き込まねばならない時は、ちゃんと別紙に書いて添付している。


自分の取り得なんて真面目なことくらいだと、よくわかっている。

だから、忖度せずに高位貴族にも切り込んだ。



そして生来、表情筋に乏しいと言われる私は愛想もない。

こちらは特に威圧しているわけでも、無視しているわけでもないのに、勝手に取り付く島もないという人物像が作られてしまった。


もっともこれには、上司である財務大臣の思惑が絡んでいる。

彼は、融通の利かないところは部下のせいにして、自分は優しいですよとアピールする腹黒い人物だ。

うっかり信用して甘えたが最後、懐に入り込まれ、すべての不正は暴かれる。

油断大敵である。


そうして、難しい問題も飴と鞭、ついでに力技で解決してしまうのだ。

つまり、止めを刺すという意味での『死神』部分は大臣の仕事なのだが、そこもイメージとして背負わされている。


結果として大臣の株は上がり、死神と呼ばれる私の株は下がる。

まあ、株は下がっても給料が上がっているし、貴族連中の反撃からはちゃんと護ってくれるので文句はない。




「刺繍の先生からお小言、とは何だったんだい?」


軽快に進む馬車の中、私がそう訊くと、隣に座る義妹は顔を赤らめた。


「一生懸命課題をやったつもりだったんですけど、もう少しなんとかならないか、って」


義妹は刺繍が少々苦手だ。

これで生計を立てるというならば問題だが、学校の課題ならば……


「合格はもらえたのか?」


「はい、おまけですよって念押しされました」


嫌味な教師だな。

だいたい、貴族令嬢の課題なんて家で別の者にやらせている場合も多い。

メイドにやってもらっている者はスルーで、真面目に取り組んだ者に注意とは。


「気にするな。

自分で取り組んだことに価値があるんだ。

お前は私の自慢の義妹だよ」


「ええ、ありがとうございます」


自分でも思うところがあるのか、彼女は少しばかり元気がない。


「ところで、今日はどちらに向かっているのですか?」


「アビントン菓子店だ」


「まあ、一番人気のお店ですわね。楽しみだわ」


おや、少し気分が浮上したか。



半年ほど前から週に一度、こうして義妹を迎えに行き、一緒に街に出ることにしていた。


彼女には、財務省の仕事として視察を行っていると説明している。

目に見える市井の流行と、財務資料からわかるお金の流れ。

それを組み合わせて、将来の可能性を探ったり、流れが淀みそうなところに気を付けたりする、とかなんとか適当な言い訳をした。


不正を許さないとか言っておいて、自分でもどうかと思う。

ただ、幸いなことに、まるきり嘘でもない。

街に出て、肌で感じるというのは意味のあることなのだ。

ただし、主目的が視察ではないというだけだ。



店に着くと、個室に案内される。


「まあ、カフェの予約が取れたのですか?」


「ああ」


「お友達は、最低でも二か月待ちだと言ってましたわ」


「仕事上のコネがあるからな」


大嘘である。半年前に予約した。

アビントン菓子店は大陸中を回って修行した当代随一のパティシエの店。

今、王都で一二を争う人気店であり、オーナーパティシエは王宮の晩餐会にデザート担当で呼ばれることもある。


それはともかく、私の主目的、それは……義妹へのプロポーズである。

十五の歳から、ずっと思い続けてきたのだ。


彼女はもうじき十六歳。成人になる。

淑女学校の卒業式がタイムリミットだと父から言われていた。



本来なら、視察一回目でプロポーズするつもりだった。

そして、週一のデートを半年間続け、婚約者、そして恋人として心を近づける計画だったのだ。

しかし、イーディスの淑女学校卒業を一月後に控えながら、いまだに何も言えていない。



昨夜のことだ。

父上と母上、そして帰宅していた弟に詰め寄られた。


「まだプロポーズできないの?」


母上が呆れたように言う。


「イーディスが卒業したら、今まで断っていた釣り書きを、片っ端からありがたく頂戴する予定だが?」


父上は実に事務的な対応だ。


「もし、イーディスが他の家に嫁に行くなら、私は結婚しません。

この家の後継ぎはジェイミーに譲る」


私がそう言うと、弟は猛反発した。


「冗談じゃないよ!

爵位なんて引き受けたら、僕の研究に差し障る。

とにかく、さっさと申し込みなよ」


お前は、自分のことしか考えてないな。

それは私もだが……ああもう、どうすればいいんだ。


「だいたい、貴方。

あの子の卒業パーティーは一か月後なのよ?

兄としてエスコートするか、婚約者としてか。

それによってドレスコードも変わるでしょう?

もう、準備を始めるには遅いくらいなの」


「はい、申し訳ありません」


「ということで、明日には結果を出して頂戴。

明日はアビントン菓子店でデートなのでしょう?

お土産が楽しみだこと」


ほほほほと高笑いする母上は、意地の悪い魔女のようだった。



そういうわけで、私は追い詰められていた。

半年近くグズグズしていた自分がいけないのはわかっている。

だが、いざ言い出そうとすると、言えないのだ。


イーディスを妻に迎えたい。

しかしそれよりも大事なのは彼女自身の幸福だ。

私が申し込めば、伯爵家に恩を感じている彼女のこと、自分の気持ちはどうあれ、断り辛いだろう。

いつも、その葛藤が頭の中で渦巻き、言い出せないうちに時間切れになる。


「お義兄様、召し上がらないの?」


「夕食に差し障らないのなら、お前が食べてもいいぞ」


「……あ。じゃあ、半分だけ」


私は空になった義妹の皿に、自分が注文したケーキを半分にして載せた。


「ふふふ。小さい頃も、こんなふうに、お義兄様がおやつを分けてくださったわね」


「よく覚えているな」


「大事な思い出ですもの」


彼女は、懐かしい玩具箱を覗くような優しい目をした。



しばらくするとノックがあり、室内にいた給仕のメイドが取り次いでくれる。


「お土産の準備が整いました」



ああ、今日も言い出せなかった。

葛藤はあるが、諦めることも出来ない。

帰ったら、両親にもう一度だけ機会を、と交渉しよう。


だが、そのチャンスは訪れなかった。


家に着くと、玄関で待っていた執事に書簡を渡された。

すぐに王城へ来るように、という財務大臣名義の命令書だ。



「は? 建設省ぐるみの横領ですか?」


「ああ、いくつもの主要都市に出張所があるから、調査に時間がかかる」


「……」


「どうした? さらに出世のチャンスだぞ」


そのチャンスを掴む前に、大事な物を取り逃がしてしまう。


「今すぐ、財務省を辞めさせていただきます」


「待て待て、早まるな! だいたい許可しないよ」


「許可などいりません。

私は今、人生の岐路に立っている!」


などという宣言は戯言と片付けられ、大事な一か月が出張・調査・報告書作成で埋まった。

王都にいても家には帰れず、着替えなどを従僕に届けてもらう日々。



「いや、やはり君のお陰で驚異的な早さで解決しそうだ。

後は私の政治力に任せなさい」


財務大臣の許可がおりて、私が家に帰り着いたのは淑女学校の卒業パーティーの翌日だった。

両親も義妹もとっくに休んでいる。


イーディスのエスコートは父が務めた、と執事が報告してくれた。

私は間に合わなかった。

だが、今は疲れて頭が回らない。

仕事も終えて気の抜けた私は風呂で溺れかけ、従僕に助けられる始末。

子供の時以上に面倒を見てもらい、ベッドに入ったのは東の空も白む頃だった。



朝食の時間には爆睡中だったので、家族と顔を合わせたのは午後のお茶の時間だ。

今日は珍しく、弟のジェイミーもいた。


「ウォルトお義兄様、お仕事お疲れさまでした。

お帰りを知っていたら、お顔を見るまで起きていましたのに」


「労ってくれてありがとう。

家に着いた時はもう、夜中を過ぎていたからな。

お前も卒業パーティーで疲れていただろう?」


「いえ、それほどでも……」


卒業パーティーでは、生徒の兄弟が結婚相手を探して参加することもある。

義妹の器量なら、きっとダンスの申し込みが殺到しただろう。

だが、父上がそれを否定した。


「私がファーストダンスの相手を務めたが、イーディスは一曲だけで帰ると言い出してな」


「お義兄様がお仕事でお忙しく、お義父様にエスコートでご苦労をおかけしたのに、長々と楽しむのは間違っている気がして」


「せっかくのパーティーだったのに、気を遣わせてしまったのだな。

済まなかった」


「いいえ、お義兄様のせいではありませんわ」



少し俯いた義妹は、なにかを決心したような表情で顔を上げた。


「皆様、お揃いですので、少しお話させていただいてもいいですか?」


「あらまあ、どうしたの?」


「可愛い娘の話なら、いつでも、いくらでも聞くぞ」


「ありがとうございます。

あの、これまで……五歳で養女にしていただいてから、これまでの間、家族として温かく接してくださって、本当にありがとうございました」


「あらやだ、水臭いこと言わないで」


母上はもう涙目になっている。


「儂たちこそ、お前を迎えることが出来て、嬉しく楽しい時間をたくさん過ごすことが出来た。ありがとう」


「お義父様、お義母様……」


「僕もイーディスには感謝してるよ。家族愛が少々鬱陶しい両親を引き受けてくれて、僕と兄さんがどれだけ助かったか。

ねえ、兄さん」


「あ、いや、まあ……」


感動の席で、まったく空気を読まない弟に感心する。



「それで、こうして成人の年齢に達したことですし、今後は少しでも皆さまのお役に立てるように努力しますわ」


「役に立つだなんて。家族なんだから、貴女はそのままで十分なのよ」


「でも、ここまで伯爵令嬢として教育していただきました。

至らないところは多々ございますが、伯爵家に有益な方の下へ嫁げば、少しでも御恩が返せるかと……」



「なん、だと!?」


父上が狼狽える。


「儂はイーディスに優秀な婿を迎えて、この家を継がせようと思っているのだぞ」


「ええ、そうですわ。

親の愛情が鬱陶しいなどとうそぶく薄情な息子などより、可愛い娘に家に残って欲しいですもの」


「どうせ二人とも仕事に夢中で、我が家のことなど顧みる暇もなかろうしな」



「あ、それ、名案ですね!」


弟は本気で賛同している。


しかし、そうだな。それもありかもしれない。

父上と母上の下ならば、イーディスも幸福に暮らしていけるだろう。

私も、賛同すべきなのか。



「そんな。立派な嫡男のお義兄様がいらっしゃるのに……」


「仕事の功績は立派かもしれないけれど、妙な二つ名がつくほど仏頂面ではねえ」


母上は、息子の残念な表情筋に容赦ない。


「いいえ、お義兄様はそれなりに表情豊かですわ。

わたしには、そんなに仏頂面には見えませんもの」


「無理しなくていいんだよ。

お前には優しくて包容力のある、素敵なお婿さんを探してあげるから」


父上、そんなに否定しなくても。


「いいえ、ウォルトお義兄様はとてもお優しいですわ。

それに、包容力も十分です。お義兄様との週一のお出かけは、とても安心でしたもの」


騎士並みとはいかないが、一応、鍛錬は欠かさないからな。

義妹の危機を助けられないような兄では情けない。



「でも、ものすごいヘタレなのよ。

長年、想いを秘めながら、一歩も踏み出せなかったのだから」


それを聞いた義妹が、ひどく驚いた顔をした。


「お義兄様には好きな方がいらしたのですか?」


「そうなの。でもタイムリミットに間に合わなかったの」


「そんな、お可哀そう……」


自分の臆病さのせいで告白できなかった相手に、同情されている。

居た堪れなくなってきた。


「お前が気にすることではないよ」


私がそう言うと、彼女は思いがけない言葉を返す。



「気になりますわ。

……わたし、ここに初めて来た日の晩、お義兄様に言っていただいたことを、ずっと大事にしてきました」


「私が言ったこと?」


「『君を独りぼっちにはしないよ。大丈夫、いつも僕が側に居るよ』って。

それを思い出すだけで心が温まって、いつでも前を向こうと思えたんです。

だから、わたしに出来ることがあれば、恩返しがしたいんです」


覚えていてくれたんだ。

もちろん、自分でも忘れたことは無い。


「……あの時の気持ちは変わっていない。

今でも、お前の側にずっといたいと思っている。

だが、私には踏み出す勇気が無かった。

イーディスには自分より相応しい誰かがいるんじゃないかと思うと、どうしても言い出せなかった」


「お義兄様?」


「私が十五の歳に、父上と母上に頼んだんだ。

お前をお嫁さんにください、と。

お前が成人するまでは、他の縁談は断ってくれると約束してもらった。

でも、私はこのとおり間に合わなくて。

……お前には、いい縁談がきっとある。

父上と母上が、最高の相手を選んでくれるだろう」


「……お義兄様は、もう、わたしに結婚を申し込んではくださらないの?」


彼女の眼差しは真剣だった。


「申し込んでもいいのか?」


「お義兄様がわたしを望んでくださるのなら……」


言いながら、顔を真っ赤にして俯く義妹。

ソファの間を詰めて抱き寄せれば、両親の鼻息が聞こえた。



「ああもう、可愛い娘をヘタレな男にやるなんて!」


「まあ仕方ない。可愛い可愛い娘の望みならな」


「タイムリミットの件はいいの?」


弟が突っ込む。


「今の話だと、ウォルトは出会ったその日にプロポーズしてたってことね。

条件はクリアしているもの。仕方がないわ」


「実に悔しいが、そういうことだな」


「母上、父上。二人とも、そんな嬉しそうな顔をして……」


弟はゲラゲラ笑いだした。




「結婚が決まったそうだね、おめでとう」


「ありがとうございます」


「これで私も安心だ。これ以上、君への釣り書きを押し付けられずに済む」


「そんなご迷惑をおかけしていたんですか?」


「ああ、偉い方々が何かとうるさくて。

優秀な君を取り込んで、自分の駒にしたい輩が多いんだ。

冗談じゃない。君は既に私の駒だというのに!」


オブラートに包まないところが、いっそわかりやすい。

この上司の数少ない、美点かもしれない。


「まあ、好いた相手を手に入れたことだし、今後もますます働いてくれたまえ」


「あまり忙しすぎて彼女を構う時間が無いようでしたら、職を辞するかもしれませんが」


結局は伯爵家を継ぐことになったのだ。

この職にこだわらなくとも、やりようはある。


「わかった。検討する。

とりあえず、これまでの働きに報いて結婚休暇を二週間出そう」


この上司にしては破格の申し出だ。

だが、少し考えて返事した。


「もう一声、お願いできませんか?」


「君、貪欲になったね。まあ、いいことだ。

わかった。三週間出そう」


「ありがとうございます」



あの日始まった物語は、ようやくプロローグを終えた。

これからは本章を始めるのだ。

ヘタレは卒業して、最愛の妻(まだ婚約者だが)と共に幸福に貪欲な人生を始めよう。


部屋を出ようとした私に、財務大臣から声がかかる。


「あと、どれだけ私生活が幸せでも、漆黒の死神として舐められないようにしてくれよ。

何かとその方が都合いいからね」


「……善処します」



答えるまでに少々間があいたせいか、翌月、また給料が上がった。

思った以上に、私は大臣にとって使える駒らしい。

今後はこの立場を、もう少しうまく活かすべきだろう。


ともかく、この差額でイーディスを菓子店に連れて行ける。

善は急げ。早速、店に予約を入れることにした。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵なお話でした。ウォルトもイーディスもかわいい。 上司が本当に有能な死神でクスリと笑えました。 面白かったです
[良い点] 糖蜜に付け込んでから弱火で炙ったような香しくて甘いラブコメが美味しい素敵な一篇でした♪ [気になる点] 財務大臣のセリフが脳内で艶やかな低音系の超イケボで再生されたため思わず腰が抜けかけま…
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