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第5話、真夜中、黒薔薇の庭園で

 魔界の空に赤い月が三つ浮かんでいる。


 血の色をした光がしたたる黒薔薇の庭園―― ひときわ高い木からつり下がったブランコは風雨にさらされて、一方のロープがちぎれている。


 下草を踏みながら近づくと大木の闇から、そこだけ夜が明けたかのように白い人影があらわれた。早くなる鼓動をおさえて、


「ジュキ、来てくれたのね」


 あたしは小さな声をかけた。


 彼は、乗る人のいなくなったブランコに悲しげなまなざしを向け、


「俺たちはもう、二人で乗るには大きくなりすぎちまった。だけど俺はいまも、あんたと一緒にいたいと願ってるから――」


 話しているときですらあたしを魅了する彼のなめらかな声が、植物の落とす影にやわらかく染み込んでゆく。


「あたしと一緒にもう一度、逃げてくれるかしら?」


 尋ねたあたしの声はわずかに震えていた。


「レモネッラ姫の完成させた禁呪とやらについてお聞きしたい」


 一瞬前とは別人のように他人行儀な口調で、ジュキは答えた。あたしは悲しみを顔に出すまいと努めながら、


「いいわ。あたしがありったけの力で結界を張った状態で、ジュキが最大魔法であたし自身を攻撃するの」


「――なんちゅー力技ちからわざ……」


 ジュキが目を丸くするが、あたしは構わず続ける。


「するとおそらく聖女のかけた障壁プロテクトだけを壊すことができるってわけ」


 ジュキは一度大きく、薔薇の香りが混じるしめった夜風を吸い込んだ。


「俺に、姫さんを攻撃しろと言うんですか?」


 感情を抑えた彼の声。十年来のつきあいだから、目を見れば彼の心が揺れているのが分かる。


「あたしは結界を張っているから平気よ」


「そんなことできるわけないでしょう!?」


 彼の声が高くなる。


「ジュキが攻撃するのは聖女のかけた術であって、あたしじゃないの」


 彼は目を伏せて、苦しげに息を吐いた。「その方法―― 失敗する可能性は――?」


「ゼロとは言えないわね」


「バカな――」


 ジュキは痛みに耐えるように目を閉じたまま、吐き捨てた。「俺は二度とあんたを失いたくないんだ」


 あたしはこんなときにもかかわらず頭の片隅で、ジュキのまつ毛ってほんと長いなぁと思ってドキドキしていた。


「姫さん、頼むから俺にあんたを殺させないでくれ」


 彼の、あどけなさの残る顔が苦痛にゆがむ。


 ああ、この人を苦しめたいわけじゃないのに――


「ねえジュキ、お願い。あたし、あきらめたくないの。逃げられる方法があるかも知れないのに、それを試さないなんてできないのよ」


 あたしはもう一歩ジュキに近づいて、彼の白いマントのはしをにぎった。


「ようやく気付いたの。あたしはお城の外に出たかったけど、それは外の世界でジュキと生きていきたいってことだった」


 小さいころからいつも一緒にいたから、彼がとなりにいるのが当たり前になっていた。明日ようやく魔王城の外に出られると分かって初めて、いくら行動できる範囲が広がったって愛する人と結ばれないなら意味がないと気付いてしまった、


「俺だってあんたと生きていきたい――!」


 ジュキはそう言うなりあたしを抱きしめた。あたしの頭をかきいだいて頬をすり寄せる。


「だけどそれはあんたに仕える騎士として…… それ以外、俺たちに許された道はないんだ――!」


 ジュキ、泣いているの――?


 いつもはやわらかい彼の声が痛ましいほど高くなっていて、あたしは胸にナイフを突き立てられたかのように息苦しくなる。あたしから彼の表情は見えない。


「――レモネッラ姫、よく聞いてくれ」


 冷静さを取り戻した彼は、だが力ない声で続けた。


「俺は護衛の騎士として生涯、レモネッラ姫を守り続ける。だが一人の男としてあなたを愛することはない」


「――――!」


 あたしは彼の腕を振りほどいた。


「こんな屈辱は初めてだわっ!」


 恥ずかしさにか怒りにか、全身が燃えるように熱くなる。あふれ出す魔力がミスリル製のネックレスに吸い込まれてゆく。


 あたしは彼を突き飛ばすと、夜の庭を走った。ドレスのすそが低木の枝に引っ掛かるのも構わず。


「レモ……!」


 うしろでジュキの声が聞こえた気がした。いいえ、違うわね。今の彼はもう決して、あたしをそんなふうに呼ばないから。


 両手でドレスを無造作に持ち上げて城の裏階段をかけのぼっているとき、庭園の方から、


「うわあぁぁぁぁぁっ!!」


 という誰かの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。




 その晩、あたしは一睡もできなかった――などということはなく、夜通し泣いていたはずが気づいたら朝になっていた。


「おはようございます、レモネッラ様」


「おはよう、ユリア」


 窓に下がった重いカーテンを開けてくれる侍女といつも通り挨拶を交わす。


 あたしは昨日のことなどなかったように毅然きぜんと振る舞うことを決意した。誰が落ち込んだ顔などしてやるものか。昨晩のことは幸い、あたしと彼しか知らないのだから!


 転移魔法陣の部屋まで使用人に大量のトランクを運ばせていると、


「レモ、なんでこんなに荷物が多いんだ! ドレスと本以外こんなに持っていくものがあるか?」


 アンリ兄さまが呆れた顔で、積み上がったトランクの山を見上げる。


 実を言うと荷物の半分は、この十年間にジュキからもらった手紙やプレゼントなのだ。


 昨晩、黒薔薇の庭園から戻ってきたあと一瞬、腹立ちまぎれに捨ててやろうかとも思った。でも子供の頃の純粋な彼に罪はないと思い直して、全部持って行くことにしたのだ。


「レモ、お前とジュキのために人間界風の礼服を作らせた。持って行きなさい」


 と兄が視線で示す先にも大きなトランク。


「そろそろ正午だが、ジュキは何をやっているんだ」


 兄がイライラし始めたところに、彼は現れた。


「おはよう、ジュキ」


 いかにも夜通し泣いていた風体ふうていの彼に、あたしはそ知らぬ顔であいさつする。


「おはようございます、レモネッラ姫」


 無理に笑顔を作ろうとする彼は、壊れかけたマリオネットのよう。


 なによ。愛さないって言ったのはそっちじゃない。これじゃまるであたしがあなたを振ったみたいだわ。


 あたしは頭にきて、つんとそっぽを向く。でも自分で分かっているのよ――そういう繊細なきみだから、愛したこと……


「おいジュキ、なんだその顔は!」


 事情を知らない兄が、泣きはらしたジュキの顔を見て驚きの声をあげる。使用人に冷えたタオルを持ってくるよう指示し、


「それでお前、荷物は?」


「ん、これ」


 ジュキが力なく示したのは背中に背負った竪琴たてごと


「それだけだというのか!?」


「歌うときこいつで伴奏するとレモが喜ぶから」


 こんなときでもあたしのことを考えているのかと思うと、胸が痛む。その気持ちが恋ではなく忠誠心だと知ってはいても。


「着るものはどうするんだ?」


 うんざりしている兄に、


「あっちでも買えるだろ?」


 心ここにあらずのまま答えるジュキ。


「人間界には魔界のように、肩からツノが生えている者用の既製品なんて売っていないんだぞ?」


「だいじょぶだよ。俺のツノ鋭いから、最初に着るときえいってやれば破けるから」


「バカかお前は! 人間界の宮殿で敗れた服を着るつもりか? 魔族の恥だ! ただでさえわれわれは野蛮だと言われているんだぞ!」


 兄は一通り怒ってから使用人に、


「レモのドレスと本に加えてジュキの服も送ってやってくれ」


 と指示した。


 大変だなぁ、お兄様――などと思っていると、転移魔法陣が光りはじめた。ついに勇者たちがやってくるのだ。


 ジュキがハッとして、興味しんしん魔法陣を見つめるあたしのそばに駆け寄ってくる。


「お守りします、レモネッラ姫」


 魔法陣の上で巻き起こる風からあたしを守るように立つと彼はどこか遠くをみつめたまま、あたしの耳元でささやいた。


「あなたは俺のこと嫌いになったでしょうけど―― おそばに仕えることだけはせめてお許しください」


 彼らしくないまじめな物言いに、その表情をそっと盗み見る。精彩を欠いた横顔は、いつもに増してはかなげだった。




 * * *




 同刻、ブルクハルト王宮の一室――


「いよいよ恐れていた婚礼の日が来てしまった」


 幾何学模様を描く大理石の床の上を落ち着きなく歩き回っているのは、この国の第二王子アルトゥーロだ。


「魔族とて人を食ったりはしませんからご安心なさいませ」


 声をかけたのは、装飾のほどこされた円柱脇に控えた侍従。


「なぜそんなことを断言できるのか。あいつらは姿も醜く恐ろしいと聞くぞ」


 王子は端正に整った顔をゆがめた。


「そうでしたかな? 少なくとも肖像画に描かれていたレモネッラ姫は桃色の髪が愛らしい美少女でしたが」


「魔術で人間に化けているのだ!」


 アルトゥーロは震える声で断言する。


「まあご安心くだされ。王都は聖女の強力な結界で守られております。魔族たちは手も足も出ませんよ」


 侍従の言葉が聞こえているのかいないのか、


「ああ、こんなことなら東の帝国皇女フェイリェンとの婚約を受けておけばよかった。東の帝国では蛇を食べると聞いて恐ろしくて断ったが、魔界では魔獣や毒草を調理するそうじゃないか」


「まあ魔界は瘴気が強くて普通の植物や家畜が育ちませんからな」


 そのとき扉が叩かれ、使用人の一人が顔を出した。


「早めに到着された帝国皇女フェイリェン様がアルトゥーロ殿下と話したがっております。客間にお通ししました」




 客間で待っていたフェイリェンがアルトゥーロに伝えたのは、彼をさらに恐怖させるに十分な内容だった。


「我が帝国の間者が魔族たちの計画を入手しました。魔界の姫レモネッラは婚礼の儀において、あなたを殺して自分も死ぬつもりです」


「だが―― 聖女ルクレツィアの張った結界のおかげで、魔族たちは攻撃魔術を使えないのだぞ!?」


「ええ。ですから彼らはこの日のために魔道具を用意したのです。魔道具に魔力を込めて持ち込む手筈てはずです。レモネッラ姫が身につけたアクセサリーにご注意なさいませ。それは誓いのキスの瞬間に爆発し、姫自身とあなたの命を奪うのですよ」




 アルトゥーロが去った客間で、フェイリェンは座った腰の後ろに隠していた大きな鞄から水晶玉を取り出すと、その中をのぞきこんだ。


「魔界の姫レモネッラよ、悪趣味なネックレスをつけて下さって助かりましたわ。なぜわたくしの愛おしいアルトゥーロ様が魔族なんかと結ばれなければならないのでしょう? 帝国舞踏会でお会いしてからわたくしはずっとアルトゥーロ様だけをお慕いしております。決してあなたなんかに渡しませんわ」


 金糸の織り込まれたソファのうしろに控えていた侍女が、


「アルトゥーロ殿下にはフェイリェン様こそおふさわしい」


 と、うなずいた。


 フェイリェンが見つめる水晶玉には、今まさに転移魔法陣で人間界に移動しようとするレモネッラが映っていた。

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