第1話、魔王の娘レモネッラ・ド・セッテマーリの婚約者
「魔王の娘レモネッラ・ド・セッテマーリよ、僕はお前との婚約を解消する! 二度と我がブルクハルト城に足を踏み入れるな!」
「ありがとう、アルトゥーロ王子。頼まれたって王都の土さえ踏みたくないわ」
「レモ、私からもお前に言っておこう」
「何かしら、お兄様」
「魔王城にも二度と戻ってくるな。お前を魔界から追放する」
「ようやく自由になれるのね! 魔王城からも解放してくださるなんて、やさしいお兄様! お礼を言うわ!」
――事の起こりはきのうの朝――
「レモ、よく聞け。明日、お前と人間界のブルクハルト王国第二王子アルトゥーロ・フォン・ブルクハルトの結婚式が執り行われる」
「…………は?」
兄アンリの言葉に言葉を失ったのは、黒薔薇の庭を見下ろす窓際で朝食後の読書をしているときだった。魔界の空は今日もどんよりと曇っている。
四つ葉のクローバーのしおりを読みかけの本にはさみ、背の高い兄を見上げる。
「なんでいきなりあたしが結婚するの?」
「実は半年前から決まっていたんだが、お前は絶対に反抗するだろうから黙っていたんだ」
「本人に無断で婚約を決めたっていうの!?」
「言うことをきかないお前も、前日に言われては手も足も出まい」
勝ち誇ったように言い放つ兄。
「なんて卑怯なの――」
あたしの頭上でぱちぱちと静電気のような音がする。あたしの髪からぴょこんと飛び出したピンク色のツノの間に魔力が発生しているのだ。
「お前は相変わらず魔力コントロールができないんだな。怒ると魔力があふれ出すなんて、魔族の中でもお前くらいだぞ」
あきれ顔の兄を無視して、あたしは交差させた両手をゆっくりと持ち上げた。両手のひらの間に瘴気が渦巻く。
「やるつもりか!?」
兄が構えた両手の中に魔法弾が生まれた瞬間――
ばんっ
突然窓がひらき、白い影が室内に颯爽と舞い降りた。
「そこまでです、アンリ殿」
凛とした声が室内に響く。彼はあたしと兄の間に立ち、一瞬のうちに結界を張っていた。兄に向かって片手を伸ばしたまま、
「それ以上は俺が許しません」
静かな、だが有無を言わせぬ口調で告げた。
「ジュキエーレ・クレメンティ、お前を雇っているのは誰だ?」
兄の皮肉めいた質問はあっさりと無視して、ジュキエーレはこちらを振り返った。ふわりと払った白いマントであたしを包み、
「レモネッラ姫、けがはないか?」
宝石のエメラルドを埋め込んだかと思うような美しい瞳で、心配そうにあたしをみつめた。
「ジュキこそ――」
あたしは上目づかいで彼をみつめる。開け放った窓からすべりこむしめった風が、彼のやわらかい銀髪をかすかにゆらした。
「――お兄様の魔法弾でけがしたりしてない?」
「俺は平気」
彼はふわっとほほ笑んだ。無表情だとなんだか悪役みたいな目つきなのに、笑うと無邪気な少年のようだ。
「いつもあたしを守ってくれてありがと!」
あたしは精一杯の笑顔でお礼を言った。本当はぎゅって抱きしめたいけど自制した。だって彼はあたしの護衛の騎士だから。こうしてあたしを守ってくれるのは、護衛としての任務なんだって分かってるから――
十五年前、異世界から召喚された勇者ユート・オーサキと、異世界から転生した聖女ルクレツィアによって、魔王と魔界四天王は倒された。だが異世界の常識を持つ勇者は、
「戦闘員以外は殺さない。ましてや子供の命を奪うなんて」
と、当時七歳だったアンリ、〇歳だったあたし、そして四天王の血を引く二歳のジュキを救った。
広大な魔界の土地は勇者を召喚したブルクハルト王国の領土となった。まだ七歳だったお兄様が「魔侯爵」として魔界の領主に任じられ、魔族を治めることとなったのだ。
だが、一般的な魔族程度の魔力量しか持たない兄と比べ、あたしは〇歳児のくせに父親である魔王の膨大な魔力を受け継いでいたそうだ。
「娘のほうだけでも殺しておかないと、のちの世に仇なす存在になるのでは」
ブルクハルト王国魔法騎士団長の提案に聖女は、
「確かに、処刑をまぬがれたヨリトモやヨシツネが、長じてヘーケを倒した歴史もありますしね……」
などと異世界の歴史を持ちだしたと、家庭教師の作った教科書に書いてあった。
結果、聖女はあたしに魔王城の敷地から出られないよう、障壁という術をかけたのだ。
「これはわれわれ魔族と人間の融和を示す重要な政略結婚なのだ。レモ、分かるな?」
紺色の髪をまっすぐ腰まで伸ばした兄が、噛んで含めるようにあたしを諭す。目をすえて口をつぐむあたしのかわりに、
「――てことはついに、レモネッラ姫は城の外に出られるのか?」
ジュキが尋ねた。
「そうだ」
と兄はうなずいて、
「明日、解呪のために聖女がやってくる。転移魔法陣で直接王都へ連れてゆくそうだ。王都には聖女の強力な結界が張られていて、魔族は攻撃魔術を使えないからな」
「よかったな、姫!」
ジュキが自分のことのように喜んで、あたしの両手をにぎりしめた。「ようやく城の外に出られるんだ!」
浮かない顔をするあたしに、
「どうしたんだよ、姫さん。いつか魔王城から出たいって、あんたの念願だったじゃねえか」
「ジュキと離れ離れになるくらいなら――」
あたしは小声でつぶやいた。「いくら外に出られたって……」
「あー安心しろ」
兄が紺色の髪をかきあげながら疲れた声で言った。
「ジュキエーレ・クレメンティは今後もレモネッラ姫の身辺護衛の任務を果たすため、人間界に同行することを命ずる」
「そうなの!?」
思わず声のトーンがはねあがるあたし。
「俺たちいっしょに行けるんだ!」
ジュキが屈託のない笑みを浮かべた。
その様子を苦虫を噛みつぶしたような顔で見ていた兄が、
「ジュキには婚礼の儀の最中も、レモのすぐ近くで護衛の任務についてほしい。そのためお前にベールボーイを頼もうと思う」
ベールボーイって―― 結婚式で、花嫁さんの長いベールを持ってうしろから歩く役目だっけ?
「俺、人間界のしきたりとか詳しくないんだけど…… あれってガキがやるんじゃ――?」
指先で頬をかきながら腑に落ちない様子のジュキに、
「お前なら小柄だから大丈夫だろう」
兄は容赦がない。
「小さくねぇよ!」
牙を見せて声を荒らげるジュキ。
確かに、うしろからジュキが目を光らせて護衛してくれるなら安心だ。まだぶつぶつ言っている彼に、
「大丈夫よ。ジュキはかわいいからベールボーイも違和感ないって」
「そんな…… 姫まで――」
あれ? フォローしたつもりがショック受けてる?
兄がコホンとせき払いして、上着の大きなポケットからネックレスを取り出した。
「それからレモにはこれをつけてもらう」
「プラチナのネックレス?」
あたしの問いには答えず、兄は口の中で小さく呪文を唱え始める。
すると次の瞬間、それはあたしの首に装着されていた。
「きゃっ なにこれ!」
首元に刺激を感じて、はずそうとすると――
「あつっ」
火傷したかのような衝撃を感じて、あたしは慌てて手を離した。
「大丈夫か!?」
ジュキがすぐさまあたしの指をにぎる。
それから兄に非難の目を向け、
「何をしたのです、アンリ殿」
「そのネックレスはミスリル製で、魔王城の職人に半年かけて作らせた特別なものだ。レモの魔力を吸収し、感情変化にともなう暴発を防ぐことができる」
「なんでそれで火傷するんだよ」
ジュキはきつい目で兄をにらみながら、赤くなったあたしの指先に回復魔法をかけてくれる。白い光がぽうっと二人の手を包み込んだ。
「はずそうとすると、われわれ魔族の持つ魔力に反応するように術をかけた。お前たちの手では一生それをはずすことはできない。喜べレモ。これでお前も、魔界と違って気候もいいし、おいしいものもたくさんある人間界で暮らしていけるのだ」
「どうせ王都から出られないんでしょ」
「魔王城から出られない今までの生活よりはマシだろうが」
悔しいが、それは兄の言う通りだった。
「それじゃあお前たちは明日までに身の回りのものをまとめておけ。明日の正午に聖女と勇者が王国魔法騎士団とともに迎えに来るから、それまでに準備しておけよ」
兄は疲れの見える声で指示をするとあたしに向きなおり、
「レモ、お前の衣服と本は後日、嫁入り道具一式と一緒に送ってやるから安心しろ」
と言い残して出て行った。
「姫さん、なんか手伝うことあるか?」
ジュキがやさしい声をかけてくれる。あたしは首を振って、
「一人でできるわ。でもジュキ、ごめんね。あなたも人間界に行かなきゃいけないなんて、こんなことに巻き込んでしまって――」
「あやまることなんかなんもねぇよ」
ジュキはカラカラと笑った。
「俺は身寄りもねぇんだ。身軽なもんよ!」
あたしに心配させないためか、いつもの屈託ない笑みを浮かべる。
「そうだったわね……」
うつむくあたしの前に、彼はひざまずいた。
「人間界に行ってもあんたの護衛を続けられるんなら、むしろ本望さ。レモネッラ姫――」
そっとあたしの手を取り、指先に唇を近づけた。
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