始章 英雄の資質
頭上には、雲一つない広い空。そして目の前には白く大きな門。
他に何の建造物も無く、ただ門だけがそこにあった。
目を開けた俺の眼前には、そんな摩訶不思議な世界が広がっていた。
足元は石畳で遠くまで、目を向ければそれは果てしなく続いている。
そこに俺は裸足で立っていた。
服は着ている。俯いて確認すればどうやら高校の制服だ。
もう2年前に卒業したはずだが、まぁそれはいい。
俺はなんでこんなところに居るのか、ここに来る前の記憶を探る。
……ああ、確か刺された。うん、刺されたな。
その日、サークルの飲み会後自宅近くの駅から出ると、大学の同期生と偶然に出会いどうやら自宅が近所という事で、知らない仲でもなかったので連れ添って歩いて帰った。
彼女は今年の東央大学のミスコン優勝者の縣間葵、彼女とは高校が同じで三年の時に同じクラスだった。
まぁ、その程度の仲だ。
そんな彼女と他愛無い話をしながら歩いていると、突然背中に誰かがぶつかってきた。
なんだと振り返れば、随分と興奮した様子の男が小刻みに震えてそこにおり、両手で刃物を持っていた。
知らない顔、だいぶ年上だ。中年と言っても差し支えないくらいの年だろう。
よく見れば男の持っている刃物は半ば以上に黒く、そこから何かがポタリと地面に落ちていった。
そして、何やら違和感を感じ背中をさすると、手にべちゃりと粘着質な感触を受け、なんだとその手のひらを見れば赤く、見事に赤く染まっていた。
一拍の静寂。
縣間さんの叫ぶような悲鳴が上がると、男は驚き刃物を落とし走って逃げて行った。
気が付けば全身から力が抜けていき、膝から崩れ落ちた。
死んだのかな、死んだんだろうなこれは。
救急車に乗せられた所までは、朧気に記憶にある。
つまりこれはあれか、天国の門もしくは地獄の門と言ったところか。
夢かなと思いたいところだが、流石に現実と夢の区別くらいはつく。
現実だ。
足の裏に感じる感触と、肌に触る空気の感覚。
その匂いに、瞬きをしている目。
現実だ。間違いなく現実。
目の前の門は雰囲気的に地獄っぽさはない。白く仄かに輝くようなそれは神聖な感じはすれど、悪性は感じない。
入れって事なんだろうな。しょうがない。
そう思い、やや距離のある門へ歩き出す。
「ちょっとちょっと、お兄さんお兄さん!」
一歩を踏み出したときに、声が聞こえた。
繁華街の客引きの様に声を掛けられた。
声のする方へ顔を向けると、白い門の横からぴょこっと女の子が出てきた。
だいぶ距離があるのにどういうわけか、先ほどの声はその距離にそぐわぬ形ではっきりと聞こえていた。
腰まで届きそうな眩しいほどの金髪に、ここからでもわかる整った顔。
エメラルドグリーンに輝く瞳が、じーっとこちらを見つめている。
そして、……水着? ……ビキニだあれ。
うん、そうだな。暖かくなる季節だったしな、そう思い顔を正面に戻し門へと向かう。
「ちょちょちょっと、お兄さん無視!? 無視なの!? 目合ったよね? こんな可愛い女神がこんな際どい恰好してるのに!? 嘘でしょ!」
そう慌てたような声を上げる金髪ビキニは、一直線に門へ向かう俺の前に走り込み立ち塞がると、おもいっきりの作り笑顔で元気よく声を上げた。
背は一七五センチの俺より頭一つ分ほど低く、随分と小柄な少女だ。
「ようこそ天界へ! 私は第三門アトリアータの女神ロノアよ! ここで会ったのも何かの縁、手取り足取り恙なく今後の案内をしてあげるわ!」
「あ、そういうの間に合ってるんで、じゃ」
目の前で腰に手を当て踏ん反り返る金髪ビキニを避け、門へとちょっと速足で向かう。
どう考えても怪しい。これはあれだ、天国の門へ至る前の悪魔の試練とかそういう感じのやつだ。悪魔の囁きだ。女神とか言ってたけど絶対違う俺は騙されない。
だって、なんで門の前にいるのよ。門の中で待ってればいいじゃん。しかもなんでビキニなのよ。違和感すげーよ。この神聖な雰囲気の中、違和感しかねーよ。
しかし、金髪ビキニも逃がさんとばかりにガシッと俺の手を両手で掴み、腰を落とし本気で引き留めに掛かってきた。
「ちょっちょっとまってほんとまって、あ、まって、意外と力が強い。だからまってほんとちょっとまってお願いまって、少しでいいから話を聞いて、ああ」
掴まれたのもお構いなしに、ずるずると金髪ビキニを引きずりながら前進する。
「お願い! 損はさせないから、話を聞いてくれたらなんでもお願い聞いてあげるから」
その言葉に、ぴたりと足を止め金髪ビキニを見る。
「なんでも? いまなんでもって言った?」
「え? ああ、うん、言った……かな? なんでもとは言ってないよう――」
また門へ歩き出す。
「ああ、まって、さっきより力が強い! 嘘! 言った! 確かに言った! 言ったからごめん止まって」
こうして俺は、女神ロノアと名乗った金髪ビキニの話を聞く事になった。
「改めまして、あたしの名は女神ロノア。第三門アトリアータを管理するものよ」
「はぁ……」
「もうちょっとあたしに興味を持っていいと思うの! 自分でも結構恥ずかしいなーとか思いながらこんな格好してるのに! あと胡散臭いものを見るような目もやめて! それとあなたの名前も教えて」
「はぁ、俺は新宮戸耕助です。で、その女神ロノア様が何用でしょうか、とっとと用件を言ってください」
「女神を前にしてのその態度……、とりあえずそれはいいわ。アラクドコウスケね、コウスケでいいわよね? コホン、コウスケ、あなたここに居るってことは第二門ガイアの人でしょ? なんか英雄的な死に方したんでしょ?」
ちょっと、何言ってるかわからないんですけど。誰かこの女神語翻訳して。
しかも、いきなり下の名前呼び捨てにされてる。まぁ、相手は女神みたいだしそれはいいか。
てか、通り魔に刺されて死んだのが英雄的な死に方なわけがない。
あと【第二門ガイアの人】ってのがわからん。
ガイアって聞いた事はあるな。あれか? 夜明けるやつか? 違うな、絶対違うわ。
「まず、第二門ガイア? ってなに?」
「ああ、わからないか。この目の前の門が第二門ガイア。で、あっちに見えるのが私の第三門アトリアータ」
そう金髪ビキニが指さす先、目の前の門の右側のずっと先を指し示す。
確かに、微かに門のようなものが見える。門かあれ? なんか光ってるけど。
「とりあえずあそこで詳しい話しましょ? こんなところじゃ落ち着かないしお茶くらい出すから」
そして、いちいち逆らうのもめんどくさくなってきた俺は、金髪ビキニに言われるがままに第三門アトリアータとやらの前に行くのだった。
おかしい、さっきより落ち着かないぞ。いや、おかしくないか。
そう思い、第三門アトリアータを見上げた。
「こ、これは……何?」
「どう? 第二門と違ってすごいでしょ! もう何百年も掛けて女神ポイントつぎ込んできたのよ!」
ものすごいどや顔で、なんか自慢気に話しているが。
「……趣味悪」
「はぁ!?」
目の前の第三門アトリアータとやらは、眩しい、もうすごい眩しい。なんか金色だし、無駄に光ってて目が痛い。あとたまに紙吹雪が舞い散って「わー」って声と拍手とか鳴ってるし。
それに、天界って電光掲示板あるんだなぁ。文字は読めんが、なんか右から左へ文字がビカビカしながら流れている。
「帰っていいかなぁ」
「だ、だめよ! ここまで来たなら話くらい聞いていきなさいよ! ほら! 入って! 早く! ちょっ動かない! 石像かよ!」
がばっと俺の手を両手で掴むと、グイグイ門の方へ引っ張ろうとする金髪ビキニ。
まぁいいか。どうせ死んでるみたいだし、なんかほんとに女神らしいし話くらい聞いてやっても。
そう思いはするものの、目の前のチカチカ眩しいわーわー言ってる金の門を目にすると「やっぱり帰ろうかなぁ」と思ってしまうのだった。
門の中は外とは違い、驚くほど落ち着いた雰囲気の場所だった。
大雑把に説明すれば図書館。
だが、その規模は尋常ではない。
門を開けたそこから、向こうが見えない程に廊下が続き、その左右には見上げるほどに高い本棚が延々と並んでいる。
紙の匂いと木の香り。内装は木造建築の様で、外の無機質な石の世界と違い温かみを感じる。
金髪ビキニに導かれるがままに歩を進めるとやがて、中心に木造の丸テーブルに二脚の椅子が置いてある少し広い空間に辿り着く。
そこもまた本棚に囲まれた空間で、上を見れば天井は硝子がドーム状になっており柔らかな光が差し込んでいる。
「そこに座ってて、お茶を淹れてくるわ」
金髪ビキニはそう言って、本棚の一部を扉の様に開けその奥へ姿を消す。
「死後の世界……なんだよな?」
椅子に座りまるで御伽噺のようなこの空間を眺めながら、そんな言葉が口を衝く。
死後の世界がある事も驚きだが、何より金髪ビキニが居たことが一番驚きだ。
「てか、なんでビキニなんだよ」
ま、嫌いじゃないが。
面白いことに現実離れした今の状況で、普通なら場にそぐわぬおかしい恰好のはずの金髪ビキニが、一番現実感を醸し出しているのは確かだった。
ていうか、死んだんだな。
20歳という年で死んだのが早いか遅いかはわからないが、それなりに未来を期待していた。まだそういう年だった。
こなっては幸いなことに、悲しませていたかもしれない両親は二人とも他界しており兄弟姉妹も居なかった、天涯孤独というわけでもないが近しい親族は皆無。
「運が悪かったのかね」
そんな風に感慨に耽っているとカチャリと本棚の扉が開き、金髪ビキニ改め金髪メイドが現れた。
「お待たせ。紅茶だけどいいわよね? あと、クッキー」
「あ、ああ……なんでメイド服?」
「え? ダメ?」
「いや、ダメじゃないけど」
うん、服装に突っ込むのはやめよう。
トレイに乗せて持ってきた紅茶セットをテーブルに並べ、金髪メイドも椅子に座った。
せっかくなので、出された紅茶を一口飲む。
甘さと苦みが程よく、さわやかな喉越しのそれは、これまで飲んだどんな紅茶よりおいしく感じた。
「おお……」
「どう? 美味しいでしょ?」
「うん、これはおいしい」
「良かったわ……」
ご丁寧に、ホワイトブリム完備の所謂ヴィクトリアン系と言われるメイド服に身を包んだ金髪の女神ロノア。
驚くほど整った顔は、十代半くらいに見える。
先ほど門の前で「何百年も」等と言っていた事からも、見た目通りの年齢ではないのだろう。
そんな彼女から「話だけでも」と言われ連れ込まれたここは、隙間のないほどに本が詰まった本棚の並ぶ空間だった。
「で、話なんだけど」
そう口火を切り、金髪メイドは話を始める。
「私が管理する世界、第三門アトリアータに来て欲しいの」
「お断りします」
「早い! 断るの早い! え? なんで? 少しくらい悩むものじゃないの!?」
もう悩む必要皆無だしな。こんななんかよくわからんコスプレ女神が管理してるって聞いただけでまともな世界とは思えない。
「おい、おい! 心の中で話してる風にしてるけど全部口に出てる。隠す気なしか」
「はぁ、じゃ、理由を聞いても?」
「アトリアータイイトコ キミクル ワタシシアワセ、みたいな?」
「おし、紅茶ご馳走様。そろそろ帰るね」
「嘘嘘、ごめんちゃんと話す。だから帰らないで」
律儀に空になった俺のカップにポットから紅茶を注ぎ、やや引きつった笑顔で引き留める金髪メイド。
溜息を一つ吐き浮かしていた腰を椅子に落とすと、ほっとしたように金髪メイドが語りだした。
せっかくなのでクッキーを手に取り齧ってみる。うん、クッキーもおいしいな。
そして、色々長々と話していた事を話半分に聞けば、なるほどという簡単な話だった。
いや、普通に考えればそんな馬鹿なという話なのだが。
ロノアの様な女神は複数いて管理者として各世界を担当しており。
第一門アテルエナ。
第二門ガイア。
第三門アトリアータ。
第四門バラフィーア。
第五門ノルアペンテ。
第六門ザハルシスト。
第七門シェッテルム。
第八門ユイルビア。
第九門ノーヴェルト。
以上9つの世界を発展させるべく、各々が鎬を削っているらしい。
そして百年に一度、管理者である女神九人と彼女たちの所謂上司であるところの最高神様が集まって、女神会議と言われる成績発表なるものがあり、それがつい先頃あったらしいのだが……。
「そこで成績最低だったと?」
「そうよ……」
聞けばこれまでずっと、ロノアは九人中九位の成績だったらしい。
これまで最高神様も多少注意は受けるものの「慌てることはない。少しずつ良くしていけばよいのだ。好きなようにするがよい」という感じだったらしいのだが、さすがに最下位をキープし続けるロノアにキレたらしい。そりゃキレるだろ。
その場で名指しで最高神様に説教をくらい、挙句他の女神達にもクスクスと笑われたロノアは次の会議までにどうにかして名誉挽回したい。そういう事らしい。
そもそもの話、挽回する名誉がない気もするのだが。
ずっと最下位とか、もうそれ管理者の才能ないんじゃないの? とは思ったが割と深刻な顔をしている彼女に言えるわけもなく。
「うーん? それと俺をアトリアータだっけ? に勧誘することにどういった繋がりがあるんだ?」
「だってあなた、ガイアの英雄でしょ?」
「英雄? さっきも言ってたけど、俺はそんな大それた者じゃないぞ?」
「そんな事はないわ。ここ天界の転生門に来る人間は必ず『英雄の資質』を持っているんだもの」
「英雄の資質?」
ロノア曰く『英雄の資質』とは、世界的偉業か逆に悪行を成し遂げる為の『素質』を魂に刻まれた人間らしい。
特にガイア出身の『英雄の資質』を持つ者は、他の世界に比べて圧倒的と言えるほどに能力が優れており、どうにかして他の女神たちを出し抜きたいロノアは、どうしてもガイア出身の『英雄の資質』持ちが欲しかったという事だ。
つまり俺らしい。
「それに……」
「それに?」
「あんのガイア担当女神アシエラ、あいつだけは絶対に許さない」
「な、何? なんか体からすごい良くなさそうなモノがモヤモヤ漏れ出てるけど」
人に見せられないような形相で、ギチギチと音が鳴るほどに拳を握るロノアから、およそ女神からは出ないだろうと思われる黒い何かが漏れている。
「成績一位だからって、いつもいつも一位だからって『ふっ、ロノア様も大変でございますね』とか『何かあればいつでもアドバイスいたしますわよ』とか『あらあら、これで何度目でしたっけ』とか言いながら蔑んだ目で見てきやがって……」
女神にも私怨とかあるんだなぁ。俺を巻き込まないで欲しいなぁ。帰っていいかなぁ。
「あ、ああ、なんか大変なんだな。でもさ、俺は真面目にごく普通の一般人だし、死んだのも二〇歳そこそこだし、偉業なんてとてもじゃないが――」
「大丈夫よ! もしそうだったとしても何も問題ないわ。少なくとも、あなたの魂には絶対に何かしらの『資質』が眠っているはずだから」
「はぁ、じゃ、そっちの世界に行くとしたらどうすればいいんだ? 生まれ変わるとかそういうやつ?」
「いえ、それじゃダメ、違う世界に生まれ変わったら魂が書き換わる可能性がある。だからあなたにはそのまま、私の管理する世界、アトリアータへ行ってもらうわ!」
こうして、なんやかんやで俺の異世界ライフが始まる。
この時はほんの軽い気持ちだった。「異世界だ、わーい」程度の俺の決意でまさかあんなことになるなんて……とか脳内で重めのナレーションをしておこう。
初投稿です。週に1~3回くらい更新出来たらいいな。
楽しんでもらえたなら幸い。
お気に入りとかしてくれたら、滾ります。