プロローグ:蟹沢晴馬という人物について
私のクラスの男の子。蟹沢晴馬が今日、学校で亡くなったらしい。
死因はおそらく転落死であろう。
立ち入り禁止の校舎の屋上で、彼は虚ろな目をしながら飛び降りた。
自らの人生に終止符を打ったのだ。
ここまで状況が分かっていて〝亡くなったらしい〟と、曖昧な事にはもちろん理由がある。
それは、〝彼の死体〟が発見されていないからだ。
私も含め、彼が屋上から飛び降りた瞬間を見ていた生徒は大勢いる。
教員だって、彼が屋上にいるのを黙って眺めていたわけではなく、メガホンで自殺をやめるように訴えかけたり、屋上へ行き自殺を防ごうとしていた。
多分、学校にいる人間全員が、彼が〝自殺をした〟という事実を知っている。
だが、その事実を確定させるための〝彼の死体〟はどこを探しても見つからないのだ。
「彼が屋上から飛び降りたのであれば、地面にたたきつけられる瞬間を見た人物はいないのか」と思う人もいるかもしれない。
彼が飛び降りた先、落下地点は〝自然エリア〟と呼ばれる沢山の草木が生い茂っている場所である。
その木々が視界を遮ってしまったため、死んだ瞬間を確認できた人間は誰もいないのだ。
その後の彼を見たものも、もちろんいない。
彼がいなくなった日から数日が経過したある日、生徒の中でこんな噂が流れ始めた。
〝蟹沢晴馬は実在しなかったのではないか〟と。
私たちが彼に対して持つ人物像といえば〝いつも一人で本を読んでいる、根暗で孤独な人〟というものだ。
クラスメートと会話をすることもなく、誰かと仲良くしている姿を誰も見たことがない。という少し不思議な人物。
そんな人物ならいじめにあっていてもおかしくはないだろうと私は思うのだが、彼がいじめにあっていたという話は誰からも聞いたことがない。
(聞いたことがないだけで実際にはあったのかもしれないが)
そもそも彼にかかわったことのある人物がいないと思われているレベルである。
一言でまとめてしまうと〝空気〟のような人だったのだのだ。
それは彼の家族にも言えることだ。
学校が彼の家族に連絡を取ろうとしても、祖父母はすでに亡くなっており、片親だった父もつい先日行方を眩ませて連絡が取れない。
彼にとって家族と呼べる存在はどこにもいなかった。
そんな理由で、生徒の中では彼が実在しなかったことになっている。
だが私は彼が実在しなかっただなんてこれぽっちも思っていない。
私は彼のことはよくは知らない。
だがきっと彼は、この世界に〝生きづらさ〟を感じていたのだろう。
学校でのこと、家族のこと、この世のすべてのことが嫌になって、この世界から立ち去ることを決意したのだ。
そんな彼の思いを、苦悩をなかったことになんて私にはできなかった。
私には彼の気持ちが理解できない。
きっと今後も理解できることはないだろう。
だが、次こそは。
彼の次の人生こそは。
少しでも幸福なものでありますように。
そう願うばかりである。




