82 天使様と猫と白いおひげ
一応下調べをある程度してはいたが、実際に猫カフェに入ってみると、想像以上に広々とした空間が広がっていた。
受付と手洗いアルコール消毒を済ませた二人がカフェに足を踏みいれれば、猫達がそこかしこに歩いていたり丸まっていたり客と戯れていたりしているのが見える。
「おお……割と広いな。綺麗だし」
飲食物を提供するのだから当然と言えば当然なのだが、それでも思ったよりもずっと清潔だった。
動物特有の臭いというものはほとんど感じられず、ほぼ無臭。
ネットでの口コミを見たが、衛生的で猫にも配慮した猫カフェだそうだ。
人気ではあるが猫にストレスを感じさせないように席数もやや少なめ。
猫のための隠れ家も用意してあり、あくまで猫と触れ合うというよりは一緒の空間を共有する、というスタンスのようだ。
このカフェは時間制であり料金はお高めではあるものの、それを払っても全く惜しくないと思えるくらいには綺麗で落ち着いた空間だった。
「ふわあぁ……猫……見てください周くん、どの子も可愛いですっ」
他の客と猫が居るために小さな声で、それでいて興奮が乗った弾んだ声で真昼は周の袖を引っ張る。
様々な種類の猫スタッフが居て、彼女はきょろきょろしながら瞳を輝かせていた。
あまり動物を話題に出した事はなかったが、かなり猫は好きらしい真昼の興奮っぷりに、周もついつい口許が緩んだ。
「そうだな、可愛いな」
「はいっ。あ、あの子シルクちゃんって言うんですって」
何に可愛いと言ったかは理解していなさそうな真昼が、店員からもらった猫の写真と共に名前と品種の載ったプロフィール表を見ながら側に居たシャム猫を示す。
尻尾と顔付近の毛だけ黒く、すらりとした肢体には白い毛並みが生え揃っている猫だ。
青い瞳が特徴的で、姿からはなんというか高貴さが漂っている。
真昼は触りたい、とうずうずしているもののいきなり触るのはご法度なので、しゃがんで目線を合わせつつそーっと指を鼻に近付けて匂いを嗅いでもらっていた。
ぴくぴくと鼻が動いている。
それだけで真昼は「可愛い」と声には出さず背中で語っているので、相当猫が好きなようだ。
ただ、シルクは一通り真昼の匂いを嗅いだ後、ふいと優雅な歩き方でどこかに行ってしまった。
真昼はしゅん、と見るからにしょげたような空気を醸している。
「別に嫌われた訳じゃなくて挨拶終わっただけだと思うぞ」
「そ、そうなのでしょうか……」
「まあゆっくり慣れてもらえばいいだろ。とりあえず席につこうか」
立ち上がった真昼の手を取って、空いていたソファ席につく。
そこでようやく部屋の全体をゆっくり見る事になるが、やはり色んな種類のスタッフが居た。
先程の猫はシャム猫だったが、アメリカンショートヘアやエキゾチック、ロシアンブルー、マンチカンにベンガルといった個性豊かな猫達がそこかしこに存在している。
ちょうど少し離れた隣の席ではアメリカンショートヘアの猫が机の上に乗って丸まっていて、その席に座っていた女性が優しく撫でているのが見えた。
「可愛い……」
羨望も隠さない眼差しで他の客を見ているので、周は苦笑してメニューを眺める。
このカフェは提供される飲食物も美味しいと評判らしい。
おすすめはフォームミルクで作られた猫の乗るラテアートのようだ。何やら非常にラテアートを作るのが上手い店員が居るらしく、SNSなんかでよく写真がアップロードされている、そうな。
その辺りをうろうろしている猫に視線を寄せている真昼は一度そっとしておき、店員を呼んで定番のラテアートを頼んだ。
「勝手に同じもの注文したけどいいか?」
「え? あ、はい、大丈夫ですよ」
やはり猫に視線が吸い寄せられていて気付かなかったらしい。
真昼はコーヒーも紅茶も大丈夫派なので、折角なのでささやかなサプライズという事で注文したものは内緒にする事にした。
しばらくすれば店員が笑顔で頼んだものを持ってきた。
ゆっくりとした動作でラテアートを崩さないようにテーブルに置いて会釈をして去っていくのだが、真昼は机の上にのせられたラテアートに視線が釘付けだった。
「こういうの嫌いか?」
「い、いえ、すごく可愛いです……!」
「そりゃよかった」
真昼の前に置かれたカップには猫が丸まって寝ている風にフォームミルクが注がれていて、ココアで猫の模様と表情が描かれている。周の方にはカップの縁にもたれるように猫が作られている。
繊細な形状と可愛らしさは、人気になるのも頷けた。
感動を残そうとしているのかスマホで写真を撮ってほくほくとしている真昼だったが、何故か愕然とした表情になる。
「可愛くて飲めません……」
深刻そうに呟かれて、つい吹き出してしまう。
「わ、笑わないでください」
「いや、可愛い事で悩んでるな、と」
「だ、だって……こんな可愛い猫ちゃんが居るのに崩すのはもったいないというか……」
「飲まない方がもったいないけどな」
「ううっ」
まあ真昼の気持ちは分からなくもないのだが、放っておいてもいずれは崩れるし、崩れたり冷めたりしない内に飲むというのが作り手としては嬉しい事なのではないかと思う。
周も鑑賞を充分にした後、遠慮なくカップに口をつける。
あぁ……と悲しげな呟きが隣で漏れていたので笑いそうになったが何とかこらえ、ゆっくりとカフェラテを飲んでいく。
真昼がしょんぼりしていたのでなるべく崩さないように飲んでみたが、味もやはり美味しい。コーヒーの深い味とミルクのコクが丁度よかった。
甘味はそうないが、別にブラックでも飲める周としては気にならなかった。
「ん、うまい」
一息ついてそうこぼすと、真昼は小さく唸っていたもののためらいがちにカップに口をつける。
猫を崩さないように慎重に飲んでいる姿は面白いというか可愛いというか、ついつい口許が緩んでしまう。
「わ、笑われてる気配がするのですけど」
「気のせいだろ。美味しいか?」
「はい、それはもちろん」
カップから口を離してそう返した真昼を見て、耐えきれず肩を震わせる。
「な、何で笑うのですか」
「いや、白いおひげがついてるな、と」
猫を崩さないようにするあまり他のフォームミルクの部分に気づかなかったのか、真昼の口許にはサンタさんよろしく白いひげが彩っている。
思わずスマホで撮ってしまうくらいには、非常に可愛らしい姿になっていた。
「あ、い、今撮りましたね!?」
「ごめん。消さないと駄目か?」
「そ、そんな情けない顔残すんですか」
「可愛かったからつい」
そう言うと真昼はきゅっと唇を閉じてほんのりと顔を赤らめて、小さく「……一枚だけなんですからね」とこぼす。
それを告げた時も白いひげがついていたので、周はほっこりと胸が温かくなるのを感じながら笑うのをこらえて頷くのであった。