07 天使様はおかん説
「これ返す。うまかった」
翌日の夜、周は借りていたタッパーを持って真昼の家を訪問していた。
周は確かに家事が苦手ではあるが、洗い物が出来ないほどでもない。念入りに洗って乾かした上で返すのが礼儀だろう、ときっちり洗浄したものを携えている。
洗うのにも苦戦したのは、真昼に言えないが。
チャイムを鳴らされた時点で周だと予想していたらしい真昼は、誰かと伺う事もなく表に出てきた。
ボルドーのニットワンピース姿の彼女は周の姿を認め、緩く瞳を細める。
ちらりとタッパーを確認して「ちゃんと洗ったんですね、えらいです」と子供を褒めるように言われたので周は思わず眉をほんのり寄せた。
「わざわざありがとうございます。じゃあどうぞ」
真昼がタッパーを回収した、そこまではよかったのだが、今度はひょいと別のタッパーが周の手に載せられる。
やはりというかほんのりと温かい。
中身はおそらく豚と茄子を炒めたものだろう。冷め具合的に蓋が曇るほどではなかったらしく、しっかりと茄子の色と火の通った豚肉や振りかけられた胡麻が視認出来る。
色からして、炒めたタレはおそらく味噌味。ほんのり焦げ色のついた茄子と照りのある豚肉が食欲をそそった。
美味しそうだとは思う。
思うが、何故また渡されたのかが分からない。
「……いやあの、タッパー返したんだけど」
「今日の晩ご飯です」
「うん分かるけどな」
「一応聞きますが、アレルギーないですか? 好き嫌いは受け付けません」
「ないけどな? いやまたもらうのは」
二日連続晩ご飯をおすそわけしてもらうというのはどうなのだろうか。
栄養が片寄っている身としてはありがたいし、なにより真昼の料理の腕前は同年代の女子より遥かに上で、味も間違いないだろう。
きっとこのタッパーの中身も美味しい筈だ。
ただ、これが同じ学校の人間に見られていたら大惨事になりそうだ。もちろん周の平穏な学生生活が、という意味で。
このマンションは一人暮らし向けではあるが、設備や立地的に家賃がお高め。真昼以外に同じ学校の生徒は見た事はないので目撃に関しては心配要らないだろうが、それでもこういった関わりを持つのはやはり少しためらわれる。
「一人だと作りすぎますし、もらってくれたらありがたいです」
「……そういう事ならありがたくもらうけどさ。普通こんな事してたら、相手が好意持たれてるんじゃないかと勘違いするぞ」
「しますか?」
「いーや、ないな」
馬鹿なんですか、といったものを感じる眼差しで見られれば、そんな勘違い出来る筈がない。
そもそも、真昼のような美貌の才女がだらしないと最近痛感してきた周のような男に好意を向ける事が想像出来なかった。
確かに、可愛い隣人からおすそわけしてもらう、なんてのはラブコメ漫画のような展開なのかもしれないが、互いにラブコメ要素は一切ない。もちろんラブはないし、会話にコメディさの欠片もない。ついでに周の家には米もない。
あるのは、天使様の言葉のトゲと哀れみからの温情くらいだ。
「じゃあ問題ないでしょう。……どうせあなたはコンビニ弁当とスーパーの惣菜で済ませてそうですからね」
「何故分かる」
「どう考えてもキッチンがろくに使われた形跡がなかったですし、コンビニやスーパーの割りばしが机にたくさんありましたからね。あとあなたの様子で考えなくても分かります。それに不健康そうな顔ですし」
家に一度あがった時に見ただけでそれだけ見抜いてくる真昼には周も頬をひきつらせたが、本当に的確に当たっていたので何も言えなかった。
「……じゃあ、私はこれで」
ぺこ、と言うだけ言って渡すだけ渡し、真昼は家の中に戻っていく。
じゃらりと扉の内側でチェーンのかかる音を聞きながら、周は受け取ったタッパーを見る。
手のひらの中でほんのりと温もりを伝えてくるおすそわけに、そっとため息をこぼして周も自宅に戻った。
いただきものの茄子と豚肉の胡麻味噌炒めはやはり美味しくて、米が無性に欲しくなった。
結局のところ、毎日タッパーを引き換えるごとに中身の入ったタッパーが手に渡るため、周の食生活は劇的に改善されていた。
真昼の料理は味付けは濃くはないがどれもこれもご飯が欲しくなるため、晩ご飯にはレトルトのご飯を用意して一緒に食べるようになっている。
料理自体は和洋中なんでもござれなのかジャンルは様々なものが毎日代わる代わる詰められていたが、どれもこれも美味しいので非常に食が進んで辛い。
毎日もらえると期待するのは悪いしおこがましいのだが、なんというか餌付けされているに近いので食べられないと恋しさを覚えてしまうほどだ。
天使の料理は依存性が高いのかもしれない。悪いと思いつつも素直にタッパーを受け取ってしまって、つい舌鼓を打ってしまう。
「……最近顔色いいな。食生活見直したか?」
晩ご飯でいくらか栄養を補給しているせいか、顔色もよくなったらしく、昼食時に樹がまじまじと見つめてきた。
学食で頼んだうどんをすすっていた周は、相変わらず鋭い樹に少し冷や汗をかく。
「樹、俺はお前が怖い」
「なんでだよ。つーか図星?」
「いや……まあ……見直さざるを得なかったというか」
真昼がマンションですれ違う度にちゃんとしなさいと軽くお説教をするし、晩ご飯のおすそわけがあるので、自然と生活自体は質が向上したのだ。
天使さまさまと言いたいところではあるが、ちょっぴり余計なお世話だという感情もあったりする。
若干口を濁しつつも肯定した周に、樹はさも愉快だとけらけらと笑っていた。
「そりゃそーだろな。お前不健康そうな面だし実際生活習慣くそみたいだからな」
「うるせえ」
「しかしまた、なんで見直そうと?」
「……強制的に?」
「ははあ、母親にでもばれたか」
「……当たらずも遠からずだな」
真昼のあの口ぶりはおかんといった表現に近い。
おかんというにはあまりにも若々しい上に可愛らしいが、何故かせっせと世話を焼いてくれる真昼の事を拒絶する気にはなれなかった。
「……なあ樹。俺ってそんな不健康そうか?」
「おう。元々色白ってのがでかいな。あと背は高いがひょろいし、やる気無さそうな顔してるし、面構えが不健康って感じだ」
「顔は元からだ」
「知ってる。もっと生気に満ちた顔したらどうだ」
「無茶言うなよ。……そうか、死んだ顔してるのか……」
自分の顔なんてあまりまじまじと鏡では見ないものだから分からなかったが、他人にはあまり生気がないように写るらしい。
もしかしたら、周の普段の表情が死にかけに見えたから、真昼も心配したのかもしれない。
「周はもう少し見てくれを気にするべきだろ。シャキっとすればまだ見れなくもないのに」
「さりげなくけなしたなお前」
「いやー飾らないから野暮ったい上に顔が死んでんだから仕方ないだろ」
これを機に少しは健康と一緒に身だしなみに気を使えよ、と樹からもお節介の言葉をいただいたので「余計なお世話だ」と返して、周はそっぽを向いた。