06 おすそわけという天からの恵み
コンビニに寄るのも面倒で、家に常備してるゼリー飲料を吸いながら柵に体を預けて外の空気を吸っていたら、たまたま真昼がベランダに出てきた。
周の姿を見つけた真昼は同じようにベランダの柵から少し顔を出して、それから周が口にしているゼリー飲料を見て眉をほんのりと寄せている。
周としては、まさか話しかけられるとは全く予想しておらず、しばらく呆けたように固まってしまった。
「見ればわかるだろ。わずか数十秒でエネルギー補給出来るゼリー」
「……まさか晩御飯だと言いませんよね?」
「そうに決まってるだろ」
「……食べ盛りの男子高校生がたったそれだけ?」
「余計なお世話だ」
普段はコンビニ弁当やらスーパーの惣菜を食べているので、ここまで軽食ではない。今日は晩御飯の調達を怠ったしカップラーメンの気分でもなかったのでこうしたゼリー飲料を飲んでいるだけである。
おそらくこれでは足りないので、後にスナック菓子か何かをつまむ事になりそうだが。
「……料理は」
「しないし出来ない。分かりきってるだろ」
「……その上掃除も出来ないのによく一人暮らししてますね……」
「うるさい。関係ないだろ」
ちくりと刺された事は事実なので、やや眉が寄った状態で飲み残していたゼリーを吸いきる。
掃除云々については先日思い知らされたのでどうにかする予定なのだ。とやかく言われると逆にやる気が萎えてきてしまう。
何故こうも小うるさく言ってくるのか、と逆に不思議でならないのだが、真昼はそんな周の事をじーっと見て、それからそっとため息をついた。
「……待っててください」
そう言うや否や、真昼はベランダから部屋に戻っていった。
カラカラと窓が閉まる音を聞きながら、周は「一体何なんだ」とこぼす。
待っていろ、と言われても何を待てと言うのだろうか。
訝るような眼差しを真昼の部屋の方に向けても、返事は当然返ってこない。
(そろそろ冷えてきたし中に入りたいんだが)
待てと言われて一応待機しているものの、秋の夜は思ったよりも冷えるのだ。スウェットでは肌寒いものがある。
というか、そもそも何故律儀に待っているのか自分でも分からなかった。
その内息が白くなりそうな気温の中深く息を吐くと、玄関の方から電子音が響く。
来客を知らせる音に振り返った。
来客の心当たりなんて、一人しかない。
本当に何故なのか分からず、散乱した服や雑誌を避けて歩きながら玄関に出る。
覗き窓から見ずとも誰か分かるので、サンダルを足に引っかけチェーンを外してドアを開ければ――予想通り、周の目線より低い位置に亜麻色の髪が揺れていた。
「……何してんのお前」
「あまりにもあなたが不摂生すぎて目に余ったんです。……残りですけどどうぞ」
つん、と素っ気ない声と共に、真昼は手を前に出す。
周よりも一回りは小さく華奢な手には、タッパーが乗っている。半透明の蓋からは、煮物らしきものがぼんやりと見えた。
まだほんのりと温かいのか、わずかに蓋が曇っているため何となくでしか分からないが、間違いなく煮物だろう。
ぱち、と瞬きを繰り返すと、何故だと問いたい周の眼差しを理解したらしい真昼からは深いため息が返ってきた。
「あなたがちゃんと食べないからです。栄養補助食品は補助であってそれを主食にしてはいけません」
「おかんか」
「私の主張は一般的だと思いますけど。あと、部屋は整理整頓しておくべきでは? 足の踏み場なかったんですけど」
ちら、と周の後ろを見て分かりやすく呆れたように瞳を細めている真昼に、周はぐ、と言葉を詰まらせる。
「……多少はある」
「ないです。普通床に服は落ちてません」
「落ちるものなんだよ」
「洗って干して畳んで仕舞えばなりません。雑誌は読まなくなったらまとめて縛る。踏んで滑って転んだら大事なんですからね」
言葉にはほんのりトゲがあるような気がしなくもないが、真昼は何故か純粋に心配してくれている、というのも分かるので、全部突っぱねる訳にもいかない。
そもそも、看病の時も部屋の雑多さに一緒に転びかけていたので、言われても仕方ない。
ぐぬぬ、と表情を歪めるも反論出来ない周は、むっつりと唇を閉じて真昼の手からタッパーを受けとる。
じわりと手のひらに伝わってくる温もりは、寒くなりつつあるこの時期嬉しいものだった。
「……で、これ食べていいのか」
「要らなければ処理しますけど」
「いやありがたくもらうよ。天使様の手料理なんて普通食えないだろうし」
「……それやめてください、本当に」
意趣返しとばかりにからかうように学校での通称をよべば、分かりやすく白い頬が赤みを帯びた。
本人的には、天使と呼ばれる事は恥ずかしくて仕方ないらしい。周もその立場になれば間違いなく嫌なので、当たり前と言えば当たり前なのだが。
頬を紅潮させてちょっぴり涙目で恨みがましげに見上げてくる真昼の姿に、周はつい笑みをこぼした。
「ごめんって、もう言わないから」
これ以上は確実に機嫌を損ねるのが明白なため、あまりからかうのもよろしくない。そもそも、そこまで親しくないのだからやりすぎはよくないだろう。
真昼もこれ以上言われたくはないらしく、こほんと咳払いをして気を取り直したと主張している。
微妙に頬は赤いので、あまり変わった風には見えなかった。
「まあ、これはありがたくもらうけどさ。別にあの時の事は気に病まなくていいんだぞ」
「別に、あれは看病で相殺しました。これは、私の自己満足というか……あまりにもあなたがロクな生活をしてないのが見えて、気になっただけです」
「さようで」
情けない姿しか見られていないので、そういう判断がなされるのはある意味当然なのかもしれない。
今も周の後ろでは色々と転がった廊下が見えているだろうし、看病でうちにあがった時に全て見られているのだからもう隠しようがなかった。
「……ちゃんとご飯食べて、規則正しい生活をするのですよ?」
「おかんか」
大真面目に諭してきた真昼に、周はちょっと疲れたように突っ込んだ。
もらったおすそわけを手に家に戻った周は、スーパーでもらった割りばしを用意してリビングのソファに腰かける。
真昼に押されてもらったが、果たして味はどうなのだろうか。
お粥は美味しかったと思う。若干風邪で舌が鈍っていたが、生米からきっちり炊かれただろう粥は、胃に優しくじわりと染みる味だった。
おそらく、あれを見た限り真昼は料理も上手いと思うが、実際はどうなのか。
若干の期待と躊躇いを抱きつつタッパーの蓋を開けると、ふわりと漂う如何にも煮物の香り。
幾つかの根菜と鶏肉が炊かれたものだ。煮汁の色はやや薄めで、鮮やかな人参の色や飾られたさやいんげんがよく映えていた。
一口大にサイズを合わせて切られた彩りのよいそれらは、ゼリーだけしか食べていない周の食欲をこれでもかとそそった。
早速と割りばしを手早く割って、まずは大根を口に運ぶ。
「うま」
味の是非は、すぐに出た。
健康志向な真昼らしく、味付けはやや薄めで出汁を効かせた味付け。それも市販の顆粒だしではなく、きっちりと鰹節と昆布から取ったものだろう。旨味が全く違う。
噛み締めると柔らかく口に広がる出汁と調味料、そして野菜本来の味。
野菜の旨味を生かしつつ味を整えており、しっかり中まで味の染みた煮物は、あまり好き好んで野菜を摂取しない周でも非常に美味しくいただけるものだった。
野菜をメインに食べなさい、と言わんばかりにやや控え目に入った鶏肉もぱさつきは一切なくふっくらとした仕上がり。量以外文句の付け所がない。
女子高生が作るには些か選択が地味で渋いが、作り手の力量がよく分かる。
料理を覚えたての人が作るものとはかけ離れた味と言えよう。
これに米と味噌汁かすまし汁があれば尚よかったのだが、生憎ご飯は炊いていない……というか米すら切らせているので、ささやかな希望も叶わない。
今更ながらに、レトルトのご飯パックでも買っておけばよかったと後悔していた。
「すげえな天使」
勉強も運動も家事全般も完璧にこなせるのか、とおそらく本人が聞いたら嫌がりそうな呼び方をして褒めた周は、手を止める事なく理想的な味付けの根菜の煮物に舌鼓を打った。