58 樹の事情
「で、いつまで居るつもりだ?」
下校して買い物をしてから帰宅し、一息ついたところで我が家のように寛ぐ樹を見る。
最近は真昼が居る関係であまりいれなかったが、何度もこの家に来ているので勝手知ったる、といった感じなのだろう。
足を組んでコーヒーを飲むという美形ゆえに様になる姿を見せていた樹は、考えるように視線を宙にさまよわせる。
「んー、とりあえず三日はほしい。めんどくさいんだよなあほんと」
「お前の親父さんは悪い人じゃないが、他人の主張を受け止める柔軟さに欠いてるからな」
「頑固で融通のきかない時代錯誤な糞親父でいいぞ」
「あのなあ」
「親にお付き合いする相手とか指図されてたまるかっての」
どうせ大人になったら家を出るのに、と舌を出している樹ではあるが、本気で父親が嫌いという訳ではない。
彼の父親は筋を通す男性であり、一度懐に入れてしまえば親しみをもって接してくれるタイプなのだ。千歳を中々懐に入れないだけで、周にとっては割といい人だったりする。
千歳との交際を認めないのは、樹の家はそれなりに家柄がよいので、息子には相応しい女性を選んでほしいというのが大きいのだろう。
加えて、おそらく単純に樹の父が千歳を苦手だというのもある。
ただ、頭ごなしに否定されているらしい樹としては、そんなだから家を出ようとするんだよ、との事。
「その点いいよなあ周は。好きにさせてもらえて」
「うちは親がめちゃくちゃ仲いいからな、息子にも好きな相手を選んでほしいらしいし」
「本当にお前の両親がうらやましい」
厳しく育てられた結果爆発して今の樹になったらしいので、あまり否定をする訳にもいかない。
髪を明るく染めて軽薄そうな見かけにしているのも、本人いわく反抗だそうだ。
「そう言いつつも、親は尊敬してるんだろ」
「人としては尊敬してるが親としては駄目だろ。抑圧すればいいってもんじゃないんだよなあ……。適度に飴を与えておけばいいものを、鞭だけ使って育てようとするから噛み付かれるんだよ」
「それ飴を与えられる側が認識してていいのか」
「放し飼いにしてくれるならそれで納得したのに、檻に入れて首輪まで着けようとするから牙を剥いただけなのにな」
何十年も生きててそれすら分からなかったらしい、と肩を竦めてみせた樹は、残していたコーヒーを一気に飲む。
「俺も子供のままじゃないからさ、まあ色々と計算してるんだよな」
「計算?」
「んー、まあ大学卒業までは流石に親の脛をかじらざるを得ないのが癪ではあるんだが、そこから家を飛び出して二人で生活していくにはどのくらいかかるとか手続きはどうするとかその辺を」
「飛び出す前提なんだな」
「認めてくれなければな」
高校生でそういう覚悟をしている樹はある意味すごいとは思うものの、樹の父親ともそれなりに良好な関係を維持している周としてはやはり和解をして欲しいところだ。
とりあえずは樹父の怒りが和らぐまではここに居るらしいが、早いところ仲直りをしてもらいたい。
「まあ、数日はゆっくりしていけ。幸い、休みだから時間はあるしな」
「持つべきものは友……!」
「くっつくな気味悪い」
「傷付いた! 慰謝料として椎名さんの料理を所望する!」
「傷付いてなくても食うだろうが」
「てへ」
「可愛い子ぶるな気持ち悪いぞ」
「ひどい更に直接的表現になった……およよ」
わざとらしく泣き真似をしてみせるものの顔は笑顔なので、周は呆れたように彼を見つつ、少しだけ安堵した。
彼が父親とバトルするのはよくある事だが、今朝のは少しひどかったらしい。学校では心なしか空元気に見えていたので、多少なりと持ち直してくれたようだ。
まあ本人にはとうてい言えないので、周は樹にすげなくする振りをしつつ小さく吐息をこぼした。
日が暮れてから、真昼は周の家にやってきた。
手ぶらなのは既に周が頼まれた材料を用意しているからだろう。
樹が事前に居るという事を伝えているので、寛ぎまくっている樹の姿にも動揺した様子はない。むしろ樹の方が微妙に慌てたくらいだ。
「お久しぶりです、赤澤さん」
「こっちこそお久しぶり。急に愛の巣に……いて、いてて、分かったから冗談だから。急にお邪魔してごめんね、慣れないやつが入ってきて困ったでしょ」
周が無言で足を踏んでやったので地味に呻いているが、それでも樹はにこにこと人好きするような笑みを浮かべている。
「いえ、そんな事は。賑やかな方が楽しいですから」
「こいつが居てもうるさいだけだぞ」
「そんな事を言うものではありませんよ」
窘められたので口をつぐむと樹がにまにまとしていたので、周は真昼に見えないように脇腹をつねった。
尚、樹は男の理想体型なのでつまむ部位はほとんどなかったが。
「では私は夕食を作ってきますので、ごゆっくり」
二人でささやかな攻防を繰り広げていたら、真昼はにっこりと天使の笑みを浮かべ、エプロンを着けてキッチンに旅立っていった。
流石に何を話せばよいのか分からなかったから相手は周に任せる、という事なのだろう。
真昼の後ろ姿を眺めた樹は、にんまりとした笑みを収める。
「……鍵渡すほど仲いいんだな」
「うるせえ」
あまりに日常になりすぎて合鍵を使ってしまったのだろう。インターホンを鳴らさずに入ってきたため、樹が気付いてしまったのだ。
「ごゆっくりって、椎名さんにとってはここが居場所みたいな認識だから出るんだろ? 最早奥さんに見えるぞあの態度」
「追い出していいか?」
「冗談……と言いたいところだが、客観的にはそう見えるって事は認識してくれよ?」
首根っこを掴もうとしたところで樹が逃げ、カーペットに座ってゲームを起動し始めたので、周はソファーから降りて彼の背中を軽く膝で蹴りつつ隣に座って暇潰しをする事にした。
しばらくすれば皿を出している音がし始めたので、流石に真昼に全部させる訳にもいかず、立ち上がってキッチンに赴く。
「手伝うよ。よそったやつ持っていけばいいか?」
「ありがとうございます」
いつものように盛り付けたものをテーブルに並べていくと、樹が微妙に呆れたような顔をしていた。
「……なんつーか……」
「なんだよ」
「いや、言うまい」
最後まで言わずゲームの後片付けをしている樹に、周は「なんなんだ」と少しだけ困惑したような声をこぼした。
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