56 ホワイトデーの翌日
「どうだった、ホワイトデー」
翌日、樹に感想を聞かれて周は思い切りしかめ面をした。
一応学校では気を遣ってか聞いてこなかったが、帰りにファストフード店に寄った際席についた途端笑顔で聞いてきたのだ。
たまにはしょっぱいものも摘まみたいからとポテトを食べに来ただけなので、こんな事を聞かれるなら寄らない方がよかったのかもしれない。
「どうって……別に普通に渡しただけだ」
「喜んでもらえたか?」
「……まあ」
喜んでもらえたか否かで言えば、喜んでもらえた。
無邪気にはしゃぐような笑みではなかったが、はにかみにも似た甘くて何とも言えない色気のある笑顔を向けられたのだから、かなり喜んだ方だと思う。
あの美しい笑みは、思い出すだけで居心地が悪くなる。
内側から熱が頬に忍び寄ってくるのを抑えつつなるべく平坦な声で返せば、樹は腕を組んで「うんうん」と理解しているような風に頷いていた。
「お前のその反応は結構いい感じって事だよなあ。さぞかし喜んでもらって可愛い笑顔を見られたんだろ」
「んなっ、」
「ほらな。着実に仲良くなってるよなあ」
からかうというよりはしみじみとした口調と声音で、周は唇を噛む。
樹は踏み込んでほしくないところは踏み込まないが、それ以外は親友としてきっちり指摘するので、非常にやりにくい。やり返そうにも千歳とは元々仲がいいので今更というものだし、手段がない。
ぐぬ、と言葉をつまらせた周に樹は穏やかに笑っている。微妙に生暖かい眼差しなのが腹立たしかった。
どうしようもなくて、頼んだフライドポテトを摘まみながらそっぽを向いた周に、樹の苦笑が届く。
「オレとしては嬉しいんだぞ? 周にもようやく春がくるのかと」
「そういうのじゃない」
「向こうにとってはどうか分からないだろ?」
「……ないよ、そういうのは」
確かに、真昼は周を深く信頼しているのは、身をもって知っている。なんなら周が真昼の一番信頼出来る男、と言えるくらいには、彼女と親しくしているつもりだ。少なくとも、今見える交遊範囲では周が一番気を許してもらっている。
ただ、それが恋愛感情かといったら、違うだろう。
時折異性として接してしまい照れる事はあるが、それは異性間ならよくある事だ。好意は受けているが、異性に向ける恋情といった意味での好意ではない、と思う。
最近こそ多少身なりを整えてきた周だが、駄目男には変わりがない。周のようなタイプを好きになるとはあまり思えないのだ。
「お前、そういうところ卑屈っつーか。ほんと、自分が好かれるってあり得ないとか思う質だよなあ」
「むしろあの天から何物も与えられた……というよりはまあ努力してのものなんだが、あんなに頑張っててかわいくてすごい子から取り柄ない俺が好かれるとでも?」
「美少女が全員有能な美男子と結ばれるならあぶれてるやつらがテロ起こしかねんぞ」
それは美男子に入っている樹が言っていいような事ではない気がした。
「まあ、お前がそう言うなら今のところはいいけどさ。……じゃあ友人として予言しとこう」
「なんだよ」
「お前はいずれ、変わる。というか、変化の兆しはある。あとはお前が踏み出すだけだ」
「……知った口きいて」
「はっはっは、何年お前の友達やってると思ってる」
「一年も経ってねえよ」
冷静に突っ込みを入れれば「そーだったな」とからから笑い声を上げている。
こういう気軽なやり取りをしているが、高校生からの友人である樹は、地元で小中と過ごしてきた男友達よりも、余程周の事を理解して気遣えるような男なのだ。
「つーかさ」
「ん?」
「お前、自分が彼女に相応しくないとかうだうだ言ってるけど、あの言い方とか態度だと好意を抱いてるって認めてるようなもんだよな」
「フライドポテト鼻に突っ込むぞ」
「すんません」
ちょっと感動したのに最後に余計な事を言ってくれたのでフライドポテトを手にしたが、即座に平謝りしてくるのも樹らしいなと思った。
「遅かったですね」
いつもより一時間ほど遅れて帰宅すると、エプロンを着けた真昼が出迎えてくれた。
思わずどこの新妻だと思ってしまったのは、樹との会話があったからだろう。真昼にそういう感情はないのに妄想してしまうのは、本人に悪いので慌てて頭から追い出しておく。
「ん、樹とポテト食べてた」
「……夕ご飯前なのに」
「大丈夫だ残さずに食べる」
真昼の料理は別腹であるし、そもそもフライドポテトも控えめにSサイズを選んだのでそう腹が膨れている訳でもない。
いつもの量を出されても食べきる自信はある。
「太りませんか……と思いましたが、周くんは細いのでもう少し肉を付けてもいいのかもしれませんね」
「お前こそもう少し肉付けた方がいいんじゃないのか。折れそうで怖い」
「折れるほどやわではありませんよ」
「そうか? ほら、こんなにも細いし」
真昼は華奢でいかにも少女らしい体格をしている。運動はばっちりこなせるので、細いといってもただ細いだけではなく引き締まっていてなおかつ柔らかい、といった感じなのだが。
パッと見折れそうなのは確かで、試しに手首を掴んでみればあっさりと指が回る程に細い。力を込めれば折れてしまいそうで「女の子は優しく丁重に接するべきだよ」という父の教えにも頷ける。
手を繋いだ時も思ったのだが、あまりにも真昼はか細くて、知らないところで怪我してしまわないかと不安になる。
繊細な指先も少しの事で折れてしまいそうで、こんなに細くて大丈夫なのかと思ってしまう。
指をなぞるように触れて感触や丈夫さを確かめていると、もぞりと真昼が身じろぎしていた。
やや顔をうつ向かせて、ただ視線は握っている周の手に向けて。
淡く色づいた頬に、遅れて無許可に無遠慮に触っていたのだと気付いて慌てて離した。
「……その、ごめん。勝手に触られるの嫌だよな」
「い、いえ……周くんに触られるのは、嫌じゃないです」
一瞬耳を疑うような言葉を紡いだ真昼を凝視すれば、真昼も自分が何を言ったのか気付いたらしくぱっと顔を上げる。
先程よりも色が濃くなった頬に加えて羞恥からか僅かに潤んだ瞳がこちらを見るものだから、周は非常に居たたまれなくなった。
「さ、触ってという事ではないですからね。他の男の人には触らせたくもないってだけです」
「お、おう」
そう言われても、心臓の高鳴りは中々収まらない。
真昼が周を親しい人として特別視しているという事は分かるが、そういう言い方をされると都合のいい解釈をしてしまいそうなので止めてほしさはある。
「……そ、そうだ。昨日の、着けてないんだな。ああいや、催促とかじゃないんだけどな」
心臓がうるさいのを誤魔化すように聞いてみると、真昼は手首を見て、そっと周が握っていた場所を指でなぞる。
「……家事する時に着けてたら邪魔になりますし傷むのも早くなりますから。……大切にしたいので、お休みの日に着けます」
「……そっか」
あまりにもいじらしい理由を口にされて、周は危うくその場に座り込みそうになった。
そういう可愛い事を言われて意識しない男なんて居ないだろう。
贈り物を大切にしてくれているという事も、ちゃんと身に着けるつもりという事も伝わってきて、周としては色々とわき上がる感情に胸から色々と溢れそうで辛かった。
どっ、どっ、とうるさいくらいに心臓が跳ねているのをくらくらする頭で認識しながら、周は一度落ち着こうとゆっくりと深呼吸する。
「……気に入ってくれたなら、嬉しいよ」
「気に入ってますし、大切にしますから。くまさんも、キーケースも、ブレスレットも」
ハンドクリームは遠慮なく使ってますけどね、と小さく照れ臭そうに口許を緩めた真昼に、周は我慢しきれずに靴も脱がず突っ立った状態から急いで靴を脱いで廊下に上がる。
「……着替えてくる」
「は、はい。行ってらっしゃい、周くん」
帰宅したのに新妻に送り出されるような気分を味わってまた心臓が暴れだした周は、足早に自室に入って床にしゃがみこんだ。
またレビュー二件いただきました、ありがとうございます(´∀`*)