50 バレンタインの喧騒
バレンタイン当日は想像通り学校中が騒々しく、みな落ち着かないような雰囲気だった。
男子達はそわそわと何かを期待しつつも興味なさそうに装っている人間が多い。
本日はチョコをもらえるかもらえないかで男の格が決まる、と思っている男が多いので、こんな態度の男子が多いのだろう。
「みんな浮き足立ってるな」
格付けはどうでもよい周としては大変だなと他人事のように思いつつ、周とは別の理由で興味がなさそうな樹に視線を滑らせる。
樹はのんびりとクラスの喧騒を眺めていて、周の言葉に「そうだなあ」とのほほんと返していた。
「彼女持ちの余裕が見える樹さん、今年のバレンタインについての見解をお願いします」
「やはり男子的な心情では今日貰えるか否かによって今後に関わってくるので必死だなー。あと、椎名さんからチョコをもらえないかとそわそわしてるやつが六割は居るかなー」
「男子には義理チョコすら配らないらしい。収拾つかなくなるから」
「だろうなあ。……ちなみに周くんや、あの人からもらう予定は?」
「知らん。少なくとも俺はその様子を見てない」
真昼は女子にはあげるらしいが男子にはあげないらしいので、周に渡す、というのは期待出来ない。もらえなくても別に何とも思わない。
もちろん、もらえたらありがたいとは思うものの、あろうがなかろうがどっちでもいいのだ。
正直なところ周にとってバレンタインは製菓会社の販促みたいなものだと思っているし、そこまで重要なイベントではなかった。
あまり興味がないのが目に見えて分かる周に「淡白だよなあ」と苦笑をこぼした樹は、周から視線を離してクラスの特に賑やかな方向を見る。
「……しっかしまあ、アレすごいな」
樹が指すアレ、というのは、クラスの女子をほとんど吸い取っている人気者だろう。
甘いかんばせに人好きするような笑みを浮かべた王子が集団の中央に居て、ひっきりなしに女子がやってきてはチョコレートの入った袋を渡している。
まだ始業前だというのに、既に本人が用意したらしい手提げにはパンパンに贈り物が詰まっていたので、人気のすさまじさが窺えた。
「流石王子だな」
「周りの歯噛み具合がすごい」
多分まだ誰からももらえていない男子は遠い目をするか妬ましそうに門脇を見ている。
格付けされる前からそもそも格の違いを見せ付けられているので、最早どうしようもないだろう。
周からしてみれば、あんなにチョコレートをもらって持って帰るの大変そうだな、とどう処理するのか、といった点が気になるといったくらいなのだが。
「モテる男は辛いな。あれ持ち帰って食べるの苦労するんだろうな」
「そうだな。しかしそれでも太らなそうなのすげえわ」
「俺には縁のない話だな」
「ちぃはきっちり用意してたぞ。覚悟しとけ」
「なんだよ覚悟って」
「ロシアンだ」
「やめろ何混ぜやがった」
先日のやり取りから普通のお菓子を作る気ではないのは察していたが、余計なものを混ぜ込んだらしい。
「そうだな、唐辛子わさびハバネロ三位一体チョコ一粒と梅干し濃縮エキスゼリー入りチョコ一粒、残りは普通のチョコだな」
「何作ってやがるあいつ」
「周には驚いてほしいらしいぞ」
ある意味驚愕するかもしれないが、ほぼほぼ悶絶の意味で、であろう。
「……食べるの怖いわぁ」
「諦めろ。味見したオレも通った道だから」
「お前は面白半分食べただろうが」
「まあな。ちぃの作るものならなんでも食べるさ」
「バカップルめ」
樹ならば千歳の出すものなら何でも食べるだろう。
そもそも千歳は別に料理が下手という訳ではなく、ただチャレンジ精神に溢れるのが問題なのだ。普通に作る時は作るようだが、何かを思い立つと困ったアレンジを施しているらしい。
基本犠牲は樹なのだが、自分にもお鉢が回ってくるとは思わなかった。
まあ樹の反応を見るに食べられなくない範囲に収まっているようなので、過度に恐れる必要はないだろうが憂鬱なものは憂鬱だ。
ややげんなりした周に、樹は乗り越えたもの特有の諦めろといった生暖かい眼差しを贈った。
「はい周、どーぞ!」
「どーも」
放課後樹を迎えにくるついでに周にチョコレートを渡しに来た千歳に、周は微妙に気が進まなそうに返事した。
もらえるのは、当然ありがたい。
ありがたい、が、中身に劇物が入っているので素直に喜べないというのが本音だ。
残さず食べるつもりなので必ずどこかで例の激辛チョコか激すっぱチョコにぶつかるので、これから数日は戦々恐々しながら食べる事になるだろう。
「いっくんから聞いてると思うけど中身には期待しててね!」
「俺辛いものそんな好きではないんだがな……」
「食べられる範囲には収まってるよ? 私もちゃんと食べたけどあれはあれで美味しかったし!」
「それはお前が辛いもの好きだからだろ……ったく」
周は辛いものをそこまで好んで食べないので、やはり気は進まない。すっぱいものもあまり好きではないため、ピンポイントで周の苦手な味を取り入れているのだ。
他は恐らく美味しいものが出来ていると思うので、それだけが救いだ。
「あ、激甘と激苦のも入ってるから」
「事前通告ありがとう」
爆弾をさらっと増やしてくれた千歳には頭を抱えたい気持ちで一杯だった。
激甘は砂糖大量、激苦は恐らくカカオ九十九%チョコレート辺りを使っているだろう。
ただ、それくらいならまだなんとかなる。苦いものは嫌いではない。
樹もそれは初耳だったらしくて「ちぃ……お前ってやつは……」と微妙に頬をひきつらせていたが、千歳は笑顔のままである。
「大丈夫だって、口直しあるだろうし」
「口直し?」
「じゃあ私達はいくねー。ばいばーい」
周の疑問には答えず、樹の手を取って歩き出す。今日はバレンタインデートをするらしい。
樹の「健闘を祈る」という慰めと激励の言葉を受け取りながら、周は疲れたようにため息をついて手を振って見送った。
彼らの姿が消えるのを見届けてから周もそろそろ帰宅しようとコートを羽織り、リュックを机横のフックから持ち上げる。
お一人様な事には何とも思わないが、あまり長居しても充実した男女逹の気に当てられるだけなので早めに退散するつもりだった。
帰るか、とリュックを背負おうとして、ふと一番学年で充実してそうな男の方を見る。
ようやくプレゼント攻撃が落ち着いてきたらしい門脇が机の上に溜まった男子垂涎の品物達を眺めて若干遠い目をしていた。机の横に提げられた袋はこんもりとお宝がつまっている。
なにを考えているのかはすぐに分かったので、周は同情しつつ彼に近寄った。
「門脇」
「ん、ああ、藤宮か。何か用か?」
一年近くクラスメイトをしていれば、存在感があまりない周も名前は覚えられている。
自分から話しかける事は業務連絡以外まずなかったため、意外な相手に門脇も不思議そうにしている。
そんな態度に周は小さく苦笑して、リュックの前面にある小さなポケットのファスナーを開ける。
「用という訳じゃないが、ほれ」
中からスーパーの袋を折り畳んでコンパクトな三角形に纏めたものを幾つか取り出して、門脇に投げる。
真昼が「もしもの時に備えて幾つか入れておくと、後々便利ですよ」と言っていたので仕込んであったのだが、恐らくこういう事態を想定していたのだろう。使うのは周ではないが。
何なんだと困惑しつつも門脇が三角形の塊を広げると、割と大きめなスーパーのレジ袋が出てくる。
流石にレジ袋はそう厚くないので破れたりするかもしれないが、そこまでは面倒は見れないので本人になんとかしてもらうとしよう。
「違ったか?」
「い、いや……合ってたけどさ」
「そうか。まあ大変だろうが頑張れ」
恐らくパンパンになった袋を抱えた門脇がその内校内で目撃されるであろう。
モテる男は辛いな、という感想を抱きつつひらひらと手を振って教室を後にした。