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302 ホワイトデーのお返しの告知


 受験の練習こと地獄の学年末考査が終わった事もあって、周も真昼も数週間前のゆったりした空気が戻ってきた。課せられていたものがなくなった時の解放感は、余裕を持って試験に挑んだ周と真昼にも当然ある。


 ここ半月程食事と片付けが終われば勉強、という事を繰り返していたので、こうして夕食を食べ終わった後、食卓に座ったままのんびりと他愛もない話に花を咲かせられる状態にまで落ち着いてほっとしていた。


 弛緩した雰囲気に身を委ねている真昼の向かいに座った周は、ちらりとスマホに表示されたカレンダーを見る。


 もう二月の月末になっており、ホワイトデーも徐々に近付いている。

 まだ、真昼にはホワイトデーの事は言っていない。


 試験前に告げるのは真昼の妨げになるのでは、とやめていたのだ。

 勿論真昼の勉強が手に付かなくなる、とまでは思わないし真昼の日頃の行いからして問題はない気がしていたが、それでも不安要素を増やす必要はないと思ったので敢えて伝えていなかったのだが、そろそろ頃合いだろう。


「真昼、今ちょっと時間もらえる?」

「あ、大丈夫ですけどちょっと待ってくださいね。冷蔵庫に残していたミートソース仕舞いたいので」

「俺がついでにしておくよ。真昼はソファで休んでいていいから。いつもありがとな」


 バイトがない日は周が担当する事が多いとはいえバイトの日は夕食作りは真昼に任せるしかないので、こういう時は周が後片付けまできっちりやっておくべきだろう。

 いつも頑張ってくれている真昼を休ませたいと、真昼が何か言う前に真昼の分も食器をキッチンに運ぶ周に、カウンター越しに真昼の不満げなジト目が向けられる。


「もう。お仕事取られた」

「俺がバイト始めてから真昼の負担が増えてるからこれくらいはしたいの。真昼はゆっくりしていていいから」

「何か用事があるのは周くんなのでは?」

「落ち着いてから話がしたいし」


 やる事を残したまま大切な話をするというのは落ち着かないし真昼も思考の片隅に引っかかるだろうから、さっさと済ませてしまおうという魂胆だ。

 幸い洗い物も夕食の残り物の収納もすぐに終わるもので、十分もあれば真昼と話をする体制を整えられるだろう。


 手早くするつもりだったのだが、周が制止していた真昼はほんのりと呆れた顔で止める間もなくキッチンに来て、隣に立つ。

 仕方ないなあ、と言わんばかりの表情で、それでいて嬉しそうな色を滲ませて。


「だったら尚更一緒にして手早く済ませた方がいいでしょう。私は先に残ってるのタッパーに移しますから、周くんは洗い物やっちゃってください」


 周よりもテキパキとしたこなれた動作で明日以降のご飯に変身するものを容器に移していく真昼に、周は小さく笑った。


「……ありがとうな」

「それはこちらの台詞なんですけど……」


 もう、と可愛らしく肩で軽い体当たりをしてくる真昼に、周も頬を緩めながら同じように、いやそれよりも軽い当たりを心がけながらくっついて、皿にへばりついたミートソースをスクレーパーで拭い落とした。




 真昼の言葉通り、一人でやるよりも二人でした方が早く終わり、周と真昼はリビングに戻ってゆったりとソファに腰掛けた。これだけはさせて欲しいと周が真昼の好きな紅茶を淹れたので、真昼は周にぴとりと寄り添いながらカップにふーふーと息を吹きかけている。

 周も自分の分のミルク入りコーヒーをゆっくりと嗅ぎながら、真昼がリラックスするのを待った。


「それで、どうかしましたか?」


 真昼の紅茶から湯気があまり立たなくなってきた頃、真昼はカップをローテーブルに置いて周を見上げる。

 こうして改めて聞き返されると何だか擽ったかったのだが、真正面から聞かれたら焦らすのも悪いのですぐ側にあった小さな掌に手を伸ばす。

 軽く閉められていた手は周が触れれば抵抗なんて微塵もなく、進んで周の指が肌をなぞるのを受け入れている。


「何ですか、何か悪い事でもありましたか?」

「いやそういう訳じゃなくて……どちらかといえば真昼にはいい事だと思う」


 緩く指を絡め取った所でそう言われたので、申し訳なさから逃げるために触れているのではと非常に誤解を招いているようだった。


 ごほん、と咳払いを一つすれば、真昼の包容力のあるふわふわと甘く柔らかい表情が、ぱちりと瞬きを繰り返して不思議そうな、幼さを感じる表情に変わる。


「真昼は、バレンタインでちゃんと俺の好み聞いてくれたじゃん」

「はい、一番喜んでほしかったので」

「だから、同じように、俺も真昼には喜んでほしい訳です」

「つまりホワイトデーのお返しについて聞きたいと?」

「あんまりにも真昼の察しが良すぎる」


 勿体つけている周も周だが、即座にこちらの意図を汲み取ってくる真昼も真昼だ。


「前振りされたのですからそりゃあ分かりますよ。私と周くんの仲でしょう?」


 にこ、と相好を崩してから周の手を握り返す真昼に、やっぱり敵わないなと周も笑う。


「でさ。真昼は聞くって予想を立てたけど、そうじゃなくて。……その、俺としては、もうホワイトデーのお返しを決めています」

「あら、先程とお話が違いますね。ではどうしてわざわざ伝えに?」

「正確には、お返しについて聞きたいっていうか、俺さ、真昼の誕生日の時もサプライズしすぎはよくないって思って準備する事だけは事前に伝えただろ?」

「そうですね」


 サプライズ、というものは必ずしも喜ばれるものではない。どちらかといえば用意する側の自己満足の面が強く、場合によっては喜ばせたい相手に不快な思いをさせる事にもなり得る。


 真昼の誕生日の時は真昼が誕生日について昔はいい思いを持っていなかった事を知っていたので、まず先に許諾を得てから祝い方を決めたし真昼を安心させる事に注力した。


「だから、今回もちゃんと誤解とかそのへんないように伝えておこうと思って。俺が真昼へお返しするにあたって、嫌な気持ちになったら俺も嫌だから」

「なるほど。お気遣いありがとうございます。でも私はちゃんと理解していますし、心配しなくても周くんが私の事を考えてくれた事なら大抵何でも嬉しいと思うかと」

「真昼は俺がするなら何でも喜ぶのが見えてるから悩むんだぞ」

「だって実際そうですもん。周くんが私を想って考えた末のお返し、という事実そのものが嬉しいですから」

「逆にハードルが上がるからなそれ。適当なものだと悩んだ末にそれにしたのかってなるだろ」

「適当にするんですか?」

「まさか。ちゃんと真昼の事を考えて、俺なりに喜んでもらえるお返しにするつもりです」


 大抵何でも喜ぶのは承知しており、その上で真昼のお気に召すようなお返しをしたいという事で周はホワイトデーのお返しを決めたのだ。


 ただ、周にとってそれを口にするのが些か気恥ずかしいという欠点があるが。


「あー。その、だな」

「はい」

「よかったら、なんだが。ホワイトデーに、うちのバイト先に来てもらおうかと思って」

「……え」


 ぴたり、と真昼の動きが止まった。


 穏やかに周の言葉を待っていた表情のまま。ただ、瞳孔がこれでもかと開いている。


「いやその、真昼ずっと見てみたがってただろ? ずっと先延ばしにしてもらってたけどさ、もう大分慣れて先輩達にも太鼓判押してもらえたから、もう大丈夫だと思って。流石に貸し切りとか、真昼につきっきりとかは出来ないけどさ、それでもいいなら」

「いいんですか!? ほんとに!?」


 固まっていた真昼が動き出すのは思ったよりも早かった。


 ぎゅっと繋いでいた手を痛くない加減だが強く握り返してきて、上気した頬と期待に満ちた眼差しを周に向けた真昼が、ずずいと顔を寄せてくる。


 淑やかな微笑みが一気に幼い笑顔に変わった事でその変貌っぷりに自然と笑みがこぼれるが、これは呆れとかではなく微笑ましい、可愛らしくて癒やされる、という意味合いが強い。


 学校ではまず見せない純真無垢なな笑顔をこれでもかと見せられて、周もこれなら喜んでもらえそうだと一安心。


「滅茶苦茶食い付きがいいな」

「そりゃあもう、周くんの格好いい所ずっと見たくて我慢してましたもん」

「格好いいかは諸説あるとして」

「私にとって格好いい、です」


 そこは譲る気がないのだろう、まっすぐに見上げられて周は軽く肩を竦めた。


「……真昼にとって格好いい姿を見てもらおうかなって。あんなに頑張ってくれたチョコレートのお返しとしてはちょっと足りないかなって思ったけど、俺が思い付く限りで真昼が喜んでくれそうなのがこれというか。駄目かな」

「駄目な訳ありますか。楽しみにしてましたもん」

「よかった」


 口だけではなく表情や体の動きからも真昼が非常に上機嫌で期待に胸を膨らませている事が伺える。

 予告でこれだけ喜んでくれたのだから実際にお店に来た時興奮したりしないだろうかとちょっと不安なものの、真昼の事だから公の場ではしゃいだり取り乱したりという事はないだろう。


 鼻歌でも歌いそうなくらいに上機嫌さが露わになっている真昼の姿に、周としてはそこまで期待されるのはこちらとしては少し気後れしそうだった。


 ただ、その分彼女の期待に応えられるように努力しなくては、と背中を押されるようなものでもあるので、今は真昼の喜びを見守るだけだ。


「その日は早上がりにしてもらってるから、真昼にちゃんと働いている所見せて安心してもらって、その後ちょっとだけ寄り道しようか」

「寄り道……?」

「バイト先の近くにセレクトショップ何軒かあってさ。調理器具とか食器とか食品関係のもの置いてるお店あるからそこを一緒に見に行くのはどうかな。カッティングボード新調するって話だったろ、一緒に買いに行こうか。色気がなくて申し訳ないけど」


 年明けに朝早くから開店しているパン屋が近所に出来たので、休みの日に朝から二人で出かけて朝ごはんを求めに行ったり、忙しくて弁当作る時間も惜しいとなった時昼食用に買ったりする。


 周も真昼も朝はごはん派であるがパンも普通に好きなので、朝ご飯に焼き立てを堪能する事も増えた。

 食パン一斤丸々買う事もあり、そこでカッティングボードの出番な訳だが、先日周がやらかして真昼が持参したカッティングボードを結構に傷付けてしまったのだ。


 普通の使用では確実につかない傷が付いてしまい、使えない事はないがしょんぼりとさせてしまったのは事実。


 平謝りした周が新しくプレゼントしようと考えたが、どうせ使うのは二人でなので好みの物を選びに行こう、という発想だった。


「だめかな」


 お返しにしては弱いのではないか、とかあんまりお返しらしくないのではないか、とちょっぴり不安だったのだが、真昼がゆるゆると亜麻色の髪を波打たせながら首を振った事によって不安が霧散する。


「いえ、あまりにも嬉しいのでにまにましてます」

「お返しになるのか不安だったんだけどな、俺としては。日常の延長みたいだし、いいのかなって」

「私はその日常が何より愛おしいのですよ。それに、周くんは私が喜ぶって想っての提案でしょう?」

「そりゃな。不安はあるけど、それは真昼が喜ぶかどうかの不安というか、真昼があれだけ頑張ってチョコレート作ってくれたのに相応しいお返しになるかどうかって事だし」

「なら安心していいですよ。私は聞いただけで心が躍ってます」

「それは様子で分かる」


 先程からうきうきという表現がとてもお似合いな、背景に花か音符でも舞っていそうなくらいな上機嫌っぷりを見せてくれているので、お世辞だと疑う余地は微塵もない。


「ずっと待たせて申し訳ないと思ってます」

「待ちましたよ? ……でも、周くんの気持ちも分かるので責められません。私も中途半端な身支度で周くんとご対面、みたいな事は嫌ですし、見せるなら綺麗な自分で居たいですから」


 元々の気質なのか、真昼は自分を律する自制心が強い。


 真昼は周相手でもあまり油断した姿を見せない。基本的には身なりを整え姿勢良く落ち着いた姿しか見せてもらえない。周は親しい人ならまあいいか、と結構にだらしない姿を見せるのだが。


 他人の家だからという意識が強いせいもあってきちんとしている真昼に、少しだけ残念に思ったり。


(一緒に暮らし始めたら、少しは真昼のゆるゆるな姿を見る機会が増えるのだろうか)


 そう考えると今後が楽しみになってくる。


「真昼は服よれよれで寝癖付きまくっててふにゃふにゃな姿も可愛いけど。というか可愛かった」

「……今度から周くんより早く起きなきゃ。今半々なのに」

「え、やだ。たまにある俺の楽しみが奪われる。……どうにかして真昼を熟睡させないと」

「その画策やめてください、もう」


 本当に極稀に、真昼が見せる油断した姿、というか気の抜けた無防備な姿は本当に可愛らしくて、それが見られなくなるというのはかなりの損失だ。

 何とか見られる方法を増やしておかないと、と大真面目に画策する周に真昼が頬を色づかせながら手持ち無沙汰だった片手を周の太腿にべちべちと叩きつけた。


「とにかく、その、俺から特別扱い、みたいなのは出来ないけど、バイト先には話を通してるから。……程々に期待してください。程々にな」

「……先に言われたらずっとそわそわしちゃうのですけど」

 この様子だと懸念は正しかったようで試験前に言わなくてよかった、とホッとしながら実際に落ち着かない様子の真昼の背を撫でる。


「ごめん、でもこういうのはちゃんと言っておこうかと思って。予定もきっちり合わせたかったから」

「責めてる訳ではないですよ。楽しみだなって」

「……そんなに見たいんだな」

「それは勿論。是非とも」


 言葉の端々から本気度が伺える真昼に、愛されている実感とちょっと期待し過ぎているんじゃないかという不安が胸で入り交じるのを感じた。


「ちなみに写真はオッケーですか?」

「……オーナーに聞いておく」


 一応店内は提供した品や内装に限り許可を出しているが、店員を撮る事はNGとなっている。

 本人が許可を出せばいいかもしれないが他の客に真似をされても困るので、糸巻に判断を仰いだ方がいいだろう。撮影が駄目そうなら制服姿だけ裏でこっそり撮ってもらう、くらいで文華に頼む方がよさそうだ。


「嫌がらないんですね」

「待たせたし、その、真昼の暫くの潤いに繋がるならまあ」

「ふふ、楽しみにしていますね。駄目なら駄目でよいので」


 少しでも真昼の楽しみが増えると言うなら周としては否やと唱えるつもりはなく、出来得る限りで真昼の願いを叶えてあげたいと思う。

 次のバイトで直接聞いておこうと周は誓った、真昼の事を聞かれる前提で。


「そうだ。その、ホワイトデーの日は、一度着替えてからでもいいですか?」

「いいけど何かあった?」

「いえ、周くんの仕事場に行くのですから身嗜みは整えておきたいので」

「そこまでしなくても……お客さんとして見に来るだけだろ」

「私の気持ちの問題ですので! それに、その、周くんの同僚さん達も居るのでしょう?」

「そりゃあ」

「じゃあご挨拶しなくては。その時にその、周くんに恥ずかしくない姿で居たいというか」


 カフェで働いているしワンオペなんてまずない職場なので、同じく働いている人達は居る。未だに平日の朝から出勤中心の人とは会っていないので名前だけ知っている状態だが、一応大体の人とは顔見知りだ。

 彼女がいるという話もしているので、真昼を紹介すれば「ああ彼女が例の」となるのは見えている。


「その方達に堂々と彼女として紹介してもらいたいですし、ちゃんとした格好でないと。あと、その後にお出かけするんですから、やっぱりおめかしはしたいです」

「じゃあ俺も服持っていかないとなあ。真昼がおめかししてくれるんだから隣に制服で並ぶのは嫌だし」


 真昼がそうしたいというなら止めるのは悪いし、言われてみれば制服でうろつくというのはあまりよろしくないので私服に着替えた方がいいというのは頷ける。

 それに、この調子だと真昼はしっかりおめかしするのが予想出来るので、それなら周もきっちり合わせた方がお互いに気持ちがいいだろう。それに、真昼も周が着飾る所を見るが好きなので、お返しの一つになるかもしれない。


 後でクローゼットから当日の服を見繕おう、と心に決めながら脳内でホワイトデーの予定を組み立てる周に、真昼は小さくはにかんで。


「……待ちあわせデートみたいですね」

「そうだな。……待つ場所が彼氏のバイト先で申し訳ないけど」

「それがいいんですー」


 分かってないですねえ、ところころ喉を鳴らして笑う真昼に、周もつられて唇を緩くたわめた。

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ぬわぁこれが見る砂糖ってやつか
口の中がジャリジャリするよぉ!
あまいよお
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