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03 天使様、看病をする



 入れなければよかったと後悔したのは、熱でゆだった頭で遅れて自宅の現状を思い出した、というよりは実態を見てからだった。


 周が住むマンションは、1SLDK。


 広々としたリビングに寝室、おまけの納戸まであり一人暮らしには随分と贅沢な住まいだが、親がそこそこに裕福でセキュリティと交通の便を考えてここに決められた。


 一人暮らしをするならここ、と決めたのは親なので文句を言うつもりはないのだが、別にそんな金かけなくてもよかったのでは……と思ってはいる。一人で住むには広い家を持て余しているのだ。


 さておき、周は一人暮らしであり、そして整理整頓が苦手な男だった。


 当然、リビングはおろか寝室まで物が散乱していた。


「目も当てられませんね」


 天使様改め救世主様は愛らしい見かけによらず大変素直な言葉を周に贈呈していた。

 実際ひどいので、周も何も言えない。せめて、他人を家にあげると分かっていたら多少は物を退かしていたのだが、それも今更な話だった。


 艶やかな唇からため息をこぼした真昼は、それでも帰る事はせず周を寝室に運ぶ。

 途中二人して転びかけたので、そろそろ真面目に片付けなければヤバイのでは、と散らかした本人が痛感していた。


「とりあえず、一旦出ますから私が帰ってくるまでに着替えておいてください。いいですね」

「……帰ってくるのかよ」

「放って寝込まれても寝覚めが悪いので」


 以前ずぶ濡れの真昼に思ったような事を周にも思ったらしい真昼が素っ気なく返すので、周もそれ以上は文句も言えなかった。

 真昼が部屋から出た後、大人しく言いつけ通りに部屋着に着替える。


「……ほんとにぐちゃぐちゃというか、足の踏み場が……なんでこれで生活出来るのですか……」


 着替えの最中困惑の声が小さく聞こえて、かなり申し訳なくなった。




 着替えた後横になったらいつの間にか眠っていたらしく、重たい瞼を何とか持ち上げると亜麻色の髪がまず視界に入った。


 その髪を辿るように視線を上げれば、どうやら夢ではなかったらしく真昼が周を覗き込むように静かに立っていた。


「……今何時だ」

「午後七時ですね。数時間寝ていました」


 淡々と答えた真昼は周が体を起こすのに合わせて、コップに注いだスポーツドリンクを手渡してくる。

 ありがたく受け取り口にしたところで、やっと周囲に目を向ける事が出来た。


 寝たからか、ほんの少し体調はマシになっていた。


 頭がひんやりしている事に気づいたので額を押さえてみれば、布のようなすこしごわついた感覚が指先に返ってくる。


 この家にある筈のない冷感シートが貼られていた、と気付いて真昼を見上げれば「家から持ってきました」と端的な返事があった。

 この家には冷感シートもないし、なんならスポーツドリンクすらない。スポーツドリンクも彼女が持参したものなのだろう。


「……わざわざどうも」

「いえ」


 素っ気ない返事に苦笑するしかない。

 罪悪感からか看病を申し出ただけで、周と話したい、という訳ではないだろう。そもそも、ほとんど顔見知り程度の男の家で二人きり、といった状態で親しげに話せるとも思わないが。


「とりあえず、机の上にあった薬はこちらに持ってきました。お腹にものを入れてから飲むのが望ましいですけど、食欲はありますか」

「ん、まあそれなりに」

「そうですか。じゃあお粥作ってますからそちらをどうぞ」

「……え、椎名の手作り?」

「私以外に誰が居るというのですか。嫌なら私が食べますけど」

「いや食べます食べさせてください」


 まさか看病してもらった上に手作りのお粥を用意してもらえるなんて露とも思っておらず、一瞬狼狽してしまった。

 正直真昼の料理の腕は未知数なのだが、家庭科の授業で失敗しただのなんだのそういう噂は聞いた事がないので、ひどいという訳でもなさそうだ。


 即座に頭を下げて食べると返事した周に真昼はやや呆れた目を向けたものの、頷いてサイドテーブルに乗せてあった体温計を手渡す。


「持ってきますから、熱計っておいてください」

「ん」


 言われた通りにシャツの前を開けて体温計を取り出したところで、真昼がばっと顔をそらす。


「私が部屋を出てからにしてくださいっ」


 声をほんのりと荒げた真昼を見れば、うっすらと頬が赤くなっている。


 別に女子と違って男の胸板なんて隠すものでもないだろうに、と周としては不思議だったのだが、あまり肌色に免疫がないのか、たかが前を開けただけで真昼は分かりやすくうろたえていた。


 白い頬を淡く薔薇色に染めた真昼は相変わらずそっぽを向いていて、ぷるぷると震えている。心なしか耳も色づいているような気がして、真昼の恥じらい具合が見えた。


(……あ、なんか周りの男が可愛い可愛いって言ってたのちょっと分かる気がした)


 周にとって真昼は確かに美少女だと思っているが、別にそれ以上の感想は浮かばなかった。綺麗で可愛い、それは間違いないが、それだけだった。

 作り物の美を見ている、といったらいいのか。芸術品に近しいようなイメージで捉えていた。


 しかしながら、今こうして微かな恥じらいを見せ慌てている真昼は、なんというか人間らしさを見せていて、妙に可愛らしかった。


「……じゃあさっさとお粥取りに行けばいいのでは?」

「い、言われなくてもそうします」


 ただ、素直に可愛いと言う間柄でもなかったし、言ったら確実に変な目で見られそうなので感想は飲み込んだ。


 興味なさそうにそう言えば真昼はぱたぱたと足早に部屋を出ていく。

 多少もたついていたのは、動揺からか、部屋の乱雑具合からか。恐らく後者だろう。


 ぼんやりとそれを見送ってから、周は改めて何でこんな事になったんだか、とそっとため息未満の息をこぼした。


(……まあ、責任感と罪悪感からだろうな)


 普通、よく知らない男の家に上がり込んで看病なんてしようとは思わないだろう。もし襲われでもしたら大事なのだから。


 そのリスクを携えてまで看病を選択したのだから、よほど気に病んだらしい。それにプラスして、周の態度が明らかに興味がなさそうだったから、というのが安心させる要因だったのかもしれない。


 何にせよ、真昼は割と仕方なく看病してくれている、というのは間違いないだろう。


「……持ってきましたけど」


 すこし熱で浮かされた頭でそんな事を考えながら待っていたら、遠慮がちに扉がノックされる。

 どうやら服を整えたか心配だったらしく入ろうとしない真昼に、今更そういえば服を緩めたのは熱を計るためだったな、と思い出した。


「まだ熱計ってない」

「私がいない間に計っておいてくださいよ……」

「ごめん、ぼーっとしてた」


 素直に謝って体温計を脇に挟むと、ほどなくすればややくぐもった電子音が流れる。

 ひょい、と持ち上げて画面を見れば、三十八度三分と表示されている。病院に行くほどではないが、それなりに高い数字だった。


 服を整えてから未だに入ってこようとしない真昼に「いいぞ」と声をかけると、土鍋を乗せたお盆を携えておずおずと入ってくる。

 目に見えて安堵しているのは、服が直されているからだろう。


「何度でしたか」

「三十八度三分。薬飲んで寝たら治る」

「……市販の薬はあくまで対症療法であって、ウィルスそのものを退治してくれる訳ではないですからね。ちゃんと体を休めて免疫機能に仕事してもらってくださいよ」


 ちくりとお小言をもらったものの、心配からだと分かるのでなんとなくくすぐったかった。


 まったく、とため息をついた真昼はサイドテーブルにお盆ごと土鍋を置き、蓋を開けた。


 中には、梅が入ったお粥。胃の負担を考えてか全粥ではなく水分量多目のようで、七分粥くらいだろう。

 梅が入っているのは、味というよりは風邪によいと聞くからだろうか。


 湯気はたっていないがほんのりと温かさは伝わってくるので、作りたてというよりは意図的に冷まされた、といったものだろう。


 粥をじっと見つめる周をよそに、真昼は手際よくお椀にお粥を注いでいる。軽く実をほぐしてくれていたが、種はご丁寧に取り除いていたらしく、あっさりと赤い身が白に混じり込んでいった。


「どうぞ。多分熱くはないですから」

「ん、さんきゅ」


 受け取ったものの、スプーンを握ったままじっと粥を見る周に、真昼も訝っている。


「……何ですか、食べさせろと言うのですか。そんなサービス承ってません」

「誰も言ってないから。……いや、料理も出来るんだな、と」

「一人暮らししてるんですから当たり前です」


 ちゃんと自活出来てない周には、割と痛い言葉だった。


「……あなたは料理の前にまず部屋を片付けた方がいいですよ」

「ごもっともで」


 大体考えてる事が分かったらしい真昼がすかさず釘を刺してくるので、周は軽く呻きながら誤魔化すように粥をスプーンで掬って口に運んだ。


 舌に広がるとろみのついた粥の味は、やはりというか米の味を生かして塩は控えめだ。

 ただ、ほぐされた梅干しのまろやかな酸味と塩味が味を引き締めて丁度よいバランスに仕上げてある。


 あまり周は塩辛い梅干しは好きではなかったが、ほんのりと甘さを感じるマイルドな酸味は好みの味で、健康であればそのまま白米に乗せたり茶漬けにしたい味だった。


「うまい」

「それはどうも。お粥ですから誰が作ってもそう変わりませんけどね」


 澄ました顔で返した真昼だったが、かすかな笑みが浮かんでいる。

 学校でたまに見かける、外行きの笑顔とはまた違った安堵の含まれた微笑みに、つい凝視してしまった。


「……藤宮さん?」

「いや、なんでもない」


 一瞬だけ浮かんだ柔らかな笑みがすぐに消えてしまったのは、なんだか勿体ない。


 そう思いはしたが口にせず、周はまたも誤魔化すようにお粥をちびちびと口に運ぶのだった。


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