296 本当の気持ち
「正直、遅いくらいだと思ってました」
飲み物の買い出しから戻って大量の荷物を抱えた樹と千歳、門脇の三人と分かれて家に帰った所で、真昼が小さく呟く。
「何が?」
「……こういう風になるのが」
こういう風、と曖昧な表現をしているがそれもわざとなのだと分かる。
「……今まで真昼が心配してたんだなってのは分かるけど、真昼は居ると思ってたんだな」
「勿論。惚れた欲目抜きに、周くんが素敵なのは皆さんにもご理解いただきつつあると思ってましたから。……周くん、自分か努力してる姿を他人にも見られているのですから、そこに惹かれる人が現れるって予想しませんでした?」
「正直、ほとんど。いや、真昼達が言う事は理屈では理解していたけどさ。……自分じゃ、分からないものだから」
一年前と比べて前向きになって良い方向に行った、というのは理解しているし実感もしているが、それが他人にとって魅力的に映るかどうかは周には感じ取れないものだ。
自分に自信がなくて俯いていた時代から顔を上げて前だけを見据えるようになったからこそ、周りの目を気にしなくなった、という事。
真昼という存在が前提にある周の認識は、どうしても人から好意を寄せられるという事を無意識に排除していた。
「本当に自己評価低いですねえ。……そういうストイックな所も、惹かれたんだと思いますよ」
「そうなのかな」
「そうです。……私も、周くんの素敵な所だと思います。鈍いのはよくない事ですけど」
「ご、ごめん。……真昼の方ばっかり見ていて、全然気にした事なかった」
「そういう所です、そういう所」
よく『そういう所』と真昼に責められる事があったが、最近周はこの『そういう所』が呆れに感心や称賛が混じっている事に気付いた。
そういう所、に続くのがどういう言葉なのか、今の周にはよく分かる。
気恥ずかしげに瞳を伏せてぽこりと周の腕を叩く真昼に周はそっと彼女に手を伸ばし、周に若干の不服を混ぜた照れ隠しをぶつける真昼の手を、両手で包み込む。
止められた事に一瞬怯んだ真昼が驚きにこちらを見上げるのを、周は静かな瞳で受け止める。
「あのさ。……俺は、真昼の事を一番に大切にするし、ちゃんと目を離さない。真昼だけを、好きで居続けるつもりだ」
「言い切りはしないんですね」
「勿論心情的には確信してるし誓っていい。ただ、今回真昼を不安にさせたのは事実だし、真昼に疑われても仕方ないと思うから、真昼が俺を信じられるように常に努力する。行動で示すから、決意として受け取ってくれ」
「……はい」
周が真昼の心を結果として不安定にした事は変えようがない。彼女は周を信じていて、その上でどうしてもその不安に揺れる心は自分のものだと周に不満を訴える事なく抱えている。
そのいじらしさに頼り続ける訳にはいかないし、周は自分の立ち振る舞いで決意を示すべきなのだ。
「俺が好きなのは、真昼だけだ」
「知ってますよ。よく、知ってます」
ゆるりと首を振って瞳を伏せる真昼は、何か言いたげに唇を微かに開閉させて躊躇ったような素振りを見せるので、真昼が言いたい事なら全て受け止めると優しく手を握り直す。
小さな指先の震えを緩和させる様に撫でると、真昼は背中を押されたのか暫くした後に口を開く。
「本当に、正直な話をしていいですか」
「うん」
責められても、周は文句を言うつもりはない。
ゆっくりでいいからと言葉を紡ぐのを待っている周に、真昼は、遠慮がちに続ける。
「私は、周くんが絶対に他に靡かないって確信はあるんです。周くんが私だけを見てくれるって。私を愛してくれているって、身を以て理解しています。それだけの愛を、周くんは私に感じさせてくれたし見せてくれた。そこに、疑念は一つもありません」
「うん」
「周くん。私がね、本当に一番嫌だったのは、周くんが傷付く事です」
「……俺が?」
責められるかと思ったら全く別方向の嫌を教えられて、周は想定外の戸惑いを覚えていた。
傷付くのは真昼側なのに、何故周の事を心配しているのか。どう考えても不快な思いをするのは真昼であり、周ではない。
「周くんは、周くんが自覚しているよりもずっと、優しい人だから」
何を言いたいのか分からず真昼の言葉を待つ周に、真昼は淡い笑顔に苦いものを混じらせて吐息を落とす。
「他の女の子に純粋に好かれたら、周くんは、断る時に絶対罪悪感を抱くし、自分ごと傷付くのが、分かってたんです。俺が相手を傷付けたんだから自分も傷付いて然るべき、って思う人だって、分かってたから」
何となく、言いたい事は理解してきた。
真昼は、あの時の周の表情を見ていたのだろう。小西を拒絶した時に感じた痛みがそのままに反映された、あの顔を。
「だから、他の人を寄せ付けたくなかった。取られる不安よりも、あなたが傷付く事が、嫌だった。……少しの間でもその子を考えてしまう事も、嫌だった」
声が、揺れる。
「相手の女の子が傷付く事に目を向けず、周くんの苦しみを一番に考えてしまった私は、嫌な女だと思います。自分でも重い女だし最低だなと思ってるのです。……幻滅、されたくなかった」
絞り出すように、実際胸の奥で抱えてきたものを震えながら吐露したのだろう真昼に、周は握った手を離す。
びくりと怯えるように、けれど求めようとはせず周の手が離れるのをじっと見つめて体を揺らす真昼に、周はその小さな体を包み込んだ。
「俺は、真昼の事私利私欲も悪感情もない完璧な善人とか思ってないよ」
真昼は、周には失望される事を恐れていたようだが、それくらいで周の愛情が薄れると思っていたのなら、随分と舐められたものだろう。
最初から、周は真昼が綺麗なだけの無垢な少女だとは思っていなかった。
聡明で慈悲深く穏やかで心優しい少女、という巷での評価。
確かに真昼はそのような面を持っているし周もその通りだと思う。
しかし、それだけが真昼という人間の全てではない。グラデーションの一部を捉えて切り取っただけの評価だと、一番近しい周は断言出来る。
「真昼はさ、結構挑発されるとムキになるし子供っぽくなるよな」
「……え?」
「案外やきもちやきだし、いや俺が悪いのは分かってるんだけどな、それに常識から外れた人には辛辣な態度を取るし、案外毒を吐く事も知ってる。親しい人から見たら嫌いな人には割と分かりやすく壁作って対応してるのも知ってる。俺の事悪く言うやつには敵意向けてるのも、知ってる」
「え、あの」
「俺の事を思うあまり、気を張りすぎて自縄自縛になった挙げ句自己嫌悪に陥るのも、知ってるよ」
結局の所、周の事が好きだから、周を心配するが故に、優先順位を周に傾けただけ。相手を蔑ろにするという訳でもなく、ただただ周を案じる気持ちが勝っただけ。
そんな真昼に幻滅する訳がないのだ。
「何が言いたいかって言うとさ、俺はそういう真昼もひっくるめて好きだし、真昼が自分の事を重いって言うなら、その重さが心地よい人間なんだって、知ってほしくて」
真昼はそれをよくない事のように捉えるが、周としては大歓迎であった。
「俺は、真昼のそういう所も好きだよ。……真昼がそういう自分が嫌なのだとしても、俺は真昼が好きだ」
だからそんなに泣きそうな顔をしないでくれ、と真昼の額に唇を寄せるとくしゃりと顔が歪む。
その姿すら愛しいと思うのに、どうして周が真昼に幻滅すると思ったのか、不思議でならない。
「何で自信なくすかなあ、ほんと」
「周くんに言われたくないです。それに、好きな人に失望されたくないって、分かるでしょう」
「分かるよ。……でも、俺が失望するとしたら、そうだな、こっぴどく真昼に振られた時、かな。自分の至らなさに失望すると思う」
律儀かつ真面目で真摯で一途な彼女が周以外を選ぶ時が来たら、もう話したくないと突き放すされたら、周はそれを粛々と受け入れるつもりではある。
あの真昼にそうさせるなら確実に自分に原因があって、自分の力が至らなかったから、真昼に見放された。
疑い失望するのは、自分自身にだ。間違っても真昼に向けられる事はない。
「……じゃあ、一生なさそうです」
「よし、問題なし」
真昼が自分以外を選ぶとは微塵も思わないくらいに愛されている自覚はあるし、自分が彼女の心身を損なうような真似はしないと誓っているので、そんな未来は訪れないと思っているし、何より努力する。
愛情に胡座をかくなんて真似をすれば信頼関係など容易く瓦解する、と理解しているからこそ、愛される努力も愛する努力も欠かさない事が肝要なのだ。
そこまで愚かになるつもりもないし、真昼を失いたくないので、やっぱり努力と愛情表現は重要だなとしみじみしつつ、柔らかな肢体をしっかりと抱き締めれば、愛しい人は腕の中で身動ぎを一つ。
「……周くん」
「うん?」
「……その、ご飯とバレンタインのチョコレート、もうちょっと後でも、いいですか」
おずおずと甘えるような、控えめなおねだりを腕の中から囁く真昼に、周は二つ返事を真昼に渡して。
いじらしい願いをこぼした唇からもっと欲張りな願いを引きずり出すべく、甘い甘い唇に吸い付いた。





