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293 お待ちかねのバレンタイン

 やはりというべきか、バレンタインデーである今日は朝から校舎全体が賑わっていた。 


 入れ代わり立ち代わりクラスにやってきて門脇に渡していく女子生徒を見ているせいで、自分のクラスこんなにも生徒が所属していたっけ、と勘違いしそうになる程だ。


 今日は朝練がなかったせいでそのまま登校したらしい門脇が教室に入ってきた時点で両手が塞がっていたので、始まってるなーと他人事のように観察していたのだが。


 そこから門脇が登校したという情報を聞きつけた女子生徒が怒濤のごとく押し寄せてきたので、着席してからが始まりだったのだと後から気付かされた。


「えげつない。まだ休み時間とか放課後あるんだぜ」


 朝一番で渡しにくる人達の人だかりが消える様子は今の所なさそうだ。

 この状況で門脇のフォローする所か話しかけに行く事もままならず、周と樹は自分の席で囲まれる友人を遠目に応援する他ない。


「最早賭けの対象にしてるやつ居るんだけど」

「机の上の包みが増える度に周囲の嫉妬心が燃え盛る……かと思いきやなんかもう憐れまれてる」

「あそこまでだと羨ましい通り越して多分大変だな……になるよな」


 絶え間なく訪れる女子生徒に笑顔で応対してきっちり名前まで把握してお礼も伝えている門脇を見て、羨ましいと思えない人の方が多くなったのだろう。あそこまでそつなくこなす方の披露が羨ましさを上回りそうだ。


「持ち帰れんのか他人事ながら心配になってきた。ロッカーには多分、いや絶対に入り切らないだろうし」

「いざとなったら多分タクシーだと思うけどねえ。ゆーちゃんもそのあたり考えてそうだけど」


 ひょっこりと姿を現した千歳に動じず「おはよう」と挨拶を投げると随分とにこやかな笑顔で同じように返された。


「あ、周はいどーぞ。チョコレートだよ。感謝するのじゃ」


 元々そのためにこちらに寄ってきたのだろう、千歳らしい暖色の可愛らしいラッピングが施された箱を周に差し出してくる。

 どこからどう見てもお洒落且つ凝ったデザインで誰でももらって嬉しくなるようなものなのだが、中身を知っているだけに素直に喜べない自分が居た。


「これはこれはどうも。……先に聞くけど、危険度は?」

「……去年よりは上?」

「何で上にしちゃったんだかなあ……」

「大丈夫、まひるんは普通にいけたしいっくんも食べる事は出来たから」

「そこの二人の間に反応の差があるんだよなあ……」

「お腹壊さない範囲だからちゃんと。それはそれとして牛乳かヨーグルトを先に胃の中に入れておく事は推奨しておくけど」

「胃を保護しておけって忠告しないといけない時点でおかしいと思ってくれほんと。それはそれとしてさんきゅな」


 まだ先に言ってくれるだけ有情か、と冷蔵庫にヨーグルトが入っていたかどうか思い返しながら礼を言う。


 刺激物である事は確かだし戦々恐々なのだが、良心である真昼のストッパーが入っている筈なので、周の舌を総攻撃してくる中身ではない、と信じたい。


 渡された箱のサイズ的にも幾つかは普通のものが入っていそうなので、そちらで中和出来る事を祈るのみだ。


「いいのいいの、色々お世話になりましたので。たっぷり愛情を詰め込みました。あ、もちろん友達としてのね。友愛の方」

「樹にだけたっぷり注ぎ込んでくれたらいいんだぞ」

「しれっとオレを売るな。もうたっぷり注ぎ込まれたから!」

「いっくんにはおかわりあるから!」

「ひっ」

「こらこら樹を絶望させるな」

「扱いひどすぎない?」

「いや千歳が全部普通のにしたら樹は素直に喜んだと思うぞ」

「それじゃあ刺激が足りないじゃん」

「物理的な刺激は求めてないんだよなあ」


 見た目が斬新とか食べ方が斬新なら構わないが、舌に刺激を与える方向に全速前進されると耐えきれずに振り落とされて脱落する人間が出るのは分かるだろうに。


 それすらも楽しんでいるのか、千歳は満面の笑みで樹に「楽しみにしていてね!」とある種残酷な宣言をしているので、樹の体、特に内臓には頑張れと微力ながら応援して、チョコを片手に席を離れる。


 流石に帰るまではロッカーに仕舞っておいたほうがいいだろう。


 一応袋を持ってきているとはいえ横に提げて中を揺らすのは食べ物にはよくない、そう判断して教室後ろの個人ロッカーに向かった所で「藤宮くーん」と声がかかった。


 振り向くと、クラスメイトの女子が立っている。


 彼女には去年のイブに話しかけられたな、なんて事を思い出しながら特に話しかけられる用事も思い付かず「うん?」と声を上げると、にこにことしながらバッグを携えて更に近付いてきた。


「はい、ハッピーバレンタイン」


 何事かと思えば、彼女……日比谷は屈託のない笑顔で周に真っ赤なパッケージのチョコウエハースの小袋を差し出してきた。


「……はい?」

「あ、安心して義理チョコです。クラスで配る用のやつなので。純度百%の義理だから。みんなに配ってるの」


 ファミリーパックを何個か買っているらしく、バッグの中に大袋ごと入れられている。

 どこをどう見ても特別な意図は見出だせないし他人から見ても義理の中の義理と分かりやすいもので、おまけにバレンタインの意匠が施されたパッケージではなく合格祈願パッケージ。本当に配る事しか考えていないのがありありと分かった。


 周囲をみれば同じようにチョコウエハースを手にしているクラスメイト達が男女問わず居るので、宣言通りクラスメイト全員に配るつもりなのだろう。


「あ、ありがとう」

「ほら、是非椎名さんを安心させてあげて。とってもこっち見てるから」

「真昼……」


 ちらりと真昼の方を見れば、不満げな色はないが、じっとこちらを見ている。


「や、流石にないから。取ろうとかそんな」


 ぶんぶん、と手を振りながら気さくに笑う日比谷の様子から見ても、どこをどう間違ってもこちらに好意なんてないと目に見えて分かる。

 クラスメイトとしての友情くらいはあるかもしれないが、真昼が心配するものなんて微塵も見当たらない。


「うん、ないと思う」


 そもそも特に好かれる理由はない、と自分でも思うので真昼も心配し過ぎだという気持ちも込めてきっぱりと言い切ると、日比谷は目をまんまるにして、それからじっと周を見つめる。


「……藤宮君」

「うん?」

「藤宮君ってさ、椎名さんの事どれくらい好き?」


 危うく咳き込みそうになった。


 まさかそんな事をクラスメイトからドストレートに聞かれるとは思わず一瞬固まって日比谷を凝視するのだが、日比谷はただ不思議そう、というよりは確かめるような眼差しで、こちらを見上げる。


「藪から棒に何だよ、そういうの言うのは流石に恥ずかしいんだけど」

「いや、もう藤宮君って椎名さん溺愛してるって態度や雰囲気で滲み出てるじゃん?」

「そんなに?」

「そんなにそんなに。顔も柔らかいし」


 周からすればいつもの表情ではあるのだが、人を突っぱね寄せ付けないようにしていた昔より頬に柔軟性は出たかもしれない、と自分の頬に触れるのだが、相変わらず薄く真昼のものより随分と硬い感触があるだけだ。


 クラスメイトにまでそういう風に思われていた事が発覚して非常に恥ずかしく悶絶しそうになったが、ここで唸れば確実に目立つので何とか飲み込み、平静を装う。


「あはは、今は大丈夫。椎名さん側に居ないもん。キリっとしてる」

「キリっとかどうかはともかく、ゆるゆるだったら恥ずかしすぎたからよかった」

「椎名さんの隣に居る時の自分の顔見てみた方がいいよ。今度椎名さんの側に居る藤宮君の写真撮ってあげようか?」

「遠慮しておきます」

「えー」


 残念、と言いつつ微塵も残念ではなさそうなのだが、それがからかいにも嫌味にも聞こえないサラッとしたものだったから、周は柔らかい気持ちのままでいられた。


「まあ、すごく椎名さんの事好きなんだなって事はよく分かるよ。……椎名さんじゃないと駄目なんだね?」

「勿論」


 代わりがあって代替が務まるような、生半可な愛情を真昼に向けた覚えはない。

 我ながら重いとは自覚しているが、真昼でなくてはいけないし真昼以外に隣に居てほしい、とは全く思わない。真昼だからこそ今の周があるし、真昼以外に目を向けようなんて、まず有り得ない。


 誰に聞かれても自信を持って返す気がある周が首肯すると、日比谷が微妙にたじろぐ。


「うお、よどみない。うん、私もそう思う。私もそう思うけど」

「けど?」

「……んー、私にはどうしようもないんだよねえ」


 小さく落とされた言葉の意味を噛み砕く前に、日比谷は先程同様の人好きする笑みをたっぷりと携えて、手をパタパタと振る。


「ううん、こっちの話。椎名さんも大変だね、と」

「何でそこで真昼が……」

「彼氏さんが言い寄られないか心配になっちゃうものだからね」

「それは俺の台詞なのでは……?」

「どうだろうね?」


 にっ、と笑った日比谷の気持ちを何とか汲み取ろうとしたものの、彼女から何も読み取れず、周は首を捻る事しか出来なかった。




「藤宮くん、はいどーぞ」


 昼休みになると、茅野を連れた木戸が周の元にやってきた。在籍クラス的にはどちらかといえば茅野がやってきた、の方が正しいが。


 携えているのは、ラッピングがされた長細い箱。


 今年の周は交友範囲が広がったお陰か、クラスの女子からチョコを多少もらっていた。勿論皆から義理というお墨付きがついた一品達だ。今日一日声をかけられて渡されたので、貰える時の雰囲気を察してしまった。


 交友がある木戸からも有り難い事にいただけるようで、実ににっこりとした明るい表情で周の手に箱が握らされた。


「プ」

「プロテインチョコバーではないから安心して。私の事何だと思ってるの」

「プロテイン配布お嬢さん」


 何かにつけてプロテインを勧めてきたり直接的に渡してきたりしていたので、彼女から何か食べ物をもらう時はああプロテインなんだな、と思うくらいにはそのイメージが定着していた。

 その延長線かと思っていたのだがどうやら今回は違ったらしく「私のイメージが」と唇を尖らせて不満を零していた。


「彩香は自業自得だと思うけど……今までの贈り物見てよ」

「ううう」

「まあ俺が悪かったよ。木戸も今日は流石にプロテインは持ち歩いてないだろ」

「ううん、プロテインチョコバーもあるよ?」

「あるじゃんやっぱり」


 自分でイメージについて悩んでいたのに結局取り出すのだから、彼女がイメージがどうとはあまり言えない気がする。

 茅野は慣れっこらしくまたかといった風に木戸を見ているので、逆にそれが木戸イコールプロテインの図式を成立させようとしている事に二人は気付いているのだろうか。


「いやだってぇ。……美味しいよ?」

「知ってる。俺もたまに食べる」

「藤宮くんもとうとう目覚めて」

「ません」

「えー」

「何でそんな推してくるんだ……」

「そりゃあそーちゃんの筋トレ仲間が出来たら嬉しいしー、椎名さんも嬉しい。つまり一石二鳥!」

「茅野、筋トレの話はバイト先でしような」

「そうだな」

「ひどい! 遠回しな除け者宣言!」


 木戸の前で筋トレの話をしたらもう興奮で大変な事になりそうなので、静かな所で話をする事を決めた周と茅野に、ぷんすこと遺憾の意を顔で主張してくる木戸。 


「こうなったら椎名さんを抱き込むしか。大丈夫椎名さんにも素質はあるから」

「余計な事を教え込もうとしない」

「あうっ」


 普段は木戸が茅野の世話を焼いているらしいが、興奮した時は大概茅野側がストッパーになるらしい。

 ぺち、と額を軽く指の腹で押された木戸が一歩後退った所で彼女も勢いが強すぎたと理解したらしく、しゅんと分かりやすく項垂れた。


「……まあ筋肉はともかく、ありがとうな。嬉しい」

「いえいえ、藤宮くんにはお世話になってますので」

「何かした覚えはないんだけど」

「いやほらそーちゃんと仲良くしてくれてるし」

「彩香はおかんか何か?」

「あなたの可愛い彼女さんですよ?」

「……。……そうだとしても、そういう所はよくない」


 あ、照れたな、と周が察したように木戸も茅野の異変に気付いたらしく「はぁい」とご満悦そうな顔でふにゃふにゃと語気がとろけた返事をしていた。


「ご馳走様です」


 茅野は茅野で普段はあまり動かない表情筋をしっかり使って木戸を見つめているので、幸せ者だなと二人を微笑ましく見守っていたら茅野の若干剣呑な眼差しがこちらに向き出した。


 流石にあまりこちらが見ていてもよいものではないな、と反省しつつ、二人の親しげな様子を背に周は何事もなかったように二人から離れた。

 

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