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「今年はバレンタインどんなチョコレートがいいですか?」


 二月に入ってすぐのある日の事。


 今日はバイトもないので真昼とゆっくり、そして真昼の負担を減らすべく周がメインで夕飯を作っていたのだが、後はご飯が炊けるのを待つのみという状況になった所でそんな問が飛んできて、周は目を瞬かせた。


 去年は眼中になかったというか特にそういったものに縁遠いと思っていなかったので何も気にしていなかったが、今年の周は流石に二月にはバレンタインがあると理解していた。

 ただ、面と向かって真昼の口から出るとは思っていなかった。


「直接聞くんだな今回は」


 去年、付き合っていなかった頃は千歳に協力を仰いで周の好みを聞き出したらしいが、今年は付き合っているという事もあり遠慮なく正面から聞いてきた。

 もう少し裏で動くかと思っていたのだが、あまりに堂々と聞いてくるものだからもらう側の周が若干ビビっていた。


 若干挙動不審になる周に、真昼は炊飯器に表示される炊きあがり予定時間を確認しながら涼やかな笑い声を上げる。


「付き合ってるのにコソコソとした所で、時期的に私がバレンタインの準備をしているって周くんなら気付くでしょうに。気づかない振りをさせるのも悪いですし」

「世間が騒がしいと流石にな。真昼はそういう所律儀だし」


 誕生日の時に真剣に準備したらしい真昼の事だから、バレンタインともなれば入念な準備をするのは想像に難くない。

 流石に鈍い周でも真昼が準備で隠れて何かをする様子を見せたら、時期的な事を考えてバレンタインだと思い至る。


 なら最初からサプライズもなしで周が望むものをあげよう、という思考になってもおかしくはない。思い切りがよすぎるとは思うが。


「隠してもどうせバレますし、それなら折角ですから周くんの食べたいものを用意してあげたいと思うのは当然でしょう」

「そう思うのは分かるんだけどさ。好み自体は真昼ももう分かってるだろ?」


 真昼は去年甘過ぎないもの、という回答を千歳越しに受け取っているし、出会ってからこの日に至るまでに周の食の好みなど把握しているだろう。

 周好みのものなんて簡単に作れそうだが……と思ったのだが、何故だか真昼は不服そうな顔をしていた。 


「甘さが強くないもの、というのは分かりますけど、前作ったオランジェットやガトーショコラでは芸がないですし。好みかどうかと食べたいものはまた別だと思うので、今の所食べたいものを聞いたのです」

「俺は真昼が作ってくれたものなら何でもいいけどなあ」


 これを言うといい加減だと捉えられそうだが、実際周は特に希望がなかった。というより真昼が作るものは何でも美味しいとこの一年以上一緒に過ごしてきて身に沁みているのだ。


 最早作れないものはないんじゃないかと思うくらいには様々なレパートリーをどこからともなく引き出してそつなく調理して周の舌を唸らせるので、知らない状態で真昼がどんなものを作るのかと期待するのも一つの醍醐味だった。


 という訳で真実何でもいい周なのだが、これが場合によって作り手の神経を逆撫でする事もあるので、あまり堂々とは言えないのだ。


 真昼はというと、怒りよりもほんのりとした呆れを見せている。


「……周くんのその何でもいいは本心で実際何でも喜ぶのも分かってますけど、質問に何でもいいと返されて困る事は多いですから気を付けてください」

「ごめん。真昼が作りたいものを優先してほしいの意です。俺は真昼が作る食べ物全部好きだからさ、何もらえるのかって楽しみだし……。お菓子作りでこれ作りたいとかあれが作りたいとかあるだろ、そっち優先してほしかったというか」


 バレンタインは真昼が楽しんでお菓子作りをする日であろうし、周は真昼の気持ちを有り難くいただく意味合いが強いので、そのお菓子自体にはあまり頓着していない。

 美味しい事が分かっているのだから、選ばなくても周にとっての幸せが待っているし、真昼の作りたい気持ちを優先してほしい。


 そういうとまた怒られそうなので、若干オブラートに包んで伝えるのだが、真昼はそれすら見越したように深々とため息を落とした。


「周くんそういう所変に欲がなくて困るというか……もう。あんまり女の子に何でもいいって選択を投げちゃ駄目ですからね」

「真昼にしかしない……っていうか他の子に何か選択を委ねるようなおねだりとかする機会なんてないだろ」

「知ってます」

「うん、よくご存知で」


 ここはお互いに分かりきったものなので、にこやかに軽やかにキャッチボールを繰り返す。


「……ほんとに希望とか、ないんですか」

「俺がお菓子に詳しいとでも?」

「案外知ってますよね、私とケーキ屋さんに行く時によくショーケースや棚の焼き菓子見てるじゃないですか」

「あれは俺が好きなものっていうより真昼が好きそうなの見る方優先してるだけ」

「周くんはもう少し自身を優先してください。私の好みはどうでもいいでしょう」

「よくない。俺がケーキ買ってくる時に一番真昼に合うものを買いたいし」

「もー」


 何でそういうとこばっかり、と唇を中心に寄せて不満を表現している真昼に「好きだからかなあ」と返せばまた、しかし先程よりも強く「もう!」と窘めが飛んできた。


 語気は強いが怒っている訳でもなく照れ隠しだと今までの付き合いで分かりきっているので軽く笑って流せば、真昼から今度はため息をぶつけられた。


「……で、本当に希望は? ないなら千歳さんに極秘レシピを教わって来てもいいですよ?」

「おやめになって」


 しれっとノータイムで最終手段を取り出す真昼に戦慄を隠せない周に思わずどこの誰だという口調で拒否するのだが、真昼はにこやかな笑顔を崩さない。


 あまり真昼をからかい過ぎると手痛いしっぺ返しをされるのも分かっているのについ口に出してしまうのは、真昼に好意を示すと反応の表し方は違えど喜んでくれるからなのだ。今回は、やり過ぎたからこうなった。


 昨年の千歳謹製ロシアンルーレットチョコの威力を思い出して戦々恐々の周に、耐えきれなくなったのか真昼は口から強めの息を洩らして愉快そうに相好を崩した。


「ふふ、冗談です。周くんあんまり刺激物得意じゃないですもんね」

「俺真昼より辛いもの苦手なの分かってるだろ」

「だからいつも料理の辛さは調整しているつもりですけどね。でもほら、千歳さんのレシピを借りるなら指示に従うべきでしょうし」

「ごめんなさい」

「本当に実行に移すつもりはありませんよ? ただ、周くんが何でもいい何でもいいって言い続けると、私も困るというか……ジャンルとか素材とか、何かしらの希望は欲しいところですね」

「……甘さ控えめで、程よく日持ちするもの? 一日で食べきるのはもったいないから。砂糖の量減らすのに日持ちを求めるのもおかしい話だけど」


 当たり前ではあるが、お菓子が日持ちするのは保存料の使用を除けば基本砂糖の保水作用による防腐効果のお陰が多々あり、その砂糖を少なくすれば当然日持ちはしなくなる傾向にある。


 甘さを抑えて日持ちさせるとなれば保存料を使うのが無難だろうが、あくまで一般家庭の一般的なプレゼントに保存料を使うなんて事はしないし真昼もやらないだろう。そもそも市販されているかすら危うい。


 我ながら面倒な注文をしたものだと撤回しようとも考えたが、真昼は思ったよりもあっさりと「分かりました」と頷いてしまった。


「ではケーキ類ではなくチョコレートそのものの加工がいいですね。出来る限り水分の少ないフィリングにすれば多少なら持つと思いますし、色んなフレーバーを楽しんでいただけるかと」

「そのあたりはお任せにするというか何でも楽しみだから真昼の作りたいもの作ってくれたら嬉しい」


 周には詳しい事は分からないが、真昼が作りたいものの目処が立ったようでよかったのか、気合を込めさせてしまった事に申し訳無さを感じればいいのか。


 自分の中で何を作るかはもう決めていそうな真昼に「無理はするなよ」と声をかけるが、真昼はきょとんとするばかりだ。


「周くんが美味しく食べてくれるものなら何でも作りますよ?」

「その何でもがまあまあ言葉通りなのが真昼の怖い所だよな」

「私はこういう時に冗談は言いませんよ?」

「普段の真昼の料理に満足してるからな?」

「じゃあ隙を見て新しく覚えたレシピを献立に混ぜておきます」

「向上心の塊よ……」


 小雪の愛情籠もった教育によって真昼のレパートリーはとんでもない量を誇っているのだが、その溢れんばかりの学習能力と向上心で更に新たなレシピを覚えているらしくて、恩恵を受ける側としては嬉しい反面色々と心配になってくる。


 今でも充分に満たされているというのに、これ以上胃袋を掴んでどうする気なのだろうか。


「チョコも料理も楽しみにしていてくださいね」

「楽しみにしておくけど、本当に無理だけはするなよ?」

「私は自分の力量を弁えてますので」

「そういう自信があるのは羨ましい限りだ」

「ふふ」


 誇らしげに、それでいて何処かいたずらっぽい笑みを浮かべた真昼に敵わないなあと思いながら、丁度蒸し終わったご飯をよそうべくしゃもじを引き出しから取り出した。


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『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件5』 7月15日頃発売です!
表紙絵
― 新着の感想 ―
[一言] 前年の千歳のバレンタイン取材は、樹のためというのは名目で、真昼の相談を受けての周の好みの取材が目的だったのかぁ。いやぁそこまでは気が付かなかった。まひるん、がんばっていたんですね。
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