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277 天使様の誕生日

 この日は周の今までの人生で三本の指に入るくらいに忙しかった。


 朝からキッチンに立ち、今まで特訓して培ってきた技術をふるったし、午後からは応援を呼びつつ部屋の飾り付けと一番のサプライズについての打ち合わせを先方と行い、その合間にも真昼が寂しがらないようにコンタクトを取りながら準備を進めていく。


 様々な事を並行しながら準備をしていたので軽くパンクしかけていたのだが、普段真昼がやっている事の両立と比べれば屁でもないので、マルチタスクで何でもこなせる真昼に内心で賛辞を送りながら準備に勤しんだ。


 そうして慌ただしい時間を送っていたら、すっかり日が傾いていた。


 漸く自分で満足出来る仕上がりになったと時計を見たら既に普段なら夕食前の時間になっていたし、窓の外は茜色を通り越して紫紺から青褐色のグラデーションを作り上げている。


 これで間に合わなかったらどうしようかと思ったのだが、一応ギリギリではあったが準備を終えられた事に心底安堵して、周は隣の家で呼ばれる事を待っていた真昼を呼びに家のチャイムを鳴らした。


 すぐに扉を開けた真昼は彼女なりに準備万端と言ってもいいのだろう。


「お、お待ちしていました」


 ほんのり急いだ様子で扉から出てきた真昼のつっかえながら話す様子につい笑ってしまうと、何を笑ったか悟ってしまったらしい真昼がうっすらと頬を上気させて気まずそうに視線をうろつかせだした。


「……み、見なかった事にしてください」

「何で?」

「い、いえ、だって、その、楽しみで浮かれていたとか、恥ずかしいじゃないですか」

「え、期待してくれていたって事だろう? すごく嬉しい」


 独り善がりのお祝いだったら周としてもやはりショックだし恥ずかしくなってしまうが、真昼が喜んで楽しみに待っていてくれただけで、周としては非常に満足だ。


 それだけわくわくしながら家で周の訪れを待ち望んでくれた彼女の期待に応えられるかは分からないものの、準備に抜かりはない自信はある。


 あとは、この今まで積み重ねてきた成果を真昼に披露するだけだ。


 しっかり真昼も準備してくれていたらしく部屋着にしては随分と気合いの入った可愛らしい装いをしているので、真昼の手を取りながら「もう真昼側の準備は大丈夫?」と問いかけると、こそばゆそうに瞳を細めて「はい」と小さな返事を返してくれた。


 小さなポシェットだけ携えた真昼の手を引いて自宅に戻ると、玄関の土間部分だけ、明かりをつけている事に気付いたのだろう、真昼は一度大きく瞬きした。


「……あれ、真っ暗」

「玄関から見えたら面白くないだろ?」


 廊下とリビングダイニングを隔てる壁があるとはいえ、扉にガラスが嵌められているのでそこから中が見えてしまう。


 折角全部真昼に隠して計画して実行しているのだから、最後の仕上げで手を抜くのは言語道断。驚きを提供するためには、メリハリが必要なのだ。


「なので、出来るなら真昼の視界を塞いでもいいでしょうか。暗いのは怖いかもしれないけど、俺が居るから。安心して俺に身を委ねてくれないか」

「ふふ、そういう事なら。周くんを全面的に信頼してますので」


 あっさりと頷くのは周への信頼あっての事だろう。


 躊躇いも何もなく、周が掌で目元を隠す暇すらなく目蓋を下ろした真昼に、もう少しこっちを疑ってもいいんだぞと内心で危なっかしさにぼやきながら真昼の背中と膝裏に手を回して、抱え上げる。


 相変わらずの軽さに大真面目にもう少し食べてもらった方がいいのでは、と心配しながら少し自由な片手でリビングへの扉を開けて、照明も付ける。


 周がいいよと言うまで目を開けるつもりがないらしい真昼は変わらずに瞳を閉じているので、その素直さにほっとしつつ用意していたお誕生日席であるソファに向かい、決して怪我しないように丁重に丁重にソファへ体を下ろした。


 自分が何処にいるのかは歩いた距離と座った感触で分かっているらしく、真昼は慣れたように背筋を伸ばしている。


「あ、まだ目を開けないでじっとしていてほしいな。もうちょっと待ってて。約束出来るか?」

「ふふ、子供扱いしないでくださいよ。周くんが準備した事を最大限に披露したいって気持ちは理解してますから。あと少しの時間くらい楽しみに待っていられますよ?」

「ごめんごめん。ご理解ある彼女さんで助かります」


 あまりに物分かりが良すぎるのもどうかと思うのだが、その聡明で利発な所も真昼らしいので、周は苦笑しながら彼女のために用意したものに不備がないかをサッと確認する。


「ん、もう目を開けていいよ」


 これで準備は整ったと優しく真昼に声をかけると、待っていましたと言わんばかりに真昼はすぐ、しかしゆっくりと目蓋のカーテンを持ち上げた。


 少し目が慣れていないのか、眩しそうに細まっていた瞳が徐々に姿を表す。


 今日初めてこの部屋に入ってみた景色を、どう思っただろうか。


「……これ」


 小さな声は、少し震えていた。


 これがどれを指しているのか、聞かなくても視線や瞳の輝き方で分かる。


「樹と千歳、門脇と木戸に飾り付け手伝ってもらったんだ。その、真昼はあいつらなら誕生日を知られても平気だって言ってただろ? 俺だけじゃこういうきれいな飾り付け出来ないからさ、お願いしたら快く手伝ってくれたんだ。飾り付けは皆俺より断然センスあるから滅茶苦茶感謝してる。どうだ、可愛くないか?」

「可愛いです……すごい」

「盛大に誕生日っぽい飾り付けをって頼んだらこうしてくれたんだ」


 数少ない真昼が心を許した友人達の協力の下、このリビングを誕生日仕様に今日一日で変更した。


 テーマは、子供の頃に憧れた、楽しかった誕生日。


 幾つも束ねられた風船に色味を合わせたペーパーフラワーで壁が賑やかな事になっており、それに加えてでかでかとHAPPY BIRTHDAYと形作られたLEDライトの照明が壁に貼り付けられていて、より一層華やかさを付け足している。


 天井からはクリスタルガラスのオーナメントが垂らされており、暖房器具の風に揺られては照明に照らされ、きらきらと柔らかく眩い光を時折散らしている。


 真昼が座っているソファには真昼好みのぬいぐるみ達がリボンで可愛くめかし込んだ状態で、本日の主役を手ぐすね引いて待ち構えていた。


 これだけ飾り付ければ派手でまとまりがない空間になってしまうかと思いきや、色味がけばけばしくならないように淡い暖色で装飾はまとめられており、配置と色味のお陰か落ち着きはありつつもポップな雰囲気をしっかりと表現した飾り付けになっている。 


 途中の飾り付けを見ていた上基本冷めている自覚がある周でも仕上がったこの部屋を見て感嘆の声が漏れてしまったので、真昼からしてみればかなりの驚きになったのではなかろうか。


 大きく見開かれた瞳が部屋を映し込んできらきらと輝き揺れるのを見やり、思った反応を引き出せた喜びについつい頬を緩めた。


「真昼の好きな色とかモチーフを中心にみんなで飾り付けたんだ。千歳にリサーチしてもらった甲斐があったというか」

「あ……そういう話題で話した覚えがあります。千歳さんに頼んだのですね」

「今の今までバレてなかったみたいだな。千歳の話術に助けられてるよ。ほんとに、助かった」


 周から見た真昼の好みは実情と違う可能性があったので千歳に頼んだのだが、こうして真昼の瞳が明るく輝いているのを見ると、千歳に頼って正解だったと改めて思う。

 視線が合えばへにゃりとふやけた笑みを見せてくれる真昼に、誇らしさと共に照れくささも覚えて、周はほんのり熱を持ちだした頬を誤魔化すべく、こほんと咳払いを一つ。


「……喜んでくれてよかった。じゃあその、俺、夕飯の準備してたから用意するから」


 まだまだ誕生日のお祝いは続くという事を言い訳に立ち上がった周を、真昼は可愛らしく着飾ったくまのぬいぐるみを抱えてはにかんで見守っていた。




 数メートルではあるが離れた事によって何とか心臓の高鳴りを抑えた周は、予め作っておいた料理を盛り付けて食卓に並べていた。


 真昼も匂いで薄々何を作っているのかある程度分かっていただろうしそこの新鮮味も驚きもないだろうが、これはあくまで真昼を祝い労うためのものなので、食べ慣れた味の方がいいだろう。 

 和食中心でどちらかといえば西側の味付けにしたのは、あまり濃い味や奇抜なものを好まない真昼だからこその選択だ。


「俺の誕生日は真昼が丹精込めて料理作ってくれたから、今度は俺の番」


 食卓についた真昼に微笑みかけて自分もいつもの椅子に座る。


 真昼の腕前には遠く及ばないものの、なるべく真昼が喜ぶように真昼の好きなものを食卓に並べたつもりである。誕生日らしい豪勢な献立とは言えないが、真昼の好きなもので構成した献立にしたつもりだ。


 真昼は何でも食べるしこれといった苦手なものはないが、好きな傾向は当然ある。全体的に優しく上品な味付け、もっと言えば塩味を控えめに素材の味や出汁の風味を生かす形での料理を好んでいた。


 その風味を生かす、というのが濃い味付けの料理より難しい。


 濃い味は割と調整が効くし最悪調味料で誤魔化せるという利点があるのだが、薄味はそうもいかない。素材の味を生かすと素材そのものの味を楽しむはまた別のものであり、それぞれ違う調理法や味付けになってくるのだ。

 なので、真昼好みの味付けをマスターするというのは遠い道のりになっていた。


(それでも将来的には完璧に身に着けたいよなあ)


 好きな相手の好きな物を作れないなんて、パートナーとして自分に情けなくなってくる。真昼が周好みの料理をドンピシャで作り上げるからこそ、尚更。

 美味しく出来たとは思うもののまだまだ精進が足りない、と自分の至らなさをひっそりと恥じていた周に、真昼はじいっと周の表情を観察していた。


「……美味しい」


 丁寧な所作でお椀に口をつけて静かにお吸い物を流し込んだ真昼は、ふわりと解けるような笑みを浮かべて吐息をこぼした。


 出汁一つにしても真昼にがっちり仕込まれた出汁の取り方で一からきっちりと出汁を引いているので、真昼好みに仕上げた味付けになっている筈だ。

 その予想は裏切られる事はなく、真昼は柔らかい表情のまま食事を進めている。


「よかった、口に合ったようで。正直滅茶苦茶ひやひやしてた」

「私は周くんの料理の指摘はした事がありますけど不満を言った事はないつもりですが」

「や、それは分かってるんだけどさ。こう、それと喜んでもらえるか不安になるのは別だろ?」


 海老餡を詰めたふろふき大根を箸で割きながら呟くと「それはそうですけど」という何故か不満そうな声が聞こえた。


「……周くん、気付けば料理の腕前滅茶苦茶上達してますよね」

「俺の場合はマイナスだったのがプラス五十とかそこらに漸くなっただけで、真昼の百とか二百みたいな腕前差があって到底追いつけないぞ」

「易々と追いつかれても困惑するというか」

「一生かけても追いつけそうにないというか、そもそも俺にとっては真昼の料理が一番だから、俺の料理の腕がどうであれ関係ないからな。それはそれとして、真昼にとっての一番を作れるように頑張るから」

「……そういう事言う」

「今更だろ」

「もう」


 そのもうが咎めるようなものではなく、仕方ないなあ、という意味なのは、長く過ごしてきてよく分かっている。


 もっと言うならば、悪い気はしない、むしろ嬉しい、という意味を含んだ言葉な事も。


 にっと笑みを浮かべてみせた周に、真昼は軽く瞠目した後「本当に周くんは」ともにょもにょ唇を蠢かせながら眩しそうに視線を逸した。




「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 元々量を多少控えた夕食はあっという間に二人で平らげてしまった。


 真昼は小食過ぎるという訳でもないがこの後に待っているものの事を考えると、食事をあまり多く提供すると真昼が食べ切れないのは目に見えていたので、気付かれないように量を控えめにしていた。


 和食にしたのは真昼の好みプラス小鉢や彩りで見た目の印象と量を調整するためなのもあったが、真昼には気付かれていないようだ。


「……こんなに私のためにしてくれるなんて思ってなかったです」


 後片付けは全て周がすると言い聞かせて主賓の真昼はソファに誘導したのだが、手伝いたかったのか多少不満そうにしていた真昼は周が洗い物から帰ってきた時にしみじみと呟いた。


「好きな人のためになら努力を惜しまないのは真昼側もだろうに」

「む。そ、それはそうですけど」

「まあ、どちらかと言えば俺が真昼にしてあげたかったから、で真昼のためじゃないかもしれないけど」 


 結局の所あくまで自己満足で全て突っ走っていて、真昼のため、なんて綺麗な台詞を使っていいものか悩ましいものがある。


「だから、これは俺が勝手にしている事、なんだよな」

「……周くんがそういう所ありますよね、もう」


 べち、と周の二の腕を咎めるように叩いてきた真昼は、周が譲る事はないと分かっているらしく困ったような、仕方ないような、嬉しいような、そんな複雑そうな微笑みを唇で描かせている。


「……でも、今日は、本当に嬉しかったです。こんな……」

「あ、ちょっと待ってくれるか?」

「はい?」


 言葉を遮られた真昼が目をまんまるにしていたが、ここは譲る訳にはいかなかった。


「これで終わるみたいな雰囲気出してるけど、俺はこれで終わりにするつもりはないよ。真昼の誕生日は、まだ終わってないだろ」


 え、という困惑の声が聞こえたが、周にとって寧ろ誕生日のメインはここからだった。

 部屋の飾り付けとお手製の夕食で一ヶ月近くも用意にかける事はない。真昼に喜んで欲しくて、善き周囲の人々の協力の下走り回ってきたのだ。その成果を、まだ見せていない。


 すっかり満足した様子を見せていた控えめな真昼だが、今日はその控えめさを押し流すくらいに、たくさんの幸せを、彼女に送り届けたかった。


「もう一回、目を閉じてくれるか?」


 見ている状態だとサプライズ感は半減してしまうので今日二度目のお願いをすると、真昼はきゅっと強く瞳を閉じて、顔を上向かせた。


 その状態はただ周の言う事を素直に聞いて待機している、というよりは何かが訪れる事を期待したような、緊張のまじったもので。


 確実にそっちを予想しているらしい真昼があまりにも可愛すぎて、耐えきれなくて口元を掌で押さえてにやけてしまいそうなのを隠した。

 見えていないのに隠す必要はなかったかもしれないが、恋人の待っている姿が、愛おしくて仕方なかったのだ。


「……ごめん、今回はキスするつもりじゃないんだ」


 流石に期待を後から打ち砕くのも悪いので、そっと耳元で囁くとぱっと白い目蓋から勢いよくカラメル色の瞳が姿を見せて、周に焦点を合わせる。


 それから分かりやすく顔を赤らめた真昼が「ばかばか」と可愛らしくも拗ねたような声のリズムに合わせて、側に居る周の胸をぽこすかと叩く。


 太鼓か何かにされている周はその可愛らしさにまたにやにやしてしまいそうになったのだが、流石に顔に出したら真昼の小さな拳による演奏が激しくなりそうなので頬の内側を噛んで堪えるしかなかった。


「いて、いて、ごめんって。……まだ真昼に見せたいものがあるから、目を閉じていて欲しかったんだよ」

「……早く言ってください」

「ごめんって」


 先程より拗ねた真昼がそっぽを向きつつ瞳を閉じたので、周は目の前に差し出された薄く色付いた美味しそうな桃の頬に軽く唇を寄せた。


 何回もしているからか体温と感触で分かったらしい真昼が目を開けてぴしりと固まったので「ちゃんと目を閉じておいてな」と笑うと、ほっそりとした喉が震えて唸り声が聞こえてきた。


 これもサプライズ、と予定になかったサプライズを一つ追加して満足した周は、キッチンに向かった。


 周が夕飯を全部作ったのも、後片付けを全部自分がしたのも、全て真昼を冷蔵庫に近付けさせないためである。

 朝から用意していた、この数週間の集大成であるものを箱から皿ごと取り出して、皿をしっかりと両手で支える。


 ゆっくりと慎重にローテーブルまで運んだ周は、音と気配で周が戻ってきた事を察した真昼の顔がこちらを向いたのを見て、この目蓋が持ち上がった時の反応が楽しみだなとひっそりと笑った。


「まだ閉じていてくれよ」


 準備はまだ終えていないので、そう囁きながら、隠してあった通常のものより細くカラフルな蝋燭を、白いクリームの大地に丁寧に突き立てる。


 一本、二本、と声に出さすに確実に立てていくと、やはり十七本はちょっと多かったかもしれない、と感じる程度にはケーキが蝋燭本体のパステルカラーに支配されていた。


 予想より随分とカラフルになってしまったケーキに見積もりの甘さをちょっぴり反省しながら、ええいままよとライターで蝋燭の先に火を灯した。


 これだけの本数だと多少時間はかかってしまうのが難点だが、無事に全ての蝋燭の頭を輝かせた周は、リモコンで部屋の照明を落とした。


 ふっと辺りが暗くなるが、完全な闇が訪れた訳でもない。真昼の年齢の分だけある柔らかい光が、飾り付けされた部屋をほのかなベールで覆うように照らしていた。


「真昼、目を開けていいぞ」


 最後まで言いつけを守ってくれた真昼に優しく囁くと、真昼はおずおずといった風にゆっくりと目蓋を持ち上げて――。


「……あ」


 思わずといった風にこぼれ落ちた、嘆息とも驚愕ともつかない、震えた小さな声。


 淡い光によって浮き上がった真昼の顔は、どこか呆けたような理性のセーブを抜きにした表情で。

 瞳は、表面の波紋を大きくさせて、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎を映していた。


 そこで周は、咳払いを一つしてから、ゆっくりと閉じていた唇を開いた。


 正直気恥ずかしさはあったが、それよりもこの気持ちを真昼に伝えたい、届けたいという衝動の方が勝っていた。


 あまり自分では得意ではないが、丁寧に、気持ちを込めて、子供の頃両親に歌ってもらった、誕生日と言えばという短い曲を、真昼に贈る。


「十七歳のお誕生日おめでとう、真昼」


 敢えて、今日出会った時に言わなかった、ずっと言いたくて仕方なかった、愛しい人の生誕を喜び祝福する言葉を贈って真昼を見ると、彼女はただただ固まっていた。


 それが恐らく想定していなかった衝撃に殴られたからというものなのは理解していたので、周は硬直して必死に心の中で情報と今起こった事を整理しているであろう真昼に、小さく微笑みかけた。


「子供っぽいかなって、ちょっとだけ思ったんだけどさ」


 部屋を豪華に飾り付けて、お誕生日席を用意して、ホールケーキを用意して、蝋燭をたくさん挿して、バースデーソングを歌って。


 高校生にしては祝い方が子供の頃のそのものだったが、それがいい、と思って、周はこの時のために用意してきた。


「でも、俺達まだ子供だし、こういうのもいいなって思ったんだ。子供の頃、俺こうしてもらってすげー嬉しかった思い出あるしさ。子供の頃、こうしてくれた思い出が、ずっと残ってた」


 幼い頃の記憶は曖昧な所があるが、それでも今でも覚えている。


 両親が部屋を周好みに飾り付けてくれて、好きなぬいぐるみやおもちゃを一緒の席に座らせてくれて、周の好きなケーキに蝋燭を立ててくれて、蝋燭を消す特権をくれた。


 たくさんの「おめでとう」を、愛情を、周に惜しみなく与えてくれた。


 その小さな頃の思い出は今も尚周の胸の奥にあるし、愛されているという自負を周に与えてくれている。だからこそ周は辛い事があっても乗り越えられてきた。


「押し付けになるかもしれないけどさ、俺の嬉しい事を共有したかった、ってのもあるし、こういうの、子供の頃夢見た事だと思うんだ」


 程度はあれ、誕生日のお祝い事は多くの子供達が受けてきた事であり、望んできた事だ。


 自分基準で物事を考えすぎるのも良くないが、やはり子供の頃の周にとって、年に一度の誕生日程高揚した日はない。


「もしかしたら、真昼も、こういうの憧れたんじゃないかって」


 そう勝手に想像してしまった事は、反省しているが、真昼の反応を見るに間違いではなかったと確信している。


「だから、俺が、真昼にも体験してほしかったんだ。エゴかもしれないけどさ」


 五号のケーキに蝋燭十七本はやりすぎたかもしれないが、真昼の今までしてこなかった、出来なかった誕生日の分と考えれば多いなんて事は決してないだろう。


 ゆらりと暖房の風に押されるように蝋燭の炎が形を変えると同時に、真昼の瞳から音もなく煌めきが生まれ、こぼれ落ちた。


 硬直が溶けたと思ったら次の瞬間にはくしゃりと顔を歪めて数多の澄んだしずくを生み落としていく真昼に、慌てたのは周だった。


「い、嫌だったかな」

「嫌だなんて、そんな、その、嬉しく、て、胸がいっぱい、で、私に、こんな、いいのかなっ、て」


 嗚咽交じりに、今まで味わってこられなかったものを一気に受け取った真昼が、気持ちを精一杯に言葉で伝えてくれて。


 取り繕わないありのままの姿でくしゃくしゃになりながら必死に言葉を紡いだ真昼の側にしゃがみこんで、周も泣きそうになりながら優しく震える掌を包み込んだ。


「喜んでもらえたなら、よかった。一生懸命考えたんだ、どうやったら真昼が喜んでくれるかなって。真昼の誕生日に何しようって、たくさん考えて、色々と相談した甲斐があったよ」


 初めて真昼の誕生日を祝った時とは、違う。


 樹も千歳も今回は相手が真昼だと分かって協力してくれたし、両親も真昼のために相談に乗ってくれた、優太や彩香を初め友人やバイト先の先輩やオーナーにまで助けをもらった。


「これ、俺だけじゃなくて色んな人の手助けがあったんだ。それだけ、俺に力を貸してくれる人が出来て、真昼の誕生日を喜んでくれる人が居るんだよ」

「……うん」

「ほら、蝋燭が溶けちゃわない内に消してくれ。誕生日の人の特権だぞ?」


 ぐずぐずになった真昼の涙をハンカチで拭ってから敢えていたずらっぽく笑いかければ、ほんのり泣き濡れた頬がおかしそうに緩んだ。


 泣いてばかりではいられない、と自分で決断したのか、相変わらず濡れてはいたけど強い輝きを取り戻した瞳が嬉しそうに細まって、はにかむように相好を崩す。

 そのままソファから降りて膝立ちになった真昼は、薄暗い闇の中で優しくも強く灯し続けている蝋燭の命の光に、そうっと息を吹きかけた。


 当然地味に強い炎は真昼の穏やかな息吹に抵抗して揺らめくだけで、幾度かチャレンジした辺りで真昼から困ったような視線が送られてくる。


 その、初めての戸惑いが、何より愛おしい。


 不慣れでどうしていいのかと苦慮している真昼に「流石に十七本だともっと力強くないとな」と周は優しく声をかけて背中を撫でて応援し、あくまで真昼が自分で掻き消すようにと見守る姿勢は崩さない。


 この、誕生日ケーキの蝋燭を消すという体験は、誕生日の主役が執り行う儀式でもあるのだから。


 周に背を押されて意を決したのか真昼は大きく息を吸い、色んな憂いごと全て吹き飛ばすかのように、蝋燭に吹き付けた。

 一本一本消えていくにつれて部屋の明かるさも目減りしていくが、構わずに蝋燭の炎を掻き消していく真昼が最後の一本を消した瞬間に、リビングの照明をつける。


 控えめな明るさにはしていたがやはり少し差から視界がちかちかするものの、ケーキの全貌がはっきりと明るみになる。


 ケーキは、シンプルなショートケーキを選んだ。

 苺と生クリー厶が主になった、最初周が真昼に贈ったあのショートケーキを思い出しながらデコレーションしたものになる。


 ただし正確に再現したものかと言われれば否だ。


 飾り付けの美しさもそうだが、中央には周の不格好な手書きで『誕生日おめでとう』という言葉が綴られたチョコレートのプレートが鎮座しているし、そのチョコレートと苺の隙間を縫うように蝋燭が突き立てられているので、最早別物だろう。


 それでも、あの時の思い出も一つ、今日の思い出に加わるようにしたかったから、このケーキを選んだ。


「明るい所だと余計に不格好さが顕著に見えるな、ケーキ……。い、いやちゃんと味はオーナー監修なので保証するからな? 練習したからな?」

「え、い、いつの間に。どこで……?」

「バイト先。オーナーの試作の手伝いついでに教えてもらってたんだ」


 ケーキの試作を試食させてもらった時に勢いで頼み込んだのだが、思ったよりも好意的に、そしてあっさりと受け入れられて、頼んだ側の周が困惑する程であった。


「だから帰宅時間遅れずに真昼にもバレずに出来たって寸法です。いや本当にオーナーにも感謝してます」


 忙しいであろうに、糸巻はわざわざ時間を割いて周の指導をしてくれた。本人は「作れる人が増えた方がバイト的にも楽になりますからね」という事を言っていたが、周が気にしないようにしてくれていたのは分かるので申し訳なさがある。


 そんな親切な糸巻の指導の下、絶対に失敗しないスポンジケーキの焼き方という触れ込みのレシピを習ったのだ。


 当たり前であるが、ケーキを作るなら再現性がないといけない。しかも自宅にある器具で今作ったものと同じような仕上がりになるように、という事できっちりと手順から注意点を叩き込まれた。


 お陰で、スポンジについてはきっちり焼けるようになった。


 ナッペは下手なままだったが、ここはすぐに身に付くものでもないとの事で、ある程度の見栄えになる技量は身に着けて本番に挑んだ訳である。


 とりあえずは真昼に喜んでもらえるくらいには上手に出来た事にほっとしつつ、真昼のために用意したケーキを眺める。


「まあ代価はあるんだけどな」

「だ、代価……私のためにそんな」

「彼女さんが喜んだか教えてくれ、だってさ。……喜んでくれたかな?」


 最初から代価なんて要求する気はなかったらしい文華のお願いを叶えるべく、そして周としても気になる評価を得るべく、そっと顔を覗き込むと、真昼はまた泣きそうな顔で、頷いた。


「言葉に出来ないくらい、嬉しいです。本当に、ありがとうございます」


 泣きそう、と言いつつも確かに喜びを感じる微笑みが浮かんだので、周はほっとしながら文華に感謝して取皿とケーキナイフの用意を始めるのだが、真昼は眉を下げて、周を見上げた。


「……私、こんなに幸せ者で、いいんですか」

「だーめ」


 反射的に留めてしまって真昼が固まってしまったのだが、すぐに言葉が足りな過ぎた事に気付いて周は慌てて続ける。


「あ、誤解を招かないように言っておくけど、真昼認識のこんなに、のこんなは幸せがまだまだ足りないからさ。だから、だめ。俺がもっともっと幸せにするから、ここで満足しないように」

「……はい」


 ちゃんと誤解は溶けたようでうっすらと頬を赤らめて頷く真昼に安堵して、周はケーキを食べる準備を終えて真昼の側の床に座り直す。


「という訳で切り分けよっか。ぷすぷす刺しすぎてバランス悪いのはご愛嬌にしておいてください」


 一応なるべく見た時に綺麗に見えるように配置を考えて刺していったつもりだが、チョコレートや苺が絶妙にブロックしているせいで全てこちらの思惑通りという訳にはいかなかった。


 努力はしたが無理なものは無理、という事で蝋燭が密集している地帯もあり、やはり作り手側としてはまだまだ改善の余地があるなと次の機会に向けて課題を頭の中に入れてしまう。


 ただそれは今解決する事でもないので、周は一旦その問題点は頭の奥に放り込んで、どう切り分けようかと眉を寄せた。


 少し悩んだ後「というかこれ一旦取り除いた方がいいな」と結論を出して蝋燭を引っこ抜いていくのだが、真昼が寂しそうな顔をしていたので蝋燭は大切に別皿に残す事で真昼の安心を得る事に成功した。


「はいどうぞ」


 五号なので四等分くらいでもいいだろう、と食べやすさと切りやすさを両立した配分に決めて切り分け、チョコプレートを乗せた一番の主役用のケーキを載せた皿を、真昼に手渡す。


 大切そうに受け取った真昼は、まるで宝物でも見ているかのように頬を緩ませ瞳をゆらゆらと煌めかせていた。そんな大袈裟な、と思いつつもそれだけ真昼が喜んでいるという証左でもあるので、周はくすぐったい気持ちを抱えながら真昼にフォークを手渡した。


「召し上がれ」

「い、いただきます」


 どこか躊躇いがちなのは、絶妙なバランスで載せたままにしたチョコレートを落とさないと食べられないからだろうか。


 暫くおろおろとどうしようか迷った真昼が申し訳なさそうにチョコレートを白い舞台から降ろして、その土台を一口サイズに切り分けるまで相当な時間がかかったのだが、食べる時は一瞬だ。


 ぱく、と白と赤のコントラストの美しい塊が、小さな唇に呑まれる。


 ぱちりとおおきなカラメルの瞳が見開かれ、それから緩慢な動きで柔らかく瞳を細められた。

 遠慮の見て取れた表情が優しげに心地よさそうな色を宿したのを見て、周はここ半月程の努力が報われた事を確信した。


「……どうかな」

「おいしい、です」


 しっかりと咀嚼してから飲み込んだ真昼がはにかみながら頷いたので、漸く緊張を解いていいだろうと吐ききれなかった重い空気を肺から追い出した周は、改めて新鮮な空気を軽やかな気持ちで吸い込んだ。


「よかった。真昼が俺の誕生日にケーキ作ってくれたからさ、俺もお返ししてあげたかったんだ」


 されて嬉しかった事は相手にもしてあげたい周としては、真昼にも同じ喜びを味わせてあげたかった。

 そのためには全力で取り組まないといけなかったが何せド素人の周だ、時間が限られているのだから独学でいきあたりばったりに動くより、その道の人に教えを乞う方向に走り出したのだ。


 結果それで成功だったので、本当に困った時は人を頼るものだと実感させられた。


「でも俺の腕だと真昼レベルに作るとか到底無理だからなあって。やっぱり人は頼るもんだな」

「……オーナーさんが教えてくださったのですよね」

「ああ、俺が頼んだ。彼女のために誕生日ケーキ作りたいんです、って言ったらもうニッコニコでさ。あの人らしいというか何というか。でも、すごく感謝してる」


 こういうシンプルなもの程素材の味と技量が全体の味に直結してくる、と言った糸巻は、料理はそれなりに出来るようになってもお菓子作りに関してはズブの素人な周に基礎から叩き込んでくれた。


 卵の泡立ち方でスポンジのキメは全然違う、と色々と食べ比べさせてくれたりクリームの脂肪分によっても泡だてる時間ややり方が変わってくるとそれぞれ素材を触らせてくれたりケーキに使う素材はここで買ったらいいと製菓専門店の場所を教えてくれたり、色んなサポートをしてくれたのだ。


 バイトとして雇ってくれた上でここまで助けてもらっているので、周としてはすっかり頭が上がらない相手になっている。


「私も周くんの誕生日にお世話になったから改めて直接お礼を言いに行きたいのですけど……周くんは嫌なのですよね」

「い、嫌とかじゃなくて、もうちょっと俺が堂に入った接客が出来るようになってから来てほしいというか……やっぱ、様になってないと恥ずかしいだろ」


 一月以上経っているので流石に仕事そのものは慣れてきた自信があるものの、それが真昼に見せていい練度に達しているかといえば全力でノーと答える自信もある。


 恋人や友達に働いている所を見られるのは何だか居た堪れないという気持ちは大体の人にあるものだと思うのだが、自分が接客している姿を見せるという事は、それに拍車をかけるものだと思うのだ。


 真昼に見せるなら堂々とこなしている所を見せたいと思うのは周の見栄であるため、真昼には待たせる事になって申し訳ないが……やはりそこは譲れなかった。


 出来得る限り彼女の目には格好いい自分を見せたいなんて、散々弱い所も格好悪い所も見られてきた周だが、そこは拘りがあるのだ。


「周くんはおたおたしてても可愛いと思いますけど」

「そういうのよくないぞ。……かっこつけたいの」

「はい。だから、待ってますね」


 周が待たせる事を許してくれるらしい真昼が、待たせれるというのに楽しそうに笑ってくれるので、その寛容さに内心で平伏しつつ、自分もケーキを口に運ぶ。


 しっかり糸巻に手ほどきしてもらったので、ケーキ自体は美味しくまとまっていた。


 シロップを塗ったスポンジは重すぎずしっとりときめ細やかな舌触りで、挟んだ苺と共に口の中で柔らかくほどけていく。クリームも甘すぎないように調整しているお陰か、苺の酸味と甘みがしっかりと感じられた。


 凝ったものやお洒落なものも好きだが最終的にはこういった基本の形に戻ってくるのが真昼のなので、真昼の好みの味を再現出来たのではないだろうか。


 ちらりと真昼に視線を向ければ頬を緩めて大事に大事に味わっているらしく、普段デザートを食べる時よりもずっと心地よさそうに眉を下げていた。


「おいし」

「……よかった」


 気に入ってもらえたなら周としては大成功だ。

 これなら時々真昼のために作るのも悪くないな、なんて事をちょっぴり考えながら、周は真昼の微笑みをトッピングに甘さ控えめの甘いケーキをゆっくりと味わった。


 真昼が食べ終わった頃を見計らって、周は一度寝室の方に向かった。


 流石に露骨にラッピングしたものを明るい部屋に置いていたらバレバレに模程があるので別室に用意していたのだが、周が居なくなった事に寂しさを覚えたらしい真昼が周の姿を視線で追っていたらしく、戻ってきた周の手にしているものを見て大きな瞬きを繰り返した。


 今日は真昼のそんな表情をたくさん見ているな、なんて嬉しくなりながら、ソファの上で戸惑っている真昼の足元に跪いて、そっと揃えられた太腿の上に真昼の手を沿えさせて、乗せた。


「誕生日プレゼント。得難い体験も大事だけど、物として残るものもちゃんと渡しておきたくて」


 飾り付けや食事は前座で、ケーキとこちら、そして最後の一つが本命になる。


 プレゼントといっても、そう大したものをあげられる訳ではない。高校生が渡せるもの、そして真昼の好みのものなんて限られていて、どうしても少ない選択肢の中から選んだものになる。


 それでも、気持ちと選んだ理由は大切なものであると思っており、周は周なりに悩んで、真昼にこれを渡す事を決めた。


「正直さ、真昼は自分で必要なものなら遠慮なく買うし、高いものは申し訳なさそうにして喜ばないだろ。だからすっごく悩んだんだけどさ」


 前に千歳と話したが、真昼は物を欲しがらない上に物欲があまりなく、更に必要なものは必要だから躊躇なく買うさっぱりしたタイプで、プレゼントをあげる相手としては非常に難しい分類に入るだろう。


 何をあげても喜ぶのは見えていたからこそ何をあげるかに戸惑っていたが、結局、自分の見てきた真昼を想像してプレゼントを選んだ。


 開けてみて、と優しく囁けば硬直から解き放たれたらしい真昼が、いいのかとこちらを窺ってくるのがおかしくて笑ってしまう。


 周の態度に少しムッとした真昼が、それでも恐る恐るといった様子で、丁寧に箱に巻かれたリボンを慎重に解いていく。指先が少し震えている事は、指摘しない方がいいのだろう。


 プレゼントといえば、と無意識に浮かぶ人が多そうな光沢のある赤いリボンを箱の拘束の役目から解き放った真昼は、これまた丁寧に包装紙を剥がして、漸くプレゼントが格納された箱本体とのお目見えになっていた。


 もう一度こちらを確認されたので「開けていいんだぞ」と笑いながら促すと、息を呑んだ様子でそっと箱の蓋を持ち上げる。


 中から出てきたものは、緩衝材と、真昼の両掌で持つのが丁度いいくらいの、これまた箱であった。


 いや、箱、というと正確ではないだろう。プレゼントが何の味気もない箱というマトリョーシカのような事をする筈がない。


 今真昼が手にしているのは、木で出来たアンティーク調の小物入れだ。味のある色味と真昼の好きな花が彫られた上品なデザインであり、可愛いというよりは品があり美しい品物になっている。


「その、真昼が好きそうな見かけの小物入れなんだけど」


 本来なら、恋人の誕生日はアクセサリーやコスメといったものを渡すのが無難だったのかもしれないが、色々な人の意見を聞いて、周はこれに決めた。


 真昼の性格上もあるのだが、真昼は非常に物持ちがいいし、人からもらったものは特に大事に保存する傾向がある。

 周からもらったものは一つ一つ劣化しないように手入れしながらしまってあると聞いて、その几帳面さに敬服した程だ。


 だからこそ、今回はその大切に思ってくれたものを、真昼の一つの思い出になっているであろうものを、大切に休ませる場所をあげたいと思ったのだ。


「真昼って、俺があげたもの、全部大切にしてくれてるからさ。こういうの、仕舞う場所もあったらいいんじゃないかなって。いや多分真昼も自分で持ってるとは思ってるから、使えとか強要してる訳じゃなくてだな!」


 あげたからといって必ずしも使わなくてはならないという訳ではないので、そこは大事だときちんと主張して、こほんと咳払いを一つ。


「これから先、俺が贈っていくものを仕舞える場所があったらいいなって思ったというか、だな」


 あまり面と向かって言うのは照れくささがあって中々言葉にしにくいが、ゆっくりと、心の中で思っていた周の願いを、口にする。


「俺があげたものだけでいつかそのボックスがいっぱいになったらいいなって、思ったんだ。……ごめん、これは俺の勝手な気持ちだったな」

「……勝手、じゃないです」


 あげた理由に自分の願いもこもっていたので身勝手だなと自嘲の笑みを浮かべようとして、真昼が俯きながら首を振った。

 その声が微かに震えていて、ぽたりと瞳から降り行く大粒の宝石が、箱の上に置いていた手の甲に当たって、弾ける。


 もう、その涙が悲しみから生まれたものでない事は、言われなくても分かっていた。


「……周くんは私を何度泣かせたいのですか」

「それが嬉し涙なら何度でも」

「……もう」


 ほんのり拗ねたような、甘えるような声音は周の信頼の証そのものだろう。

 顔を上げた真昼は、涙腺の酷使で少しだけ赤くなった目元の痛々しさを打ち消すような、充足感に満ちた爽やかで甘やかな笑顔を周にこれでもかと見せてくれた。


「帰ったら、仕舞わなきゃ、ですね。ブレスレットとか、ヘアピンとか。私の、宝物。ふふ、開ける度に幸せになっちゃいます」


 真昼が壊れ物を扱うようにそっと蓋を開ければ、中は仕切りもなくシンプルに広いスペースが用意されており、それが三段用意されているようだ。

 あまり大きなものではないがそれなりにアクセサリーや厚みの薄いものならここに収納出来そうで、真昼はわくわくを隠せないようで声を弾ませていた。


「これからも宝物がいっぱいになるようにしていきたいな」

「アクセサリーも入るスペース以外に広いスペースがあるみたいですし、あと他の大切なものも入れなきゃ」

「例えば?」

「ふふ、周くんと過ごした思い出の品、です。本当に些細なものなので、ひみつです」


 プレゼントとして渡したものはきっちり覚えているが、真昼の口ぶりからすればそういうものではないものも大切に取ってくれているようだ。

 それの心当たりがあまりない事にほんのり自責の念が湧いたのだが、真昼はそれを察しつつも気にしていない様子で笑いかけてくれた。


「そこは隠すのか」

「ええ。……多分、本当に周くんが何気なくくれたものだったり、一緒に居たその時に手に入れたものですよ。だから覚えていなくて当然ですし、楽しみを取っておいてくださいな。ちゃんといっぱいになったら、見せてあげますね。こんな事あったなって懐かしめるように」

「うん」


 きっと、これからもたくさんの思い出を真昼と共に作っていくのだろう。いや、作っていく。


 そうして、この箱を目一杯の幸せで埋める日がいつか来るといいな、と真昼に視線だけで語りかければ、同じ気持ちを抱いてくれている真昼は穏やかに微笑んで、お互いにこれから先を期待するように頬を緩めた。

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[一言] あーんは無いんですか....
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