276 天使様の誕生日の前日
定期考査を乗り越えた先にあるのが、真昼の誕生日だ。
バイトとテスト勉強、誕生日準備を並行しつつこなした周は、何とかある程度準備完了の目処を立たせた状態で試験を終える事が出来た。
ちなみにクラスは割と死屍累々状態だったので、今回の考査の地獄加減が窺える。千歳は本気でげっそりしていて真昼を慌てさせていたが、その試験結果で周囲を慌てさせない事を祈るのみだ。
そんな地獄の考査を終えた週の休みが、真昼の誕生日だった。
休みの日の前日、つまり真昼の誕生日前日という事で周の忙しさもピークを迎えつつあったが、これだけは真昼に伝えて置かなければならないと真昼を傷つける可能性があったので、周は隣に座る真昼へ居住まいを正して向き直った。
食後のゆったりとする時間は参考書を解く事が多くなってきた真昼は、今日もその日常になりつつある自己学習に励んでいる。
考査の自己採点はきっちり終えて今度は模試の事を考えているらしい彼女は、明日が誕生日だという意識なんてまるでなさそうな、いつも通りの様子だ。
「真昼さん」
「はい」
名前を呼べば躊躇いもなく参考書を閉じ顔を上げる真昼は、周がいつもと違った様子だと察知したのか同じように背筋を伸ばしてこちらに向き直った。
ただ何を言われるかは想像がついていないらしく、顔の至る所からどうしたのかと不思議そうな雰囲気が滲み出ている。
「明日は俺が呼ぶまで俺の家に入らないでいただけますか」
「何で、……ああ、そうですね。分かりました」
意識してなかったとはいえ今までの周の行動から即座に理解したらしくあっさりと受け入れた真昼は、そういえばそうだったと言わんばかりの表情の変化をさせていた。
楽しみにしていなかった、という訳ではないだろうが、そこまで自分の誕生日を意識している訳でもない、といった所だろうか。ここは真昼本人の意識の問題なので、周がどうする事も出来ないし強制がしたい訳でもない。
とりあえずは誤解なく明日の活動時間が確保出来そうなのでほっとしつつ、まだ他人事でいそうな真昼の瞳をしっかりと覗き込む。
「俺の準備が終わる前に真昼に来られるとちょっと困るというかですね。完璧な用意で出迎えたいのでご理解いただけたらと」
「ふふ、分かってますよ。それにしても真正面からお願いするのですね」
「最初から用意してるって言ってるし、今更サプライズも何もないので正々堂々頼みますとも。俺に時間をください」
流石に当日は色々とやる事があるので忙しすぎるし、真昼がこの家に来ていたらその目を掻い潜って用意するなんて到底無理だ。
それに誕生日の真昼を構いたくなるに決まっている。しっかり用意して真昼を祝うのだから、目先の欲求を消化する可能性を、たとえ一ミリでも潰しておかねばならない。
真昼に初めての驚きと高揚感を与えられるチャンスなのだから、しっかりと準備した上で真昼の誕生日を臨みたいのだ。
漲るやる気を見て取ったのか、真昼は目を丸くした後、ふっと息を優しく押し出すような、おかしそうな笑みを浮かべた。
「じゃあ明日は一日わくわくしながら待っていればいいんですよね?」
「ご期待に沿えるかは分からないけど、俺なりに真昼を祝うつもりだから」
「正直、周くんに祝ってもらえるだけで、十分に幸せというか」
「それは分かってるんだけどさ」
真昼が如何に周の事を想っているかなんて、当事者である自分が一番よく理解している。側に居るだけで幸せを感じてくれているのだ、とも。
ただ、周だから、という要因の大きな幸福も大切だが、一年に一度しかない誕生日なのだから真昼自身が喜ぶような誕生日にしてあげたい、という気持ちが大きかった。
「それでも、やっぱり真昼には喜んでほしいので、頑張らせてくれ」
「……期待しちゃいますよ?」
「う、頑張ります」
真昼に全力で期待されれば当然嬉しいし高揚するのだが、それはそれとして彼女の期待に完全に応えられるか、という疑問は自分の中でゆるゆると足を引っ張ってくる。
「そこで微妙に自信をなくすのが周くんらしいですね」
「自信がないのがデフォルトなのが俺だぞ」
「もう。今の周くんはアップデートされているでしょうに。ちゃんと自分に自信が持てるようになったのでしょう?」
「真昼の事になると慎重に慎重を重ねるタイプなんでー」
一ヶ月かけて真昼の誕生日に備えてきたし準備に余念はないが、それが喜んでもらえるかは分からない。
喜んでもらいたいという気持ちや今までの準備の集大成を披露したいという気持ちは真っ直ぐで揺るぎないので、あくまでこの自信のなさは真昼の期待を裏切りたくないから、というものだ。
それに加えて、一つ、慎重という概念を吹き飛ばしながら計画したものがあるか、尚更。
「……真昼が喜んでもらえるように頑張るので」
「ので?」
「一回充電してもよいですか」
明日は、やる事が盛り沢山なのに真昼に会うのは準備が完了してから。
先にエネルギーがほしいのに補充出来るのは全てが終わってからなので、今から補充しておこうとくっつく許可を望めば、ぱちくりと可愛らしく瞬きをした真昼がおかしそうに笑った。
「わざわざ許しを得なくても、好きにしてくださったらいいのに」
「いやその、今回はやっぱりもらっておこうと思ってですね」
「律儀ですね。……いいですよ、沢山充電してください。代わりに」
「代わりに?」
「明日は、私の番にしてくれるのでしょう?」
ゆるりと周の後頭部に手を伸ばして引き寄せてくる真昼に、当たり前だと頷いて、周は真昼が誘うままに真昼の肩口に顔を埋めた。
(明日は午前中にキッチンでやる事終わらせて、それから部屋の準備して、メールで再度当日のスケジュール確認して)
全てが上手くいくかは、周の努力と、真昼の受け取り方次第。
ん
明日は全力で用意しないとな、と心に誓って、甘い匂いを漂わせる真昼に頬擦りして、少しばかりの充電の為に瞳を閉じた。