275 三者面談の後の憂鬱
三者面談を超えてやってくるのは、月末から月初にかけてある、定期考査のための準備期間だ。
真昼の誕生日準備やバイトで慌ただしい毎日になっている現状に加えて試験前特有の対策関連で余計にやる事が増えて、周としては中々ゆっくり出来る時間が少ない。
ただ充足していると言えばそうなので、決して嫌なものではなかった。
「三者面談終わったらテスト勉強期間になるのほんと憂鬱なんだよなホント」
親切な教師による試験対策のプリントの束を眺めながら、樹はため息をつく。
教科によっては担当教師から激励の如く出題範囲をまとめたものが配布されるのでありがたく活用するのだが、量が量なのでげんなりする生徒も多い。範囲がかなり広いせいで覚える事が山積み、というのがプリントの量だけで分かる。
「一年の頃よりテストに対するプレッシャーは大きいんだよなあ。割と成績気になって来るし。こっちの負担かなり大きいんだよな。……しかしまあ範囲がえげつないな、授業スピード早いから仕方ないけどさ」
「にしてもこれ多すぎだと思うんですけどぉ」
例にもれず千歳もプリントを抱えて、うら若き少女がするのは憚られるようなしおしおの顔を見せに来ていた。隣の真昼が千歳の顔にかなり苦味の強めな苦笑を浮かべているので、余程千歳が嫌がっているのを見たのだろう。
「いやほんと、むり、こんなの出来ないよう」
「俺もこれはまあまあ嫌だな」
「とか言うけど周ってちゃんと点数は取るし成績いいんだよねえ」
「まあ真面目には受けてたからな」
「そこの余裕が見える……うう……」
そこで打ちひしがれられても周には勉強を教えるくらいしか出来ない。点数自体は日頃の努力が物を言うので、千歳本人に頑張ってもらう他ないのだ。
「千歳はもうちょいやる気を出した方がいいぞ……数学だけ露骨にやる気ないんだからな……」
「どうやったら数学を好きになれるのか全く分からないんだけどどうしたらいいの」
「そこが人それぞれだよなあ。俺は数学割と好きだぞ、少なくとも俺らがやる範囲は基本的に答えが導き出せるものだからな。パズルみたいで覚えてる公式を当てはめて解いていくのは楽しいぞ」
「オレもどっちかといえばそうかな」
「それが導き出せないんですけど!」
「公式をきっちり頭に叩き込んでから話を聞こうか」
「むーっ!」
「千歳さんは苦手意識が先行しすぎて、やる気を出すのに至らないのが困り物ですね。暗記科目はそこまで苦手じゃないのに何で公式を覚えられないのでしょうか……」
「数字見ただけでうがーってなるから」
「ちょ、ちょっとそれは私にはどうしようも……」
最早それはアレルギーと言っても差し支えないのではないかというくらいに拒否感を抱いている千歳に、講師役の真昼ももう困ったようにこちらへ助けを求める眼差しを向けるしか出来ないようだ。
周としても本人の努力とやる気がなければ無理なものは無理だと思っているので、本当に彼女のやる気を引き出すしかない。
「取り敢えず絶対に使う範囲の公式だけは覚えさせよう、基礎だけでも覚えたら赤点ラインからは抜け出せる筈だから。俺は赤点取って補習地獄行きの友人は見たくないぞ」
「やー!」
「やーじゃないの。やるの」
「うえーんまひるままぁ、ぱぱがいじめるぅ」
ひしっ、と隣の真昼に抱き着く千歳だが、明らかに千歳の方が身長があるので子供には到底見えない。
「お前みたいなデカい子供を持った覚えはないんだよなあ。あと真昼にべたべたしない」
「ヤキモチですか」
「はいはいヤキモチですよ」
「……ヤキモチだって認めたなら諦めよう」
「面白がってない?」
「気のせい気のせい」
確実に面白がっている態度なのだが、先程の駄々っ子から一変して実に飄々とした態度でそっぽを向いた千歳に頭痛を覚えてしまったのは仕方ない事だろう。
小さな声で「というか夫婦なのは否定しなかったね」と余計な事を言い出した千歳を睨みつけて黙らせた周は、たっぷりいただいたプリントをファイルにしまいつつそっとため息をつく。
「そういえば周はテスト前のバイトどうすんの」
今日はバイトがないし多少ゆっくり出来るとスマホでスケジュールを見ながら今後の日程を頭の中で詰めていると、千歳の問いかけが飛んできた。
「ん、いつも通り入れてはいるんだよな。日頃からきっちりやってるつもりだしテスト中と前日前々日は休み入れてるからそこで仕上げするつもり」
「それでいけるって自負があるんだよなあ」
「真昼のお陰だな、家で滅茶苦茶教えてもらってる。真昼の教え方上手いんだよな」
勉強が出来るからといって人に教えるのが上手いかは別問題なのだが、真昼は教えるのも非常に上手い。
先んじて授業内容を完璧に収めているお陰か問題の要点を理解しており、どこで躓いているか、という点を聞き出した上で解けるように見本やヒントを出して背中を押す形になっている。
暗記科目については自分の継続努力次第な所はあるが、それ以外は真昼が分からない部分を懇切丁寧に説明してくれるため、特にこれが分からないというものは出てこなくなっていた。
「それは思うけどサッと理解出来るのはちゃんと基礎が出来てるから何だよなあ」
「基礎、だからな。そこは積み重ねです」
「耳に痛い攻撃やめてー」
これが攻撃に聞こえるならそれは自分に落ち度があるんだぞ、とは流石に辛辣すぎて言えないが、視線でその意図をそこはかとなく感じ取ったらしい千歳がしょもしょもと水分が抜けていそうな表情を浮かべている。
「あと、バイト先に勉強出来る先輩居るから、お客さん居なくて暇な時にちょこちょこ教えてもらってる。持つべきものは友と真昼と先輩だと思う」
「くう……うちの兄が勉強面役に立……勉強出来ないからなあ、頼りにならない」
「多分それちぃのにーちゃん聞いたら泣くぞ」
「今まで泣かされてきたからこれくらい大丈夫大丈夫」
異性の兄妹だと色々あるのかやれやれと言わんばかりに肩を竦めて手を振っているので、千歳的には色々と思う所があるのだろう。
一応家族仲はとても良好と聞いているので仲については特に心配する事はないが、成績についてはまあまあ心配なので彼女のやる気がどうか出ますようにと祈る周であった。
「色々スケジュール詰まってるけど大丈夫そう?」
あれから男女でそれぞれ分かれたのだが、樹と一緒に教室に残った周は樹の気遣うような声に頷いた。
ちなみに真昼は千歳に連れられて近くの雑貨屋に行ったようだ。
樹と面と向かって計画を話したいので真昼を自然に周と離すように千歳に頼んだのだが、彼女のテスト云々を聞いていると時間をもらっていいのか激しく悩み所である。
「ん、何とか大丈夫そう。これくらいの忙しさならこれからも両立していけそうだし、何だかんだいい経験になってる」
「愛の力ですなあ」
「うるさい」
「はいはい」
このようなやり取りも慣れたものでお互いにさっくり流した後、周囲に真昼に流しそうな人が居ない事を確認してから本題を切り出す。
「ちなみに、例の件予定合わせられそうか?」
真昼の誕生日を祝うにあたって、どうしても協力してほしい事があるので樹を始め友人達に頼んでいる事があったので、進捗を問いかける。
「オレとちぃはいける。優太はこれから聞くけど多分大丈夫、木戸は多分周から直接聞いた方が早いと思う。オレより仲はいいだろうし」
「ん、分かった。……予定空いてたらいいんだけどなあ」
「椎名さんのためなら来そうな気がするけどな」
「流石に駄目そうなら居る面子でやるからさ。迷惑かける訳にはいかないし」
「迷惑だとは多分思ってないぞ、友達だし、滅多に頼ってこない相手だからな。お前に恩を売れるって分かったら喜んで手伝うんじゃないか?」
「……そうだといいな」
彼がわざと茶化して言ったのは言われずとも分かるので、妙に照れ臭くてついこそばゆさを隠すように笑うと、樹は「そういう所だぞ」と呆れたように深く息を吐いて周の肩に軽く拳を当てた。
「でもいいのか? 千歳達も、当日祝うとかしたいだろ」
一応真昼には事前に千歳達にも誕生日の事を教えてもいいかと聞かれていいとの回答があったので助力を求める際に説明しているが、周が願ったお願いは、言ってしまえば真昼の一日を独り占めするためのもので、彼女らが真昼を祝う権利を先伸ばしにしてしまう事でもある。
それは皆的にいいのだろうか、と不安になる周を、樹は「ばかだな」と一言で切り捨てた。
「少なくとも、椎名さんにとっての優先順位……って言うのは悪いけどさ、嬉しいの基準はお前だと思うし、ちぃも『まひるんが一番に喜ぶのが大切だもん』って言ってた。オレもそう思う。それに」
「それに?」
「『一番は彼氏に譲ってやるのじゃ』だそうな」
「何様だあいつ」
さも真昼は自分のものだーと言い張るような言い草につい吹き出してしまったが、千歳にとって真昼がそれだけ大きな存在になっている事が、周には喜ばしい事としか思えなかった。
最初は深い友人を作らずに一人で居る事を好んでいた真昼が、心を許せる友人が出来た。
それは、真昼にとって、とても幸せな事だろう。
そして周にとっても、同じ事だ。
「じゃあ、一番は俺がもらいますとも」
彼女達の気遣いと思い遣りをいっぱいに感じながらありがたくその気遣いを受け取ると、樹はそれでいいと言わんばかりに穏やかな眼差しで頷いた。
「あとは、俺が出来る事をするだけだな」