263 おたがいのもの
暫くキスした後、周は真昼を伴って寝室に移動した。
何度か入っているし泊まりも経験した事があるとはいえ、真昼は微妙に緊張しているのか繋いだ手にはほんのりと力がこもっていた。
そんな真昼に小さく笑いながらそっと掌を指先でくすぐるようになぞって強張りをとかせつつ、そっと真昼をベッドに誘う。
ベッドの上で恥じらいを見せながら僅かに震える真昼は、狼に食べられる寸前の小うさぎのように見えた。
その可愛らしさといじらしさに、周は一瞬飛び出そうになった獲物を仕留められるであろう牙を引っ込めて、隣に腰を下ろして安心させるように頭を撫でた。
何もしないと先に言ったのに緊張しているのは、やはり寝室だからだろう。
「食べたりしないから。今日は、言った通り抱き枕になってもらうだけだし」
「そ、そう、ですか」
「……期待したとか?」
「し、してません! ただ、その、どんどん周くんが……」
「俺が?」
「……余裕が出て来て、男の人らしさが強くなってきて、恥ずかしいというか。ず、ずるいです」
もぞもぞといたたまれなさそうに体を縮めて周を見上げる真昼に、自分はどうやら上手く取り繕えているんだな、と少し笑ってしまう。
確かに表面上は余裕があるように見えるかもしれないが、実際の所余裕はない。むしろ、一度ある程度真昼を知ってしまったからこそ余裕がない。
ただがっついたり焦ったりして真昼を怖がらせる訳にもいかないし、あまりにも余裕がないのは男的にダサいのではないかと思って平静を保とうとしているだけだ。
「別に余裕なんてないって前にも言ったと思うけど。真昼に格好良く思われたいから、顔に出してないってだけ」
「顔に出してって言ったら出してくれるのですか?」
「やだ」
「ずるい」
「情けないだろ、顔真っ赤でうろたえてるのは」
付き合ってから約五ヶ月程経つのだ、キスしたり多少触れ合ったりする程度で一々顔を赤くしていては情けない。
頼り甲斐がある方が女性的にはいいだろうし、こういった場所で落ち着きを持っていた方が真昼も落ち着くだろうと思っていたのだが、真昼はおずおすといった動作で周の服の裾を摘む。
「……ありのままの周くんを見たいのは、わがままですか?」
小さく、不安げに問われて、周は掌で一度顔を隠してひっそりとため息をつく。
周のかっこつけなど余計な気遣いだったらしい。
「……好きだから、こうしてかっこよく見てもらいたがってた、って事は理解してくれよ」
側の真昼を抱き寄せて肩口に額を当てる周に、真昼は暫く硬直していたものの、小さく笑う声が耳に届いた。
「いつだって可愛くて格好いいですよ」
「可愛いは余計だ」
「ふふ。……どっちの面も見せてもらえる私は役得ですね」
嬉しそうな声にもう何も言えず、周は照れた姿を誤魔化すようにそのままベッドに真昼ごと転がった。
出来るだけ衝撃を抑えるようにしたから真昼の結われた髪がふわりと揺れるくらいで済んだが、真昼の心の衝撃は大きかったのかぱちくりと瞬きを繰り返している。
こちらをじっと見る真昼にやはり照れが勝るのだが、そのまま周は真昼を抱きしめて大きな起伏に顔をうずめた。
こんもりとした膨らみは、きぐるみに包まれているせいか非常に温くもこもことした肌触りで、柔らかい。真昼の家の甘さと爽やかさを共存させた、えもいわれぬよい匂いもする。
真昼が期待と心配半々で想像していたらしい雰囲気なら興奮したのかもしれないが、今はリラックスモードであり特に周も手出ししようなんて考えてもいないので、心地よさと幸福感だけが身を支配していた。
真昼は一瞬体を強張らせたが、何もされないと見ると頭を撫でてくる。それがまた心地よかった。
「今日は、甘えん坊さんですね」
「……いいだろ、許してくれ」
「はいはい」
照れ隠しなのは真昼も見透かしているらしく、くすくすと小さく弾けるような笑い声が届く。
「今日の周くんは大胆ですねえ」
「今日くらい、たくさん真昼に触れておこうかと思って」
「勿論いいですけど、その割には、なんというか、……普通の触り方ですね。その、てっきり……もう少し、直接的に触るのかと思いました」
「いやまあ触るのは好きだし真昼の事をたくさん知りたいって気持ちはあるけど、側に居て温もりを感じるだけで充足感があるのも事実だよ」
柔らかな起伏から顔を上げて、今度は華奢な体を包み込むように真昼を抱き締める。
周としては、別に真昼が一度想像したような事をするつもりはない。そもそもあんな事を泊まる度にしていたらいつか理性のタガが外れてしまう自信がある。あまりに可愛い反応をしながら受け入れてくれるので、もっともっとと際限なく求めてしまいそうだ。
ただ、本当に今日は何もするつもりはない。
男だからといってそういう事ばかりしたがる訳ではない。穏やかに愛する女性と共に過ごす、これだけで充分な幸せを味わえる。
肉体的な満足感は確かに直接的に触れた前回のお泊りより少ないのかもしれないが、精神的な満足感で言えば勝るとも劣らないものがある。
こうして、側に将来を誓える程に愛しく思う女性が居て、信頼と愛情に満ちた眼差しで寄り添ってくれるのだ。
これほど安心感と幸福感、充足感に満ちた行為は他にない。
触れるだけで満ち足りたような感覚を覚える周に同意するように、真昼はへにゃりと緩んだ笑顔を見せて周の胸にすり寄った。
「……私も、周くんの側に居るだけで幸せです」
「よかった。俺だけだったら、何かずるい気がして。お手軽に幸せになれるから」
「私も周くんの側ならお手軽に幸せですよ? 周くんが居てくれたら、それでいいです、けど……」
「けど?」
「触るともっと幸せです」
なんとも可愛らしい事を言って周を見上げる真昼は、触ってもいいかと視線で訴えかけてくる。
「触りたいのか? 別にいいけど、男の体だから触り心地は良くないと思うけど」
「そうですか? 自分にはない筋肉質な所が良いと思います。……お腹なぞると、ごつごつしてますね」
許可が出ると遠慮がちながら周の胸部や腹部をなぞるように指先で触るものだから、くすぐったさに軽くみじろぎする。
確実に木戸の影響が出ているな、なんて思いながらも、真昼が楽しそうに触るものだからまあいいかと思ってしまうあたり周も真昼に甘い自覚はある。
「毎日筋トレしてる成果が出たなあ。もやし脱却と言ってもいいかな」
「いいと思いますよ。少なくとも、無駄な贅肉はないですし、硬いです。随分と逞しくなっていますよね、昔に比べると」
「……昔を思い出さないで欲しいんだけど。すっげーひょろかったし」
真昼と出会った頃を思い出されると、恥ずかしくて仕方ない。
今でこそそれなりに引き締まって筋肉もついた周だが、昔は非常に頼りない体型をしていた。
贅肉こそ然程なかったが、ひょろガリと言っていいような体つきで、なよなよしていた。逞しいとはとても言い難い体型で、今思い返すと昔の自分にもっとがんばれよと殴ってやりたくなる。
真昼的には今の体型の方が好きそうなので、努力してよかったと心の底から思っている。鍛えた方が洒落た服を着る時にも様になるので、あの時真昼に相応しくなると決めた自分に間違いはなかったと言えるだろう。
「ふふ。でも、男の子だなあって思ってましたよ。私とは骨格からして違うなって、おんぶされた時に思いました」
「まあそりゃな。……真昼は、すごく骨格的に小さいんだよなあ」
本人の努力で引き締まりながらも柔らかい華奢な体が出来ている訳だが、その努力の部分とは関係のない骨格の部分でも彼女は華奢だ。全体的に小さいと言ってもいい。
「……小さいですけど、周くんが思うより頑丈ですよ?」
「それでも華奢なのには変わりないから。優しく触れなきゃって思う。折りそう」
「折るほど力入れた事なんて一切ないでしょうに」
「それでもだ。……大切にしたいから、普段から心がけていくものだろ。大事な人なんだから」
出来うる限り、真昼には優しくて紳士的な周で居たい。これから人生をかけて大切にし側に居て守って行くつもりなので、普段から真昼を傷つけたりしないように注意する必要がある。
過保護で居たい、という訳ではないが、やはり真昼は幾ら自己研鑽に励むタイプとはいえか弱い女性だ。どうしても性別上力や頑丈さでは男性に劣るので、周がそこに気を使うべきだろう。
真綿でくるまれるのは真昼も望まないと分かっているので、真昼の自由意志を尊重しつつ真昼が過ごしやすいように優しくしたい。決して真昼を泣かせる事がないようにしたい。
生涯をかけて幸せにするつもりの周が決意をまじえて囁くと、真昼は先程の周なんて目じゃない程に顔を赤くして「あ、ありがとうございます……」と小さく返す。
「……周くんの誕生日なのに、私の方がもらってばかりな気がします」
「いや、俺がもらってるからな? それに、日付変わったし」
真昼からたくさんもらっているし、大切にしたいのはあくまで周の気持ちなので真昼が気にする事ではないだろう。
それに、気付けばもう日付は変わっている。誕生日を過ぎていた。
ソファやベッドでくっついたりキスしたりしていたら気付かない間に時間が経っていたらしい。あっけない誕生日ではあったが、十分過ぎるほどに幸福をもらったとも思う。
「本当だ……も、もう少し周くんにお願い事してもらうつもりだったのに」
「時間が過ぎるのは早いな。もうお願い事聞いてもらえないんだなあ」
「ちなみに何を言うつもりだったのですか」
「……お休み前に真昼からキスでもしてほしいな、と」
先程口づけたばかりではあるが、あれは周からした事だ。周より照れ屋の真昼からしてもらえる事は滅多にない。キス自体は好きらしいのだが、いかんせん恥ずかしいらしく中々自分からするには至らない。
折角なら、真昼も真昼がしたいようにキスをしてほしい、なんて人に聞かれれば恥ずかしい事を誕生日だからとお願いしようと思ったのだ。
結構なお願いだと思ったのだが、何故だか真昼は困ったような、ほんのり呆れたような顔をしている。
「……周くんって無欲ですよねえ。もっと大きな事をねだってもらえるのかと思いました」
「こんなにも満たされててこれ以上にどうしろと。生まれてきた事を祝ってくれて、こうして側に居て温もりをくれる恋人が居て、もう十分だよ。欲がないって訳じゃなくて、今満たされているからだぞ」
「……これじゃあ私が強欲です」
「真昼が?」
真昼に強欲はかけ離れた言葉だと思っていたのだが、真昼は大真面目な顔で頷いた後へにょりと眉を下げる。
「だって、本当は周くんがバイトするの、寂しいなって、早く帰ってこないかなって、ずっと思ってます。女性に言い寄られないか、心配もしてます。周くんは格好いいので、モテたらどうしようって。周くんが選んだ事で邪魔するつもりは一切ないですし浮気も心配してませんけど、不安になります。行かないでって、思ってしまって」
周くんの邪魔をしたくないのに、とこぼして、真昼は周の胸に顔を寄せる。
「離れないで欲しいですし、もっと私に触れて欲しい。ずっとずっと、側に居て欲しい。……そう思ってしまう私は、強欲で愛が重いと思うのです」
吐露された想いについ口元が緩みそうになってしまう。
それだけ、真昼は周の事を想ってくれているし、大切にしてくれている。ずっと側に居たいと願ってくれている。それだけ、周の事が好きだという事だ。
むしろ恋人冥利に尽きるといった所だろう。
強い愛情を強欲だと表現した真昼に、周は小さく笑って背中に回した手に少し力を込める。
「……多分だけど、真昼より俺の方が重いよ。真昼が思うより、ずっと」
真昼が自分の事を重いと言ったが、それを言うなら周の方が重い。絶対に離すつもりがないのだから。
真昼が本当に幸せになるならば血の涙を飲んで離す事はもしかしたらあるかもしれないが、それ以外で真昼を離すつもりなどない。自分の手で幸せにするし、そのための努力は欠かさない。
真昼のために、なんて責任の押しつけをするつもりはない。周が、勝手に真昼を幸せにしたくて努力をしているし、自分でも抱えきれないくらいの想いを抱きながら過ごしている。
「俺の家系は一途な分、愛が重いから。俺ももれなくそうだと思ってる。多分、真昼にはまだ実感が湧かないだけだと思うんだけどな。束縛するとかそういう重さじゃなくて、寄せる感情が大きくて深いんだ。絶対に離してあげられない。俺以外を見てほしくない。……だから、嫌になったらどうしようって、たまに思う」
重いのは、自覚している。
軽い付き合いは真昼にも失礼だからこそ、真剣交際で生涯を共にするつもりで交際を申し込んだのだが、他人からすれば重いものだろう。
だというのに、真昼は嬉しそうに笑った。幸せそうに、ふやけた笑顔を見せて。
「それだけ愛してもらえるなら、私は幸せ者だと思いますよ。掴んで離さないで、私だけを見てくれるなんて、理想的だと思いませんか」
「ほんとかなあ」
「本当ですよ。……私も、もう周くんを離してあげられませんので、お互い様です。絶対に余所見とかさせませんからね?」
まずありえないようなことを言われて頷いた周に、真昼は満足げに笑って少しだけ体を上にずらした。
近付いた真昼の端整な顔には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「私は周くんに私をあげますので、周くんは私に周くんをくださいね?」
熱っぽく囁かれて、彼我の距離が縮まる。
吐息が絡まるほど近付いた互いの顔は、すぐに距離を詰めて空気を隔てずに触れ合った。
そっと唇が触れるだけ、そんなキスなのに、燃えるような熱さを覚える。それでいて安心感と幸福感がないまぜになった心地よさがあり、自然と胸が熱くなった。
時間にしてほんの数秒触れ合っただけなのに、深い口づけとはまた違った満足感を確かに覚えて、周は真昼と視線を合わせて微笑む。
きっと、お互いにお互いしか見えていないのだ。心配なんていらないだろう。
「……おやすみなさい、周くん。よい夢を」
「おやすみ、真昼」
私のもの、と言わんばかりに周にくっついてとろけるような笑みを浮かべた真昼に、周も穏やかな笑みを返してそっと瞳を閉じた。
早い所では明日『お隣の天使様にいつの間に駄目人間にされていた件4』が店頭に並んでいくみたいですね!
(めっちゃどきどきする)
皆様の手にとってもらえますように……と心の底から願っております。書き下ろし半分以上ですのでウェブ既読の方も楽しんでいただけると思います!
挿絵すごいよ!
そうそう挿絵の一部を活動報告の方で公開しておりますのでよろしければご覧くださいませ!
めっちゃ真昼さんがえっ(ここで文字は途切れている)