260 天使様の振る舞うご馳走
「……豪華だなあ」
食卓に並んだ品々を見て、思わず本音がこぼれる。
誕生日のご馳走として机の上にある料理の数々は、分かりやすく言えば周の好物を集めたものだ。
普段なら栄養バランスを考えての献立になるのだが、今日は違う。卵大好きと公言する周の好みに合わせたらしく、卵の料理が並んでいる。好きで滋養もあるとはいえ同じ物を食べすぎるのも良くないからと一日の個数をなるべく制限されているのだが、今日ばかりは制限が解除されているらしい。
食卓でも目立つのは、作った翌日にしか出来ない上に真昼の手間も時間もかかるからと中々に作らない、ビーフシチューをかけた堅焼きタイプのオムライス。
他にも茶碗蒸しやゆで卵のたっぷり入ったポテトサラダ、卵入りの豚角煮といった、量自体は一般的な男子高校生の食事量ではあるが、とにかく品目が多く周の好物がたくさんだ。野菜がほとんどないのは、野菜が嫌いというより周が卵を好きすぎるせいだろう。
「周くんが好きな料理を集めた、料理ジャンルも栄養バランスも全く考慮してないおかず達ですけどね。一日くらい片寄っててもセーフです」
翌日に野菜多めにすればいいですし、と上品な笑い声で告げる真昼は、周が喜んでいる事を感じているのか頬がうっすらと染まっている。
「ちなみにだし巻き卵は明日の朝に作ってあげますね。流石に今回は量が多かったですし、美味しく食べるには朝の方がいいかと思って。周くんの好きな鮭の西京焼きも仕込んでおきますから。お味噌汁はお豆腐と大根でいいですか?」
「朝からご馳走だ……いや目の前のも滅茶苦茶ご馳走なんだけども」
「ふふ。とりあえず冷めない内に召し上がってください。今日のビーフシチューは中々にお肉が柔らかく仕上がりましたよ」
「やった。ビーフシチューぶっかけたオムライスは正義だ」
個人的には手間の問題で滅多に出ない好物なので、快哉を叫びたい所ではあるが、ぐっと堪えて手を合わせる。
いただきます、という食への感謝は忘れずに告げた後すぐにビーフシチューオムライスを口に運べば、自然と笑みがこぼれた。
牛肉もスプーンで切れる程にほろりと柔らかいのだが、口に運んでもぱさつきのない食感で非常に美味しい。いい肉を使ったんだろうな、というのは噛み締めた時にすぐに分かった。
しっかりと旨味のきいた味がオムライスと組み合わさると最高だ、としみじみ頷きながら下品にならないペースで他のおかずにも手を伸ばしていると、真昼が上品に食べながらもにこにこと周を見守っていた。
「……どうかした?」
「いえ、周くんはいつも美味しそうに食べてくれて、作り手冥利に尽きるなあと」
「そりゃ美味しいからなあ。最高と言っても過言ではないんだが」
「周くんの中で最高の評価をもらえたなら私も満足です。精進は怠りませんけど」
どこまでもストイックな真昼に苦笑しつつ、うまうまと食事を口に運んでいると、あっという間に皿は空になっていた。
結構な種類があったが、量は加減されていたので働きだして更に腹が減りやすくなった周にはあっさりと平らげる事が出来た。
綺麗に食べきった周に真昼は満足げな微笑みを浮かべて、それからゆっくりと席を立って食器を流しに置いていく。
手伝おうと思って腰を浮かせた瞬間「主役はゆっくりするものですよ」と優しいのに有無を言わさぬ口調で言われ、周はすごすごと席につく。
テーブルの上に並んでいた食器が消えた所で、真昼は改めて周の方を向き直って微笑みを浮かべた。
「食後のデザートもありますよ。お気に召すといいのですが」
「……もしかしてこっそりと練習していたやつ?」
「ええ。やっぱり自分で納得のいくものでないとお出しするのも躊躇われたので……結構改良を重ねて周くんが好きそうな味に仕上げました」
太る事を心配していた、というのにも合点がいく。
恐らく試作しては消費していたのだろう。ものにもよるがお菓子はやはりカロリーが高いので、それを消費していたらカロリーも気になってくるだろう。
「真昼が作るなら何でも良かったのに……っていうのは失礼かな。そんなに凝ってくれたなら嬉しいけど、無理はするなよ?」
「してませんよ。……その後の運動はちょっと頑張りましたけど」
「その努力のお陰で体型は変わってなかったんだろうなあ。自己管理は流石というか」
「精々誤差範囲ですし腹囲は変わってなかったのでセーフです。では、お持ちしますね」
そう言って冷蔵庫から手作りのチョコケーキらしきものが載ったお皿を持ってきた真昼。
ことりと小さな音を立てて食卓に置かれる。
既に食べやすいように切り分けられていて、真昼は取皿に静かに取り分けていた。
目の前に置かれたものをじっと眺めた感じ、ガトーショコラ、といったところだろう。生チョコレートの方が近いかもしれない。見た目からして生地がきめ細かくずっしりとした印象を受ける。
後から真昼の手によって生クリームとミントがちょこんと添えられるが、やはり印象的には実にシンプルな見かけであった。
「ガトーショコラにしました。周くんは甘いものは極端に好きではないですし、飲み物と合わせて食べやすいものの方が好みかと思いまして。ちなみに飲み物には牛乳をチョイスしましたけど、味の濃さを考えてですので出来ればこちらと合わせてくださると嬉しいです」
「作り手がオススメする食べ方が一番いいと思うのでありがたくいただきます」
真昼が拘って作ったのだから間違いはないだろう、と自信を持って言えるので、周は何の心配もせずに真昼が見守る中フォークでガトーショコラを押し切る。
見た目通り、非常に生地の目が細かく詰まっているので、押す感触は硬い。
それでも簡単に切る事が出来たので、周は一口分に切り分けてそっと口に運ぶと……まず最初に、濃厚なチョコの風味が広がった。
ガトーショコラ、というより生チョコレートに近いものを感じる。表現としては、ねっとり、というのが近いだろう。
それでいて生チョコレートとはまた違う、口の中でほどけてとけるような滑らかな生地の感覚がある。絶妙な塩梅で生地の硬さを仕上げていた。
甘さは控えめではあるが、確かに甘さとチョコレートの深みを感じられる。チョコレートのよさを最大限に生かすように調整されているように思えた。
「……うっま」
何の修飾もなしに、ただただ本気の言葉をこぼすと、真昼は安堵の吐息をこぼして微笑んだ。
「お口にあったならよかった。ちょうどいい味と舌触りを狙ったのです」
「めっちゃうまい。すげえ、こんなになるのか」
「ふふ、その反応をしていただけたなら本当に作り手冥利に尽きますねえ。頑張った甲斐がありましたよ」
鈴を鳴らしたような笑い声ではにかむ真昼は、ガトーショコラに舌鼓をうつ周の顔をどこかいたずらっぽい笑みに変えて覗き込む。
「ちなみに、隠し味、わかりますか?」
問われて、瞳を閉じて舌の味蕾に神経を集中させる。
確かな甘みと深みの中に、チョコレートとはまた別の芳しい香りと苦味が奥深くに残っている。
それは周が最近仕事でよく嗅ぐようになったものの香りだ。
「ん……コーヒー、だけど……んん? これ……うちの店の?」
繊細な味や香りの立ち方が、今の職場で出しているコーヒーに似ていた。
半分当てずっぽうだったのだが、真昼は「大正解」とにこにこしながら手を合わせて叩いている。
「あ、まだ様子見とかは行ってませんからね? 木戸さんにご協力いただきまして、周くんの働いている喫茶店のコーヒー豆を買わせていただきました。オーナーの方にチョコレートのコクと深みを出すためにブレンドまでしていただいて本当に頭が上がりませんよ」
「糸巻さんまで共犯だったのかよ……最近会う度ににこにこしてると思ったら……」
まさかのオーナーである糸巻まで巻き込んでいたとは思っておらず、次のバイトのシフトが大変な事になりそうだ、と内心で冷や汗を流す。
ただ、あの喫茶店のコーヒーは確かにうまい。挽きたてはやっぱり格別に美味いと聞いて、周もコーヒーミルを買ったら自宅で挽いて飲んでみようかと思っていたのだが、こういった形で口に運ぶ事になるとは思っていなかった。
「ふふ、私はあくまで木戸さんに頼っただけなのですけど、いつの間にかお話が広がってしまって……快くご協力いただきました。周くんの耳に入らなかったならよかった」
「本当に真昼は……」
周のためなら努力を惜しむ様子がない真昼に、面映ゆさを感じてしまう。
ただ照れた事を悟られたくなくて誤魔化すようにガトーショコラを切り分けていると、真昼はそっとその手を止めて、滑るように周からフォークを奪い取った。
顔を上げれば、艶っぽい笑みの真昼と、視線が合う。
「折角ですので、食べさせてあげますよ? 誕生日ですので、手ずから食べさせてあげるべきかと思って」
「え、い、いやそれは」
「遠慮なさらず」
周の躊躇いなど知った事か、吹き飛ばしてやると言わんばかりの笑みでそっと口元にガトーショコラを当ててくる真昼に、周は呻きながらも素直にガトーショコラを食べる。
嫌になる事なんてないと分かっているからこその真昼の立ち回りで、周は羞恥に胸をちくちくとつつかれながら、それでもやっぱり湧き上がる幸福感に身を浸した。