259 待ちわびている天使様
家に帰ると、いつものように真昼が出迎えてくれた。
いつもと違うのは、出迎えた真昼が笑顔を浮かべていた事だ。瞳にはきらきらとした明るい輝きが宿り、浮かんだ笑みは柔らかく穏やかなもの。ほんのりと紅潮した頬は、真昼の上機嫌さを露にしていた。
「お帰りなさい周くん」
「ただいま。やけに機嫌がいいな」
真昼の機嫌がいい事は喜ばしいのだが、その機嫌のよさの理由について周は全く心当たりがない。普段は帰ってきただけでにこにこしながら出迎えてくれる真昼だが、今日ほどご機嫌そうだった事はない。
理由が分からないので困惑するしかないのだが、真昼は周の困惑に気付いているのかいないのか、微笑みを強める。
「……その様子ですと、本当に周くん今日一日気付かなかったみたいですね」
「何が?」
「何の日か全く覚えていないというのもそれはそれでどうかと思うのですが……今日は、周くんの誕生日ですよ?」
ちょっぴり呆れたような声に、周は思わず「あっ」と声をもらしてしまった。
「もう、周くんったら。……誕生日おめでとうございます、周くん」
「……すっかり忘れてた、自分の事だから割とどうでもよくて」
真昼に言われてから本人が気付くというのも変な話なのだが、あまりに頭からすっぽ抜けていたため、全く意識になかった。
去年は真昼も誕生日を知らなかったし、ここ数週間不慣れなバイトに慣れるために頭を使ったり日課の筋トレやジョギング、予習復習に意識が割かれる事が多く、完璧に忘れていたようだ。
そもそも、周にとって誕生日というものは節目ではあるがあまり意識するものではないし、自分の分はわざわざ祝わなくてもいい、くらいのスタンスだった。そのせいもあるだろう。
実家に居る時は両親がしっかり祝ってくれたが、一人暮らしを始めてから意識する事もなく、こうして今に至った、という訳だ。
「どうでもよくありませんよ? 私にとって、周くんが生まれたこの日には感謝しています。周くんが居なければ、私は本当の意味で人を信じて愛するという事が出来ませんでしたから」
周が完全に忘れていた事については苦笑しつつ、真昼はそっと周の手を取る。
「私は、周くんのお陰で愛は確かにあるものだと知る事が出来ました。幸せだって、心の底から思えるようになりました。周くんが生まれてきてくれて、私はすごく感謝しています」
出会った頃とは違い、どこまでも温かく柔らかな光を灯した目が周を見つめる。
絡められた手は、温い。今真昼が周に抱いている熱をそのまま手に宿らせたように、穏やかでいながら心地よい温もりを伝えてきていた。
「生まれてきてくれて、私と出会ってくれて、ありがとうございます」
本当に嬉しい、という感情をありありと表した声と微笑みに、頬が熱を帯びていくのが分かった。
心からの感謝と祝福はこんなにも体を熱くするのだと、思い知る。それが嫌なものではなく、熱に浮かされるとまた違った心地よくふわふわとしたものだというのは、真昼と出会って初めて知った。
こんなにも想われて、周は幸せ者だろう。
「……こちらこそ、そんなにも想ってくれて、祝ってくれて、ありがとう」
この熱と感動をどう伝えればいいのか分からず、少したどたどしくなりながらも感謝を口にすると、真昼ははにかむ。
「今日は細やかながらご馳走を用意していますので、楽しんでくださいね。それから、ご飯前に……二つ程、謝らなければならない事があります」
「うん?」
謝らなければならない事? と首を傾げた周に、真昼はやや気まずそうに目を伏せた。
「その、周くんは私がこそこそとしていたのには気付いていたと思います。不安にさせてごめんなさい」
「ああ、それは……まあ今のを見れば分かったから。真昼が俺にひどい事するとは思ってなかったから、俺が何かしたかなーっていう心配はあったけど」
「周くんが私に何かするとは思いませんけど。これは私があまり隠し事が得意でなかったせいで逆に不安にさせただけで……周くんに隠し事をしてしまってすみません」
恐らく周を驚かせたくて内緒で誕生日に向けて用意していたからこそ、ああいった態度になっていたのだろう。真昼は周にあまり隠し事が出来るタイプではないし、罪悪感があったらしい。
可愛らしい隠し事だったし、周のためにやっていた事なので、とても責める気にはならなかった。
「別に気にしてないから。……もう一つは?」
「その……わ、私が裏で誕生日の用意をしていたら、皆さんが気を使ってサプライズのために当日には何も言わないようにしてしまったみたいで。本当なら今日学校で皆さんお祝いをする筈だったのです。私のために、本来周くんが今日受けるべき祝福を邪魔してしまって……」
「ああそういう事か……」
一応、樹や千歳達も誕生日は知っているし、彼らは結構マメな人間なので友人の誕生日は祝うタイプだ。だからこそ何も言われなかった事が周の誕生日の自覚をなくす要因でもあったのだが。
真昼に協力していたからこそ、今日何も言わなかったし、恐らく今日の放課後の遊びは足留めのために誘ったのだろう。
あいつらめ、と小さく呟くものの、その響きが柔らかい事は自分が誰よりも知っている。
申し訳なさそうにする真昼にどうしたものかと悩みながら、そっと俯きがちな真昼の頭をぽんと軽く叩く。
「んー、正直言うと、俺自身は日にちとか場所とか俺本人に言うかとか、関係ないと思ってる。まあ日にちについては当の本人が忙しさに忘れきってたし、今日祝われないといけないって事はないだろ? あいつらなりに俺の事を考えてくれたみたいだしさ」
「でも」
「多分だけど、あいつらは一番俺が幸せなのは真昼が考えたお祝いを受ける事だって思ってると思うんだ、だからこうして結託して隠していた訳だし」
今回の真昼への協力は、彼らなりに周を祝おうとした結果なのだ。
別に当日に祝いの言葉をもらえなくても、周は気にしない。彼らが周を祝ってくれているのは、実感している。
「俺はそれだけ友達思いのやつらに恵まれてるって分かるから、それだけで十分に祝われていると思うんだよ。祝い方が直接じゃないと駄目って訳じゃないし、声をかけられたかどうかで友情を測ったりはしないよ」
人によって祝い方なんて様々だし、これが彼らの思う祝い方なら周としてはそれでよかった。
言葉や物だけで判断するような人間になった覚えはないし、そんな薄っぺらな関係を築いた訳ではない。彼らの気持ちだけで十分だった。
それでもまだほんのりとしょげた様子の真昼に、周は苦笑しながら優しく優しく真昼の頭を撫でてそっと顔を覗き込む。
「それにまあ、明日もみくちゃにされそうだし……今日は、真昼が俺を独り占めしてくれ。明日色々聞かれそうだから、のろけられるくらいには、な?」
「……はい」
最後は茶化すように笑って告げると、真昼も思わずといった様子で笑って、周の胸に顔をうずめた。