256 天使様の深遠なる考え
何やら真昼が周に隠し事をしているらしい。
バイトから帰ってくる度にその疑惑は強くなる。疑惑、というか確定だ。こそこそとしている。
それは周が家を空けた時にある事なので、周に見せたくない何かがあるのだろう。
かといって真昼に聞いた所ではぐらかされるであろうし、周とて無理強いをしたい訳ではない。真昼には真昼の考えがあるだろうし、もしかしたら性別に関わる何かがあるのかもしれない。
そういった点も考えればしつこく聞き出そうとするのは失礼に当たるので、周は若干不審に思いながらも直接問いただす事はしていなかった。
ちなみに千歳に聞いても知らないの一点張り。
ただ千歳の様子を見る限り、二人は隠している内容を知っているらしい。
仲間はずれな事に多少の不安を隠せないが、同性にしか伝えられない事もあるだろうからと何も言えずにいた。
「……真昼が何か隠し事してるんだよなあ」
聞き出しはしないものの不安と憂鬱さは募るので、思わずバイト仲間である茅野にバイト先への移動中に洩らしてしまう。
茅野は突然の事にぱちりと瞬きしていたものの、周の表情から軽い話題でもないと思ったのか、電車で隣に座っていた彼は居住まいを正す。
「喧嘩とかしたの?」
「喧嘩では一切ない。ただ、真昼が何かを隠してこそこそしてるんだよなあ……俺が何かしたとかではないらしいけど」
一応、自分が気付かない間に何かしてしまったのではないかと思ってそれとなく聞いてみたものの、その問いには不思議そうに首を傾げていたので違うようだ。
「うーん。彼氏に隠すってなると一般的な事を考えると浮気辺りなんだろうけど、椎名さんに限ってそれはないと思う。オレは椎名さんと親しい訳じゃないけど、椎名さんの性格と二人の仲の良さ的にまず有り得ない」
「それは自分でも思うし、真昼は不誠実な事はしない。真昼が浮気一番嫌いだからな」
茅野も軽いたとえで言ったものは、真昼ならまず有り得ない。
彼女は複雑な生い立ち・環境で育ってきているため、不義は絶対に許さない質だ。愛人を外に作って過ごす母親を見ていると絶対に。ああなりたくないしならない、と言い切るくらいには浮気を嫌悪している。
ただ、それ以外に隠し事となると思いつかない。
真昼は基本的にあまり隠し事は得意でないし、そもそもしない。周に隠れて裏で企むという行為自体罪悪感が勝つらしくて、何か怪しいと思って少しつつくだけで白状するタイプだ。
今回は本人が明確に隠したがっていて気付かれたくもなさそうなので何も言っていないが、隠し事はしたがらない人である。
「となると、真昼が俺に隠し事をするって事は多分やましい事じゃないんだよ。見せたくない、知られたくない何かは悪い事ではないと思う。本人にとって俺に知られるのが恥ずかしい事か、俺の事のどっちかだろうなあ。物を壊したとかなら素直に申告して謝ってくるし、害があったものでもなさそうだ」
「じゃあどうするんだ?」
「別にどうもしないよ」
「え?」
さらっと言った周に、茅野が思わずといった様子で聞き返してくる。
ガタガタと低く唸るような電車の走行音を聞きながら、周はその音に紛れ込ませるようにそっと吐息を落とした。
「真昼が隠しておきたい事なんだから、根掘り葉掘り聞くのはよくないだろう。俺にも内緒にしておきたい事の一つや二つあるし、触れてほしくないなら触れない」
「それでいいんだ」
「俺を意図的に傷付ける事なんて絶対にしない真昼を信じてるから。何でもかんでも関わっていくより、お互いに秘めておきたい所を侵さずにいた方がいい。信頼してるからこそ、その人のプライベートを尊重するべきだって。ずっと穏やかで居られるコツだそうだ」
長年いちゃいちゃし続けている両親からの言なので、説得力はあるだろう。
仲の良いふたりではあるが、何でもかんでも関わっている訳ではない。一人の時間を大切にする事も重要視しており、趣味の事をする際は結構な頻度でそれぞれ別の場所に居る。
一緒の場所に居てもそれぞれ別の事をしている事も多く、それで居て空気は温かく柔らかいものだから息子である周も心地よさを感じるくらいだ。
そんな両親を見てきたので、自分の時間も相手の時間も尊重する姿勢が出来ていた。
「ちなみにもしも何かうしろめたい事があったとしたら?」
「そうしたら俺に相談する価値がなかったという事だし、真昼が万が一俺を捨てたとしても俺が魅力がなくて不甲斐ないという事になるな。俺が悪い」
真昼は恐らく、非常に愛情深く一途で誠実な少女だ。そんな真昼が周に相談もなく周を捨てたなら、大概周の方に問題があるだろう。
真昼の事なので真摯に気持ちを伝えて関係を解消する筈だ。
「まあ、真昼だから大丈夫だろうけど、やっぱ気になるよなって。落ち着かないんだよなあ」
「……なんというか、藤宮って覚悟決めるとどっしりしてるよな」
「そう?」
あくまで真昼への信頼が厚いからこその待ちスタンスだ。焦っても答えを出してもらえないなら待っていつか明かされるのを待った方がいいだろう。
真昼の事だから悪い事にはならない、という確信があるからこそ、問い詰めはしない。不安に思うくらいは許してほしいが。
「こう、昔廊下で見かけていた時はあんまり自信なさげにしてたから……今じゃ立派な天使様の彼氏をしているな、と」
「実際自信はなかったからなあ。背中蹴ったり叩いたりしてくれた友達とか、支えてくれる真昼が居るからシャッキリ立ってるって感じだよ」
物理的に背中を蹴られ叩かれた事があるが、比喩的な意味でも背中はボコボコにされた。そのお陰でこうして真昼の隣に立っているし、真昼に支えてもらっている。
食事や生活習慣といった実生活の支えと共に精神的にも支えてくれているからこそ、周は努力を苦にも思わないし、むしろ楽しいと思えるのだ。
感謝してもしきれない、と締め括った周に、茅野はしみじみとした様子で頷く。
「……椎名さんって内助の功……っていうか、藤宮が大切にすれば大切にする程藤宮を輝かせる存在だな」
「輝いてるかはさておき、真昼の隣に立つには弱気でいられないし、自分を誇れるようにならないと駄目かなって。男として立派になりたいっつーか……。そう思えるようになったのが真昼のお陰だな。実際支えてくれるし」
「……支えたいって思わせる藤宮の人徳もあると思うけど?」
「それはありがたい評価だけどさ。やっぱり真昼のお陰だと思うよ、俺がちゃんと背筋を伸ばせるのは。真昼のために……違うな、真昼に見合うように頑張りたいって思うのも、やっぱり真昼だからだし」
だから真昼はすごいんだよなあ、と呟くと、小さく「結局、のろけを聞かされたでいいんだろうか」と返されたので、何だか申し訳ない気持ちになりながら駅に到着するまで気恥ずかしさを感じるのであった。