233 翌朝のお話
朝目を覚ますと、腕の中には昨夜抱き締めて眠りについた筈の真昼は居なかった。何故か、周が誕生日に贈ったくまのぬいぐるみにすり替えられている。
恐らくここには居ない真昼の仕業だろう。部屋の外から生活音が聞こえた。
ぬいぐるみを抱き締めさせた事については真昼に後で問うとして、抱えているくまのぬいぐるみに視線を落とす。
昨夜ベッドの端から触れ合いを眺めていたつぶらな瞳に映る自分の顔が満たされているのを眺めて、それから昨夜の事を思い出して気恥ずかしさからふっくらとした腹に顔を埋める。
すっかり真昼の家に染まったくまは、甘くて、しかしほんのりとしたハーブの爽やかさも感じさせる匂いがした。
ただ、その爽やかさをもってしても、未だに残る昨夜の残滓は振り払えそうにない。
耳に響くか細く上擦った声も、上気した肌を滑る汗も、自分には持ち得ない柔らかな感触も、信頼と期待にとろけた瞳も――何もかも鮮明に内側に残って、周を甘く苛んでいた。
思い出すだけで腰の居心地が悪くなるので出来る限り脳から追い出しつつ起き上がれば、扉の方から金具が軋む音がした。
「……起きましたか?」
ひょっこり顔を現したのは真昼で、扉の隙間から覗くエプロンからして朝ご飯を作っていたようだ。
一瞬、周を見て頬を赤らめたが、それでも逃げる事はしなかった。
「朝ご飯、出来てますから着替えて顔を洗ってきてください」
「……うん」
その台詞はまるで同棲しているようで、なんともくすぐったい。実際半ば同棲しているようなものだが。
「今日の朝ご飯は?」
「ご飯と出汁巻きとお味噌汁、作り置きのきんぴらゴボウと冷奴にちょうどあったししゃもです。うちにあるもので悪いですけど」
「いや、贅沢な朝ご飯だよ。……すげえ夢みたいだな」
「大袈裟ですよ? 寝ぼけていらっしゃるなら、起こしてあげますけど」
廊下から部屋に戻ってきた真昼は周の側に近づくと、うにうにと頬を摘んでくる。
痛くしていないあたり起こすというよりはスキンシップしにきたという方が正しいだろう。
ぷにぷにと触って満足そうな真昼に、周も陽だまりが胸に出来たような温もりを感じつつ、真昼の首筋に掌をそっと触れさせた。
首の付け根あたりの、周が触れた場所には、ぽとんと雪に落ちた椿のように小さな赤い痕が落ちている。それが服の内側に続く事を知っているのは、二人だけだろう。
「……今日はハイネックじゃないと駄目だな」
「あ、周くんのせいじゃないですか」
「そこについては本当にごめん。……こう、自制が……」
見える場所にあると真昼が困るというのは理性で分かっていたのだが、ゆだった頭は新雪を踏み荒らしたいと思ってしまって、無意識に唇を寄せていたのだ。
サッと服を整えた真昼が痕よりも真っ赤な顔になって押し黙ったので、あまり昨夜の事を思い出させると暫く口を利いてくれなさそうだ。
確実に周よりも真昼の方が、人に初めて見せる表情を多く晒したので、その辺りを掘り下げるのはやめておきたい。藪をつついて朝食抜きにされるのは御免である。
それに、周は周で、思い出すと顔を洗うだけでは済まなくなるだろう。
「と、とにかく、早く着替えて顔洗ってきてください。頭冷やしてください」
「……真昼の方が冷やした方が良さそうなんだけど」
「何か言いましたか」
「いいえ、何でもないです」
明らかに周よりも熱がこもってそうな顔の真昼に軽く睨まれて、周は唇を結んで着ていたシャツに手をかける。
途端に真昼が「ひゃっ」と情けない声を上げて足早に部屋を出ていくものだから、つい笑ってしまう。
(昨日色々と見た癖に)
躊躇いながらも素肌を見て触った恋人とは同一人物と思えないくらいに恥ずかしがって逃げた真昼に、周は肩を震わせて笑いながら用意していた私服に着替えるのであった。
どこまで進んだかはご想像におまかせします。
(追記︰前話で誓った事は破ってません)