232 大切にするということ
珍しく、真昼から口付けてきて、周はされるがままだった。
というより、身体を手で支えないと倒れてしまいそうだし、動いてしまうと非常にまずい事になるので動けない、と言った方が正しいか。腰が落ち着かない状態で真昼に愛情表現されているので、羞恥や焦燥感で全身が満たされている。
真昼は、自分からあまりする事がないので微妙に手間取りつつも幾度と口付けてきて、周の羞恥やもどかしさに歪んだ顔を見て楽しそうにしていた。
その本人も羞恥で頬を淡く色付かせて瞳にとろみを帯びさせているが、それすら妖艶さを彩る一因になっているのだから、美人というのは本当に隙がない。
周の反応に口元を綻ばせて周の胸に擦り寄り、瞳を細める真昼に、周はそろそろ限界だった。
「……あ、あの、真昼さんや」
「何ですか?」
「あー、その、……床だと座り続けていたら尻が痛くなるし、そろそろ」
本当は一刻も早く離れて落ち着きたいだけなのだが、素直にそれを言っても聞いてくれなさそうなので、もっともらしい理由をつけて懇願しておく。
周の言葉に真昼はぱちりと瞬きした後、小さく笑って「それは失礼しました」と存外素直に周から退けてくれる。おそらく、周の目的が別な事も、分かっているだろう。
周は真昼が離れたのをいい事にとりあえず離れて逃げようとしたのだが、察しのいい真昼は腕にぎゅっと体を寄せて周の逃亡を阻んだ。
温もりやら感触やら見抜かれた事やらに体を強張らせれば、真昼から「まったくもう」と不満げな声が聞こえる。
「家で思う存分攻める、と言ったのはどこのどなたですか?」
「うっ」
「あれだけ大見得切ったのに」
正論がぐさぐさと刺さってきて別の意味で呻くのだが、真昼は構う様子はない。
「……ただまあ、私を意識した結果ですので、嬉しくもあります。逃げ腰なのは、よろしくないですけど」
逃げ腰なのは生理反応も込みなので許してほしいと思ったが、真昼は周ならどんな状態でも受け入れるつもりらしく、気にしてはいないようだ。いや、別な意味で気にしてはいるのだろうが。
正直、お泊りを持ち出した時にあそこまで狼狽えていた真昼がここまで積極的になるとは思わなかったし、服装に動揺して情けない姿を晒している自覚はある。
周としては、仕方のない事だと思っている。
何かするつもりでお泊りを持ち出した訳ではないのに、真昼から大胆な誘惑を受ければ、戸惑いもする。
真昼本人からしてみれば、これは誘惑というより自分の感じているものを周にも知ってほしいという願いなのだ。周からしてみれば凶悪且つ魅力的な誘惑に他ならないが。
「その、真昼の気持ちは分かった。だから、もう少し、お手柔らかにしてほしいというか」
「具体的には?」
「着替えるかもう一枚羽織ってくれると……」
「却下です。折角周くんに優位を取っている状況でその願いは聞き入れられません」
あくまで真昼は周の心臓をいたぶるつもりらしい。
「……これはちょっと恥ずかしいですけど、指南書の通りドキドキしていただけるのであれば継続します」
「なあその指南書とやらをお兄さんに渡してくれないかな」
「まだ同い年ですし一ヶ月しか違いません」
「そういう問題でなくてな? 何の知識を詰め込まれたのか非常に気になるんだけど」
「……秘密です」
露骨に目を逸らした真昼は、そのまま誤魔化すようにむぎゅりと周の体に抱きついた。
「……別に、嫌なら、着替えますけど」
上目遣いで言われて、周は唸りつつ真昼の背中に手を回す。
布越しに触っても明らかにあるはずのものがないとか、布がとても薄いとか、細いとか柔らかいとかいい匂いとか、そんな様々な感想や感情、湧き上がる欲がお腹の中でぐるりと渦を巻く。
けれど、それが真昼を拒む事には繋がらないのも、自覚していた。
「……嫌じゃない事くらい、分かってるだろ」
「ええ。ですので、念のための確認ですよ」
今日の真昼はかなり手強い事を実感して更に呻く周に、真昼は喉を鳴らして上機嫌に笑った。その頬が赤に染まっていても、もう指摘出来ない。何せ自分がそれ以上に染まっているのだ。
「……小悪魔め」
「以前にも言った通り、女の子は好きな人の前では天使にも小悪魔にもなるのです」
そう笑った真昼が余裕そうに見えるのがちょっぴり腹立たしくて、周は意を決して真昼の顎を指先で持ち上げる。
そのままカラメル色の瞳の奥まで見透かすようにじっと見つめれば、今度は真昼が視線を泳がせ始めた。
(……されるのにはとことん弱いのは変わってないな)
今日は押せ押せな真昼だが、本質的に押しに弱いのは変わっていないらしい。だからこそずっとイニシアチブを握りたがっているのだろう。
それは周にも言えるので、今日はお互いにどちらが優位に立つか小競り合いする事になりそうだ。
視線をさ迷わせる真昼に、周は躊躇いながらも口付ける。
急な口付けに身を強張らせた真昼だが、口付け自体は好きなのでそのまま受け入れている。
なので周も真昼が受け入れるままに深い口づけを施すと、途中から胸をぽこすかと殴られ始めた。
口からこぼれている声は、抗議の声なのか、別のものなのか。
その答えを出す前に、真昼は周の胸を押して唇を体ごと離すと、そのままふらりと後ろのベッドに尻餅をついた。
真っ赤な顔に涙目で睨まれたが、周は口付けで湿った唇を舐めてそのまま真昼に腰を折るように近付くと、真昼が後退る。
「……俺には逃げ腰だと笑っておいて自分は逃げるんだ?」
「うっ。……い、いえ、もう寝る時間ですからベッドに移動しただけです」
「左様で。じゃあ俺も移動しようか」
真昼を追い詰めるようにベッドに上がると、小さく体を震わせて、それでも負けじと周を見上げて、何故か急に目を逸らした。
「……ず、ずるい。このために周くんを早めにお風呂に入らせたのに……っ」
「どういう事?」
「時間置いたのにそうやって色気出すから!」
訳の分からない事を悲鳴じみた声で主張した真昼は、続いて小さく唸って布団の中に逃げ込んだ。
どうせ自分も潜るのに……と思ったのだが、今のところ言わないでおく。
真昼が布団に入った事によって、視覚的に安心出来るものになったので、周はひっそりと安堵しつつ真昼の隣に潜り込んで華奢な背中を包み込んだ。
びくっ、と震えた体に小さく笑うと、吐息で笑われたのは感じたらしく真昼が体ごと周の方に向いた。真昼は、羞恥に満ちた、不満げで拗ねたような可愛らしい表情をしている。
「……今日は、私が周くんを翻弄する日にするつもりでした」
「滅茶苦茶翻弄されたけど」
「形勢逆転してるのに何を言いますか。……ばか」
ぽこ、と腹筋を殴ってくるが、痛くも痒くもない。真昼も手応えを感じているのか、不満やら感心やらが混ざったように唇が微妙に山を築いている。
「……鍛えているから、余計に駄目です」
「駄目の基準が分からん」
「……ずるいです」
そう言って周のシャツの裾から手を滑り込ませて腹筋をなぞる真昼に、確実に木戸の影響が出ていると察しながら真昼の好きにさせておいた。
あまり目に見えて筋肉がつくタイプではないが、引き締まって硬くなったのは自分でも実感している。くっついたり触れてきたりする真昼なら尚更感じているだろう。
するすると撫でてそっと吐息をこぼす真昼にくすぐったさを覚えながら、真昼を観察する。
真昼は、大分持ち直して来たのか、顔を赤らめながらも周の体を触って確かめていた。服の中にまで手を滑らせるのは想定外だったが、触りたがっていたので好きにさせている。
「……触るのはいいけど、あんまりにも触るなら俺も触るぞ?」
囁けば、ビクッと体を強張らせて、こちらを涙目で見上げてくる。
一応注意勧告として告げたが、欲求も入っている。触られた分だけ触るのは問題ないだろう。
先程から体を直に触られてくすぐったいし、色々とギリギリなのだ。あらぬ場所に真昼の手がうっかり触れそうで怖い。触られたら、諸々我慢しているものが砕け散りそうだった。
こう言ったら引いてくれるだろう、という期待を込めての言葉だったが、真昼はきゅっと唇を結んだあと、周の胸に顔を埋めた。
「……その。……今日も、手触りはばっちりにして、あります、よ」
胸に吸い込まれるせいでややくぐもった声が確かにそんな言葉を紡いで、今度は周から体を強張らせた。
ちらりと見上げてくる真昼と目が合う。
カラメル色の瞳は今にも甘い雫を滴らせそうな程に濡れながら、周の挙動をおずおずと窺っていた。
思わず、生唾を飲み込む。
恐らく、いや確実に、真昼は周のする事を受け入れてくれるだろう。それが真昼の一つしかない大切なものをいただく事になっても、彼女はそれを享受する。
それだけ周を信用しているし、愛している。周にもその自負はある。
その信頼と愛情に、応えていいのか。
ぐるりぐるりと、様々な葛藤が体の中で渦巻く。
今か今かと体を急き立てる欲求が、心底彼女を愛したいという感情が、理性を壊そうと衝突していた。
息を吐くと、真昼が震える。
自分がどうなるか全て周に任せているので、自分の行く先が期待と不安でいっぱいなのかもしれない。
女性はこういった場面では受け身にならざるを得ない。もしもがあれば後に響くのは、受け身側だ。
それを考えれば、周の答えは出ていた。
「その、だな」
「は、はい」
「俺個人の事を言えば、真昼をものにしたいと、思う」
「……はい」
「……でも、だな。その、責任が取れる歳ではないし、もしもがあった時、困るのは真昼だと思う。いや、もちろん責任は取るんだけど、法的に明確な関係を約束出来る訳じゃない」
責任を取る手段は一つしかない。ただ、法律上、婚姻は十八歳になってからだ。今行為に及んでもし何かあれば、学生の内に産む事になる。それは避けたい。
「俺は、真昼が好きだからこそ、真昼を尊重したいと思う。将来真昼がしたい事、学びたい事が出来た時に、俺がそれを阻害してしまうのは望ましくない。いっときの感情と欲求に、真昼の人生が損なわれる事があってはならないと、思う」
「……はい」
「真昼と一生を共に歩く覚悟はある。ただ、俺は……」
「それ以上はいいですよ」
続けようとした言葉を遮られて、へたれだと罵られるかと思ったら、真昼は困ったような、それでいて想定外の幸福を授かったようなあどけない笑みを浮かべた。
「……周くんが、私の事を最大限尊重してくれているのも、深く愛してくれているのも、分かりました。こんなにも大切にしてもらっているなんて、私は……すごく、幸せ者です」
心底満たされたように笑った真昼は、周に軽く口付けて至近距離でもう一度微笑む。
「……そんな周くんを、心の底から愛しています」
誰よりも幸せで満ち溢れた笑みをたたえている愛しい女性に、今度は周から口付けて小さな体を改めて包み込む。
「……来年の真昼の誕生日まで、待ってくれるか?」
本来なら卒業まで待つのがベストではあるが、恐らく、周がもたない。だからこその、ぎりぎりの妥協だろう。
周の葛藤をその体で理解したらしい真昼はほんのり視線を下向かせた後、はにかんで頷いて周の胸に顔を埋める。
きっと、うるさいくらいの心音の出迎えに見舞われているだろう。
選択に後悔はない。真昼を大切にしたい気持ちに嘘はない。
ただ、体がそろそろ悲鳴を上げそうなので、少しだけ、許してほしかった。
「……あのさ」
「はい?」
「情けない事言っていい?」
「どうぞ。愛しい人のかっこいいところも、情けないところも、お願いも、全部受け入れますよ」
寛容な態度を見せている真昼に微妙にうろたえつつも、周は真昼の首筋に口付け、意を決して口を開いた。
「……その、だな。……少しだけ、触れていいか」
先程の覚悟を無駄にするつもりはない。誓いを破る事は有り得ない。
ただ、頭がどうにかなりそうな欲求に、少しだけ息抜きさせてほしかった。
真昼は周からの要望は想定外だったらしくぱちくりと大きく瞬きした後、顔を分かりやすく赤らめた。
ただ、それは拒絶の色ではなく、許諾の色だったらしく、小さく笑って周を見上げた。
「さっき私が触った分だけ、ですよ?」
「……足りなかったら?」
「その時は私も追加で触っちゃいます」
そういたずらっぽく微笑みながら告げて周のお腹を撫でた真昼に、今日は本当に勝てないなあ、としみじみ思いながら、真昼を抱き締めるのをやめて布団の中に潜った。