230 二つに一つ
「……お邪魔します」
初めて真昼の家に上がった周は、整理整頓され無駄なもののないリビングを見て、感心のため息をついた。
白と薄青を基調とした内装だが、本当に、不必要なものは見当たらない。真昼らしいと言えば真昼らしい整理のなされ方だ。
女性の家に入るなんて初めてなので緊張していたが、あまりにきっちりと片付けられているので、少し緊張が和らいだ気がする。
「散らかっていますがどうぞ」
「それ一年近く前の俺の家と比べて言える?」
リビングに案内してくれた真昼の言葉に苦笑すると、真昼は当時の周の家の散らかりっぷりを思い出したらしく大仰に肩を竦めた。
「あれは論外ですので。ご自分であの頃の汚さを思い出してみてください」
「ぐっ。あれを持ち出されると何も否定出来ない」
「話に持ち出したのは周くんですけどね。まあ、今はちゃんと現状維持に努めていますから、文句を言えるところは……そうですね、洗濯物をかごに入れる時雑で床に落ちてたりしますからそこは直して欲しいですね」
「ごもっともです。気をつけます」
「よろしい」
基本的に真昼に洗濯をさせる事はあまりしないようにしているが、かごへの入れ方が目につくのだろう。以前真昼に言われてからは靴下や服は表に戻してかごに入れるように気を付けていたのだが、他にも気を付けなければならない事はあったようだ。
注意点を自分に言い聞かせつつ軽いやり取りをしていたら緊張がほぐれてきたので、改めて真昼の家を見る。
やはりというか、感想としては家の見本のような家具の配置といったものだ。雑誌に載っていそうなくらいに全体のバランスが整っていて、整然としている。
だからこそ、周としては小さな違和感を感じていた。
「真昼の家は、なんつーか、綺麗だけど……」
「生活感がない、ですか?」
「……すまん」
周が言う前に真昼が苦笑いしながら問いかけてきたので、周はばつが悪くなったように視線を逸らした。
そう、綺麗だし理想的な整頓のされ方をしているが……あまり人が住んでいるように見えないのだ。
普通なら本人の趣味が見えたり生活の癖が反映されているのだが、パッと見そんな様子がない。とにかく綺麗に片付けられているの一言につきる。
「いえ、私もあまりないなって思ってますし、そもそも私最近は寝る時を除外すれば周くんの家で過ごす時間の方が多いですからね」
「あー……」
「今年に入ってから、本当に周くんちに入り浸っていたので、大掃除した時からあんまり変わってないんですよね」
そう言われれば、確かに、真昼は自宅で過ごす時間はあまりない。付き合う前から大体周の家で過ごしていたし、付き合ってからは殆ど周の家で過ごしていた。
真昼が家で過ごす時間が少なくなれば、当然生活感も薄れていく。本人が綺麗好きだから、尚更なくなっていくだろう。
改めて真昼がずっと側に居たという事実を感じてほんのりと胸が温もっていくのを感じていると、真昼が一歩周に近付いて、顔を覗き込む。
「……つまり周くんのおうちは私のおうちでもありますので、汚したままにしないようにしてくださいね?」
「……お、おう」
いたずらっぽく微笑みかけられて、思わず挙動不審になって声をつまらせながら返事をしてしまう。
そんな周の反応に真昼は満足したのか機嫌よさそうに喉を鳴らして、今日一番の難関であり耐久を強いられる真昼の私室に周を誘った。
リビングは割と平気だったのだが、真昼が寝ている部屋ともなれば緊張は当然する。
足を踏み入れれば、リビングと同じ白と薄青を基調としつつも華やかさの増した内装が出迎えてくれた。
本棚は参考書や料理本で一杯なところは真昼らしいと思ってしまう。
ガラス製のデスクにはゲームセンターで周がとったぬいぐるみが一つ置かれており、ベッドには誕生日に贈ったくまのぬいぐるみやゲームセンターでの収穫品の残りが数匹ほど鎮座していた。
有名なキャラクターものは一切ないが、置かれたぬいぐるみが可愛らしさを演出している。
千歳が真昼宅に泊まって彼女がビデオ通話した時にちらっと部屋を見た記憶はあったが、それでも実際に足を踏み入れるのはまた違う。
緊張から少し呼吸が速くなる。
お陰で、ほんのり甘くてなんとも例えがたい女の子の匂いを強く感じていた。真昼から香ってくるものとは少し違うが、それでもいい匂いというくくりには変わらない。
「じゃあここで待っててください。本は好きに読んでくださって構いません」
「わ、分かった」
真昼は緊張を見せないようにしているのか、本当に緊張を感じていないのか、あくまで普通の態度で周に待つように指示する。ちなみに周は先に風呂に入ってきたので、真昼のお風呂を待つ事になる。
別にこの後何かがある訳ではないのだが、彼女の家で入浴を待つという状況にどうしても腰が落ち着かなかった。
とりあえずでカーペットの上に正座して背筋を伸ばすと、真昼は小さく笑ってクローゼットの中から二着取り出して、周の目の前に持ってくる。
「……ちなみに、周くんはこっちとこっち、どっちがいいですか?」
見せられたのは、大雑把なくくりとしては寝間着だ。ただその趣向は全く違う。
片方は、白と淡いピンクのもこもことした生地で出来たフードつきの長袖にショートパンツのルームウェア。女の子がよく着ていそう、という感想が浮かぶ、可愛らしいデザインのものになっている。
もう一つは、白地にレースとリボンがあしらわれたベビードールだ。
透けるようなものではないが、提示されたもう一つの選択肢とは露出が違う。胸元はそこまで空いていないし丈としても恐らく腿の半ばまで隠れる。
それでも、デコルテの部分や二の腕は晒される事になる。以前周の実家に泊まった時に着ていたものよりも露出は間違いなくあるだろう。
見せられた二着に固まった周に、真昼は意図の読めない笑みを浮かべている。
「折角なら好みのものを着ようかと思って。その方が周くんも喜んでくれるのかなと」
「え、お、俺は真昼が好きな服を着るのがいいと思うぞ」
「ですから、周くんの好みの服にしようかなと。周くんがいいと思った服を着たいです」
どうあっても周に選ばせるつもりらしい。
ちらりと寝間着を見る。
どちらも、真昼に似合う事は間違いない。そもそも真昼が似合わない服が想像つかない。
ただ、もこもこのルームウェアは真昼が着るというより千歳が着る方が似合いそう、という感想が浮かぶ。
フェミニンさを香らせつつも大人っぽいデザインのベビードールの方が、似合うとは思う。
思うが、それを選択するのはまずい気がする。
(他意はないって分かってくれるとは思うが、俺の理性的に辛い)
一晩隣に居て密着するのであれば、そんな格好をされると、色々と困る。くっつく真昼も困るだろうし、煩悩を押し付けてしまう身としては非常に心苦しくなる。
なので、ちょっと見たいという欲求は覚えつつも「……こ、こっちのもこもこかな」と暖かそうなルームウェアを指差すと、真昼はにっこりと笑みを口許にたたえた。
「じゃあこちらにしますね」
そういって真昼が抱えたのは大人っぽいデザインのベビードールで、もこもこのルームウェアはクローゼットの中にしまっていた。
「俺の選んだ意味!?」
「いえ、周くんは恐らくこっちの方が露出少ないから選んだだけであって、好みとしては恐らくこちらかと。こちらがいいけど恥ずかしいから消去法で選んだ、ってのが見えました。目の逸らし方と態度で分かりますよ」
ぐうの音も出ないほど的確に当てられて、周は唇を震わせる。
「……そこまで分かってるなら聞く必要なかっただろ」
「ふふ。周くんの好み、少しずつ理解していきたいと思って。今回はチェックでした」
「……左様で」
なんて心臓に悪いチェックなんだろうか、と周としては心臓やら胃が悲鳴を上げている。
それと同時に真昼が周の事を想って選んでくれたという事実に喜びを感じているのも事実で、口許が緩めばいいのかひきつればいいのか分からず、唇はぴくぴくと震えるだけだった。
「では、入浴してきます」
周の葛藤なんて知らず、颯爽と部屋を出ていく真昼に正座したまま呻けば、扉の向こうでバタバタと慌てるような足音がした。
冷静を装っていたが真昼は真昼で意識して悶えているのかもしれない、と思うと少し気が楽になったが、やはり恥ずかしいし想像すると体が燃え上がりそうだ。
結局、ふわふわと脳裏に浮き上がってこようとするベビードール姿を振り払いながら、真昼がお風呂からあがってくるまで正座し続ける事になった周であった。
(選んだものを着るとは一言も言ってない)