23 天使様、気圧される
うたた寝をする事自体は、よくある事だ。
暖房が効いた暖かい部屋、昼食後の満腹時、これだけでもうたた寝するには十分な環境だ。
普通男の部屋で寝るか、という疑問は湧くものの、一応周が無害だと認識しているらしいのでうっかり寝てしまったのかもしれない。
それは、責められないものだろう。音も立てないようにじっとしておけというのは退屈だろうし、仕方ないものはある。
こちらが頭を抱える原因は、母親である志保子が来ていたタイミングで、しかもこの状態を目撃された、という事だ。
確実に、誤解される。
周が他人だったら周も勘違いするだろう。部屋に招き入れる程度に、そしてうたた寝のような油断をする程度には親しいのだ、と。
ひきつった顔で母親をちらりと見れば、真昼を見たその目が輝いていた。あらあらまあまあ、といった心の声が聞こえてくるのは気のせいか。
「あらやだ周ったら、こんな可愛い彼女作っちゃって! 隅に置けない子ね!」
きゃあ、と黄色い声を年甲斐もなく上げる志保子に、周は頭が痛くなっていた。
完全に誤解された。おまけに興奮状態。
息子が彼女を連れていると仮定しても、普通ここまで喜ぶ事はないだろう。
なのにこんなに喜んでいるのは、志保子が可愛らしいものが好きだからに違いない。
確かに、真昼は美少女と誰もが認める美貌を持っている。
寝ている時は無防備で仮面も剥がれているし、なにより表情や仕草で誤魔化せない顔立ちがはっきりと見えた。
ひたすらに端整な顔立ちは、今は安らかにゆるんでいる。
見慣れてはいたが、やはりというか改めてみれば真昼は極上の美貌を持った非常に魅力的な少女なのだ。
寝顔はあどけなく、思わず触れたくなるような無防備さと愛らしさがある。
周のクッションを抱き締めてすやすやと寝ている姿は、大っぴらにはあまり言いたくない類いの欲求を無性にかきたてた。
そんな、見慣れた周でも認める美少女が、志保子から見れば息子の彼女(仮)。
興奮せずにはいられないだろう。
「もしかしてお母さん寄り付かせないのは彼女が居たから? もう、いつの間にかすっかり男の子になっちゃって」
「ちげえよ! 全体的に色々ちがう! 彼女でも何でもないから!」
「あら、言い訳しなくてもいいのよ? お母さん、周が選んだ人なら反対するつもりないし」
「いやだからそういう問題じゃなくてだな! 交際関係ではないから! 断じて違う!」
「違うもなにも部屋に入れてる時点でねえ」
「アンタが急に来たからだろうが! 普通にリビングに居ただけでも誤解するだろうが!」
「そもそもの問題として、周は好意がないと女の子はまず家にあげないだろうし、女の子は好意がない相手の家には入らないものよ?」
それを言われると、否定の材料をどうにかして持ってこようにも探しにくい。
志保子の言う通り、周は基本的に家は自分の領域であり、他人は入れたがらない。
真昼を最初に入れたのは勢いに押されたからであるが、そのあとからは料理の事抜きにしてもそもそも真昼の性格を好ましいと思っているからこうして家に入れている。
(そりゃ、好きと言えば好きだが)
周にとって、真昼という少女は見た目抜きにしても好ましかった。
学校では見せない辛辣で実直、それでいて素直ではない矛盾した性格も、素っ気なく見えて世話焼きなところも、どこか達観したような物言いも、不意をつかれると慌てて年相応の姿を見せる面も、極たまに見せるあどけない笑顔も、全部真昼の魅力だと思えるようになっている。
それが恋愛感情なのかと言えば違うと言えるが、少なくとも魅力的な少女だ。
「友人として好意はあるが、異性への好意を全部恋愛感情にするなよ。大体、こいつだってそんな意図なんてない」
素直に志保子の言葉を肯定するほど甘ったるい感情は持っていない。そもそも、真昼からしてみれば周に好意を抱いていると勘違いされても嫌だろう。
「あら、分からないものよ? 周の方こそ女の子の複雑な気持ちを理解出来るようになったと驕ってるんじゃない?」
「どう言ったら母さんはそういう関係じゃないと分かってくれるんだ……椎名、頼むから起きてくれ……」
言葉を尽くしても恋愛方向に持っていこうとする志保子に、周は辟易して額を抑える。
早く起きてほしい。切実に。
「ん……」
祈りが通じたのか、はたまた騒がしさに意識が浮上したのか。
真昼は、ゆるりと閉じていた目蓋を持ち上げて、甘い声を鳴らしながら顔を上げる。
さら、と亜麻色の髪が肩から滑り落ちる。
カラメルのような色合いの瞳がとろりと潤んで揺らいでいる姿は、何というか直視するのが悪い気がするほどに無防備だ。
微妙にまだ意識が覚醒しきってないのか眠たげに緩んだ眼差しのままぼんやりと周を見上げているので、周は視線を微妙にずらしてしまう。
「椎名、寝たことについてはまだいいが、誤解されてるから解くの手伝ってくれ」
「誤解……?」
「ねえねえ彼女さん、お名前は?」
ふやふやとしたまま反芻する真昼に、志保子は遠慮なく近寄ってにこにこと人好きするような笑みを浮かべている。
こうした屈託のない笑顔や親しげな眼差しを向けられて、真昼は寝起きの頭で混乱しているらしく目に見えてうろたえていた。
「え、あ、あの」
「やっぱり初対面では名乗り合うのって大事よね!」
「え、し、椎名真昼です……」
「あら真昼ちゃん、可愛い名前ね! 私は志保子、遠慮なく名前で呼んでね」
押されて思わず名乗った真昼が「助けて藤宮さん」と救援を求めるようにこちらを見てきたが、周としてはむしろこっちが助けてほしいし正直どうしようもないので首を振った。
自分の母だから分かるが、一度暴走を始めると止まらない。
真昼に対する興味が溢れているので、恐らく真昼ととことんコミュニケーションを図ろうとするだろう。
肝心の真昼が困惑しているのに気付いているのかいないのか。
「あ、あの、お母様」
「あら! もうお母様と認めてくれるのね!」
「藤宮さん!」
「藤宮じゃ私も周もよ。ねえ周」
「母さん椎名が困ってる」
「周、彼女さんくらいちゃんと名前で呼んであげなきゃダメよ?」
あまりにも話を聞こうとしない志保子に周の眉間に皺が寄るものの、志保子は意に介した様子もない。にやにやとしている辺り肝が据わっているというか、図太いと言えばいいのか。
「あ、あの、志保子さん」
「なぁに?」
「わ、私と、藤宮さ、」
「どっちか分からないわぁ」
「……あ、周くんはそういう関係ではなくてですね」
わざとらしい志保子の言葉に、真昼が分かりやすくうろたえつつもなんとか否定している。
志保子に急かされたせいだろうが名前を躊躇いがちに呼んでちょっとこちらを窺ってくるので、名前を呼ばせる事の出来た志保子が満面の笑みを浮かべていた。
「あら、じゃあこれからそうなるのかしら」
「え、あ、あの、そうじゃなくて」
「やだ、私ったらいい雰囲気をお邪魔しちゃったのかしら」
「あ、あの、ちゃんと説明させてほしいです! 周、くんとは、そういう間柄ではなくて、ご飯を一緒に食べていただけというか、周くんがご飯作れないから」
「いいお嫁さんになれるわね、真昼ちゃん。うちの周ったら家事なんにも出来ないのに一人暮らしする事になっちゃってね。そういう事なら是非支えてあげて欲しいのよ」
「や、あの」
真昼は、頑張っていたと思う。
しかし、志保子の勢いを押し留めて説明出来る、なんて無理だったのだろう。
定期的に家を訪ねている、手料理を振る舞っている、共に食卓を囲んでいる、という時点で志保子の瞳の輝きが変わって更に勢いがついてしまった。
こうなれば志保子を止める事なんて周には出来ない。出来るとすれば父親の修斗くらいなものだ。
「……椎名、諦めてくれ。母さん興奮状態だと話聞かないから」
「そんなぁ……」
最早達観の領域に達している周は、 早々に釈明を諦めて母親の暴走を見守る事にした。
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