22 安息の地に敵襲あり
おくりものを受け取った側から手渡してしまおうというのが間違いだったのかもしれない。
インターホンの音と「あーまね」と茶目っ気たっぷりの高い声が聞こえた時、周は全てを把握して頭を抱えた。
真昼が土曜日に昼食を作ってくれるという申し出は、とてもありがたかった。天からの恵みだとも思った。
実際作ってもらったカルボナーラは美味しかった。濃厚なソースとブラックペッパーの刺激がマッチしてたまらなく美味しかった。
別に、真昼が悪い訳ではない。そう、真昼が悪い訳ではない。
悪いのは事前にしつこく家に居るように言われて気付かなかった自分と――このサプライズ大好きで突拍子もない事をする、血の繋がった女性だろう。
「……あの、藤宮さん? 宅配便では……」
「ない。合鍵でエントランス抜けて直通で来やがった母さん……」
思えば、何とかして視察に来ようとしていた母親の言う事を真に受けたのが悪いのだ。
あの母親が、いたずらをしかけない訳がないのだ。
「……え、お母様?」
「うちの母親が多分生活出来てるのか見に来たんだろ……事前に言わなかったのは、言ったら俺がなんとか取り繕うからな」
「ああ……」
「そこで納得されるのは複雑だが今はどうでもいい」
問題は、今ここに居る真昼をどうするかだ。
エントランスならすぐに家に帰せばいいのだが、既に扉の前に居るために家に帰す事は出来ない。
かといってそのまま母親を自宅に招けば真昼と出くわし、あらぬ勘違いをするだろう。それは真昼も望むところではない筈だ。
どうしようか、と悩むが、インターホンの音の間隔は狭まるばかり。
(――ああもう)
「……ごめん椎名、ちょっと俺の部屋に入っていてくれ。頼む」
「え、は、はい?」
「これ渡しとくから、俺が何とか母さんを外に引きずり出した後家に帰ってくれ。本当に悪いんだが、たのむ」
本当に致し方なく、周は隠蔽の方向に舵をとった。
昼食を作ってもらったが後片付けは終えているので問題ない。
靴は靴箱に隠せば見つかりはしないし、今持ち込まれてるブランケット等彼女の私物は彼女と共に部屋にいれてしまえばよい。
部屋に居てその間に周が敢えてざっと視察をさせたところで母親に手料理を食べたいとねだれば、母親は恐らく乗ってくれる筈だ。部屋の視察は全力で拒んでどうにかするつもりである。
敢えて冷蔵庫にない食材を使うものを希望して一緒に買い物に行く、その間に真昼には脱出してもらう――これが筋書きだ。
もうそうするしかない、と真昼に余ってる合鍵を手渡して大真面目に頼むと、「は、はい」と困惑しながらも頷いてくれた。
因みに納戸でないのは、さすがに今の季節だと暖房がなければ寒いからである。
周の部屋ならば暖房はあるしやわらかいクッションがある。何もない床に座って腰を痛めたり体を冷やしたりなんて事にはならないだろう。
「……じゃあ、頼んだぞ。俺は今から母親の相手するから……」
顔を合わせる前に既にげっそりとしている周が玄関に向かえば、真昼も静かに周の部屋に入る。
それを見届けてから、周は渋々玄関を開けた。
「あらー周、遅かったわね。元気そうでよかったわ、寝てるのかと思ったのに」
すぐに視界に入ったのは、夏休みぶりに見た母親の顔だ。
自分の母親ながら年齢を感じさせない容貌は、家に居た頃よく見ていたにこやかな表情を浮かべている。その年齢を感じさせない、というのは顔だけではなく言動もなのだが。
「おうおう元気だから帰ってもらってもいいか?」
「まっ、親に向かってそういう事を……わざわざ数時間かけてここに来たのよ? 労いもないの?」
「遠くからお越しいただき誠にありがとうございます、帰ってくれ」
「んまーそういう事を言うのね。そういう可愛げないところは修斗さんに似てないわよねえ」
「可愛げなんか男に要らないだろ」
けっ、と吐き捨てるものの、母――志保子は気分を害した様子はなく、けらけら笑いながら「反抗期ねえ」と納得していた。
「じゃあお邪魔するわね?」
「待ってくれ、誰もいいとは」
「ここ、私と修斗さんの稼ぎで借りてるのだけど?」
それを言われると反論も拒絶もしようがなくて、周は本当に渋々ながらドアを大きく開けて志保子を招き入れる。
もちろん、寝室に行かないようにさりげなく寝室側を歩いてリビングに誘導するが。
「あのな母さん、くるならくると連絡寄越せ。大人だろうが」
「あら、我が息子が不摂生してないか抜き打ちじゃないと見られないじゃない?」
「ぐ。……でも、問題ないだろ。片付けてるし」
「そうねえ、びっくり。周ったら家では何にも出来なかったのに、案外出来てるわね。意外だわ」
リビングにたどり着いてぐるりと辺りを見回した志保子は、感心したように染々と頷いている。
もちろん片付けたのは真昼との共同作業のお陰であるし、保っているのは真昼のアドバイスと注意のお陰なので、ほぼ真昼の功績なのだが、それを今志保子に言う訳にはいかない。
「肌艶もいいし、ちゃんと栄養もしっかり取ってるのね」
「……おう」
若干視線が逸れてしまったのは、これも真昼のお陰だからである。
「ちゃんと料理もしてるのね。……あら、でも二人前みたいだけど?」
マニキュアの施された指が、食器置きの部分を示している。
昼食は二人で取ったため、当然皿も二人分なのだ。そこに周が気付かなかったのは迂闊だったが、志保子もめざとい。
「友人が来ていたからな」
嘘は言っていない。
恐らく、ではあるが友人関係に似た仲を築いているので、間違いではないだろう。性別を隠している、という点があるが。
なるべく動揺を堪えて淡々と答えた周に志保子は「ふぅん」とあまり納得のいってなさそうな声で返事をし、またリビングに視線を散らし出す。
なんとか、ぎりぎりで誤魔化せたが、冷や汗が出そうだった。
「……まあ、及第点……っていうか男の一人暮らしとは思えないくらいに良くできてるわ」
志保子はしばらく観察して質疑応答を繰り返したのち、総評を述べた。
ある意味で当然だろう。真昼の手が大概加わっているのだから。
「母さんが心配する事はなかっただろ」
「ええ、びっくりしちゃったわ。家では大して何も出来なかったのに、成長したのね」
「……俺だって成長くらいする」
どの口が言ってるのか、と内心で自嘲しつつもそう返すと、志保子もにこやかに「まあがんばったわね」と讃えてくれる。
それがやはり自分の功績ではないため、地味に居心地が悪い。
しかしながら真実はまず口には出来ないので、このまま耐えきってお帰り願う。
一応は生活チェックは出来ただろう。
もしかしたら手料理を食べたいなんて言わずともこの家を後にしてくれるのではないか――そんな事すら思った周だったが。
「あとは部屋チェックかしら」
最後に落とされた爆弾に、周は思わず目を剥いた。
部屋チェック。つまり私室……寝室のチェックという事だ。
中には、当然真昼が居る。見付かれば、当初想定していた接触よりはるかに大惨事になる事が簡単に予想がつく。
「おいふざけんな。自室は母親といえど入れたくない」
「あら、何かやましいものでもあるの?」
「普通に考えて男子高校生の部屋にやましいものの一つや二つあるだろうが」
「そこは認めるのね」
「ああ認めるから入るな」
ここは、全力で阻止しなければならない。多少の恥をかいても、真昼の存在は隠しきらないとならない。
今、周の部屋に居る真昼を見てしまえば、志保子は間違いなくとても自分に都合のよく楽しい方向に妄想を走らせてしまう。それは何としても避けたい。
意地でも通すまいと志保子の視線を遮るように扉の前に立ってノーと拒絶すれば、何かが隠されているとすぐに察した志保子が「親に隠し事なんていっちょまえになったわねー」とにこやかに迫ってくる。
いざとなったら申し訳ないが多少力ずくでも拒否するつもりで志保子と対峙していたのだが。
とすん、と部屋の中から音がした。
「周」
「ハイ」
「何を隠しているのかしら」
「……母さんには関係ない」
「そういう事言うのね、分かったわ」
にっこり、と笑みが濃くなる。
それは、拒否を許さない圧力の笑みで、毎回この笑顔を浮かべられると周は非常に居心地が悪くなるし逆らう気力が大分削がれてしまう。
最早癖なのでどうしようもなかった。
ぐ、と呻いた周の隙を見て、志保子は部屋のドアノブに手をかけた。
しまった、と後悔しても後の祭り。
物音を確かめるべく、周の横をすり抜けてドアを開けた志保子。
扉の向こうに広がっていたのは――ベッドの縁に背中を預け、クッションを膝に抱えている、美少女の姿。
それも、瞳を閉じて一定のリズムで小さな呼吸を繰り返す……有り体に言えばうたた寝をしている真昼の姿だった。
レビューをいただきました、本当にありがとうございます!
感想もたくさんありがとうございます、朝起きたときすごくびっくりしました。まさか真昼さんのデレにここまで反応があるとは……。





