213 あなた好みになれるなら
頼んだメニューを運んできた千歳は、大輝の事で少し気分が沈んだ周と真昼の表情を見て不思議そうに首を傾げた。
「あれ、何かあったの二人。喧嘩した?」
「俺達がすると思うのか」
「普通喧嘩はどのカップルでもすると思うけど……二人の場合相手の話を聞くから、周のその断言がないとも言い切れないのがすごい」
呆れやら感心やらを混ぜた声でしみじみ呟かれたが、周としては別にそうおかしな事ではないと思っている。
基本的に、真昼は温厚で寛容なので、怒るという事そのものがあまりない。しかも、自分の事で怒る事は滅多にない。他人のために怒る事はあっても、性格上真昼が腹を立てる事が少ないのだ。
その真昼と喧嘩するという事は真昼を怒らせてしまった周がほぼ悪いという事だし、そうなると喧嘩というよりは話し合いに発展する。どこが駄目だったのか、何が気に障ったのか、理由と解決策を二人で話し合う。
それすら出来ないほど怒らせる事なんてないし、あった場合確実に平謝りする。
だから、喧嘩にはほぼならないのだ。
真昼も喧嘩と聞いて実感が全くなさそうにカラメル色の瞳をぱちくりと瞬かせているので、やっぱりなと小さく笑う。
彼女が周に対して憤る事はなかった。
卑屈だった時に怒られたが、あれは本気の怒りというより窘めるようなものだったし、何より周のためを思って怒っていたのだ。
「まあ、という訳で喧嘩じゃないよ。色々と悩ましい事があってどうしたもんかと悩んでるだけ」
「ふーん? まあ二人が喧嘩してないならそれでいいんだけども。それより周のご両親はきてないの?」
ご両親、という単語に一瞬身を強張らせてしまったが、千歳は周の様子に気付いた様子はなくずずいとこちらに迫ってくる。
大輝の存在は今のところ頭の奥に仕舞われているようなので少し安堵した。
「やー、まひるん曰く私とは気が合いそうなお母さんと聞いて気になってるんだよねえ。是非ともご挨拶を」
「気が合いそうどころじゃなく意気投合して、結果として真昼が被害に遭うのが目に見えてるんだよなあ」
可愛いもの好きなところ、スキンシップが激しいところ、そして真昼を非常に好きなところがそっくりなので、恐らく真昼が二人に可愛がられ遊ばれるだろう。
その光景が容易に想像出来たらしい真昼がひくりと口角を震わせたが、見なかった事にしておく。
(まあ着せ替え人形にされるかスキンシップされるかのどちらかだから頑張ってくれ)
危害を加える事はないので、そこのところは安心しておいていいだろう。真昼から助けてという視線があったが、周では退けてはやれない運命なので逞しく乗りきってほしいところである。
「まあ、ほどほどにしてくれよ。あと、そろそろ戻らないでいいのか」
「うぇ、ほんとだまこちんに睨まれてるー」
同じシフトの九重が物言いたげに千歳を見ているので、流石に話し込む訳にもいかないだろう。
ぺろりと舌を出してごめんねアピールをした千歳に九重が冷ややかな眼差しを向けているので、早く仕事に戻れと千歳を促しておいた。
名残惜しそうに仕事に戻っていった千歳の背中を眺めて、そっと息を吐く。
「俺は応援するしか出来ないけど頑張れ真昼」
「他人事ですね」
「いや、俺にはあのパッション溢れる二人を止めるなんて出来ないし。頑張れ。どうしても嫌ならきっちり拒めよ」
「い、嫌というか……その。……絶対着せ替え人形にされるじゃないですか」
「多分そうだな」
ただでさえ志保子は真昼を可愛がったり着飾ったりするのが好きなのに、千歳と出会ってしまえば更にノリノリで構おうとするだろう。真昼を最早娘だと認識している志保子の事だ、ブティックに連れていってあれこれ着せ替えた後に何着も買い与えそうである。千歳も乗り気で付き合う事が予想出来た。
まあそれについては娘を欲しがっていたからこそ、そして真昼自身を気に入っているからこそなので、周としてはあまり強く止められないのだ。
「まあ、真昼がおめかししてくれるなら俺としては止める必要もないかなと」
「そういう言い方されると拒めないのを御存知でしょうに」
「別に、二人を断って俺の好きに着せ替えさせてくれるならそれでもいいぞ?」
別に着せたいものがある訳ではないが、自分が思う真昼に似合う服を着てもらうというのも、また乙なものだろう。
「……それは、二人のを抜きにしても、してほしいです。周くん好みになれるなら、是非」
小さく呟いて恥じらいに瞳を伏せた真昼に、好みが真昼だから何を着ても好きだ、とはこの場で言えず、コーヒーを口に含みながらただ彼女のいじらしさに上機嫌な笑みを浮かべる周だった。